なにを壊され、なにを奪われ、なにを背負わされたのか

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福島第一原発事故から3年が経とうとし、今もなお10万人以上が避難生活を続けている。今、原発避難をめぐり何が起こっているのか。社会学者と被災当事者の21時間にも及ぶ議論を基に、『人間なき復興』(明石書店)が昨年11月に上梓された。今回は、共著者の一人で、被災当事者である市村高志氏に話を伺った。(聞き手・構成/山本菜々子)

 

 

帰りたいけど帰れない

 

―― 市村さんは震災以前どのような生活をされていたのでしょうか。

 

震災が来るまで、私は福島県富岡町でパソコンの修理や業務システムの構築、生損保の保険代理店などの仕事をしていました。震災当時、中学生の子どもが2人と小学生が1人。私の年老いた母とも同居して6人家族で暮らしていました。3月11日はちょうど長女の中学校の卒業式でした。地震が起きた時は帰宅途中で、ちょうど買い物に立ちよった店の駐車場にいました。

 

そして、私達は訳も分からず「着の身着のまま」避難しました。私達だけではなく大半の住民が一週間や、長くても1カ月程度で帰れるものだと思っていたんです。だから、こんなに何年も帰れなくなるとは思ってもみませんでした。

 

 

―― この本は住民の方の「帰りたい」「帰りたくない」という複雑な思いを無視して帰還政策がすすめられていることに疑問を投げかけていましたね。

 

被災した当初は、とにかく多くの住民が「富岡に帰りたい」と思っていました。ですが、第一原子力発電所の一号機と三号機が爆発し、放射能汚染の状況も明らかになってきました。するとだんだん「富岡に帰りたいけど」と「けど」がつくようになってきます。

 

早いところで震災の年の6月頃から一時帰宅がはじまります。そこで、大半の住民が「帰るのは無理だろう」と感じはじめました。家が地震でガタガタになっていて、割れた茶碗が散乱していても片づけられない。放射能物質が入ってくるからと窓も開けられない。その状態でどうやってここに帰ればいいんだと感じましたね。

 

だんだんと「帰りたい」「帰りたいけど」「帰れねぇんだ」という風になっていった。ですが、テレビや新聞などでは、「帰りたい」という方々の涙ながらの声が報道されました。それが画になると言われればそうなのかもしれません。

 

私の母も「帰りたいなぁ。でも、帰れないな」とよく言うんです。そして、福島に戻る人をみて「やっぱり、みんな帰るんだなぁ」と言うんです。「帰りたい」のか「帰りたくない」のかどっちなんだよと、ぼくは思うんですが、その感情はすごくよく分かるんです。

 

放射能の問題だけではなく、道路も整備されていない、働くところもない、家の修理もしないといけない。様々な要因が重なっていて、何よりも事故を起こした発電所の状況が不確定である事。当事者としてみれば「帰りたいけど、帰れねぇ」となってしまう。

 

私と同じく避難をして、津波で家が流されてしまった方がいました。彼は「おめぇらは良いよな、家も土地もある」と言って、なかなかぼく達と話してくれなかったんです。その人は全部流されてしまったから、写真一枚しかなかった。

 

でも、少しづつ話すようになり、一年ほど経って、その方が別の場所に引越しをする時に、「おめぇらは可哀そうだな」と言われたんです。「俺たちは何にもないから、次にいくしかないけど、おめぇらは家も土地もあるもんな」と言われたんですよ。その言葉がすごく私の心の中に残っています。もし、全部家がなくなっていたら「帰らない」という判断がしやすかったのかもしれない。でも、それとは違う様な気がしています。

 

 

―― 単純に「帰りたい」という言葉だけで語りきれる問題ではないんですね。

 

しかし、現在はこういった複雑な「帰りたいけど、帰れない」という気持ちがおざなりになっています。当初の「帰りたい」という声だけが取り上げられ、帰還政策として進められようとしている。帰るか帰らないかという二者択一を一方的につきつけられる可能性があるんです。

 

この本の著者の一人である、山下さんと話していて分かったのは「避難」を解消するためには、「元の場所に帰る」ということが前提だということです。法学的にはそういうイメージになっているらしい。それは、放射能汚染を想定していない制度です。

 

今、政府は「除染」をするから、帰ることが可能になると言っています。しかし、本当に安全なのか? と感じてしまいます。誰の責任でここに住んでいて大丈夫だと言っているのか。「大丈夫」と言われても、避難した時の恐怖感は忘れられません。放射能は目に見えないからこそ、より恐怖を感じてしまいます。

 

私達だって帰りたいです。放射能のない地域に帰りたいんです。でも、放射能を完全に無くす方法は確立されていませんから、そんな願いが叶わないことは、なんとなく感じています。でも、他の人から「もう帰れないでしょ」という言い方されると、お前に言われたくないという反発も出て来る。そういうジレンマもあります。

 

「帰りたいんでしょ」という言葉も、「帰れないでしょ」という言葉も、どっちもしっくりこないんです。その「違和感」を上手く言葉で伝えられない。どう言っていいのか分からないから、怒りになってしまう。「そんなこと言うんだったらおめぇらが住んでみろ」と。でも、それは本心ではないというか、気持ちを上手く表現できないからそう言ってしまうんですよね。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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