出場条件はホームレス!――もうひとつのワールドカップ

サッカーは人生や社会の縮図

 

―― はじめて、野武士JAPANのお話を聞いた時、「サッカー」と「ホームレス」のあいだに意外な響きを感じました。

 

そもそも、私がこのチームに参加するきっかけとなったのは、日本元気塾(米倉誠一郎塾長)のケーススタディでビックイシューの販売のサポートプログラムを受けたとき、一緒に雑誌を売っていた販売者さんに、サッカーの練習に誘われたからなんですが、販売者さんから「おれ、ホームレスサッカーで日本代表を目指しているんだ」と言われたときは、どういう意味なのかまったく分かりませんでしたね(笑)。

 

ビックイシュー基金では、サッカーだけではなくダンス(ソケリッサ)や音楽バンドなど様々なクラブ活動があります。自立を支援する方法は、直接的に仕事を紹介するだけではありません。

 

国や自治体が宿舎をつくるようなハード面の対応ももちろん必要ですが、自立するためには、個人がどれだけ頑張ろうと思えるか、またそのことを社会全体がどれだけ支えられるかという多面的かつ包括的な環境整備が大事です。これはホームレス問題に限らず、様々な政策課題についても同様のことが言えると思います。

 

多くのホームレスの人たちは、そのきっかけをつかめずに今まで来ているんです。一度ホームレスになってしまったら、なかなか抜け出せません。よく「自己責任」という言葉が言われますが、そもそも自助努力が報われるような、誰もが責任を果たせるような社会の環境がそもそも整っているのでしょうか、疑問に思います。正直者がバカを見たり、言った者負け、みたいな状況や空気ってありますよね。

 

ホームレスの人たちは、失業して収入がなくなり、家が無くなったから「ホームレス」になっているのではなく、同時に家族や友人との関係も失っています。核家族化、少子化、高齢化、経済至上主義にもとづく短期利益追求などが、様々なセーフティネットを弱めている部分もあるのではないでしょうか。

 

 

―― たしかに、家族や友人がいたら、路上生活はしていないかもしれませんね。

 

ですので、仕事だけではなく、居場所をつくるのは非常に重要です。選手には様々な状況の人がいます。ホームレスになりたての人もいれば、そろそろ卒業できる人もいます。どういう段階の人に会っても、集まれる場やコミュニティが存在し続けるのは大事です。

 

そして、居場所だけにとどまらず、選手の自立を促すのがコーチングの目的であり私たちの役割です。たとえば、ホームレス・ワールドカップや日韓戦で対外試合をすると、とてもいい刺激になります。しかし、難しい面もあって、勝負の機会をつくると、負けるのがこわくなって練習に来なくなったり、逆にサッカーだけをがんばったり、自分だけが目立とうと個人プレーする人もいます。でもそれじゃあ違うだろうと。

 

サッカーは人生や社会の縮図です。個人の頑張りだけではなく、チームとしてのパフォーマンスが求められています。コーチングする側が一工夫すればいろんなことをチームとして経験することができます。自立をする時、最後は個人の力が必要です。個人のリーダーシップとそれを支えるチームメイトやスタッフのフォローワーシップ、それらを複合的に養生しながら、ゆるやかに後押しする力がサッカーにはあると思います。

 

 

―― 「サッカーは人生の縮図」良い言葉ですね。

 

しかも、サッカーはルールが簡単で分かりやすい上に、ボール一つだけで始められるので安上がりです。さらに、世界中で行われているので、どこかの成功事例やモデルを共有し学ぶことが可能です。今、国際社会では途上国の地域開発にスポーツを取り入れることがメインストリームになりつつあります。サッカーもその中で大きな役割を果たしていますし、これからもどんどんサッカーを活用した地域やコミュニティー開発、社会の問題解決が進んでいくでしょう。FIFAランクを上げることや、日本人選手が欧州ビッグクラブで活躍することも重要ですが、世界のサッカー界は別のアジェンダやサッカーの可能性に気がついています。

 

 

nobushi

 

 

「怠けもの」ではない

 

―― 「なんでホームレスがサッカーをしているんだ」もっとやることがあるだろうという声もあるようですね。

 

日本社会は、非常にホームレスに厳しいですね。みんな直接ホームレスの人と話さずメディアで見るホームレス像をもとに、「怠けている」「気ままに暮らしている」と思い込んでいます。しかし、誰も好きでホームレスになっているわけではありません。そう思っている人は、現状認識が間違っています。また、ホームレスという集団名詞で彼らを固定的な存在として捉えていることも本当に残念です。当たり前ですが、彼ら一人ひとりに名前があり、人生があります。

 

日本ではホームレスの定義を「都市公園、河川、道路、駅舎その他の施設を故なく起居の場所と詩、日常生活を営んでいる者」としています。この中には、ネットカフェやファーストフード店など深夜営業の店舗で過ごす人を含んでいません。

 

一方、EU加盟国では、日本でいう「路上生活者」に加え、知人や親族の家に宿泊している人や安い民間の宿に宿泊している人、福祉施設に滞在している人など、路上生活者に至るプロセスまでをも視野に入れています。

 

今、日本では「ホームレス」が2003年の25000人から、2013年には7500人減少したと言われています。しかし、EUの定義に則れば、「ホームレス」はかなりの数いるのではないでしょうか。このことは、大西連さんも指摘していますよね。(大西連/「ホームレス」は減少しているのか――岐路に立たされるホームレス支援の今後

 

統計的に少なくなったからといって、ホームレスは減っているわけではありません。むしろ貧困の形が多様化してきています。全国に7500人しかいない限られた人の話ではないんです。

 

このチームに関わってから、リーマンショックや3.11、東日本大震災がありました。そうすると、福島の普通のサラリーマンの人が我々のチームに「クビになってしまいました」と来るんですよ。みんな「自分は一生懸命仕事していたのに、こうなると思いませんでした」と言うんです。自分の努力だけではどうにもならない不運によってホームレス状態になる人はたくさんいます。

 

今は、こんなことを偉そうに言っていますが、私もこのチームに関わるまでは、彼らは単純に努力していない人だとか、自分はホームレスにならないと思っていました。こんな豊かな日本で貧困だとかホームレスってあり得ないでしょうと。ただサボっているだけでしょうって。

 

でもチームに関わり、その考えや価値観は大きく変わりました。彼らはサボっているわけでも、能力が低いわけでもありません。

 

実際に、自分が会社をクビになってしまい、住む場所や公的証明書や、家族や友人との関係も不可抗力で失ってしまったと考えてみてください。日本社会は、一度レールから外れてしまった人にとても厳しいですよね。住所が無ければ仕事も限られてきます。働きたくても働く術がない。どうしたらいいのか途方にくれてしまうはずです。

 

日本のベンチャー企業が諸外国ほど盛り上がっていないのは、ベンチャーで一度失敗したらなかなか這い上がれない社会だからです。ホームレスの方々も一緒なんですよ。一度失敗したら這い上がれない。決められた王道から外れてしまったら元に戻れません。「怠け者」だからホームレスなのではなく、いつ自分の身にもいつか降りかかるかという問題であって、私や皆さんは、たまたま運良くこちら側にいるだけなのです。いまやこちら側の社会自体も危ういですが(笑)。

 

 

―― 自分がホームレスに対するリアリティってなかなか持ちづらいですよね。

 

そうですね。今、「エリート」と言われる人達や金儲けをしている人達だって、たまたま今理想とされている教育やビジネスに適応しているだけです。いつどうなるかは分かりませんし、社会というゲームのルールが変わるかもしれませんよね。

 

私は、一度ホームレスになった人を、地域の自治体や国でいえば厚生労働省の社会保障政策部門に一定数起用するといいと思うんです。その方が、現場目線から真に課題解決に向かう良い施策が作れるのではないでしょうか。一度、レールから外れたら終わりなのではなく、社会に再チャレンジする際には、どうせなら自分の経験を生かして、社会を豊かにするために活用するというパスがあるといいですよね。このような総合力を「レジリエンス」といいます。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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