2014.11.25

世界の漫画に光をあてる「アングレーム国際漫画フェスティバル」

ニコラ・フィネ×荻上チキ

文化 #アングレーム国際漫画フェスティバル#バンド・デシネ

アングレーム国際漫画フェスティバル――世界中のバンド・デシネ(漫画)が集められ、近年では日本の作家も多く参加する漫画フェスは、どのように生まれ、発展していったのか。また、2014年1月には慰安婦漫画出展をめぐる騒動で注目されてしまったが、その経緯とはどのようなものだったのか。世界、アジアをめぐる漫画事情と、騒動の経緯について、アングレーム国際漫画フェスティバルプログラムディレクターのニコラ・フィネさんに、荻上チキがインタビューを行った。(通訳/鵜野孝紀、コーディネーター/原正人、構成/金子昂)

5月革命直後に変容したバンド・デシネ

荻上 今日は、アングレーム国際漫画フェスティバルのプログラムディレクター、アジア担当であるニコラ・フィネさんにお話を伺います。今回のインタビューにはふたつの狙いがあります。ひとつは、アングレーム国際漫画フェスティバルはどういったフェスティバルで、なぜ生まれたのかを読者に伝えること。たとえば、日本のアングレーム国際漫画フェスティバルに関するwikipediaでの記述が非常に偏っていて、しかもそれがネットにある数少ないソースになっています。

ニコラ アングレーム国際漫画フェスティバルに関するwikipediaのページが偏っているという印象は以前からありました。ただ、私たちはなにもできないんですよね。その代わりに、近いうちに日本語で書いたフェスの説明文をサイトにアップする予定です(編集部追記:2015年1月27日開設 アングレーム国際漫画フェスティバル 日本語ブログ【公認】)。

荻上 もちろんWikipediaはどの国でも偏っているとは思いますが(笑)、国際的に注目される漫画祭に関する情報が少ないのは残念です。もうひとつが、今年1月に話題にあった、慰安婦漫画出展をめぐる出来事についてです。今回の出来事がいかに起き、また長きにわたる文化交流の中でいかに不幸な出来事だったのか、考えていきたいと思います。ちなみに、ニコラさんがフェスそのもの関わりはじめたのは、いつごろからですか?

ニコラ アングレーム国際漫画フェスティバルと一緒に仕事したのは、1989年です。当時わたしは、「(ア・シュイーヴル)[*1]」というバンド・デシネ雑誌の編集部で仕事をしていました。この雑誌は、どちらかというと文学的な作品が中心のものでしたね。「アングレーム・ル・マガジン」というフェスを取りあげた雑誌[*2]も作ったこともあります。

(À Suivre)創刊号
(À Suivre)創刊号
「アングレーム・ル・マガジン」
「アングレーム・ル・マガジン」

[*1] (Àsuivre)。かつてカステルマン社が刊行していたバンド・デシネの月刊誌。タイトルはフランス語で(つづく)の意。1978年2月創刊1997年12月廃刊。『メタル・ユルラン』(MétalHurlant)と並んで、バンド・デシネの歴史上重要な雑誌。ストーリー面に重きを置いた文学的な作品群を連載していた。

[*2] 1989年1月に行われた第16回アングレーム国際漫画フェスティバルに合わせて作られた。

どっぷりとアングレーム国際漫画フェスティバルに関わったのは1999年が初めてです。スタッフとしていろいろな仕事をしてきましたが、いまはプログラムディレクターという立場で、アジア担当として、フェスのプログラムを作る仕事をしています。

荻上 では、アングレーム国際漫画フェスティバルが創設された経緯をお話ください。

ニコラ アングレーム国際漫画フェスティバルは、1974年に創設され、来年2015年1月で42回目の開催となります。ヨーロッパのバンド・デシネに関連するフェスでは最古のもののひとつですね。

1977年のアングレーム国際漫画フェスティバルを訪れたエルジェ(『タンタンの冒険』の作者)
1977年のアングレーム国際漫画フェスティバルを訪れたエルジェ(『タンタンの冒険』の作者)
1982年のアングレーム国際漫画フェスティバルを訪れた手塚治虫
1982年のアングレーム国際漫画フェスティバルを訪れた手塚治虫

このフェスは、バンド・デシネの歴史における転換期に生まれたものです。1960年代後半、民衆が政府に対して反抗の運動をした時期のすぐあとに、バンド・デシネは徐々に変容していくんですね。

荻上 「五月革命」の頃ですね。政治局面だけでなく文化的にも大きなムーブメントがありました。

ニコラ そうです。それまで、子供向けの娯楽漫画でしかなかったバンド・デシネは、5月革命に呼応するかたちで、だんだん大人の読み物として変質していくんです。フランスで、そして西ヨーロッパの他の地域で、非常におとなしいお行儀のいい作品ではなく、新しい作家、新しい出版社による、非常にラジカルな内容を含んだ新しい作品が生み出されていく。これは音楽や映画においても同様の動きがあったのだと思います。

そうした動きの中で、フランスの地方にある、本当に小さなバンド・デシネ好きなグループが市の助成を得た上で、初めてバンド・デシネフェスを開いた。これがアングレーム国際漫画フェスティバルの始まりです。それ以降、フランスでバンド・デシネが徐々に注目されるようになり、いまに至るというわけです。

荻上 ニコラさんも当時のことを覚えていらっしゃいますか?

ニコラ そうですね。少年時代の私も、いち読者として、新しいジャンルの作品がでてくることに興奮していました。

2014年アングレーム国際漫画フェスティバルの様子
2014年アングレーム国際漫画フェスティバルの様子
2014年アングレーム国際漫画フェスティバルの様子
2014年アングレーム国際漫画フェスティバルの様子

世界中のバンド・デシネを扱う

荻上 アングレーム国際漫画フェスティバルは、そもそもなにを目的として始まったのでしょう。

ニコラ 当初の野心としては、世界中のバンド・デシネを包括的に扱い、バンド・デシネというクリエイティブな活動に関するすべての行為を紹介し、その発展に寄与するというものでした。イタリアのウーゴ・プラット[*3]、アメリカのウィル・アイズナー[*4]、ベルギーのアンドレ・フランカン[*5]など、初期から世界中の作家を取りあげています。

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左から、ウーゴ・プラットの代表作『コルト・マルテーゼ』、ウィル・アイズナーの代表作『ザ・スピリット』、アンドレ・フランカンの代表作『ガストン』

[*3] Hugo Pratt(1927-1995)。イタリア人作家。アルゼンチン、フランスなど世界を股にかけて活躍。同名の船乗りを主人公にした作品『コルト・マルテーゼ』(Corto Maltese)でヨーロッパでは広く知られている。

[*4] Will Eisner(1917-2005)。アメリカ人作家。代表作『ザ・スピリット』(The Spirit)で広く知られるほか、『神との契約』(A Contract with God)でグラフィック・ノヴェルの確立に貢献したと評価される。コミックの理論家としても知られる。サンディエゴで毎年行われるコミコン・インターナショナルで授与されるアイズナー賞は彼の名前に由来する。

[*5] André Franquin(1924-1997)。ベルギー人作家。戦後バンド・デシネの重要な作家のひとり。主にユーモア・ギャグ系の作品で注目を浴びた。代表作に『スピルーとファンタジオ』(Spirou et Fantasio)、『ガストン』(Gaston)など。

創設から10年、ヨーロッパにおいて最も大きなバンド・デシネのフェスになりました。その知名度の高さや規模の大きさは、例えば1982年に手塚治虫氏がフェスに来場されていることを紹介すればお分かりいただけると思います。手塚氏はすでにフェスについて多少の知識をお持ちで、ほぼ自腹でお越しになったと聞いています。

荻上 日本の漫画が、特に深く関わるようになったのはいつ頃でしょうか?

ニコラ 1991年に日本の企画を立ち上げたことがありました。日本大使館の協力も得て、想像以上に多くのゲストを迎えられる、規模の大きな企画になるはずだったのですが、湾岸戦争の影響で海外渡航を控える関係者が続出してしまい、結局、谷口ジロー氏、寺沢武一氏、田中政志氏の3名の作家のみお越しになっています。

ここ10年は、大友克洋氏、平田弘史氏、池田理代子氏、松本零士氏、丸尾末広氏、武井宏之氏、しりあがり寿氏、幸村誠氏、カネコアツシ氏など、必ず日本の作家さんが参加して下さるようになりました[*4]。2007年には、水木しげる氏の『のんのんばあとオレ』が、日本の作品で初めて最優秀作品賞[*5]を受賞しています。【次ページへつづく】

[*4] 他にも以下のような展覧会も行われている(作者が渡仏していない場合もあり)。2008年にCLAMP展、2009年に水木しげる展、2010年にONE PIECE展。

[*5] 日本本人の主な受賞歴(『漫画・アニメの賞事典』日外アソシエーツ、2012年より)。

1999年、手塚治虫『ブッダ』8巻、スペシャルメンション

2001年、谷口ジロー『父の暦』、全仏キリスト教コミック審査員会賞

2003年、谷口ジロー『遥かな町へ』、最優秀シナリオ賞

2004年、浦沢直樹『20世紀少年』、最優秀シリーズ賞

2004年、中沢啓治『はだしのゲン』、ヒマワリ賞

2005年、夢枕獏+谷口ジロー『神々の山巓』、最優秀美術賞

2005年、辰巳ヨシヒロ、功労賞

2007年、水木しげる『のんのんばあとオレ』、最優秀作品賞

2009年、水木しげる『総員玉砕せよ』、遺産賞

2011年、浦沢直樹『プルート』、世代を超えた作品賞

2012年、森薫『乙嫁語り』、世代を超えた作品賞

コミケとの違い

荻上 そうそうたる顔ぶれですね。もちろん、日本以外からも、多くのゲストが参加しています。漫画祭は、どのようにして運営されているのでしょうか?

ニコラ このフェスには2つの大きな性格があります。ひとつが、書籍見本市。つまり、各国のバンド・デシネの出版社が、刊行作品を持ち寄り、紹介して、読者に買ってもらう機会を設けるもの。

もうひとつが、展覧会やショーなど、文化イベントとしての性格ですね。言葉や身体表現でお客さんに魅せるものや、作家さん同士、作家さんと読者との交流のきっかけをつくりだすものです。

荻上 非常に大規模です。しかしアングレームは、決して大きな町ではないですよね。

ニコラ ええ、人口4万5千人程度の、小さな町です。

荻上 日本だと、ご存じのとおり「コミケ(コミックマーケット)」といって、東京ビッグサイトで開かれる同人イベントが有名です。もしかしたら、コミケのような屋内型のイベントだと思う方もいるかもしれない。アングレーム国際漫画フェスティバルのような、地域に密着した漫画イベントが開催されていることを、意外に思う読者もいると思います。

ニコラ コミケの場合は、既存の器にイベントをいれるという性質があると思います。でもアングレームは、必要な施設がすべてあるわけではないところに、器を作っていくスタイルをとっています。市庁舎や美術館、音楽学校の校舎を施設として利用したり、仮設の大きなブースを作って、町全体を会場にしているんですね。フェス開催中は、町中がバンド・デシネ一色になっています。

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荻上 参加者も、コミケのブースに出展するのとは、別の感覚を味わうでしょうね。

ニコラ そうだと思います。コミケはまだプロデビューしていない、若く、才能をもった作家が出展している印象ですが、アングレーム国際漫画フェスティバルの場合は、世界中のプロの作家を紹介しています。もちろん一部には、完全なプロではなく、いわゆるオルタナティブ系の作家さんもいますが。

またアングレーム国際漫画フェスティバルの場合、作家をそのまま紹介するというよりは、いろいろな側面に光をあてて、よりよい形で紹介することを心がけています。

荻上 紹介するということ自体に批評的な要素が含まれている。コンセプトを立て、より届きやすい形で、読者に伝えていく。

ニコラ そうですね。それぞれの作家の価値を高める形で紹介したいと思っています。日本の例をあげると、2015年1月のフェスの目玉企画は谷口ジロー氏です。谷口氏の知名度は、日本に比べたら、フランス、ヨーロッパの方が高いと思います。本国とは違う形で紹介することで、広がっていく可能性もあるわけですね。

今回は、600平米ほどのスペースをつかって、谷口ジロー氏の40年来のキャリア、作品を原画も含めて紹介します。フェスが終わったあとには、ヨーロッパ各地を2年間巡回することになっています。楽しみにしていてください。

日本の漫画は世界一?

荻上 ニコラさんが特に影響を受けたバンド・デシネ作家を教えていただけますか?

ニコラ ……非常に難しい質問ですね。うーん……重要な作家は3人います。フィリップ・ドリュイエ[*6]、メビウス[*7]、彼はジャン・ジローという名前でも作品を描いています。そしてジャック・タルディ[*8]。タルディは世界大戦をテーマにした漫画を描く作家で、今年が第一次世界大戦100周年だったということもあり、最近一緒に仕事をすることができました。この3人をはじめとした、70年代のバンド・デシネの革新が、私のバンド・デシネ観を変えました。

[*6] Philippe Druillet (1944-)。フランス人作家。1970年に連載開始した『ローン・スローン』(原正人訳、小学館集英社プロダクション)の圧倒的なグラフィックで同世代の作家、読者に衝撃を与える。その後、メビウスらと雑誌『メタル・ユルラン』を創刊し、世界中のクリエイターに影響を与えた。

[*7] Mœbius。本名ジャン・ジローJean Giraud (1938-2012)。フランス人作家。1960年代にジルGir名義で描いた『ブルーベリー』(一部邦訳『ブルーベリー[黄金の銃弾と亡霊]』原正人訳、エンターブレイン)で人気を博す。1970年代半ば以降はSF作品を多く発表し、雑誌『メタル・ユルラン』を創刊し、ハリウッドの映画に関わるなど、フィリップ・ドリュイエと並んで影響力の強い作家となる。日本のマンガ家にも多くの影響を与えた。代表作にホドロフスキー作『アンカル』(原正人訳、小学館集英社プロダクション)など。

[*8] Jacques Tardi (1946-)。フランス人作家。第一次世界大戦を描いた作品群などで高く評価される。フランスを代表する作家だが、現時点まで彼のバンド・デシネの邦訳はない。

のちにアジアの漫画作品に触れたときも、同じような衝撃を受けました。

荻上 その衝撃はどういうものですか?

ニコラ 日本の漫画に関していうと、最も驚いたのは、日本はフランスよりも20年以上前に大人が読む漫画を発明していたことですね。例えば楳図かずおの『漂流教室』は、1972年に描かれていますよね。これだけの作品が、こんな早い時期に描かれているとは……! とたいへん驚きました。

それから私が日本の漫画に出会って衝撃を受けたのは、誰にでも物語を提供しようとしているという点です。とりわけ女性向けの作品(少女漫画など)が充実している。わりと最近まで、バンド・デシネには女性向けの作品を描こうという発想はなかったんです。あらゆるタイプの読者に漫画を描いているという姿勢は、日本から学んだものです。

また日本の漫画は非常に長いスパンで、多くの巻数で、つねに面白く、インテリジェンスのある作品を描くことができるという特徴があります。最近では、フランスのバンド・デシネが日本の漫画を真似る傾向がでてきているくらいです。

実は私は本を作る仕事もしていまして、Dico Mangaという日本マンガについての辞典を共著で作ったことがあります。これは日本の漫画の全体像を紹介しようとするもので、おそらくフランスでは他に例がない本だと思います。その後、日本では数多くの漫画が出版されているので、今見るともう古くなっているのですが……。

15_DicoManga

荻上 それはとても読みたいです。どこかの出版社が翻訳して出してくれないですかね。

ニコラ いえいえ、フランス人が書いたものから、日本の皆さんが学ぶことはないと思いますよ。この本は、フランス語に訳されたマンガを分析的に紹介している本ですから、それを気に入っていただけるかどうか……。

荻上 日本では、「日本の漫画は世界一!」と思っている人も多いと思います。それだけ漫画が浸透しているということもありますが、それだけでなく、そもそも世界中で、日本と違うスタイルのバンド・デシネやコミック文化が発展し、愛されていることを知らない人が多いです。今回の慰安婦漫画に関する不幸な衝突は、日本人の漫画文化に対する思い入れの強さのようなものも、要因のひとつになっているように思います。だからこそ、ニコラさんのように、海外で漫画を愛されている方が、日本漫画をどのようにみているのかを知るのはとても大事なことだと思います。

アジア漫画のいま

荻上 ニコラさんが日本担当ではなく、アジア担当ということからも、日本だけでなくアジアにも優れた漫画があるのだということがうかがい知れますが、ぜひ「アジア漫画のいま」を教えてくれませんか?

ニコラ アングレームでは、2008年に、初めて中国漫画の企画を出しました。それ以降、中国の作家も参加してくれるようになっています。中国政府は、ソフトパワー戦略に目覚めて、自国文化の国際的影響力を高めようと国を挙げて漫画の発展を後押ししているんですね。来年2015年には、中国漫画をテーマにした大きな企画展を行う予定です。

その他のアジア各国にも優れた漫画は数多くあります。ただ、漫画産業は、ある程度の生活水準が満たされていないと成立しにくいんですね。例えばシンガポールの漫画家の場合は、何度かフェスに参加してくださっていますが、なかなか企画を立ち上げるほどにはいたっていない。ベトナムやインドネシアにも作家さんはいるのですが、十分な作品量ではないんです。やはり実質的には日本、中国、韓国に限定されてしまっていますね。

荻上 漫画は、活字を読めないといけないとか、出版物の流通経路が確立されていなければならないといった、産業が成立するための条件が多いような気がしますね。

ニコラ その通りです。ビルマで描かれている漫画を読んだこともありますが、国内に読める人が少なかったり、配本も難しかったようですね。娯楽文化ですから、やはりその国の発展に依存するところがあります。

慰安婦漫画の展示が行われた経緯

荻上 一方で、政府も関わって、漫画産業を世界に売り出そうとする国もある。日本は――「クールジャパン」と叫ぶ最近はまた違いますが――少なくともこれまでは、国が盛り上げなくても、国民の多くが漫画を愛していた。中国や韓国のように、国レベルで漫画を売り出すことに対して、それ自体に「人為的で政治的」反感を覚える人も多いのかもしれません。

ニコラ そういう部分はかなりあるでしょうね。日本は長い間、自国の娯楽文化を国をあげて発信するような戦略をとってこなかったと思います。一方で中国や韓国は、アメリカのソフトパワー戦略を学び、実践している。

荻上 そんな中で、韓国が慰安婦漫画を展示した経緯を教えてください。

ニコラ 私が韓国漫画を知ったのは、90年代の終わりです。アングレーム国際漫画フェスティバルで出会った韓国の友人たちが教えてくれたんですね。その後、韓国は自国のコンテンツを扱う官庁組織(Kocca=韓国コンテンツ振興院)が経ちあがり、公的資金を使って、海外向きの発信をはじめます。

フェスでは2003年に初めて、韓国漫画を本格的に扱う企画を実現しました。それから韓国の漫画関係者や作家さんが引き続きフェスに参加してくださるようになりました。今回の韓国漫画展は、そうした中で、韓国政府の関係者から提案いただいたものです。私たちとしては、ご存知のような出来事が起きるとは想像もしていませんでした。

荻上 ちなみに、韓国漫画の展示ブースの中で、慰安婦をテーマにした漫画はどのくらいの割合を占めていたんですか?

ニコラ すべてです。今回の展示は慰安婦をテーマにしたものですから。

慰安婦という歴史的な事実があり、それに関する主観的な表現を漫画家にそれぞれ制作してもらい、展示したいというのがもともとのお話でした。私たちは、バンド・デシネを、大人の鑑賞にも耐える、そしてどんなテーマも扱える表現手段だと考えています。一方で、漫画家の仕事は必ずしも真実を語ることではないと思っています。歴史家の仕事とは違う。それぞれの作家が、主観的に表現することはあり得る、というスタンスに立っています。

慰安婦漫画展
慰安婦漫画展
慰安婦漫画展
慰安婦漫画展

今年はちょうど第一次世界大戦から100年で、ジャック・タルディの主観的な表現による漫画作品の展示も開いています。韓国からそうした提案を受けたとき、「歴史を語るバンド・デシネ作家たち」という方向性が一致しているという感触をえたために、提案を受けることにしたんです。しかし、韓国側が、「歴史の真実」を物語ろうとしているとは想像もしていませんでした。【次ページへつづく】

韓国の作家は反対していた

荻上 韓国のブースには「私が証拠だ」という表示があり、それを撤去させたと聞きました。撤去の意図は、やはり「漫画展であって歴史展ではない」という意図からですか?

ニコラ そのタイトルは私が消させました。まさに「私が証拠だ」というタイトルから、アングレーム国際漫画フェスティバルを政治的に利用しようとする意図を感じたんです。私たちが当初理解し、合意していたテーマとは違った。

もともとのタイトルも、「花は枯れない(Fleurs qui ne se fanent pas)」だったんです。フェス開幕の数日前に設営現場を見回っていたら「私が証拠だ(”J’en suis la preuve.”)」というタイトルが付け加えられていて、びっくりしました。このフレーズが加わると、主観的な漫画表現ではなく、政治的な表現になってしまう。これを認めるということは、私たちが政治的立場を表明するということになるわけです。「私が証拠だ」というタイトルも残せと言われたのですが、「このタイトルを取り下げない限り、展示も中止してもらう」と主張し、すべて撤去してもらいました。

荻上 韓国側に対して、イベントのポリシーを貫こうとしたと。

ニコラ 実を言えば、さらに早い段階で、漫画だけでなく写真を展示したいという話も出てきていたんです。もちろんお断りしました。また開幕前日に、女性家族部長官のチョ・ユンソンさんが、パリで「アングレーム国際漫画フェスティバルに、史実に基づく展覧会を開く」という記者会見を開こうとしていたんです。直前に偶然その記者会見の存在を知って、取りやめるように要請しました。記者会見が開かれていたら、展示も中止していたと思います。

ただ今回の出来事でもめたのは、政治家や官庁であって、韓国から参加された作家さんたちではありません。作家さんはむしろ、こうしたタイトルに反対とおっしゃっていました。

従軍慰安婦は存在しなかった」という主張

荻上 漫画表現の多様性を追求するために、第一次世界大戦に関する漫画を取りあげたり、慰安婦をモチーフとして取りあげようとされていた。漫画祭の意図が、政治的にゆがめられることから守るための対応だったということですね。

ニコラ はい、それこそ私たちが当初から大事にしてきたことです。

荻上 韓国に次いで、日本側でもみられた動きについてもお話を伺いたいと思います。日本でも、「論破プロジェクト」という団体が、韓国の主張を否定するという展示を行おうとしていました。「論破プロジェクト」の漫画[*9]を見ましたが、非常にシンプルなツールで描かれた、数ページほどの、クオリティの低いものです。

[*9] 論破プロジェクトの漫画「The J facts」の一部が 論破プロジェクトFacebook で読める。

ニコラ ええ、そうでしたね。

日本人グループは、出版社と偽って出展しにきました。でも本は一冊しか出していないし、その作品は、どう贔屓目に見ても非常に貧しいものでした。明らかにマンガを紹介するのとは他の目的を持っていた。

荻上 出展した「論破プロジェクト」は、「幸福実現党」という、宗教団体をベースに持つ政党が後援している団体でしたね。

ニコラ 「幸福実現党」という名前はあとで耳にしました。

私たちは自由な表現空間を提供する立場ですから、それぞれの作品の内容についていちいち確認したりするわけじゃありません。彼らは私たちを騙していたわけですね。

荻上 彼らのウェブサイトには、「韓国が「従軍慰安婦の漫画」を50本出してくるならば、日本からは100本の「真実の歴史に基づいた漫画」を出して、戦いを挑みます」とあります。漫画の発展という目的で出展したわけではなさそうですね。

ニコラ なるほど……(苦笑)。漫画を政治的な表現として使うことは悪いことだと思いませんが、アングレーム国際漫画フェスティバルを政治的な主張のために利用するのは困ります。

もうひとつ頭を悩まされたのが、彼らのブースには、日本の国旗と一緒に「従軍慰安婦は存在しなかった(La position du Japon/ Les « femmes de réconfort militaire » n’existaient pas.)」という日本の一部の見方と思われる主張がフランス語で掲げられていたことなんです。フランスではこうした行為は軽犯罪に相当します。ある特定の史実に対して、それを否定しようとする公的な発言、歴史修正主義は許されないことなんですね。それこそナチスドイツのホロコーストの存在を否定するようなものです。今回の出来事は司法的な手続きによって記録もされてしまっています。

荻上 え。「従軍慰安婦は存在しなかった」とまで書いてあったんですか?

ニコラ ええ。「従軍慰安婦は存在しなかった」でしたよ。日本の国旗と掲げられていたので、人によっては、公的な見解と思ってしまっているのではないでしょうか。

論破プロジェクト垂れ幕
論破プロジェクト垂れ幕

荻上 「慰安婦は必要だった」とか「強制連行はなかった」と主張する保守派は多くいますが、まさか「従軍慰安婦はいなかった」と掲げたとは。それは驚きました。

ニコラ こうした展示を放置することはできません。ですからフェスが開幕される前日に、ブースを撤去させました。

日本に流布する三つのデマ

荻上 私の知る限り、フェスティバルでの慰安婦漫画騒動については、日本のネット上には少なくとも3つのデマが流れていました。ひとつ目は、「論破プロジェクトのブース」ではなく、「日本のブース」から漫画が撤去されたのだ、というものです。ふたつ目が、漫画は韓国人が撤去したというもの。そしてみっつ目が、youtubeにもアップされていましたが[*10]、ニコラさんの使っているスマートフォンがサムソン製だったために――。

[*10] 動画はこちらのページで確認できる。

ニコラ 韓国に買収された、というものですよね。そのスマートフォンはいまも持っています。これです(笑)。

ニコラ氏のスマートフォン
ニコラ氏のスマートフォン

まずひとつ目について。日本の全てのブースを撤去したわけではありません。ふたつ目は、いまお話したように、韓国側が撤去したのではなく、私たち主催者側が事前に撤去を命じています。そしてみっつ目はいうまでもありません。もし韓国に私が買われているなら、韓国側のブースに対して「私が証拠だ」というタイトルを取り下げるようにはいいません。

私のスマートフォンが撮影されたときは、ちょうど韓国からのゲストがスピーチをしているところでした。会場には、世界中のジャーナリストがいままでにないほど集まり、非常に注目されていた。職務上、私はずっとピリピリしていました。そのときはすでに韓国側とやりとりをした後だったというのもあります。

そこに撤去を命じたブースの関係者がカメラを近づけてきた。彼らは開幕の朝から私のことをずっと追い回していました。そのために、少し乱暴に見えるような態度をとってしまった。いま思えばあんなことしなきゃよかったと思いますが、ストレスが溜まりに溜まって、身体が反応してしまいました。

政府持ち込み企画には警戒するようになる

荻上 これまでのお話ですと、日本に対しても韓国に対しても、イベントの政治利用そのものに注意をしていた。韓国ブースに対応していたら、日本人の一部ブースでも問題があったので、対応に追われた、と。今回のような出来事を受けて、やはり今後は運営の方法も変えられるのでしょうか?

ニコラ まず、保安的な策は考えていません。アングレーム国際漫画フェスティバルでは、自由に活動して欲しいと思っています。ただ、どの国にも限らず、政府主導で持ち込まれた企画については、警戒するようになると思いますね。今年1月の出来事について、作家さんに対して責任を追及する気はありません。今回の企画を実現するために働いてくれた韓国漫画映像振興委員の皆さんも非常に優秀で、とても準備がしやすかった。ただ、政治的な意図をもってフェスに関わろうとしている人たちには、今まで以上に気を付けないといけないと思います。

私たちはこれからも前向きに、新しい企画に取り組んでいきたいと思っています。来年は谷口ジロー氏を取りあげる大きな企画もありますし、他にも各国の魅力的なバンド・デシネを展示していきますから、気兼ねなく来場してくださると嬉しいです。

(2014年8月25日収録)

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プロフィール

ニコラ・フィネアングレーム国際漫画フェスティバルプログラムディレクター

1959年フランス生まれ。1980年代初頭からジャーナリスト活動を始める。60にも及ぶ世界中の国々を訪れており、とりわけアジアの地域に詳しい。作家、ジャーナリスト、編集者として活動する一方で、1989年からアングレーム国際漫画祭と関わり始め、1999年以降、レギュラー・メンバーとして活躍、2013年からは同祭のプログラムディレクターの一人を務める。十数冊の著書を発表しており、バンド・デシネ、マンガ関係の編著に『(ア・シュイーヴル)1978-1997年 バンド・デシネの冒険』((À Suivre) 1978 – 1997 Une aventure en bandes dessinées, Casterman, 2004)、『ディコ・マンガ―日本マンガ百科事典』(DicoManga – Le dictionnaire encyclopédique de la bande dessinée japonaise, Fleurus, 2008)、『人生で読むべき1001のBD』(Les 1001 BD qu’il faut avoir lues dans sa vie, Flammarion, 2012)などがある。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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