2017.05.22
聴こえる”わたし”が見つめる、聴こえない両親の世界
2017年6月10日より全国の劇場で公開がはじまる映画『きらめく拍手の音』。イギル・ボラ監督のデビュー作となるこの作品は、耳が聴こえない両親をもつ彼女自身の視点から家族をとらえたドキュメンタリー作品である。「コーダ(聴こえない親をもつ子ども)」の視点から見た、ろう者の世界の魅力とは。コーダへの聞き取り調査や研究を行う成蹊大学准教授、澁谷智子氏と語り合う。(通訳=根本理恵 構成=萩野亮 採録=大久保渉)
■作品紹介
聴こえない両親をもつ娘の視点から、家族の“賑やかな”日常と「聴こえない世界」の美しさを描いたドキュメンタリー。母と父の出会い、子育ての苦難、そして「コーダ」としての自身の葛藤。早く大人になろうとした子どもたちはやがて20代になり、親から離れる時期を迎える。わたし(イギル・ボラ監督)と弟は外の世界を知ることで、音のない世界と音であふれる世界のはざまにいる自分たちを徐々に受け入れていった。
■「コーダ」とは?
「CODA:Children of Deaf Adults」とは、聴こえない親をもつ聴者の子どものこと。幼い頃から聴こえない親のもとで育つことから、親と社会をつなぐ役割を担わざるを得ない状況も含めたコミュニケーションの困難さにぶつかることも多い。コーダ同士でそうした体験を話し合う団体は、日本だけでなく世界中に数多く存在する。
ドラマや映画におけるろう者
ボラ 澁谷さんが書かれた『コーダの世界――声の文化と手話の文化』(医学書院)、ぜひ読んでみたいです。韓国ではコーダに関連したコンテンツがほとんどありません。私も『きらめく拍手の音』という、映画と同じタイトルの本を書いたのですが、そこには私自身の経験を元に読み解いていったことを書きました。しかし、論文などを読み込んで勉強したことがないので、知識として気になっていましたし、文化としてコーダのことがどう捉えられているのか知りたいと思っていました。
澁谷 私が本を書いたときにも先行研究は少なく、とりわけ日本語で書かれたものはほとんどありませんでした。最初は、大学院の博士論文のテーマとしてコーダを選んだのがきっかけだったんです。その前の卒業論文のときには、「デフフィルム」=ろう者が撮った映画や、聴こえる人の視点でろう者を描いた「手話ドラマ」について書きました。その時に、やはり自分は聴こえる人間なので、「ろうの人たちの感覚をどこまで理解できるのだろうか」と考えたんです。コーダの人たちは聴こえる世界にいながら、聴こえない両親を間近で見て育ち、その両面を知っているのではないかと思い、研究してみたいと思いました。
ボラ 韓国では障害者の人たちがでてくるドラマや映画はほとんどないですね。あったとしても脇役で、たとえばサスペンスで犯罪現場に居合わせたろう者が犯人を目撃していた、とかでしょうか。「耳は聴こえないが目が良い」というイメージで単純化されたものが多いですね。あるいは、教訓の対象にされることもあります。「障害者の人たちはかわいそう」「この子たちも頑張っているんだから、自分たちも頑張って生きよう」という描かれ方をされがちです。
澁谷 日本では数年前に手話ドラマが流行った時期がありましたが、やっぱり「主人公が障害を乗り越えていく感動の物語」として描かれたり、家族の絆やロマンスを扱う作品が多かったですね。それらと、ろうの人が撮った作品と比較してみると、描き方が全く違うことに気づかされます。
私はコーダなんだ
ボラ この映画を撮った理由の一つは、子どもの頃からドキュメンタリーを観るのが好きだったということがあります。そしてもう一つは、「私の両親は“かわいそう”なのではなくて、ただみんなとは違う言語を使用しているだけなんですよ」と、きちんと周りに説明したかったからです。
私は子どものころから、両親について、常に周りに説明をしなければいけない立場にありました。父や母と外出するときも、「私の両親は聴覚障害があります。何かお話があれば私が通訳をします」と言わなければなりませんでした。その度に、相手からは色々な反応が返ってきます。びっくりして慌てふためく人もいれば、ポケットに手を入れて、同情と憐みの気持ちでお金を握らせてくる人もいました。いつも私は「どうして周りの人たちはこんな反応をするんだろう」と疑問に思っていたんです。
私の両親が話をするときの表現の仕方はとても豊かで、眉毛を動かしたり、表情をたくさん使って伝えようとしています。ろう者の世界は、みんながイメージしているようなものではなくて、もっと美しくて賑やかなものなんです。そのことを私の好きなドキュメンタリーで説明したいという思いから、この映画を撮ることになりました。
映画を作る前は「コーダ」という言葉さえ知りませんでした。でも、映画を作る過程において、「私はコーダなんだ」ということをはっきりと自覚できた気がします。そして、両親が住んでいるろうの世界と、私のコーダの世界、そして聴こえる人たちの世界というのは、別々にあるのだけれどもそれぞれが対等な存在なのだと、しっかりと知ることができました。一方、それぞれにやはり違う文化があるとも思います。母も、もちろんコーダのことを理解しようとするのですが、どうしてもお互い分かり合えない部分はあります。
澁谷 私がコーダの人たちに聞いて面白いと思ったことは、目の使い方です。ろう者の方は目を見て話をするので、コーダもそうした感覚を身に付けていて、それが色々な誤解を招いてしまう。見ている時間が長すぎて、「この人、僕のこと好きなのかな?」と勘違いされてしまったり(笑)。コーダ自身も聴こえる人の目の使い方に違いを感じることもあって、たとえば恋人と海辺のベンチで話をしているときに、彼は海を見ながら話しているのだけれど、目を見てくれないとなんだか物足りなく感じてしまう、という人もいました。
ボラ そういうことはありますね。コーダの人たちは自分の気持ちをとてもストレートに伝えます。私も第一言語は手話ですから、どうしても手話のような感覚で話をしてしまう。頭の中で手話をやって、ちょっと遅れて考えてから口で話す、というような。だからよく「礼儀がない!」と言われることがあります。
澁谷 コーダはストレートに言ってしまいますね。たとえば私が聞いた話では、髪を切って「似合う?」と聞かれたときに、「似合わない、前の方がよかった」と正直に言ってしまうという話がありました。そのコーダは、そういうときは「似合う」と言ってほしいのだなと後から気付いたと言っていました。また、社交辞令のような感じで「いつでも遊びに来て下さいね」と言われて、その日に遊びに行ったらすごくびっくりされたという話も聞きました(笑)。「それなら『いつでも遊びにきて』って言わなければいいじゃない!」と思ったんだそうです。
ボラ (笑)。ろう者のコミュニケーションの仕方で素敵だなと思うのは、やはり「目を合わせること」です。目を見てしっかりと話すということが、より純粋で、より嘘がつけない方法なのではないかと思います。それは、お互いの意思の疎通を容易にしてくれるものだと思っています。
子どもの泣き声が聴こえない
ボラ 両親が子育てをするときに一番困ったのは、夜中に子どもが泣いていても分からないことだと言っていました。夜中に子どもが泣いたら、親が起きてお乳をあげたりおむつを替えてあげたりしなければいけない。その泣き声が聞こえない。だからよく、ろうの両親から生まれた子どもは、よそに預けられてしまうんです。祖父母や親戚の家が引き取るケースが多いのだそうです。
でも、やはりそれはよくないと思います。両親と離れてしまったら両親の文化も分からないですし、手話を覚えるのも遅くなり、ろうの文化にも遅くなってから接することになる。そうなってくると本当の親ではなくなってしまうと思います。私の父は、補聴器を付ければなんとか少しだけ音が拾えたので、聞こえたらすぐに母を起こすというやり方で子育てをしてくれたみたいです。
澁谷 私がろう者の方々に聞いた話では、世代によって違いがあるなと感じます。やはり上の世代の人たちは、「本当に育てられるのか」「言葉はどうやって教えるの?」と言われることが多かったようです。しかし今の若い世代は比較的、「手話は言語だ」という考え方や、「自分は手話で子どもを育てるんだ」という意識を持つ親たちも増えてきて、そういう方々はすごく教育熱もあるんですよね。
他にも、世代差や地域差を感じるのは、たとえば上の世代の人ですと「聞こえる人は何でも分かる」と思いがちだったりすることです。だから、無理な通訳を子どもに期待してしまう。まだ幼稚園なのに、銀行へ行って口座をつくるための通訳をさせたり……。
ボラ 私にもそういった経験があります。今までは私だけだと思っていたのですが、世界にいるコーダは結構みなさんそういった経験をしているみたいです。『ビヨンド・サイレンス』(1996)という映画に出てくる主人公の子どもも、学校に行っているのに早退させられて、銀行に連れて行かれて通訳をさせられるというシーンがありました。
澁谷 あれを見て、はっとした人も多かったみたいですね。コーダで通訳を多くしてきた人たちはそういった経験を重ねていって、周りの子どもより早く大人になってしまう面もあるように思います。
コーダの通訳
ボラ 私は父と母に頼まれて、「電話で代わりに通訳をしろ」と言われるのが一番嫌でしたね。
澁谷 電話は難しいですよね。私が聞いた話ですと、「あれ、通販で申し込んで。あの黒くて、レンジでチンするやつ」みたいに言われて、それが何かを見てもいないし、電話で相手に伝えるということがとても難しい、というのがありました。
それと、「間」ですよね。親が手話で言っていることを手で確認しながら同時に電話相手とも会話を続けるのは無理ですし、そうすると電話の方がシーンとしてしまうから、相手が喋り始めてしまったりして……すごく難しいみたいですね。だから、最初に親の言いたいことを全部確認しておいてから、電話をする。たとえば、親が旅行のツアーを申し込んでほしいと言ったら、「カニ料理は入れる?」などオプションはどれを選ぶのかも全部確認しておいて電話をかける、という感じみたいです。
ボラ 私も必ず全て確認した上で電話をしていましたね。たとえば、不動産屋で家を借りたいときに、韓国では月々払う家賃と、「チョンセ」という保証金のような制度があるのですが、両親はそうしたシステムにあまり詳しくないので、すべて説明する必要があります。
澁谷 お母さんに、「分かった?」「分かった?」と聞くのは結構大変ですよね。
ボラ そうですね。でも、コーダが通訳することの難しさは、他にもありました。通訳者の方であれば、相手も「この人は通訳なんだ」という認識があります。でも私が子どものころの場合、電話をかけると、子どもの声で電話をしているわけですから、またそこで説明が必要で、「私の両親は聴覚に障害があるので、私が代わりに電話をしています」ということを分かってもらわなければいけなかったんです。
澁谷 私の友人も、夜中にお婆さんが倒れてしまって、救急車を呼ぼうと息子さんに電話をかけさせたところ、まだ幼稚園児だったので、いたずら電話だと勘違いされてしまったことがあったそうです。
ボラ 親としても切ないですよね。
澁谷 語彙にしても子どもが分かる範囲というものがあって、大人の会話を子どもの分かる言葉で理解し、それを伝えなければいけないということは、とても難しいなあと思います。
両親と対等の立場でいられた
ボラ 聴こえる人たちは、自分の両親についてあえて説明する必要もないですし、子どもが親に対して責任をとることもないですよね。でも私や弟は、小さいころから周りの大人に「親に迷惑をかけないように」と言われていましたし、その点は他の人たちとは違うなと感じていました。
ただ、幸いだと思ったのは、韓国は教育熱がすごいんですね。だから両親が子どもに対してプレッシャーを与えることがすごく多くて、学力が高い親ほど子どもにも期待するわけです。それが子どもの負担になってしまって、自尊心を育むことが難しかったりする。ところが私の家の場合は反対で、私が両親の通訳もしていたということもあって、対等な立場でいられたと思います。親が上にいて子どもが下ではなくて、本当に同じ目線で関係が築けているなと。そう気付いたときに、両親は聴覚に障害があってよかったなとか、うちの親は大学に行っていなくてよかったなと思いました。
澁谷 弟さんも同じように思っていられたのでしょうか。弟さんと「ここは似ている」、「ここは自分と違うかもしれない」と思うところはありますか。
ボラ 弟は私にだいぶ気おくれをしていたと思います。私は通訳もできるし、手話もできるし、成績もよかったですし、性格も明るい。反対に弟はすごく性格が内向的で、よく両親のことで人からからかわれたりもしていました。でも、高校入学のときにオルタナティブ・スクールに行くことを選んでからは、すごく性格も明るくなりましたし、変わったように思います。この映画を作るにあたって、弟にもたくさんインタビューをしました。
今は、弟のことがすごく誇らしく思えるときがあるんです。弟は大学に行っていないのですが、韓国で大学進学しないというのはかなり少数なんですね。両親は「大学に行ってくれ」と言っていたのですが、弟はバリスタになるという目標をしっかりと持って、聴こえない両親の子どもとしてでなく、自分が選んだ自分の道を生きていて、いまはカフェのマネージャーをしています。自分の弟ですけれども、すごいなと思います。
澁谷 映画で描かれている弟さんの姿はすごく印象的です。弟さんのことをこれだけフォーカスして撮っているボラさんの思いというのはどんなものなのかなと思いました。
ボラ 私と弟は本当に似ています。顔もすごく似ていますし、優しい良い弟だと思います。私は弟のことが大好きなので、弟に彼女ができたら毎日嫉妬してしまうのではないかと思います(笑)。
ろう者とコーダの感情表現
澁谷 ろう者の人たちと接していると、すごく明るくて、あまり泣かなかったり、大変なことがあっても明るく笑い飛ばしてしまう、という印象を受けます。私たちが思わずうるっとくるようなことでも、ろうの人たちからは「そこ、泣くところじゃないよ?」と言われることがあるんです。こちらが泣いている理由が上手く伝わらなくて、難しいなと感じることがあります。
ボラ 私も両親の障害に関係のあることでは、できるだけ泣かないようにしていました。泣いたところで答えは見つけられません。泣きたいときは両親の前ではなくて、一人でいるときに泣いたりしました。
これは話すと泣きそうになるのですが、できるだけ泣かないように話してみたいと思います。以前お付き合いしていた彼と結婚を考えていたことがあり、でも相手の両親が、私の両親に障害があるために結婚に反対したんです。考えてみたら、彼は私のことをそこまで愛していなかったと思うんですよ。「愛しているけど結婚できない」とか、そういうことは言ってくれずに、「お前の両親に障害があるから別れよう」という言い方をされました。
私はずっと、こういうことをめぐって世界と闘ってきたんですね。ここで負けるわけにはいかない、引き下がるわけにはいかない。相手が間違った理解の仕方をしているから、私としては何とか説得しようと思い、何度も話し合いました。でも、やっぱり分かってもらえなくて別れることになったんです。そうしたら、両親は詳しい事情は分からないので、「あれ? 結婚するって言っていたのに、何で結婚をやめたの?」と聞かれたんですが、私は答えられませんでした。でも、本を出すときに、勇気を出してそのことを書いたんです。それを母がのちに読んだのですが、母はそのことについて一切何も言いませんでした。だから、お互いにできる限りそういったことは話さないようにしているんですよね。
澁谷 日本のコーダの人たちが言うこととすごく似ていると思います。やはり、親を守りたいから、自分の気持ちは自分の中で抑えていくという感じでしょうか。別に我慢をしているわけではないのですが、自分の中で処理して、ということもあるようです。でも、コーダ同士で話をすると、深く分かり合える部分があったりしますよね。
ボラ コーダ同士の友達はとても大切だと思います。コーダが経験したことは、やはりコーダの人たちが一番分かってくれます。ちょっと面白いのは、私の知人で「コーダのお姉さん」と呼んでいる年上の女性とは、二つの言語で話をするんです。手話でも話しますし、声でも話します。状況によって、手話の方が効率的なときもあるし、音声言語の方が効率的なこともあるので、うまくスイッチングをして、切り替えています。
澁谷 バイリンガル・トーク?
ボラ そうですね。声で話すときにも、ろうの人たちが使う文章を真似して言ってみたり。コーダのお姉さんたちといるとそういうことができる。地下鉄に乗っていても、話の内容が周りに聞こえない方がいいと思ったときは、手話で話をすることがあります(笑)。
世界の誰も分からなくても私は母の声が分かる
澁谷 ろうの人たちが発する声、「デフ・ヴォイス」というものがありますね。特に名前を呼ぶときとか、発音の仕方が聴こえる人とは少し違うんですね。親が自分の子どもの名前を呼ぶとき、たとえば「たくや」だったら「だんや」という感じになったりする。そのデフ・ヴォイスを聞いて何を言いたいのかが分かるというコーダも多く、また、コーダにとってはそれが心地いいものだったりもしますよね。
ボラ そうですね。なんだか親しみがあって、落ち着きます。母のデフ・ヴォイスを世界の誰も分からなくても、私には分かる。
子どものころの面白い話がもう一つあります。両親が「ホットク」という韓国式のおやきを売る仕事をしていたときに、その店に母しかいなくて、誰も交代してくれる人がいなくて電話をしてきたんですよ。「ボラ」というところを少し音声が変わって、「ハ」くらいにしか聞こえない感じで言っていたから、たぶん他の人だったら何を言っているのか聞きとれないでしょうが、私には「ボラ、ご飯持ってきて」と言っているのが何となく分かった。正確にそれだけで意味が分かったんですよ。そのときの感覚が、私としてはすごく心地よかったですね。
韓国では教えられないベトナムの記憶
ボラ いま、すでに新しい作品にとりかかっています。『記憶の戦争』というタイトルの映画なのですが、ベトナム戦争における韓国軍による民間人虐殺に関するドキュメンタリーを作っています。
この『きらめく拍手の音』を作っているときに、祖母から色々な話を聞いたんです。祖母は、「お前のおじいさん(祖母の夫)は、障害のある息子を二人も生んだ私と離婚したいから、離婚の費用を稼ぐためにベトナム戦争に参戦したんだ」と言っていました。その話を聞いて、ベトナム戦争のことを詳しく調べたいと思ったんです。祖父は枯葉剤の影響でその後亡くなっています。
ベトナムに行ってみると、確かに韓国軍による民間人の虐殺があったという話を聞きました。しかし、韓国の人たちはそういうことがあったということ自体を教えないし、あまり知られていないことなんです。ベトナムで記憶されていることと、韓国で記憶されていることが違うということを知りました。その二つの記憶の違いが何かということを対象としながら、どんなふうに記憶が作られていくものなのか、問いかけるような作品にしたいと思っています。
澁谷 そういった映画を作ることに、勇気が要りませんか?
ボラ そうですね。この映画を作ったら、退役軍人の人たちからは批判される気もするのですが、いま時代は変わってきています。当然のことをしていると思っていますし、真実に近づこうと思っているので、作り続けようと思っています。周りにも、かたちは違っても同じような作業をしてきた方、記者や研究者など、そういった方々がいるのはすごく力になっています。
澁谷 ボラさんのこれからの作品もとても楽しみです。今日は、ありがとうございました。
『きらめく拍手の音』
公式HP:http://kirameku-hakusyu.com/
山形国際ドキュメンタリー映画祭2015 アジア千波万波部門 特別賞受賞
2014│韓国│80分│BD│16:9│カラー│ステレオ│韓国語/韓国手話
監督・撮影・編集・制作:イギル・ボラ
配給:ノンデライコ
6月よりきらめくロードショー!ポレポレ東中野ほか全国順次公開
特別鑑賞券1,300円 劇場窓口ほかにて絶賛発売中!
twitter:@kirameku_film / Facebook:@kirameku.film
プロフィール
澁谷智子
東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。成蹊大学文学部現代社会学科准教授。著書に『コーダの世界』、論文に「聞こえる人々の意識変容――手話学習者の語りから」など。現在は、コーダを含めたヤングケアラーの研究を手がける。
イギル・ボラ
18歳で高校を退学し、東南アジアを旅しながら、彼女自身の旅の過程を描いた中篇映画『Road-Schooler』(2009)を制作。2009年、韓国国立芸術大学に入学し、ドキュメンタリーの製作を学ぶ。その後、ろう者の両親にもとに生まれたことを最良のプレゼントと感じて本作の制作を開始。完成後は国内外の映画祭で上映され、日本では山形国際ドキュメンタリー映画祭2015アジア千波万波部門で特別賞を受賞。2015年に韓国での劇場公開も果たした。現在はベトナムを舞台に次回作を撮影中。