2021.08.20
『大地と白い雲』――内モンゴルを舞台に描かれる、ある夫婦の物語
2021年8月21日(土)より岩波ホールほか全国公開予定の映画『大地と白い雲』の公開に合わせ、今回この映画のモンゴル語の字幕を監修した、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の山越康裕先生とワン・ルイ監督を東京と北京を結びオンラインでの対談が行われた。映画を「その時代の記録」と語るワン・ルイ監督は、過渡期にある内モンゴルの若者たちの姿をどのように見つめたのか。変化していく遊牧民たちの暮らしと文化。今だからこそ撮影できた内モンゴルのリアルとは。(聞き手:山越康裕/文:金恵玉)
作品紹介
内モンゴルに広がるフルンボイル草原に暮らす一組の夫婦。夫のチョクトは都会での生活を望んでいるが、妻のサロールは今の暮らしに満足している。ここではないどこかへ思いを巡らせ、ふらりといなくなるチョクトに腹を立てながらも、彼を愛するサロール。どこまでも続く大地、空を流れる白い雲。羊は群れをなし、馬が草原を駆けぬける。しかし、自由なはずの草原の暮らしにも少しずつ変化が訪れ、徐々に二人の気持ちがすれ違いはじめる。そして、ある冬の夜、二人は大きな喪失を経験する。その日を境に、サロールと草原で生きる覚悟を決めたチョクトだったが…。
北京電影学院の教授も務める俊英ワン・ルイ監督が草原の生活の質感と四季の美しさにこだわり、内モンゴル出身の俳優やスタッフたちとともに、モンゴル語で挑んだ本作は中国映画に新たな可能性と多様性を提示し、中国最大の映画祭である金鶏奨で最優秀監督賞を、東京国際映画祭では最優秀芸術貢献賞を受賞するなど、高い評価を得ている。ワン監督が、自身の過去の痛みに向き合い、亡き妻に捧げた夫婦の愛の物語。
現代的な草原の姿とモンゴル人としての誇り
山越 今回『大地と白い雲』の字幕の監修に携わりましたが、大変光栄でした。私もフルンボイルには言語の調査で何度も訪れていて、今回の映画も身近なものとして観ることができました。この映画の撮影もフルンボイルで行われましたが、広い内モンゴルの中でフルンボイルの草原を撮影地として決めた理由は何でしょうか?
ワン 実はフルンボイルには過去、何度も訪れていて、自分にとってよく知っているところというのが最も大きな理由です。93年にロケハンで行き、その後97年にも映画の撮影で行きました。そういう面でもフルンボイルは親しみを感じている土地なのです。実は最初シリンゴル草原で撮ろうと思ったのですが、シリンゴル草原はとても広すぎて交通の便が良くなかったのです。予算の関係もありフルンボイルが便利でした。また、自分がよく知っているところということで、この場所を最終的に選んだわけです。
山越 以前訪れたのが90年代ということでおおよそ今から30年前になりますが、その間にフルンボイルの草原にどのような変化を感じられたのでしょうか?今回の作品でも描かれていましたが、草原を仕切る柵が増えたり、自家用車を持つ家庭が増えたりという変化を私自身も感じます。そのような変化を監督自身も感じられたのでしょうか?
ワン そうですね、変化というのは良くも悪くも何事にもついてくるものです。モンゴル草原でも現代的なものがたくさん現れています。ゲルではなくキャンピングカーのような房车(ファンチャ)という車両に住みながら移動する人たちも出てきていて、そちらが一般的になりつつあります。それによってゲルが淘汰されるのではという心配もあります。
また馬を飼うということも、過去には農作業や馬車など実際の用途があったのですが、現在では実質的な馬の用途というのはなくなっているのです。しかしながらモンゴル人の民族性として馬というのは、決して失くしてはいけないものということが心の中に強く残っているのです。移動に関してはバイクに乗る人が多いのですが、牧畜民は馬を数頭は飼っていて、モンゴル人の伝統的な気質を託すように馬の面倒を見ているのです。馬を飼う理由の一つに馬肉を輸出するためもあるのですが、あくまでも割合は大きくありません。モンゴル民族としての誇りを保つことを、馬を飼うという行為に託しているように思えました。
山越 私も2000年からほぼ毎年のようにフルンボイルに通っているのですが、15年くらい前までは馬車であったり冬は馬にそりを引かせて移動したりしました。しかし自動車を持つご家庭も増えてきて、馬を使うことは確かに減ってきたような気がします。
今回この作品に描かれている美しい草原や天気の変化、とても厳しい冬のシーンを見ながら、フルンボイルの気候が全て分かる、まるでガイドブックのような作品だなと感じました。こうした様々な季節の自然の様子を撮影するには様々な工夫がされているのだと思いますが、その工夫や撮影において苦労されたことがあれば教えてください。
ワン 撮影を担当したカメラマンのリーさんは、電影学院の撮影科の教授でもあります。我々はしょっちゅうどう撮影すればこの草原の魅力を十分に伝えられるかという討議を重ねてきました。そのことを念頭に置いて撮影の実験もしてきました。やはり映画というのは、今後を見据えるとその時代の記録となるわけです。その時代を撮るわけなので、特にこのような映画を撮影することは重要でした。ですからドキュメンタリストとしてこの撮影に臨んだわけです。
やはり現地の草原で撮影するにはとにかく我慢強さが必要でした。特に何かをずっと待ち続けること、草原は雲の変化が1日の中で非常に大きく、どんどん変化していきます。また光線の変化も面白いほどあるわけです。ですから自分たちが欲しい光線を待ち続けてキャッチして、うまくカメラに収めることが重要でした。そのために色々と試し撮りなどの実験を重ねてきました。色々なことがありましたが、今思えば草原での撮影は本当に楽しい経験だったと思います。
山越 風景の他にも配役など色々な背景設定から、モンゴル人に対するワン監督の敬意がすごく伝わってきました。モンゴル人の生活とか文化を理解しないとここまでの描写はできないと思うのですが、モンゴル人の草原での生活とか複雑な環境についてはどのように情報を得て、理解されたのですか?
ワン やはりこれまで映画監督という仕事の勉強をする過程においても、何かを撮影するときは基本的にまずその人間を理解することから始めます。ずっとそのように撮影してきましたし、この作品に関してもその姿勢は変わっていません。
先程言いましたように、93年から草原に行くようになりまして、多くの友人ができました。特にモンゴル人の映画関係の人たちと深い付き合いをするようになりました。実は2000年に、有名な金庸原作の武侠小説『射鵰英雄伝』という作品を撮りました。これもモンゴルの草原が舞台でした。
万里の長城のほかは全て草原であると言っても過言ではないです。モンゴルの人たちも皆「北方人」と考えられています。草原の人たちも同じで、性格もとても似ているところがあります。そして、私は乗馬がとても好きになりました。馬に乗ってモンゴルの人たちと話をしていると、同じようなルーツを感じますし、私も家族のような気持ちでいろいろと話をすることができます。
20年以上の長い時間を掛けて、草原に行ったり来たりしながら仕事をし、モンゴルの人たちと接する中で、理解が深まりました。それがこの映画の中でも無意識に活かされて、様々な描写に表れているということです。
モンゴル人のキャスト・スタッフとモンゴル語で中国映画を作るということ
山越 内モンゴルのモンゴル人は皆さん中国語を普通に話せますし、今回の作品を中国語で撮影したり脚本を書いたりすることもできたと思うのですが、それにも関わらず、モンゴル語の台詞で映画を撮ろうと思われたのは、リアリティを追求するためということなのでしょうか?
ワン そうですね、やはりリアルに撮りたいという想いからモンゴル語を選びました。映画では冒頭の車と羊の交換の場面で中国語を話していますが、相手が漢民族の中国人ですから、あの様な場面では中国語で話すというように使い分けているわけです。モンゴル人たちは街にいる時は中国語を使い、草原に戻ったらいつもの自分たちの母語であるモンゴル語を使うのが、現在の内モンゴル自治区のリアルなのです。
今回、牧畜民としての経験もある2人の役者を選んだのは、中国語で演技をさせるより、母語であるモンゴル語を使わせた方が、ずっとこなれてリラックスして台詞を言えたということが大きかったです。実は、モンゴル語バージョンと中国語バージョンの両方を作ろうと思って試してみたのですが、やはり中国語だとぎこちなく、モンゴル語のほうがとても自然な雰囲気になったので、モンゴル語だけでいこうとなったわけです。
山越 監督がおっしゃったように、街では中国語、草原ではモンゴル語を使うというのは私も実際に現地で体験しているので、初めて本作を観た時に、設定が今の内モンゴルそのままだったことに驚きました。また、この作品のなかで、私が個人的に印象に残っているのは、色々なシーンで出てくる歌です。例えば内モンゴルでよく歌われている歌が使われています。カラオケで歌っている曲 『呼伦贝尔大草原』(フルンボイル大草原。2009年にチベット人歌手・降央卓玛(ジャミヤンドルマ)によって歌われた曲) は今のフルンボイルの若者が好きな歌ですし、一方でモンゴル国の歌を歌うシーンもありました。こういう様々な曲をどういう風に選ばれたのですか?
ワン 曲を選ぶときは自分なりの原則を決めていて、一番ふさわしいものを選ぶようにしています。例えばカラオケのシーンでは、中国語で『呼伦贝尔大草原』を歌うので、少し滑稽でもあります。ですが、中国の全国のカラオケには必ず入っている曲で、中国語で歌うのがリアルなので、カラオケのシーンではあの曲を選んだわけです。
山越 あとは曲でいうと、最後でロシア・トゥヴァのバンド、フンフルトゥが歌っていた『サリグラルラル』は、物語の中でとても重要なメッセージを伝える歌だと思いますが、あの歌はどこでお知りになったのですか?
ワン ラストのシーンに出てくるバンドの曲ですが、ある時私は車でマンジョールのほうに行き、その近くの街でこの曲を偶然聞いたのです。なんとなくこの曲がふさわしいのではないかと感じました。ラストシーンをどのように作るか悩んでいました。冒頭では妻が夫を探していますが、ラストでは街に行ってしまった妻を夫が探しているわけです。このプロセスを最後にどう結論づけるかが非常に難しかったのですが、このトゥヴァ共和国のバンドであるフンフルトゥの楽曲が、このラストにとても合うと感じたのです。
その時は韻を踏んでいる歌詞は分からなかったですが、リズムが強烈に訴えかけるものがありました。その楽曲から広がってくる意教(中国の文化で詩の世界の意)を感じました。彼らの音楽が持っている不思議な力が、私の伝えたいものととてもマッチすると思ったので、このバンドにコンタクトを取ってエンディングに使うことを交渉しました。
山越 私はあのマンジョールのシーンで、ロシアへの入り口にあたる場所でトゥヴァの曲が使われたことが、草原から外に出たいというチョクトの気持ちと外国の歌がシンクロしているように感じたでのすが、そういった意図もあったのでしょうか?
ワン そこまでは考えていなかったかもしれません。マンジョールというのはロシアに通じている街ですが、この映画の中では現代都市を意味するものとして描いています。主人公のチョクトは車が好きで、大きな道をトラックで走るという夢があり、外の世界を見たいという気持ちを抱いています。こういう外の世界を見たいという気持ちというのは、モンゴル人に限らずどこの世界の人でも持っていると思うのです。チョクトにとってはマンジョールからロシアに行きたいというわけではなく、ただ外の世界を見たいという気持ちだけです。
このバンドのメンバーとも話をしました。私は彼らの曲がこの映画に合うと感じたのですが、彼らは自分たちはモンゴル人の血は引いてないと、モンゴル人よりもっと古い民族なんだと言っていました。しかし私は、彼らも牧畜民には違いないと思っています。民謡というのはいつでもその民族の想いが込められていて、とても良いですよね。私は日本の民謡を聴いた時とても良いなと感じました。
山越 今の内モンゴルの人たちにとって、牧畜だけで暮らしていくことは大変な状況になってきていると思います。一方でチョクトがトラックの運転手になったとして成功したのかというと、そこまで成功したとも考えにくい。監督ご自身は同じような状況に置かれた場合、チョクトのように街に出て暮らすか、そのまま草原で暮らすか、どちらを望まれるのでしょうか?私は恐らく草原で暮らすことを望むと思います。
ワン モンゴルは中国の他の地域とは少し違います。他の街だと、日本の有名な歌「北国の春」にあるように出稼ぎに行って故郷を想うという若者がとても多いですが、最近の内モンゴルの青年は故郷にUターンする人が多いと聞いています。なぜなら、草原でも羊を飼ってお金を稼ぐことができ、現代的なものも取り入れて十分に暮らしていけるということで、生活がしやすくなってきているからです。
しかしチョクトの場合は違って、外に出たい、この場でじっとしているのが耐えられないという気持ちを抱いています。彼がもし街に出ていったとして、その街の生活に興味を持てるのであれば残ったかもしれないし、無理だなと思ったら戻ってきたかもしれません。
サロールも街の生活は無理なんじゃないかなと思います。大草原でのびのびと暮らしてきた人にとって、狭く息苦しい都会の生活は難しく、長くは暮らせないというのが実情なのです。昔の内モンゴルの生活は厳しく、外に出ていい暮らしがしたいと思っていたかもしれませんが、今や草原でインターネットが使えるので、東京オリンピックだって、我々と同じ時間帯で見ている状況です。
私がどちらを選ぶかについてですが、実は昔、草原で暮らせるか試したことがあります。しばらくいると自分の街に帰りたくなりました。残念ながら、私にとって草原は、ずっといられる場所ではありませんでした。
『大地と白い雲』概要
8/21(土)より岩波ホール他全国順次公開
公式HP: www.hark3.com/daichi
監督:ワン・ルイ(王瑞)
脚本:チェン・ピン(陈枰)
原作:「羊飼いの女」漠月
出演:ジリムトゥ、タナ、ゲリルナスン、イリチ、チナリトゥ、ハスチチゲ
2019年/中国映画/中国語・モンゴル語/111分/原題:白云之下
配給:ハーク
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プロフィール
王瑞
1962年12月生まれ。1985年北京電影学院監督科に入学。中国の“第六世代監督”と呼ばれるワン・シャオシュアイ、ロウ・イエ、ル・シュエチャンらと同学年。1989年卒業後、現在まで指導者として学校に残ることを選び、中国映画界のために多くの専門的才能を送り出し、教え子が全国至る所にいる。中国監督協会会員、中国テレビドラマ監督委員会会員。監督代表作には本作「大地と白い雲」、「離婚のあとに」(96)、「冬日細語」(02)、テレビドラマ「超越情感」(01)等がある。2020年、「大地と白い雲」で第33回中国映画金鶏奨最優秀監督賞を受賞。これは中国においての監督賞として最高の賞であり、彼の実力を十分に示している。漢族として、今回、モンゴルの草原を背景にした物語を創作しているが、彼自身が草原や草原に住む人々に対して特別な感情を抱いており、乗馬も趣味の一つである。
山越康裕
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授。モンゴル諸語の記述的研究を専門とし、2000年より継続して中国内モンゴル自治区フルンボイル市での言語調査をおこなっている。著書に『詳しくわかるモンゴル語文法』(白水社)、『中国北方危機言語のドキュメンテーション』(三元社、李林静・児倉徳和との共編)など。