2021.12.10

ドキュメンタリー映画『帆花』――存在に巻き込まれることの希望

森岡正博 哲学者

文化

生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃんと、その家族の日々の営みを、3年にわたりみつめたドキュメンタリー映画『帆花』(國友勇吾監督)が、2022年1月2日(日)より公開される。日本で2010年に施行された改正臓器移植法の議論に深く関与した哲学者で、早稲田大学教授の森岡正博さんが、映画『帆花』に寄せた文章をここで紹介する。

©️JyaJya Films+noa film

映画『帆花』の冒頭で、帆花ちゃんのバギーを両手で押しながら歩いているご両親の姿を見たとき、「あー」という声が私の口から出てきた。彼らが動いている姿を私が見るのは、これが始めてのことだったからだ。帆花ちゃんのことはご両親の開設したブログで以前より知っていた。そして私は大学の「バイオエシックス」という大教室の授業で脳死のテーマを扱うときに、かならず帆花ちゃんのブログを紹介して、そこに掲載されている様々な写真と文章を学生たちに見せるのだ。

学生たちの多くは、脳死に近い状態で生まれた女の子とはいったいどういう存在なのかについて、具体的なイメージを持っていない。そこで、脳死についての新しい知見を紹介し、長期脳死の子どもを自宅でケアしている例があることを知らせたうえで、帆花ちゃんのケースに進むのである。2009年に『朝日新聞』に掲載された記事の中で、「帆花ちゃんも、脳死と判定されたわけではないが、理佐さんは、医師の説明から脳死状態だと思っている」と書かれている。

©️JyaJya Films+noa film

これは非常にデリケートな問題で、患者の脳神経系からの反応がなく、脳死が強く疑われるとき、改正臓器移植法では、その患者の臓器を移植に使う場合には必ず脳死判定をするように定めている。では臓器を移植に使う決定をしない場合はどうするかというと、「無呼吸テスト」という最後の確定診断を行なわずに、「医学的に見ておそらく脳死であろう」と結論する場合が多い。なぜかというと、無呼吸テストという検査は、もし患者が生きていたとしたらとても苦しい検査になるし、ひょっとしたら無呼吸検査をすることでその患者のぎりぎりの命の火を消してしまう危険性がないとは言えないからである。この点については異論もあり、決着はついていない。いずれにせよ、このような不安があるので、無呼吸テストをしないことを選択されるご家族も多いと言われている。

実は帆花ちゃんが生まれたのは、臓器移植法が改正される以前の2007年のことである。改正前の法律では、15歳未満の小児に対しては移植目的の脳死判定は行なわないという運用がなされていたので、そもそも帆花ちゃんには正式の脳死判定は行なわれていない。そのような状況で、ご両親は医師からの説明を受けて、帆花ちゃんは脳死に近い状態だと判断されたとのことである。

いずれにせよ、帆花ちゃんはとても重症なので、人工呼吸器の力を借り、医療者やご家族からの24時間のケアによってはじめて生きていけるのだ。そしてブログの写真を見ると、帆花ちゃんはすくすくと成長している。ご家族からの愛情を受けて、力いっぱい成長し続けているのである。

©️JyaJya Films+noa film

学生たちからは様々なコメントが寄せられる。素朴な反応も多いが、中には深く考えさせられる意見もある。たとえば、ある学生はこのようなコメントを書いてきた。「「ほのちゃん」の例など、子を持ったこともない自分は、早く彼女の延命措置を止めて新しい「健康」で本人の意志のある子をなぜ産まないのか、と考えてしまうし、そういう選択をした家族も多くあるのだろうとも思うが、あの家族の「リアリティ」は人間にとって重要なものなのだろう、とも考えるのだ」。このコメントの前半部分は、帆花ちゃんのことを知った人がいちどは頭の中で考えることであろう。生命倫理学では、このような考え方が議論されることもある。コメントの後半部分でこの学生が書いていることは、我々がかならず立ち止まって考えないといけない論点だ。帆花ちゃんを育てるというリアリティは、人間存在にとって、かけがえがなく重要だというのだ。この学生のコメントはここで終わっている。この学生が言いたいのは、このリアリティはご両親にとって重要であるのみならず、およそ人間である存在全員にとって重要だと考えなければならないということだろう。

しかし、と私は思ってしまう。ご両親は、けっして「人間はここまで頑張れるのだ」という人類全体の尊厳を確保するために、帆花ちゃんを育てるリアリティを経験しているわけではないだろう。それは、もっと個別具体的な帆花ちゃんの存在に、光も影も一緒になって否応なく巻き込まれるという形で始まった「何ものか」であるはずだ。その「何ものか」をまるごと描き取ろうとしたのが、この映画であると私は考える。その真摯な試みが胸に迫るからこそ、あえて言うが、映画のキャッチコピー「生まれてきてくれて、ありがとう」は少なくとも私の耳には表面的なものに響く。もちろんこの言葉そのものに嘘はないだろうし、人々の耳目を惹きつけるコピーとしては有効なのだろうが、しかしこの映画で描き取られているのは、その言葉の手前で何度も何度も考えて揺れ動いているひりひりとしたリアリティではないかと私には感じられるからだ。この映画のメッセージはもっと深い。

©️JyaJya Films+noa film

学生からのコメントをもうひとつ紹介しよう。「ほのかさんは、御両親にとっては明らかに「生きる心の支え」であり、その事実自体が、私たちも含めた社会の歯車に、脳死のほのかさんが確実に加わっているということだと思います」。このコメントの後半部分は考えさせられる。帆花ちゃんの存在は、ご両親の心を支えるものとなっており、そのご両親は社会の中で生きているのだから、帆花ちゃんの存在は社会を支える貴重なピースとしてすでに社会に組み込まれていると考えられるとこの学生は主張している。映画を見ると、ご両親が、さらに広いご親族や、ケアワーカーの方々や、友人たちとつながりながら生活されており、帆花ちゃんの存在がその人間関係の輪の中に溶け込むようにして浸透していることが分かる。もちろんそれはまだ細い糸のようなつながりなのかもしれないし、理佐さんはケア空間の閉塞感をも映画でしゃべっておられたが、それでもなお、この映画を人々が見るというルートを通って、帆花ちゃんの存在はさらに多くの人の心の中に届くことになる。この映画を見た者たちが、受け取ったボールをどう感じるのか、どうしていくのかが問われることになる。

この映画を見ていちばん心に響いたのは、ご両親や訪問者の方々が、帆花ちゃんにひたすら話しかけていることだ。帆花ちゃんからの身体的な反応のあるなしにかかわりなく、帆花ちゃんがひとりの子どもとしてそこに存在しているというリアリティが、帆花ちゃん自身と周りの人たちによって形成されているのである。そしてそのような語りかけの結果、おそらく帆花ちゃんの潜在的な脳機能が刺激され、ご両親が知覚できる微細な応答を帆花ちゃんが返すようになってきたのだろう。ネコ耳型の玩具を帆花ちゃんの頭に付けたときにそれが脳波に反応するシーンで、私は思わず声を上げてしまった。「帆花ちゃん脳死じゃないやん!」。そもそも最初から脳死ではなかったのかもしれないし、成長の途中で脳機能が出現したのかもしれない。これは医学的にも未知のことなのだ。現在の脳死判定基準では、脳死とは脳の機能死を測定しており、脳の細胞死を測定しているのではない。だから幼い子どもの場合は、たとえ脳死判定されたとしても、残存している生きた脳細胞がその後の成長の過程で機能を持ち始めることがないとは言えない。もちろん、医学的な検査をすれば正しいことが分かるとは思うが、それが必要なのかどうかは外部から口を挟むべきことではない。

©️JyaJya Films+noa film

この映画を見て、私はやはり人間のいのちとは何なのかを深く考えてしまった。西洋哲学では、人間は理性で考えることができて、自分で自律して生きられるということがもっとも大事だとされてきた。この考え方を取ると、帆花ちゃんのような存在は、人間の階段のもっとも下に位置づけられる。だが、この考え方は19世紀末に優生学を生み、障害者は子どもを産まないほうがいいとか、障害者は死んでしまったほうがいいなどの残酷な帰結をもたらした。アウシュヴィッツで家族を殺されたハンス・ヨーナスという哲学者は、ひとりで放置されたら死んでしまう赤ちゃんがいたときに、周りの大人たちが思わず手をさしのべてケアしてしまうという人間の行動にすべての希望が詰まっていると主張した。ヨーナスは、弱い者、傷つきやすい者にこそ不思議な存在のエネルギーが宿っており、そのエネルギーに引きつけられるようにして周りの人間はそこへと巻き込まれ、関わってしまうのだと示唆する。いのちを支える場とはこのような場なのであり、それは理性や自律を何よりも重視する思想からはまったく見えてこないような真理を開示するものなのであろう。この映画はそのことをたんたんと描こうとしたものだと私には思えた。

公開情報

『帆花』 2022年1月2日(日)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

生後すぐに「脳死に近い状態」と宣告された帆花ちゃん。母親の理佐さん、父親の秀勝さんと過ごす家族の時間にカメラは寄り添う。ありふれた親子の日常の中で積み重なり、育まれていくもの。動かなくても、言葉を発しなくても、ふれあうことで通じあい、満ちていくもの。帆花ちゃんの手の柔らかさとぬくもりに、生を実感して心が震えたという國友監督が紡ぎ出す、いま、この社会に私たちとともにある「いのち」の物語。

特別先行上映イベント開催【リアルイベント&生配信+アーカイブ】

◎日時:12/18(土)17:30 OPEN
18:00〜『帆花』上映(72分)/19:30〜トークイベント(60分)

◎出演:頭木弘樹(文学紹介者)、西村理佐(出演者/帆花ちゃんの母)、國友勇吾(監督) 、島田隆一(プロデューサー)※頭木弘樹さんはリモート出演になります。

◎料金
【会場チケット|限定50席】2500円 (1ドリンク付き)
 ※会場:カフェ&スペース ポレポレ坐 (東京都中野区東中野4-4-1)

【配信チケット|生配信+アーカイブ】1800円
※12/26(日)23:59までアーカイブ視聴可能

◎イベントの詳細・申し込み
https://regard-films.com/2021/11/30/honoka_1218/

プロフィール

森岡正博哲学者

1958年高知県生まれ。東京大学卒業。現在、早稲田大学人間科学部教授。著書に、『増補決定版 脳死の人』(法蔵館)、『無痛文明論』(トランスビュー)など多数。

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