2016.02.18
介護事業に富裕層を取り込め
2005年ビルゲイツ氏(マイクロソフト会長)が、インドへ5000台ものパソコンを提供し、e ガバナンス・プロジェクトへ1億ルピーの寄付を申し出た。2011年東日本大震災直後には、孫正義氏(ソフトバンク社長)が被災者への義援・支援金として、個人で100億円を寄付すると宣言した。最近では、2015年にザッカーバーグ氏(フェイスブック最高経営責任者)が5兆5000億円にものぼる寄付をすると宣言した。
いったい、富裕層がどこに資金を使っているのか見えにくいと一般には思われているかもしれない。しかしながら、彼らの資金の使い方には1つのルールがある。それは、自らが利する(私利)と信じる事業へ投資するということである。
富裕層は、時代を嗅ぎ分ける
ビルゲイツ氏のインドへの寄付は、インド人がこれからパソコンを使ってくれるという将来への投資であり、政府のeプロジェクトへの寄付は、自らの事業がインドで展開し、さらにはインドと連携することで大きく成長すると見越したものだと考えられる。
孫正義氏の被災者への義援・支援金に関しては、確かに個人として赤十字や福島県、宮城県、岩手県などに対して10億円ずつ寄付しているが、孫氏自身が組織の会長を務める「東日本大震災復興支援財団」に40億円の寄付を行うというものであった。つまり、東日本の復興事業として、彼は莫大な投資を行ったともいえる(寄付先は全て公開されている)。さらに、ザッカーバーグ氏の巨額の寄付先も自らが所有する有限責任会社である。
私は、こうした富裕層の「純粋な意味での寄付」とはいいがたいお金の使い方を批判するつもりは全くない。むしろ、歴史的に見て、富裕層のお金の使い方とは、その時代に必要とされる「時代的要請(公益)」と深く関係してきたのである。
孫正義氏の場合、100億円の寄付のうち、自らが会長を務める組織への40億円の寄付を差し引いたとしても60億円だ。個人の寄付額としてはダントツであり、敬服するに値する。さらに、彼の東日本再生への意気込みは並々ならぬものがあるだろう。ビルゲイツ氏のインドの投資は、すでに多くのインド人IT技術者を生み、大きな社会貢献となっている。
実は、富裕層のお金の使い方は、自らの事業への投資(私利)と社会の要請(公益)とに深く関係している。日本のこれまでの歴史的を振り返ってみても、日本の富裕層は、社会インフラの整備と国力の充実のために社会奉仕ともいえる投資を積極的に行ってきたのである。富裕層は、時代が必要とするものを嗅ぎ分ける臭覚をもつのである。
政府が富裕層に与える影響
時代の要請といったが、これまでの日本ではどのような時代の要請があったのか、そしてそのとき富裕層はどのように動き、投資してきたかを振り返ってみよう。なぜなら、政府の政策は、日本の富裕層のお金の使い方に大変な影響を与えてきたからである。
まずは、明治期である。この時期に各地の富裕層の投資行動と政府の政策に関係するものの1つとして、郵便制度の整備があげられる。当時日本の郵便制度は未熟なものであり、全国に郵便局を設置し展開する必要があった。
幕末に坂本龍馬が土佐の姉宛に百通以上もの手紙を送っていたことは広く知られた事実であるが、1通送付するのには現在の価値で10万円以上の費用がかかったのである。(ただの浪人がこの費用をどのように調達したのか、つまりスポンサーは誰であったのかは、現在解き明かされつつある興味深い史実である。)
明治政府には、郵便局を整備するだけの資金はない。そこで利用したのが全国各地にいる富裕層の邸宅であった。各地の名士や大地主に土地と建物を無償で提供させる代わりに、事業を委託する形で郵便局が設置されたのである。この制度では、局長は官吏に準ずるという好待遇も受けられ、各地の富裕層にとっても十分利するものであった。また、各地の名士がお金を出し合って尋常小学校を設立し、人材養成にも貢献したことは、明治期の注目すべき事実である。
次に大正期である。この時期になると、各地に診療所・病院ができ始める。これは、日本だけではなく、イギリスやアメリカでも同時期の1920年代に各地で診療所・病院ができ始めている。まさに、医療の黎明期といってもよい。ただ、米英の場合は慈善団体が診療所・病院を設立するのが普通であったが、日本は慈善団体などほとんどない状態であった。しかしながら、政府としては各地に病院施設の社会インフラが必要であった。
そこで力をふるったのが、各地の富裕層であった。当時、診療所は開設すればほぼ間違いなく儲かるものであった(詳しくは、猪飼『病院の世紀』を参照)。政府は開業医に対して、十分な診療報酬を確約したのである。そのため、自らの邸宅の一部を診療所として開設する開業医が雨後のタケノコのように各地にできることとなる。地方の開業医が富裕層である傾向が強いのは、戦後にも引き継がれていく。(詳しくは、橘木・森『日本のお金持ち研究』日本経済新聞社を参照)
さらに、戦後である。戦後の富裕層の変遷については、三つの時代に分けることができる。まず、1960年代の松下幸之助を筆頭とする「オーナー経営者の時代」である。表1には、1960年当時の上位高額所得者を掲載している。
所得上位者の常連は、松下幸之助をはじめ石橋正二郎(ブリヂストン)、井植歳男(三洋電機)、出光佐三(出光興産)、上原正吉(大正製薬)などであり、いずれも戦後の日本経済を支えてきた大企業のオーナー社長であった。日本が焼け野原から復興し、新たな時代を切り開いていくために、日本の政府は産業を育成振興していく必要があった、この時期はそうした時代である。
その後、1969年からは「土地成金の時代」へと様変わりをする。時代は「列島改造」を要求しており、各地の田畑をもつ農家に土地を手放し、国家事業に賛同してもらう必要があったのである。表2には、1960年代の1億円以上の所得を稼いだ人の数の推移をまとめている。税制が改正された1969年以降に、土地長者の数が急増しているのがわかる。
土地の譲渡所得税率が大幅に引き下げられ、土地の売買が促進されることとなり、この機に乗じた各地の農家や不動産投資家たちが土地長者となっていった。このブームはバブル経済が破綻する90年代まで続く。まさに、政府の政策が各地の土地持ちを動かし、土地売買を促進して、土地への投資を加速させていったのである。
多死社会がやってくる
これからの日本社会における時代の要請とは何だろうか。確実に言えること、それは遠くない将来に多死社会が訪れるということである。団塊の世代が75歳以上となる2025年には、75歳以上の後期高齢者が約2200万人となる。それとともに、どのように人生の最終章を健やかに過ごせるか、ということに関心が向けられていくだろう。
しかしながら、最終章を迎える前の介護の現場は、すでに大変深刻なものとなっている。介護施設としての届け出が行われていない施設(いわゆる「無届け介護ハウス」)が、介護の必要な老人の受け皿となっている。しかも、この無届け介護ハウスは、全国におよそ2000件近くもあると言われている。現在、許認可をうける介護施設となるための規制は厳しいものであり、低所得者の介護を必要とする高齢者の需要にはかなっていない。そのため、どの介護施設も採算ぎりぎりでの経営を迫られている。
本当に事態が深刻になるのはこれからである。介護を必要とする人は2015年時点で614万人であるが、2025年には820万人になるとみられている(厚生労働省2015)。当然ながら、介護人材も不足している。介護を担う人材は2015年時点で12万人不足しているのが、2025年には38万人も不足すると言われている(「2025年に向けた介護人材にかかる需給推計」厚生労働省2015)。極めて大きな労働市場である。
一方で、自宅でも施設でも介護を受けられない、いわゆる「介護難民」は、すでに43万人にものぼっている。特別養護老人ホームへの待機待ち高齢者は、全国ですでに51万人にも及ぶ。もし明治期の社会が要請した郵便制度のように、政府が潤沢な資金を介護の現場に振り向けて、それを抱える施設提供者に十分な社会的地位を与えたなら、日本の富裕層はその時代的な要請にこたえていくかもしれない。
明治政府が、郵便局を整備するだけの十分な資金がなかったにもかかわらず、各地の富裕層の邸宅を利用して、土地と建物を無償で提供させる代わりに、事業を委託する形で郵便局が設置されたことはすでに述べた。この制度では、局長は官吏に準ずるという好待遇も与えられた。現在、介護施設の運営者の社会的身分は決して高いものではない。しかも無届介護ハウスなどは、政府の許可を受けていない無認可施設である。今後の日本の状況を鑑みて、こうした施設の運営を政府がうまく機能するように政策を打っていくことが重要となるだろう。
ここで、日本の家族構造がどのように推移するか、20年先までの状況をみてみたい。一言でいえば、予想以上に高齢者の一人暮らし(あるいは夫婦のみ世帯)が増えていくのである。国立社会保障・人口問題研究所は、5年ごとに日本の家族構造についての将来推計を公表している。表4は、2035年までの世帯構造の予測推移を示したものである。2025年には、65歳以上では、単独世帯が全体の3割を超え、夫婦のみ・夫婦と子の世帯と合わせると、全体の8割以上となる。
日本の将来に、富裕層がどのような対応するかは重要である。東京、埼玉、千葉といった都心部では高齢化率が急激に上昇する。2015年から2025年の10年間で、都心部で高齢化率はいまの2倍となる。それに対して、島根や鳥取など地方ではすでに高齢化は進んでおり、これから高齢化の比率は横ばい、あるいは低下するといった地域格差が生まれてくる。
こうした介護需給のアンバランスを是正するための社会資本整備に、各地の富裕層の投資が生かせるのではないだろうか。我が国は、2000年代に入ってから、急激にサービス産業が拡大してきた。しなしながら、そこで働く人々の給与は低い。表5は国税庁「民間給与実態統計調査」(平成26年)に基づいて、業種別の平均年齢・平均続年数・平均給与についてまとめたものである。勤続年数は、サービス業や医療・福祉の業種で短い。また、製造業などの第2次産業では平均年収が400万円を超えるのに対して、医療・福祉やサービス業では平均年収300万円程度の給与水準である。
つまり、100万円以上の開きがある。そして、この格差は世代間格差とも連動している。若い世代では、その多くが、低い給与水準の待遇(非正規社員)・産業(サービス業)で雇用されており、中高齢の世代の多くは、高い給与水準の待遇(正規社員)・産業(第2次産業)で雇用されている。
いま必要なのは、「若い世代への社会保障」である。これから成長するサービス産業の筆頭格は、医療・介護であろう。医療・介護への給付は、高齢者への政府給付ととらえられがちであるが、そこで働くのは勤労世代であり、若年者も多く含まれる。介護給付を厚くして、富裕層がこの分野に進出できるように政策を打つことや、またこの領域の給与水準も引き上げることは、若い労働者をこの分野にひきつけ、生産性を引き上げるのにも役立つであろう。
介護が儲かる市場でなければ、大きくは育たない。介護市場を育て、国内の若い働き手に製造業並みの中級程度以上の給与水準を保証するサービス業への発展させることも、富裕層を取り込むひとつの案ではないだろうか。
プロフィール
森剛志
1970年生まれ。
早稲田大学政治経済学部卒業、京都大学大学院博士課程修了(博士号取得)。
日本学術振興会特別研究員を経て、
現在、甲南大学経済学部教授。
<主な著書>
『日本のお金持ち研究』(共著、日本経済新聞社、2005年)
『日本のお金持ち妻研究』(共著、東洋経済新報社、2008年)
『新・日本のお金持ち研究』(共著、日本経済新聞社、2009年)
『日本のお医者さん研究』(共著、東洋経済新報社、2012年)ほか。