2021.11.16
ここがヘンだよ現金給付――社会政策における「標準世帯」モデルの終焉
このところ、18歳以下の子どものいる家庭に対する現金給付のことが大きな話題となっている。この給付措置を「バラマキ」として即座に非難することについては十分な慎重さをもって対応しなくてはならないが(何をもって「バラマキ」とするかは、それぞれの人が置かれている状況や価値判断によって異なるため)、この措置を是とする場合にも現在の案にはさまざまな問題点がある。以下ではこの点について論点整理を行うこととしたい。
現行案の概要
これまでに報じられていることを総合すると、今回の給付措置は、18歳以下の子どものいる家庭(世帯)に対し、「世帯主」の年収を基準に所得制限をかけたうえで、子ども1人当たり10万円相当の給付を、現金(5万円)とクーポン券(5万円)の形で支給するというものだ。この措置については新聞などで「18歳以下の子どもに対し」という記述を見かけることがあるが、子どもに直接給付を行うということであれば、親の年収を基準に給付の有無を決めるというのはそもそもおかしいということになるから、この措置はあくまで「18歳以下の子どものいる家庭に対し」、「子どもの親を受給者として」給付を行うものということになる。
本稿ではこの案について、「18歳以下の子どものいる家庭を対象に」、「世帯主の年収を給付の有無の基準として」、「現金とクーポン券の併用の形で」給付を行うことは適切なのかということを中心に検討を行う。
なお、今回の給付措置における「世帯主」は、児童手当の給付における「生計中心者」(主たる家計支持者)のことであり、住民票に記載されている世帯主とは異なる場合があるが、記述を簡略にするための便宜として、以下では「生計中心者」(主たる家計支持者)について「世帯主」という呼称を用い、記述を進めていくこととする。子どもの側からすると「世帯主」は「父または母」ということになるが、この給付の対象が「18歳以下の子どものいる世帯」であることを踏まえ、以下では「父」を「夫」、「母」を「妻」と読み替えて記述を行うことを基本とする。
「世帯主」の年収を支給の判定基準としてよいか?
現時点で報じられている与党案では世帯主(主たる家計支持者)の年収が960万円以下の世帯を対象に給付を行うこととされているが、この基準については各方面から問題点がすでに具体的に指摘されている。その代表例は「夫婦共働きで夫の年収が600万円、妻の年収が400万円であれば支給対象となるが、片働きで夫の年収が1000万円の場合には支給対象とならないというのはおかしい」というものだ。やや極端な設例かもしれないが、「夫と妻の年収がともに950万円(世帯収入が1900万円)でも給付が受けられるのではないか」との指摘もある。
一般に、ある家庭が共働き、片働きのいずれを選択するかは、それぞれの家庭の判断に委ねられるべきだから、家族構成と世帯年収が同じ二つの家庭のうち一方は給付を受けることができ、もう一方は給付を受けることができないというのは、税や社会保障の制度設計としては望ましくないということになる。こうした中、現行案において上記のような問題が生じるのは、給付の対象を世帯単位としているにもかかわらず、給付の有無を決定する際の基準を世帯主の収入としているためだ。この問題は昨年の現金給付(特別定額給付金)の当初案をめぐってすでに明らかになっていたことだが、今回もまた同じミスを繰り返しているということになる(特別定額給付金の当初案をめぐる問題点については下記の記事をご参照ください。「現金給付の政府案について考える―複雑で手間のかかる制度設計の成果は?」(https://synodos.jp/opinion/economy/23456/)。
改めていうまでもなく、この問題を解決するための一番簡単な方法は、支給の有無の判定基準を世帯主の収入ではなく世帯合算(夫婦合計)の収入に置き換えることだ。このような対応が十分に実施可能であることは、現行の児童手当の給付の枠組みに即してみればすぐにわかる。
現行の児童手当の支給基準では、「生計を同一にする父または母のうち収入の多い者(生計中心者)」の収入の額をもとに支給の有無を決定することとなっているが、となれば給付申請があった段階で、夫(父)と妻(母)の収入を各自治体において確認しているということになるから、両者の収入を足し合わせれば、世帯合算で見た場合の収入を簡単に得ることができる(もし仮に上記の確認が行われていないとすれば、収入の低い方を「生計中心者」としてなされた申請についても支給の申請が却下されず、不適切な支給が発生しているということになる)。
支給の判定基準を世帯合算とすることが十分に実行可能であることは、保育園の保育料を決定する際の手続きからもすぐにわかる。保育料は世帯主ではなく各世帯(父母)の住民税の金額(所得割課税額の合計額)を基準に算定されているからだ。住民税(所得割)の金額を算定する際には課税対象となる収入の金額が把握できていなくてはならないから、その情報を利用すれば世帯単位の収入額は自ずと計算できることになる。
収入を世帯単位で把握するための仕組みとしては、マイナンバーを活用することもできる。所得税・住民税の申告(年末調整によるものを含む)においてはマイナンバーの記載が必須とされており、各世帯の世帯員の状況は住民基本台帳から容易に入手できるから(マイナンバー付きの住民票を取得することができることからもわかるように、住民基本台帳にはすでにマイナンバーが記載されている)、これらの情報を合わせれば世帯合算での収入を把握できることになる(マイナンバーが利用できる行政事務の範囲は法律によって制限されているが、必要があれば法改正を行えばよい)。
これらの点を踏まえると、今回の給付措置において給付の基準を世帯主(主たる家計支持者)の年収とすることには十分な合理性・妥当性がない。この基準を採用すると公平性の観点からみて大きな問題が生じることを踏まえれば、給付措置の具体化にあたっては適切な見直しが求められるということになるだろう。
「標準世帯」モデルの終焉
世帯単位の収入をもとにして給付の有無を決定するほうが合理的な給付が実現できるにもかかわらず、世帯主の収入を基準にすることへのこだわりが生じるのは、戦後のある時期まで普遍的と思われていた家族類型、すなわち「標準世帯」モデルの影響があるのかもしれない。税や社会保障の分野では「夫がサラリーマンで、妻は専業主婦、子どもが2人の4人家族」という世帯が典型的なものとされ、この「標準世帯」の設例をもとに制度改正の影響を説明するという取り組みが繰り返しなされてきた。
昭和(戦後の高度成長期以降)のある時期までは、この家族類型を平均的な家族の姿ととらえて公的な施策の制度設計をすることに特段の問題は生じなかったのかもしれない(ただし、高度成長期より前の日本は農業国でもあったから、夫婦共働きはむしろ普通であった)。だが、平成に入ると様子は大きく変わり、いまでは専業主婦のいる世帯はマイナーなものとなっている(図表1)。こうしたもとで、世帯主(主たる家計支持者)の年収を基準に給付措置を実施することについては、時代にそぐわないのではないかとの指摘も予想される(配偶者控除の適用を受けられる短時間就業者の存在を考慮しても、この結論は変わらないことに留意)。
図表1 専業主婦世帯と共働き世帯の推移
この点については、「夫が外で働き、妻が家庭を守る」ということをよしとする立場から、世帯主(通常は夫)の収入を基準とすることにこだわる人がいるのかもしれないが、冷静に考えれば今回の措置で割りを食うのはむしろ専業主婦のいる世帯である。最近では専業主婦のいる世帯は経済的に恵まれた世帯であるという見解もあるかもしれないが(ダグラス=有沢の法則を前提にすれば、この推論自体はおかしくない)、今回の措置が子どもを対象にした給付であることを踏まえれば、この理由をもって共働きの世帯と片働きの世帯を差別的に取り扱うことには、十分な合理性・妥当性がないということになるだろう。
プッシュ型とすることが自己目的化していないか?
このような問題点があるにもかかわらず、今回の給付金が「世帯主」の収入を基準として給付されることとなっているのは、「プッシュ型」の給付金(受給対象者の申請を待たずに行政の側から自動的に交付する給付金)を実現したというPRを兼ねて、この給付金が支給されることになっているからだ。このようにプッシュ型で給付を行おうとすれば、既存の給付の枠組みを利用することが必要となるから、そうなると、今回の給付において選ばれるのは児童手当の枠組みということになる。
だが、世帯主の収入を基準として給付を行う児童手当の枠組みについては、すでに政府部内から問題があるとの指摘がなされており(財政制度等審議会「平成31年度予算の編成等に関する建議」)、世帯合算の収入を基準とする方式への見直しが強く求められている。このような制度上の瑕疵がある中、適切な見直しを行わないまま2兆円近くの給付を行うことについては、その合理性・妥当性について十分な説明責任が求められるということになる。プッシュ型で給付を行う取り組み自体はよいものだとしても、その枠組みを利用して行われる給付金の制度に瑕疵があれば、そのもとで実現する給付の姿は残念なものとなってしまうかもしれない。
「18歳以下の子どものいる世帯」のみを支給対象とすることの妥当性は?
ここまでは「18歳以下の子どものいる世帯」に給付を行うことを前提に、その範囲内で今回の給付案の問題点を確認してきたが、少し引いた目で見ると、「18歳以下の子どものいる世帯」とそれ以外の世帯の間で給付の有無の線引きをすることがはたして妥当なものなのかも点検しておくことが必要となる。
この給付が子育て支援を目的として継続的に行われるものであれば、そもそも政策目的が異なるということでこの線引きは説明できるかもしれないが、今回の給付は1回限りの措置であり(恒久的な制度化はなされていない)、子供のいる世帯への経済的な支援という性格をもつものであることを踏まえると、この線引きの妥当性についてはやはり十分な検討が必要ということになるだろう。
たとえば、子育て支援という枠を離れて今回の給付措置をながめると、「夫の年収が700万円、妻の年収が500万円で、18歳以下の子どもが2人いる家庭」には「20万円相当の給付」(10万円の現金と10万円相当のクーポン券)、「年収200万円、ひとり暮らしの独身者」には「給付金なし」というのは、「分配」を重視する岸田内閣のスタンスから見た場合に、はたして妥当なものといえるだろうか。もちろん、「小泉内閣以降の新自由主義的政策からの転換」の中には「独身税」の課税も含まれるということであれば、このような取り扱いを是とすることもできるかもしれないが、それが広く社会一般に納得のいくものとなるかは議論の分かれるところだ。
こうしたもとで、生活困窮者への支援策としてしばしば採用されるのは、住民税非課税世帯を対象とした給付措置であり、今回も対象者に一律10万円の給付を行うことで自民党と公明党の合意がなされている。だが、「年収200万円、ひとり暮らしの独身者」はこの給付措置を受けることはできない。この年収では所得税・住民税が課税されているためだ。
このように、収入や世帯員の構成を基準に給付措置の線引きをすると、「線引きそのものが不公平なのではないか」という反応が生まれ、場合によっては社会に混乱と軋轢が生じてしまうおそれがある。第一次石油危機の時に物価統制令の適用を求める声に対し、自民党の椎名悦三郎副総裁(当時)が「統制はやっていくうちに、あれもしなければならない、これもしなければならないと一波万波になり、最後には植木鉢の値段まで統制することになる」と語ったという逸話があるが、ことほどさように線引きというものは難しい。
給付金の支給対象をめぐる線引きについても多くの人が納得のいくような制度設計を行うことには大きな困難が伴う。となれば、給付の時点では収入などの要件を付さずにひとまず一律給付を行い、十分な経済力のある人から事後に所得税を通じて実質的に給付金の「返納」を求めるほうが、簡素で効率的な給付が実現できそうだ(給付金を非課税の扱いとせず課税対象所得の中に算入したり、給付金の額と収入全体の状況に応じて所得税の税額に付加税を上乗せすることにすれば、実質的に所得制限を付したのと同じ効果を所得税の枠組みの中で得ることができる)。もちろん、このように全般的な給付を行うことについては、実施の必要性と財源の制約を慎重に見極める必要がある。
これらのことを踏まえると、もし仮に財源の制約が厳しいということであれば「18歳以下の子どものいる世帯」の範囲を現在の案よりも大幅に縮小させることが(この見直しをすれば、給付の恩恵を受ける人が大幅に減って、給付の有無に関する不公平感はその分だけ低減される。もっとも、この場合には「貧しきを憂えず。等しからざるを憂う」ということになる可能性は排除されない)、財源の制約については柔軟に考えることができるなら「18歳以下の子どものいる世帯」という制限をはずしてより広範な給付措置を行うことが(この見直しをすれば、給付の恩恵を受けられない人が大幅に減って、給付の有無に関する不公平感はその分だけ低減される)、見直しの適切な方向性ということになる。
現金とクーポン券の併用は望ましいことか?
今回の措置では現金(5万円)とクーポン券(5万円相当)を併用する形で給付がなされることとなっている。クーポン券による支給は、一見すると使途が子供向けの商品やサービスに限定できて、政策目的がより明確に実現できるような印象を受けるかもしれないが、残念ながら実際にはそのような効果は期待しにくい。たとえば、このクーポン券の支給額は小学生のランドセルの平均的な価格帯とうまく見合うものとなっているが、だからといってこの給付措置によって子どものための支出が増えるとは限らない。今回の給付措置がなければ現金で支払う予定だったランドセルの購入費に5万円のクーポン券を充てて、浮いた分を食器洗い乾燥器の購入に充てるといったことをすれば、実質的に給付金を他の用途に転用することが可能になるからだ。
もちろん、現金給付についても同様の問題が生じるから、この点からは現金給付のほうがクーポン券よりもよいということにはならないが、クーポン券の場合にはもうひとつ別の問題が生じることになる。クーポン券には券面の印刷、運搬、管理や対象者への送付が必要であり、その分だけ事務経費が余分にかかることになるからだ(現金給付の場合、「現金」といっても実際に紙幣を直接手渡したり現金書留を郵送したりするわけではなく、銀行振込みを通じて支給がなされるため、現金(お札)の運搬や管理といった経費は発生せず、その分だけ経費が低廉なものとなることに留意)。
今回の給付が現金とクーポン券の併用となったのは、特定の政策目的(ここでは子どものための支出を増やすこと)に資する給付を行っているという体裁を整えるためと思われるが、実質的にはこのような効果は十分に期待できないことを踏まえると、クーポン券による支給が費用対効果の面で望ましいことなのか、議論の余地があるということになるだろう。
ここまで見てきたように、今回の給付措置には制度設計の面でさまざまな問題点がある。これらのうちのいくつかは、現金給付をめぐる昨年春の政策調整の経過においてすでに指摘されてきたものだ。特別定額給付金の支給に至る経過を振り返ってみると、当初の案は所得制限を付し、対象者を限定したうえで30万円の給付を行うというものであった。
自民党の岸田文雄政調会長(当時)が中心となってとりまとめたこの案は、いったんは緊急経済対策に盛り込まれたが(2020年4月7日閣議決定)、制度設計の面でさまざまな不備があり、不公平な取り扱いが生じるおそれが強く懸念された。このため、閣議決定の直後から見直しを求める声が与野党双方から上がり、最終的には制限なしで一律に10万円の給付を行う案への差し替えがなされることとなった。この結果、すでに閣議決定されていた緊急経済対策は再度閣議決定をすることが必要となり、補正予算案は大幅な組み替えを余儀なくされた。
今回の給付措置が現在の案のまま実施に移されることになるのか、現時点ではまだ予測に困難が伴うが、政府案の決定や補正予算案の審議に当たっては、現行の給付案の問題点について十分な精査が必要ということになるだろう。こうした過程を経て、問題点が見直され、適切な給付が実現することが望まれる。
プロフィール
中里透
1965年生まれ。1988年東京大学経済学部卒業。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手を経て、現在、上智大学経済学部准教授、一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授。専門はマクロ経済学・財政運営。最近は消費増税後の消費動向などについて分析を行っている。最近の論文に「デフレ脱却と財政健全化」(原田泰・齊藤誠編『徹底分析 アベノミクス』所収)、「出生率の決定要因 都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』第75号、日本経済研究センター)など。