2025.07.16
地球温暖化。その破壊的な様相が、年々、明らかになっています。
「CO₂(二酸化炭素)」や「メタン」の排出を削減しようと、さまざまな規制や対策が行われてきましたが、温暖化が止まる気配はありません。
この問題、火力発電所や工場、農業や車だけが原因なのではありません。
あまり知られていませんが、私たちのもっと身近な場所からも、強力な温室効果ガスが大気中に放たれています。
冷蔵庫やエアコンに使われる「冷媒」と呼ばれるガスです。
とくに問題なのが「ハイドロフルオロカーボン(HFC)」。
1キログラムが空気中に漏れると、約1.3〜1.4トンのCO₂と同じ温室効果をもつとされています(Global warming potential table, NetRegs – 1 kg HFC‑134a = 1.43 t CO₂e)。
これは、エアコン1台分の冷媒(およそ0.5〜2キログラム)が漏れるだけで、車が数百〜千キロ走ったときに排出されるCO₂と、同じくらいの影響を与えるということです(EPA, Greenhouse Gas Equivalencies Calculator)。
モントリオール議定書、およびその後のキガリ改定で、このガスの削減をめざそうと、国際的に合意されはしました。
しかし、現実には、それは容易なことではありません。
とくに新興国と呼ばれる国々──エアコンが急速に普及している地域では、冷媒の管理や回収が追いついていないのが実情です。
たとえば、この記事で取り上げるインドネシアでは、中・大型の冷凍・空調機器から、年間8〜10%の冷媒が漏れていると報告されています(Refrigeration and Air Conditioning Greenhouse Gas Inventory for Indonesia, International Climate Initiative / GIZ (2017))。
この「見えない問題」はニュースになりにくく、国際会議でも注目されることがあまりありません。
しかし、地球全体で見れば、CO₂やメタンに次ぐ温室効果ガスの排出源とされていて、その排出量は年々、増えつづけています(Climate Change 2021: The Physical Science Basis)。
今回の記事では、この冷媒問題に挑むインドネシアのスタートアップ「Recoolit」を紹介します。
インドネシアという舞台:都市、社会、制度の現実
東南アジア最大の人口(約2億7,000万人)をもつ国、インドネシア。
経済が成長するなかで、とくに都市部では、人びとの暮らしが大きく変わってきています。
ジャカルタ、スラバヤ、バンドンといった大都市では、ここ10年で、エアコンの普及が急速に進みました(IEA, “Southeast Asia Energy Outlook 2022”)。
かつては「富裕層のもの」と思われていたエアコンでしたが、いまでは中流家庭でも手が届く家電となり、オフィスや商業施設では当たり前のように設置されています。
エアコンの普及は、当然、冷媒の使用量を増やします。
しかし、それに見合った管理体制は、まだ整っていません。
本来は、修理や買い替えのときに冷媒を回収し、専門の施設で破壊処理する必要があります。
しかし、現実には、地方の修理業者や個人経営の業者の多くは、高価な回収装置をもっていません。
結果として、冷媒は大気中に放出され、温暖化を加速させています(Malay Mail, “In Indonesia, a start-up captures air conditioning coolants to stop global warming,” 2025年7月11日)。
インドネシア政府は、国際協定にもとづき、冷媒の排出を禁止しています。
しかし、禁止するだけでは十分ではない、と現地報道は指摘します(Malay Mail, 同上)。
取り締まりが難しいのは、行政の監視能力に限界があるためです。
地方の小さな町工場や個人修理業者まで、冷媒の扱いを監視する体制を整えるのは、簡単なことではありません。
しかし、このまま冷媒問題を放置すれば、今後さらに状況が悪化することは明らかです。
そして、インドネシアだけでなく、他の東南アジアやアフリカ、中南米といった同様の課題を抱える国々でも、「エアコンの時代」がはじまっています。
だからこそ、国際ルールや法律だけに頼るのではなく、現場で何ができるかを考える必要があるのです。
Recoolitの誕生:創業の背景、理念、仕組み
インドネシアのジャカルタに拠点を置く「Recoolit」は、2021年に設立されたスタートアップです(The Economic Times, “In Indonesia, a start-up captures coolants to stop global warming,” 2025年7月10日)。
創業者は、アリ・ソバルディンさん。
もともとエンジニアとして働いていた彼は、地元で冷媒がほとんど管理されず、大気中に放出されている現状を知り、強い危機感をもったと報じられています(AFP via France 24/RTL, “In Indonesia, a start‑up captures coolants to stop global warming,” July 11 2025)。
ソバルディンさんは、次のように語っています。
「HFCの放出は地球にとって最悪の選択肢だ。けれど、それを回収して安全に処理すれば、同じ量のCO₂を削減するのに比べて、ずっと安く、しかも短期間で効果を上げられる」(同上)。
しかし、冷媒回収の仕組みをつくるのは、容易なことではありません。
現場は、政府や大企業ではなく、街の小さな修理業者たちが担っているからです。
そこでRecoolitは、ひとつの仕組みを考えました。
まず、現場の修理技術者たちと提携します。
技術者たちは、通常なら捨ててしまう冷媒を回収し、Recoolitにもち込むか、回収を依頼します。
その見返りとして、Recoolitは1キログラムあたり約3ドル(日本円で約450円)の報酬を支払います(Ainvest, “Indonesian start‑Up Tackles Global Warming with Refrigerant Capture Technology,” July 10, 2025)。
小さな金額に見えるかもしれません。
しかし、現場の人びとにとっては、じゅうぶん「回収する理由」になります。
集められた冷媒は、政府認証の処理施設に送られ、適切な手順で破壊されます。
その過程はデジタルで記録され、独立した監査機関が確認します。
こうして確実な削減実績が証明されると、それは「カーボンクレジット」というかたちになります。
カーボンクレジットは、環境負荷を減らした証として国際市場で取引され、1トンあたり約75ドルの価値をもちます。
ここでいう「1トン」は、冷媒そのものの重量ではなく、冷媒が大気中に放出されたときに発生するCO₂換算の温室効果量です。
たとえばHFC-134aの場合、たった1キログラムの冷媒が、約1.3〜1.4トンのCO₂に相当する温室効果をもたらします(Global Warming Potential Values(GHG Protocol, PDF, 2016))。
そのため、回収された冷媒は、その重量以上のカーボンクレジット価値を生み出せるのです。
「私たちは、無価値だと思われていたものを価値に変える。そうすることで、技術者や小さな現場が、地球環境に貢献できる仕組みをつくっている」
そう、ソバルディンさんは語っています(AFP, 同上)。
Googleとの連携:なぜ国際連携が必要なのか
Recoolitの支援に名乗り上げたのが、Googleです。
2025年、GoogleはRecoolitおよびCool Effect(米国の炭素削減プロジェクト)と複数年契約を結び、2030年までに25,000トン以上の「スーパー汚染物質」の削減を支援すると発表しました。
ここでいう「スーパー汚染物質」とは、1トンあたりの温室効果がCO₂より強いガス、具体的にはメタン(CH₄)、亜酸化窒素(N₂O)、そして冷媒に使われるHFCなどを指します(Data Center Dynamics, “Google partners with Recoolit and Cool Effect to remove 25,000 tons of super pollutants by 2030,” 2025年5月9日)。
Googleはこの契約にもとづいて、Recoolitから、25万単位のカーボンクレジットを購入する予定であると報じられています。
Googleとの契約は、Recoolitにとって、とても大きな意味をもちます。
まず、事業規模を10倍に拡大できる資金と信頼を得られたことです(Data Center Dynamics, 同上)。
冷媒回収のネットワークを広げるためには、回収装置の配備、回収ルートの整備、処理施設との連携、データ管理体制の強化など、多額の投資が必要です。
一国の小さなスタートアップが単独で行うには、限界があります。
さらに、Googleがパートナーになることで、透明性や信頼性が高まる効果もあります。
カーボンクレジット市場は、「本当に削減されているのか?」という疑問が抱かれやすい分野です。
そこに世界的なテクノロジー企業が名を連ねることで、外部監査やデータ管理の水準が引き上げられ、Recoolitの取り組みの国際的な説得力が増すのです(同上)。
一方、Googleにとっても、この支援の意味は小さくありません。
同社は近年、いわゆる「スコープ3排出」、つまり自社活動外で発生する排出量の削減に力を入れています。
たとえば2024年には、米国のバイオチャー企業Charm IndustrialやインドのVarahaと契約し、10万トン規模の除去クレジット購入を約束しました(Google, “2024 Environmental Report”)。
こうした契約の背景には、「Googleは自社の排出だけでなく、地球全体のカーボン除去に責任をもつべきだ」という同社の姿勢があります(同上)。
国際連携は、ただの資金援助ではありません。
資金・技術・信頼の橋渡し役として、新興国の現場と世界市場をつなぐ重要な役割を果たします。
このような連携が広がれば、冷媒問題という見えない課題に、より多くの国で取り組むことができるようになります。
社会はどうやって問題を解決していくのか
私たちは、社会の問題について考えるとき、
「大きな制度改革が必要だ」
「政府がちゃんと動くべきだ」
「革新的な技術が生まれれば一気に解決する」
そんなふうに思いがちです。
たしかに、制度や技術は重要です。
しかし、現実の世界は、そう簡単に変わるものではありません。
冷媒の問題を見ても、それはよくわかります。
法律があっても、監視の手は届かない。
新しい技術があっても、すぐに普及するとはかぎらない。
「やるべきこと」がわかっていても、「どうやってやるか」の段階で壁にぶつかります。
そこで生まれてくるのが、現場での知恵です。
Recoolitの取り組みは、政府が完璧な仕組みをつくるのを待たずにはじまりました。
小さな町の修理屋さんが、自分の手の届く範囲で、できることから動きはじめる。
それを後押しするように、企業や国際社会が支援する。
一人ひとりの力は小さいかもしれません。
けれど、それが集まると、問題は少しずつ動き出します。
社会の問題は、誰かが一気に解決してくれるものではありません。
国、企業、地域、個人。
それぞれの立場の人が、自分の場所で、できることを積み重ねる。
その積み重ねが、少しずつかもしれませんが、けれど確実に、未来を変えていくのだと思います。
Recoolitの物語は、ただのビジネスや環境対策の話ではありません。
それは、私たち一人ひとりが、どうやって未来をつくっていくか、という問いに通じているのです。
プロフィール

芹沢一也
1968年東京生。
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
・株式会社シノドス代表取締役。
・シノドス国際社会動向研究所理事
http://synodoslab.jp/
・SYNODOS 編集長
https://synodos.jp/
・SYNODOS Future編集長。
https://future.synodos.jp/
・A Quiet Traceクリエーター
https://www.instagram.com/kazuya_aqt/
・シノドス英会話コーチ。
https://synodos.jp/english/lp/
著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。