2017.03.17
「勤労青年」から「不登校・高校中退者」へ――通信制高校の歴史に迫る
「いつでも・どこでも・だれでも」受け入れるという理念のもと、多様な展開をみせる通信制高校。その歴史を紐解くと、80年代に生徒像の変容が起こり、90年代に私立通信高校の急増があった。精緻な実証研究によって、その経緯を明らかにしたいとするプロジェクトチーム「なぜ通信制高校は増えたのか?」にお話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)
――みなさんは、なぜ通信制高校に関心を持たれたのでしょうか?
内田 私は高校生の研究をするために大学院に進学しました。そこで通信制高校・サポート校と偶然出会い、学習支援スタッフとして活動を行っていたのですが、当初は研究を行うなんてことは考えていませんでした。
きっかけは、初めて送り出した卒業生たちからの切実な声だったんです。初年度の卒業式当日、「通信制高校・サポート校の実状を世間に伝える人がいなければ、不登校や高校中退を経験してもなお学校に通いたいと願う私たちの想いやこの生活の実態は永遠に届かない。大学院で研究しているということは、こうした実態を発信できる可能性を持っているということ。あなたがやらなければ誰がやるの?」と口々にいわれました。
そこで一念発起し、研究者としての道を歩んでいく覚悟を決めました。
それから詳しく調べてみると、高校生研究のなかでも通信制高校(およびサポート校)の研究はきわめて少ないことがわかりました。さらにその中心は、おもに勤労青年やその制度に関するものであり、不登校や高校中退経験など、教育上のさまざまな「困難」を抱える若年層の生徒に焦点をあてた現代的な研究は当時、ほとんどありませんでした。
こうして、通信制高校の現代的な実態と研究の蓄積との乖離を切実に感じ、現代の通信制高校(およびサポート校)に在籍する生徒たちの「声」や生活世界など、いわゆるリアリティを社会に発信していきたいと思ったことが、この研究を始めたきっかけです。
濱沖 私はもともと通信制高校ではなく、1990年代以降統廃合が進んだ定時制高校に関心を持っていました。定時制高校の統廃合をめぐっては、様々な困難を抱えた生徒を支援する場としての定時制高校の存続を訴える立場と、少子化が進むなかで統廃合を進めた方が生徒のさまざまなニーズを満たす学校をつくることができると主張する立場との論争が展開されていました。この問題をどう受け止めたらよいの、というのが初発の問題関心だったんです。
その後、この問題をよりよく考えるためには、定時制高校をめぐる環境が激変した1950年代から1970年代の状況を明らかにしなければならない、と思い研究を続けているのですが、そのなかで当時、定時制高校と通信制高校との関係が重要な問題になっていたことを知り、通信制高校を研究対象として取り上げるようになりました。
土岐 もともと私自身が、高校卒業の見込みが立たず、「大学入学資格検定」という試験を受けて、大学に進学したことや、学校へ行っていなかった(不登校だった)時期が長かったことから、進路選択の際などに、不利になったり困ったりしたと感じる場面がありました。そこで、不登校の子どもに対する学習支援を研究したいと考えていたときにチャンスがあり、通信制高校での学習支援とフィールドワークをさせていただくようになりました。
はじめは、事例研究だけを進めようとしていたのですが、私がフィールドワークをしている高校は、通信制高校のなかではどういった位置づけなのか、よくあるタイプなのか珍しいタイプなのか、といったことが分からず、困ってしまいました。そこで、数年前に過去の研究などを整理して、通信制高校を登校スタイルから類型化しました。
しかし、通信制高校は、これまであまり研究されてこなかった分野でもあり、文献研究には限界があります。そのため、研究論文などの収集・分析だけではなく、学校に対する聞き取りや資料収集をして、どんな学校が、どんな経緯で増えてきたのかを明らかにしたい、という思いを持つにいたりました。
「勤労青年」から「不登校・高校中退者」へ
――内田さんは勤労青年を中心とした研究ばかりだったとおっしゃいましたが、通信制高校のもともとの役割は「勤労青年に対する教育機会の保障と教育の提供」だったんですよね?
濱沖 通信制課程だけで高校を設置できるようになったのが1961年でした。当時は、徐々に全日制を中心とした高校への進学率が上昇していたものの、上の世代も含めれば、まだまだ高卒資格を持たない人が多くいた時代です。
その意味で、本当は高校に進学したかったけど働かざるをえなかった多くの勤労青少年のために、働きながら学べる環境のひとつとして通信制高校があったということは間違いありません。たとえば、現在のテレビ東京は、もともと、当時大企業の若年労働者を対象とした科学技術学園高等学校という私立の通信制高校のための番組を作る放送局としてスタートしたんです。
ただし、人によって通信制に求めていたものがさまざまであったことも確かです。たとえば、生徒たちにとっては通信制高校が同世代と出会う貴重な場であったということがあげられます。
――コミュニティとしての機能があったと。
濱沖 はい。というのも、勤労青少年の多くはきわめて厳しい環境で働いていただけでなく、家族や故郷から離れて暮らす人も多くいましたから、職場の悩みやちょっとした楽しみを共有できる、同じような境遇に置かれた同世代の存在はとても貴重だったわけです。企業の側も、そのような事情を承知で、通学負担がそれほど重くない通信制高校に従業員が通うことを認めていた部分もありますね。
ただし、通信制高校が教育機会をどれだけ保障できたかという問題もあります。生活するのが精一杯で卒業できない人も多く、企業内の訓練施設と連携した学校や学科では、多少の改善は見られたようですが、そういう条件がない学校では8割、9割の人が脱落するということはまだ、ざらにありましたから。
そういう意味では、「勤労青少年の教育保障」というのは理念としてはその通りなのですが、通信制高校が果たした役割の実際のところというのは、あまり高く評価するのも誤解を招くように思います。
――いずれにしても、現在の通信制高校のイメージとはだいぶ違いますね。いつ変化が起こったのでしょうか?
内田 1980年代中盤に、全日制高校で不適応(登校拒否や非行)を生じた中退者たちの受け入れを、通信制高校が行うようになっていきます。そうしたなかで、「勤労青年」から「不登校・高校中退者」へと、通信制の生徒像に変化が起きました。
80年代中盤は、多くの教育系専門雑誌や調査研究で指摘されているように、荒れる学校の生徒指導・進路指導に社会的な注目が集まるようになった時期でした。また、高校から大学への進学における受験競争が加熱するなど、高校教育が抱える様々な教育問題(たとえば登校拒否や非行)が表出して、本格的な社会問題としての認識が広まった時期です。
――実際に非行や中退は増えていたんですか?
内田 はい。とくに、中退にかぎって言えば、高校中退者数は同時期、11万人前後を推移しており(2015年度は約5万人)、問題行動によって中退する生徒の割合も10%程度ありました(2015年度は4%程度)。
こうして1980年代に社会的なまなざしが集まった教育問題に対して、1984年には臨時教育審議会設置法が公布され、その後、内閣総理大臣の諮問に応じて調査審議することを所掌事務とする臨時教育審議会が開催されました。その答申では、これまでの学校教育における画一性、硬直性、閉鎖性が問題視され、それを打破するための「個性重視の原則」や、「生涯学習体系への移行」、「変化への対応」などが提案されました。
また、1991年の中央教育審議会答申では、画一化した高校教育から個性・自主性尊重の高校教育へと変化を促すという高校教育改革が提唱されました。ここで重要なことは、偏差値偏重による高校間の「格差」や大学の「序列」が、日本の教育の最大の病理として位置づけられたことです。
さらに、当時の高校教育の問題点として、高校への不本意入学や中途退学の増加等が明記され、そうした生徒たちへの教育機会の保障として、たとえば総合学科の設置など、これまでにはなかった新しいタイプの高等学校が奨励されます。それとともに、学校に再度戻りたい生徒については、単位制高校および定時制・通信制高校の活用が提言されました。
――多様な教育機会が政策的に確保されようとするなかで、通信制高校の役割の見直しがされたわけですね。
内田 そうです。答申中には、「これからの時代に特に大切なのは、中途退学者に対して再入学を容易にする措置である」という文言があります。教育病理の結果としての高校中退現象に対しては、中退防止という視点だけではなく、学習選択の幅を増やして広く再挑戦のルートやチャンスを準備するという方向性での政策が打ち出されたわけです。そして、そうした生徒たちの教育保障を担う教育機関として、単位制高校の整備や定時制・通信制教育の充実が提言されていきました。
こうした1980年代中盤~1990年代前半にかけての教育政策上の大きな変化が、通信制高校に在籍する生徒像がかつての勤労青年から、不登校や高校中退経験など教育上の様々な「困難」を抱える若年層の生徒に変化していく大きな契機になったと考えられます。
「いつでも・どこでも・だれでも」受け入れる
――多様な学習経験を持つものたちの受け入れが、通信制高校における重要な課題になっていったということですが、このことは通信制高校に変化をもたらしたのでしょうか?
土岐 塾やサポート校などが、生徒の学習や「学校生活」をサポートするようになり、その後、通信制高校も、生徒個々のニーズに合わせたさまざまな支援やカリキュラムを提供するようになりました。
通信制高校はもともと、さまざまな理由から日々高校に通うことが難しい人びとの、教育機会を保障するため、「いつでも・どこでも・だれでも」学べるように、ということを考えてルールがつくられていました。そのため、4月以外にも入学や転入(転校)ができたり、通学スタイルが選べたりと、学習スタイルの自由度が高いのです。ただ、さきほどの濱沖さんの話のように、入学はしやすくても、卒業は難しい学校でもありました。
しかし、今では、高校への進学率はほぼ100%となり、進学するのが当たり前、卒業するのも当たり前の学校となりました。結果として、高校卒業は、社会に出るための「最低限の資格」とみなされるようになっています。こうしたなか、通信制高校にも、生徒が卒業できるようきちんとサポートすることが強く求められるようになっているわけです。
多様な学習経験を持つ人々を「いつでも・どこでも・だれでも」受け入れるという理念は、昔から変わらないものだと思いますが、高校へいく人々の層が広がった結果として、通信制高校を必要とする人々のニーズや、卒業の重要性が変化してきたということはとても大きいのではないかと思います。
――発達障害がある生徒の受け入れに特化した通信制高校ができたり、あるいはパソコンやスマートフォンで動画授業を受けながら高校卒業の資格を目指すバーチャル高校ができたりと、現在、通信制高校は多様な展開がなされている印象です。
土岐 通信制高校での学習は、何回以上のスクーリング(いわゆる授業)を受け、何通以上のレポート課題を提出し、テストを受ける、という全国共通のルールにそって進められます。ただし、その基準をクリアするためにどういったスケジュールを組むかということは、各学校に任されています。
現在の通信制高校をみると、公立の通信制高校の場合、月に数日から週に一日程度登校して、スクーリングを受ける「従来型」のスタイルがほとんどです。一方、私立の高校の場合、「従来型」以外にも、生徒の登校スタイルには様々なバリエーションがあります。その次に広まったのは、スクーリング以外の時間はゆっくり体を休めようという人や、自分の夢や仕事に時間を使おうという人のため、年に数日間、集中的にスクーリングを実施する「集中型」のスタイルです。
しかし、自分一人で学習を進めることが難しい、また、日常的に通う場所が欲しいという生徒も少なくなかったことから、普段、通える場所を用意したのが通信制高校サポート校と呼ばれる施設でした。しかし、こうした「ダブルスクール型」の方法には、学費が二重にかかるといったマイナス面もあり、通信制高校自体が、様々な体験活動を行う場合や、毎日選択授業を受けられる「通学型」のコースを設置している場合も多くあります。
通信制高校のなかには、もともと塾やサポート校を運営していた企業が学校を設立するというケースもあり、発達障害を持つ子どもの支援に関するノウハウがあったり、web上でのコミュニケーションツールを活用できたりという企業の強みも、高校の特色に繋がっています。
――かなり自由度が高いんですね。
土岐 そうですね。学習スタイルや選択科目等は多様化しています。そうしたなかで、通信制高校(とくに私立)に求められているもっとも大切な部分というのは、毎日の通学が必須ではなく、対面以外にも様々な方法でコミュニケーションが取れるということと、行きたいときに行くことができ、サポートしてくれるスタッフや友人がいる場所があることではないかと思います。
こうした高校がもつ働きをまとめるなら、おもに10代から20代前半の若者を対象として、彼らが、自分の状態に応じて通学スタイルを柔軟に変化させながらも、留年をすることなく高校卒業資格を得るとともに、進路を決定できることだといえるのではないかと思います。
――内田さんは通信制高校の卒業生から、彼ら彼女らの「想い」や「生活の実態」を発信してほしいと託されたとのことですが、社会に伝わっていない通信制高校の「リアリティ」とはどのようなものなのでしょうか?
内田 たとえば、通学型の通信制高校やサポート校では、全日制高校よりも始業時間を戦略的に少し遅めに設定するケースがあり、一般的に在校時間と思われる時間帯に登校を行うことがあります。
そうなると、「どうしてこんな時間に高校生が歩いているんだ?」と不審に思われたり、ときには誤解されたりして、職務質問を受けることがあります。こうした場合、通信制高校やサポート校といった教育機関に対する認知度が依然として十分ではないため、たとえ生徒が学生証を提示して説明しても、すぐには理解してもらえない場合がある。
結果的に、生徒たちは、ただ学校の規則に従って登校しているだけなのに、とても切ない気持ちになってしまいます。これは、私がこれまで研究でかかわってきたなかで実際に目にした事例です。
また、なかには自分のアルバイト代で学費を負担している生徒や、「前籍校」(通信制高校や提携するサポート校に転編入学する前に通っていた高校)の制服を着用して登校する生徒もいました。
まだまだ語り尽くせないたくさんのエピソードがありますが、こうした通信制高校の「リアリティ」にこそもっと社会全体が関心を持ち、目を向けて欲しいと思いますね。
なぜ私立通信制高校は急増しているのか?
――みなさんは、いま「なぜ通信制高校は増えているのか? その歴史的経緯を明らかにしたい!」というプロジェクトのためのクラウドファンディング(https://camp-fire.jp/projects/view/21693)をなさっています。目的を教えてください。
内田 1990年代半ば以降、通信制高校の生徒数全体はそれほど増えていない(約16~19万人を推移している)のですが、公立校の生徒数は減少し、一方で、私立校の生徒数は増加しているといった具合に、その構成が大きく変化しています。
また、学校数でみても、公立通信制高校は過去25年間でほぼ変化していない(微増傾向程度である)のに対し、私立通信制高校は急増しています。このように、私立通信制高校に焦点を当ててみれば、その生徒数や学校数は1990年代中盤以降、顕著に増加していることを確認できます。
一体なぜこのような変化が起きているのか? 1990年代以降の私立通信制高校における学校数増加の理由について実証的な調査研究を進めていくことが、私たちのプロジェクトのおもな目的です。
――どのような理由が考えられるのでしょうか?
内田 今のところ、私たちはこれまで個々で進めてきた文献調査等から、二つの理由を考えています。一つ目は、通信制高校に関する教育政策の変化(マクロレベル)、二つ目は政策変化を受けた通信制高校設置者側の敏感な反応(メゾレベル)、です。
通信制高校に関する教育政策としては、たとえば、1988年の学校教育法改正(いわゆる「三修制」の導入)や、2003年施行の『構造改革特別区域法 特例番号816「学校設置会社による学校設置」』(いわゆる「教育特区制度」)、2004年の通信教育規定の改正(設置基準の大綱化)などをあげることができます。
こうして私立通信制高校の増加に関する政策的な土台がコンスタントに整備されていきますが、そのことによって、政策変化を受けた通信制高校設置者側の敏感な反応が喚起され、私立通信制高校が設置されて増加していったのではないか。このような仮説を立てています。
――教育政策の変化と、その変化への私立通信制高校の適応戦略を明らかにするわけですね。
内田 現段階ではそのように考えています。また、こうした仮説に加えて、従来、多様なニーズに応えていた各種教育・支援機関が、生徒・利用者の高校進学・卒業ニーズに応えるために、通信制高校のサポート校的機能を果たすようになった。
そして、そうした教育・支援機関が通信制高校と連携すると、提携する高校の方針によって教育内容が制限されてしまうため、自分たちで学校教育まで一括して行えるように自前の学校を設立した(サポート校的機能を果たしていた各種教育・支援機関が通信制高校として独立した)という流れも想定しています。
しかし、これらの推測はあくまで限定的な文献調査や周辺的なデータを介した間接的なものでしかなく、裏づけが不十分であり実証性に乏しいという課題があります。
――その部分を実証的に詰めていくのですね。
内田 はい。このプロジェクトでは、通信制高校に関する教育政策の詳細な文献調査を継続して、その変化の流れを精緻化します。その上で、そうした政策変化に対して設置者側がどのような教育理念や教育ニーズに基づいて学校設置に至ったのかを、1990年代中盤~2000年代にかけて設立された私立通信制高校の設置者へのインタビュー調査によって明らかにします。そうすることで、1990年代以降の私立通信制高校の学校数増加の背景要因を詳細に検討していくことを目指しています。
こうした手順を経ることで、通信制高校が急激に増えてきた歴史的な経緯を明らかにするとともに、通信制高校が、不登校や高校中退など、多様なニーズを持つ生徒たちへの対応という重要な役割を果たすようになった、その端緒を紐解いていけると考えています。
ご支援ください!
プロジェクトチーム「なぜ通信制高校は増えたのか?」によるクラウドファンディング「なぜ通信制高校は増えているのか? その歴史的経緯を明らかにしたい!」をぜひご支援ください!⇒ https://camp-fire.jp/projects/view/21693