2015.04.27
人の寿命を決めるのはなにか――社会と健康の関係を見つめて
「健康で長生きしたい」と誰もが願望を抱くのではないでしょうか。けれど、健康的な生活は努力しようとしてもなかなか続かないもの。それは私たちを取り巻く環境や社会が原因なのかもしれません。今回の「高校生のための教養入門」は、そんな健康と社会との関係の研究する社会疫学者の近藤尚己先生にお話を伺いました。(聞き手・構成/岩沢康宏)
社会状況が健康を決める?
―― 先生のご専門は何でしょうか。
専門は医学で、その中でも社会疫学の研究を行っています。
――社会疫学とは何でしょうか?
社会疫学は疫学という学問のひとつです。疫学というのはたくさんの人たちの様々な生活状況を長年追跡して、誰が長生きするのか、誰がどのような病気になったかなどを観察して、それを統計的に処理することで、病気の原因を探ったり、病気の予防法を検討したりする学問です。
例えば、たばこを吸う人が肺がんになるリスクが高いことや、高血圧になると脳卒中になりやすくなるといったことを明らかにしたのは疫学研究の成果です。こういった危険因子を明らかにして、病気の予防に生かしていこうというのが疫学研究の目的です。
これまでの疫学研究を通じて、生活習慣が私たちの健康を決める要因であることがわかってきました。でも、生活習慣を改善するのは難しいんですよ。
例えば、肥満の人にお医者さんが「このままだと病気になりやすいから、運動するようにしましょうね」と言っても、「はいわかりました」とすんなり従ってくれる人はほとんどいません。なぜなら、そういう生活習慣を規定している「上流」の問題があるからです。
―― 「上流」とは何でしょうか?
たとえて言えば、病気の患者さんは川の上流で落とされて、下流に流れてくるというイメージです。下流で医師が治療をするわけですが、上流には「病気製造工場」みたいなものがあって、それがどういうものなのかを明らかにして、改善していかないと患者の数は減っていかないわけですよね。
そういう上流にある問題というのが、社会経済的な状況や住環境、人とのつながりなどの社会背景なのではないかと。そういうコンセプトで、個人の健康を決める社会的な要因を発見する学問が社会疫学です。
―― 社会的な要因で私たちの健康状態が変わるのですか?
わかりやすい例だと、日本人と、ホノルルに住んでいる日系人とサンフランシスコに住んでいる日本人あるいは日系人を調査した移民の疫学研究があります。どの人も遺伝子的には似ている。
けれど、環境の違いによって肥満度が違うし、心臓病などの循環器系の病気で亡くなるリスクも違ってしまう。この結果は生まれ持ったものではなくて、置かれた環境による要因が人の命を決めるという証拠ですよね。
「モノ」と「気持ち」の問題
―― その他に社会的な要因にはどのようなものがあるのですか?
まず、所得の格差や貧困は大きな社会的な要因です。お金持ちの方が貧しい人より長生きすることが明らかになっています。
―― なぜ貧しい人の寿命は短いのでしょうか。
お金がないとちゃんとしたものを食べられないし、住環境も悪くなってしまって不健康になってしまうんですね。衣食住に事欠いてしまうと、極端な話、餓死や凍死のリスクも上がってしまう。また、お金がないと十分な医療を受けることができない。金銭的なコストだけでなく、時間のコストや精神的なコストを考慮すると、お金がない人にとって病院に行くという選択はしにくいものなのです。
こういう「モノ」の問題というのが健康に影響を与えていると考えられます。でも、それだけじゃなくて「気持ち」の問題というのも大きな原因となります。
―― 「気持ち」の問題というと?
私たちの研究を通じて、アメリカやブラジルのような所得格差が大きな国と、日本やスウェーデンのような格差が小さい国の平均寿命を比較すると、格差が小さい国の平均寿命の方が長い、ということが明らかになりました。
格差が大きい国では、先ほど話したような「モノ」が不足した貧困の人が多くなって、平均寿命を押し下げているということも原因として挙げられます。ところが、意外なことに格差が大きい国ではお金持ちの人も早死にするリスクが上がっていたんです。
まだまだ議論の余地がありますが、これは「気持ち」の問題が原因だろうと考えています。例えば、自分が1000万円稼いでいたとしても、周りのライバルたちが1500万円、2000万円稼いでいたらどうでしょう?妬んだり悲しい気持ちなったりしますよね。
格差社会では、自分と周りとの差がどんどんと広がってしまう。ライバルたちが次々に高級車に買い替えているのに、自分はそうじゃない、となると精神的なストレスがたまっていく。その結果、不健康になってしまうわけです。
たかがストレスで?と思うかもしれませんが、こころのストレスやネガティブな感情が想像以上に「悪さ」をすることが、行動科学や脳科学、社会心理学、社会疫学など、様々分野の研究で明らかになってきています。ストレスがかかると、人は感情的になって、冷静な判断や選択をしづらくなります。さらに、ストレスそのものが、血圧を上げたり、免疫機能を落としたりと、からだに直接悪影響を与えることもわかってきています。
人はひとりでは健康になれない
―― 健康には複雑な要因がかかわってきているんですね。
簡単に言ってしまえば、人は一人では健康にはなれないってことです。社会から孤立して生きるのはたいへんです。だから、人と人とのつながりというのも健康を決める要因のひとつです。
実際に、友達が多い人ほど長生きするという報告が多くなされています。たとえば、困ったときや悲しいときに寄り添って助けてくれる人がいないと命は短くなってしまうんです。
面白いことに、これまで話してきたような、お金や人間関係が健康に与える影響は男女で結構異なるんです。
たとえば、貧困になってしまった場合、男性は早死にするリスクが上がるのに対して、女性はそれほど上がらない。ただ、貧困に加えて、「友達がいない」という条件が加わると女性の早死にするリスクが2倍近く上がってしまうんです。女性はお金がなくても、友達とのかかわりでうまくやっていけるのかもしれません。ですので、友達がなくなってしまうということは、女性にとってはお金がなくなること以上に深刻なのかもしれません。
結婚したパートナーに先立たれた場合、その後に死亡する確率はどのくらい上がるのか研究したことがあります。よく、「おばあちゃんが亡くなったら、後を追うように、おじいちゃんも逝っちゃった」というような話を聞きますよね。逆に、おばあちゃんが後を追うように・・という話はあまり聞きませんね。こういう話は本当にあるのかどうか、統計データで検証してみたのです。
その結果、たしかに、男性は奥さんやパートナーが亡くなるとあとを追うように死んでしまうことがわかりました。奥さんやパートナーが亡くなった後、6か月以内に亡くなる確率が20%くらい上がるんです。
女性の場合も、もちろんパートナーに先立たれると亡くなる確率は上がるのですが、たった3%上がるだけなんですよ。よく聞くあの話は本当だったのです。多分、女性は旦那さんに先立たれても家庭外で新しいつながりを持つことがうまくて、反対に男性は下手なんだと思いますね。
――この女性と男性の寿命の話は、よく聞きますが、社会疫学の観点からも明らかになっているんですね。
思わず健康になる社会づくり
――社会疫学の知見はどのように生かされているのですか?
日本では、21世紀に入って間もなく、厚生労働省などの呼びかけで「痩せましょう」「血圧下げましょう」「塩分は控えめにしましょう」といったメッセージを広めて、個人の努力で健康づくりを推進するような活動が盛んに進められました。でも、成果はあまり出ませんでした。
それで、個人の努力に任せるのでは限界があるから、「少ない努力でも、おのずと健康になるような社会づくり」を目指すように、数年前にぐっと戦略を変えました。これは社会疫学の貢献のひとつだと思います。
――おのずと健康になる、ということが大事なんですね。
そうです。人間ってどうしても理論的でなく感情的に動くものだろうと思います。20年、30年後の健康よりも、目の前にある今日、明日の楽しいものに手を伸ばしてしまうんですね。
例えば、試験勉強中に夜食として、ポテトチップスか野菜サラダを選べるとしたら、どうでしょう?余裕があるときは健康に気を使ってサラダを選ぶかもしれないですが、ストレスがたまって気分を変えたいときにはついついポテトチップスを選んでしまう。僕も試験前や仕事の締め切り前は絶対ポテチです。わかっちゃいるけどやめられません(笑)。
そういう個人個人の優先付けは、心理状況だったり社会的な状況だったりによって決まるわけです。そういう社会的な条件を考えて、思わず健康にいい行動をしてしまうような社会を作っていければいいと思います。最近は、そういう「仕掛け」の効果を実験的に証明するような研究しています。
――もし可能なら、その「仕掛け」がどういうものか教えてもらえませんか?
例えば、さきほどの夜食のポテトチップスがとてもヘルシーだったら、思わずとった行動が健康的になるわけですよね。
その他にも、健診の受診率を上げるにはどうしたらいいのか、という問題も、健診に行くという選択の優先順位を上げる仕掛けがあればいいわけです。
例えば、おまけがもらえるとか、ポイントがたまるとか。もし、健診スタッフがイケメンだったり美人だったりしたら、その人に会いたくて健診に行きたくなるでしょ?(笑)。
そういう風に、理屈じゃなくて単純に楽しいことをしたら、健康になるような仕掛けを作っていければいいなあ、と考えています。【次ページに続く】
「人って何だろう?」
――社会疫学の魅力を教えてください
「自分って何だろう?」とか「人間って何だろう?」という問いに向き合えることですね。
――え? そうなんですか?
「人って何だろう?」ってほとんどイコール「社会って何だろう?」なんですよ。人間がここまで繁栄してきたのは、複雑で効率的な「社会」というものをつくる能力を獲得したからなんですよ。逆に言えば、社会と個人は切っても切れない関係にあります。だから、社会と個人の関係を見ていくことは、自分自身の理解にもつながっていくんです。
例えば、さきほど、僕らが想像している以上に、人間というのは感情的にいろんな行動をとってしまっている、それが不健康な行動にもつながってしまっているということをお話ししました。「感情的に動く」というのは良いことでも悪いことではなくて、それが人間そのものなんだと思います。良かれ悪かれ、社会も、そういう一人ひとりの行動が集まってできているはずですよね。
社会疫学は、そういうことを客観的に理解したうえで、みんなで平和に、健康的にやっていくにはどうしたらいいかっていう考察にもつながっていくんだと思います。
――そういったことを考察していくうえで、社会疫学の利点とは何でしょうか?
同じようなテーマを扱っている学問分野は他にもいろいろあります。たとえば、経済学や社会学です。社会疫学の最も大きな利点は、健康を尺度にして考察できるという点かと思います。
まず、健康は測りやすい。「幸せ」を測ることは非常に難しいけれど、健康かどうかは、たとえば「長く生きるかどうか」で測定できます。だから客観的に評価しやすいんですね。それでいて、健康であることは「幸せ」の一つの条件だから重要な要素です。
あと、健康を尺度にすると話がしやすくなるという利点もあります。例えば、最近、日本を含めたたくさんの国で所得格差が広がっているということが話題になっていますよね。でも、格差が広がったとしても「それでどうなるの?どう悪いの?」という疑問もでてくる。
格差がなければ競争がなくなって、経済が発展しない、という意見もあります。ですので、格差がゼロの社会というのもよくないかもしれない。
じゃあ、どのくらい格差が広がるとマズイのか、を考えたい。そのときに、健康への影響や、健康そのものの格差を取り上げるとわかりやすくなると思うんですね。社会の中で、長生きする人と早死にする人の数に大きな差があったら、「それってどうなの?」という話につながっていくと考えています。
このように健康を軸にすれば、どうやってよりよい社会をデザインしていくかのヒントが得られると思います。
医療は文系の世界
――先生はどんな高校生だったのですか?
高校時代はバンドをやっていました。満員電車の中でバンド仲間と、「人間は自分勝手だ」とか「よく生きるとはなんなのか」とか、青臭い議論をしてたのが懐かしいです。
学校で環境問題とか習ったときは、僕が「人間の行為だって自然なんだから、環境破壊もしょうがないじゃないかなあ」とか言うと、ギタリストのやつが「いや、人間は力を持ちすぎたんだ」と言い返したりして……周りの大人はどういう目で見てたんだろうなあ(笑)。
――その後、なぜ医学部を選んだんですか?
「人って何だろう」という問いは常にあって、文化人類学とかにも興味があったんだけど、理系の科目が好きだったこともあり、自然科学の考え方で追及するのほうが性にあっているように思いました。それで、理系の医学部だったら精神医学とかあるし、そういうことを学べるんじゃないかと思ったのがきっかけですね。だから、僕の場合は、必ずしも医者になりたかったから医学部に、というわけではありません。
――医学部というとバリバリの理系という印象があるので、意外ですね
医学の中でも、分子生物学などの基礎的分野は純粋なサイエンスといえるけど、医療という行為自体はどちらかというと理系じゃなくて文系の世界じゃないかな。医学知識を使って人を治療するというのは社会的な側面をたくさん持っています。
病気だけを見ているだけでは良い医者にはなれなくて、ちゃんとその人の周りの社会や、周りの人たちとのつながりを見ないといけないんじゃないかな。だから、理系だけど、そういう社会的なことを学びたいという人に医学はおススメですね。
――最後に高校生にメッセージをお願いします!
1つのことを追求することはすごく大事です。だけど、よく見てみると、その1つのことにはいろんなことが関わっている。だから、いろんなことに関心を持って、勉強をして裾野を広げていくということもとても大事だと思います。
健康とか医学について勉強する場合は、教育とか政治とか経済とか心理とか、そういったことに興味を持って裾野を広げておけば、応用がすごく効いて楽しい勉強ができると思います。
社会疫学がわかる! 高校生におススメの3冊
社会疫学を生み出しリードしてきた第一人者がハーバード大学で行っている超人気授業を日本の一般の人に向けて書籍化した貴重な一冊です。ユーモアを交えつつ、格差や貧困、人とのつながりといった社会的な要因がどのように私たちの健康に影響を与えるのかを解説してくれます。
NHKニュースウェブなどに出演している、おなじみの公衆衛生研究者・石川氏による書下ろしの一冊。人とのつながりの大切さを彼流にわかりやすく解説しています。とても読みやすい本です。
景気が悪くなると、お金に困る人が増えます。お金は健康の維持には不可欠なので、政府の景気対策は健康のためにもとても大事。景気対策をうまくやらないと、たくさんの人が死んでしまったり、一部の人だけに恩恵が偏って、健康格差が広がってしまいます。この本は、世界中の国々が行ってきた景気対策の歴史を探り、その国の人々の健康にどう影響を与えてきたかについて、データで掘り下げた数々の研究成果をわかりやすく解説しています。社会のしくみがこんなにの人々の命を左右するのか、ということに驚くと思います。少し難しいかもしれませんが、読みごたえのある一冊です。
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プロフィール
近藤尚己
東京大学大学院医学系研究科准教授。1974年東京都町田市生まれ。山梨医科大学卒業、同大学院医学系研究科博士課程修了。ハーバード大学公衆衛生大学院研究フェロー、山梨大学講師などを経て現職。臨床医として病院に2年間勤務した後、多くの人が病気にならずにすむような「健康な社会」づくりに貢献したいと考え、公衆衛生の研究をはじめた。著書に、「社会と健康 健康格差解消に向けた統合科学的アプローチ」(編著)(東京大学出版会)、ソーシャル・キャピタルと健康政策 地域で活用するために」(日本評論社)、「臨床医のためのパブリックヘルス」(中外医学社)などがある(いずれも共著)。趣味はトレイルランと野菜づくり。コメントはウェブサイト「健康なまちづくり研究室」で受け付けています。(http://plaza.umin.ac.jp/~naoki_kondo/index.html)