2016.10.03
植物最大の謎に挑む――花成ホルモン「フロリゲン」の可能性
私たちの身近にある植物は、どうやって花を咲かせているのか? その最大の謎が、最近の研究でようやく明らかになってきた。最前線で活躍する研究者たちのインタビューをお届けするシリーズ「高校生からの教養入門」。今回は、花と実りをもたらす植物ホルモン「フロリゲン」の研究者、横浜市立大学・木原生物学研究所の辻寛之准教授にお話を伺った。(聞き手・構成/大谷佳名)
花成ホルモン「フロリゲン」の正体
――辻先生のご専門の分野について教えてください。
専門は植物の発生学です。植物が生まれ、個体として成立していく過程を分子レベルで調べています。地球上に生命が生まれて数億年経っていますが、その間、植物もさまざまな進化を遂げてきました。植物たちが環境の変化にどのように適応し、生き延びてきたのかを明らかにすることが研究の大きなテーマとなります。その上で重要なキーとなる、生殖を司る植物ホルモン「フロリゲン」の研究を現在進めているところです。
――フロリゲンは、花をつくる働きがあることで「花咲かホルモン」とも呼ばれていますが、その正体は長い間謎のままだったんですね。
フロリゲンの存在は1937年に予言されていましたが、その正体が明らかになったのは最近のことです。それまでは教科書にも「未知の物質」などと書かれていました。数多くの研究が蓄積された結果、ついに2007年、僕も参加していた奈良先端科学技術大学院大学の研究グループが「フロリゲンの正体はHd3aと呼ばれるタンパク質」ということを明らかにしたのです。
そして昨年、僕らのグループがフロリゲンの働く過程を可視化することに成功し、花をつくるプロセスが初めて分子レベルで明らかになりました。
――フロリゲンの働きについて詳しく教えてください。
一言でいうと、植物が花をつくり始めるためのスイッチとして働きます。
まず、植物の茎の先端には幹細胞というものが存在します。幹細胞がどんどん分裂することでひたすら葉がつくられていく。それが植物の発生のデフォルトの状態です。
ところが、フロリゲンが移動して茎の先端に到達すると、幹細胞の性格をがらりと切り替えてしまい、花をつくるように変化させるのです。今回の可視化によってその詳細なプロセスが明らかになりました。
――緑に光っているのがフロリゲンですね。こんなに分かりやすく可視化できるとは驚きです。この可視化技術も、辻先生のチームが開発した独自のものだそうですが、どうやってフロリゲンを光らせているのですか?
フロリゲンの正体はタンパク質ということを利用しました。「フロリゲン遺伝子が組み込まれたタンパク質」ということは、遺伝子情報を改変して光るように細工することが可能です。8年前に日本人の下村脩氏がノーベル賞を受賞したクラゲの緑色蛍光タンパク質(GFP)を応用し、元の機能を持ったまま光る機能も併せ持つように加工しました。
そしてGFPの光の移動を追跡することで、フロリゲンの動きを捉えることができたのです。フロリゲンは葉でつくられ、茎の先端まで移動していました。植物は葉で季節を認識して花を咲かせます。つまり、フロリゲンには「そろそろ花をつける季節ですよ」と茎の先端に伝えてあげる、長距離伝達の機能もあるということが分かりました。
――花を実際につくるのはフロリゲンではなく、茎の先端の幹細胞なんですね。
そうです。フロリゲンは幹細胞内の遺伝子を活性化することで「花を作れ」と命令します。この写真は、花をつくる実行部隊となる遺伝子をフロリゲンが活性化させている様子です。オレンジ色に光っているのがその遺伝子です。
これは、「ジーンターゲティング」という技術を用いてつくった特殊な稲で、フロリゲンによって活性化されるとオレンジ色に光るよう加工しています。ジーンターゲティングとはDNAを狙い撃ちで書き換える方法で、まだ植物においては僕らの共同研究者しかできない技です。
――フロリゲンの働きは、植物にとってどのような意味をもつのでしょうか。
花をつくることは植物にとって最も激しい変化です。そもそも植物は葉を作り続ける限り、つまり幹細胞が生きている限り、何千年も生きていられるのです(屋久杉など)。ところが、あるとき幹細胞の性質が一変し、花をつくり始めます。
そして最後はどうなるかというと、花の中に花粉ができ、雌しべができて、両者が受精して種をつくり、次の世代に遺伝子を伝えます。その時点で個体としては死んでしまう。つまり、自分の死ぬタイミングを決めて、その代わりに確実に子孫を残すわけです。その重要なプロセスにフロリゲンが大きく関わっています。
「利己的な遺伝子」から花を守る
――フロリゲンは植物が子孫を残していく上で重要な働きを持つのですね。
はい。さらにもう一つ、僕らの研究で明らかになったことがあります。フロリゲンは花をつくるスイッチを押すだけでなく、遺伝子を破壊するものから守る働きもあるのです。これまで想像もつかなかった、フロリゲンの新しい機能の発見です。
――遺伝子を破壊するものとは何ですか?
トランスポゾンと呼ばれる「動く遺伝子」です。「利己的な遺伝子」とも呼ばれています。というのも、トランスポゾンは染色体上をあちこちに飛び回り、自分自信をコピー&ペーストして増やしてしまうからです。そして、ペーストした先にもともとあった遺伝子は破壊されてしまいます。
これが厄介なのは、もし重要な遺伝子がトランスポゾンによって破壊されてしまうと、その個体は変形してしまったり、死んでしまう可能性もあるのです。たとえば、トウモロコシの形は遺伝子破壊によって変形した後のもので、もともとは全く別の形をした植物でした。その変化には間違いなくトランスポゾンが関わっていたことが知られています。
それくらい大きな変化を及ぼすわけですが、実は人間もDNAの半分くらいがトランスポゾンで埋めつくされています。トウモロコシは8割、稲も4割がトランスポゾンです。
――そんなものがたくさん飛び回っていたら、植物も人間もいつか死んでしてしまうのではないですか?
それを防ぐために、すべての生物はトランスポズンを眠らせる仕組みを進化の過程で獲得しているんです。逆に言えば、そうした生物だけが今日まで生き残っているわけです。
植物にとって、花は次世代に遺伝子を伝える生殖器官です。その最も重要なプロセスなので、より厳密にトランスポズンを抑え込まなければいけません。その働きをフロリゲンが担っていることが、僕らの研究で明らかになりました。
具体的には、「次世代シーケンサー」という最先端の技術を使って調べました。次世代シーケンサーとは、一度に4、5億塩基ものDNA配列情報を調べられるというもので、最近、革命的に生物学を変えつつあります。
それと茎の先端部分のみを取り出す繊細なサンプリングを組み合わせることで、まさに今フロリゲンによって活性化している最中の幹細胞の様子をかなり網羅的に調べることができました。その中で、トランスポズンに特徴的な変化が起きていることが発見されたのです。
生物の進化は「偶然」の結果
――開花のタイミングも、フロリゲンが決めているのですか?
いいえ、そこは別のプロセスです。フロリゲンがかかわるのは花(つぼみ)をつくるところまでです。とは言っても多くの場合、つぼみができると間もなく開花します。稲もつぼみができるとすぐに開いてお米をつくっていきます。
ところが、たとえば桜などの特別なケースもあります。桜は初夏にはフロリゲンが働いて花をつくるのですが、その状態のまま、次の年の春まで寝かせてしまうんです。
――そんなに早くから花ができているんですね。なぜそれほど時間がかかってしまうのでしょうか?
おそらく進化の過程で偶然そうなってしまったからでしょう。ほとんど全ての生物の進化はそうで、絶滅しなかったからそのまま残っているだけなんです。開花のプロセスは、まだほとんど詳しいことが分かっていません。桜は2月からの積算気温が600度を超えると開花することが知られていますが(この方法で桜の開花予報が出されています)、そのメカニズムはさっぱり想像がつかないんです。
その日の気温を正確にはかり、1日1日足し算をしながら記憶していく。実は稲も同じ仕組みを持つことが、農家の人々の間では古くから知られていました。とくに稲は花をつくるプロセスがフロリゲンのみによって支配されているので、気温の積算にもかならずフロリゲンが作用しているはずです。僕たちは今、そのメカニズムを明らかする研究を、ちょうど始めたところです。
――フロリゲンには気温を積算する働きもあるかもしれない、ということなんですね。稲の花はフロリゲンのみにコントロールされているということですが、逆に、フロリゲンを必要としない植物もあるのですか?
はい、あります。たとえば、実験用の植物として知られるシロイヌナズナなどがそうです。フロリゲンが完全に存在しない状態でも、別の方法でフロリゲンがあたかも働いたかのような状況を作り出し、花を咲かせてしまいます。シロイヌナズナは雑草なので、なんとかして子孫を残さなければならないという圧力の中で進化してきました。その過程で、こうした仕組みを獲得したのだと考えられます。
一方で稲は、適切な時期に咲いてもらわないと僕たち人間が飢えて死んでしまいます。ですから、人間の手によって余計なシステムを切り落とし、今のような仕組みに改造されてきたのです。
フロリゲンで私たちの食が変わる?
――自然環境に適応して進化してきた植物もあれば、人の手が加わって進化してきた稲のような植物もあるんですね。
たとえば、北海道は今では有数の米どころですが、明治時代までは一切お米が獲れず、不毛の大地と呼ばれていました。稲はもともと温暖な東南アジア出身の作物だからです。そこで昔の人々は秋になる前に花をつける早咲きの稲を選抜し、それらを育てることで収穫量を増やしていきました。
最近の研究によって、その稲にはフロリゲンの量を増やす遺伝子が含まれていたことがわかっています。もちろん当時はフロリゲンなど知られていないので、たまたま農家の人はその遺伝子を選んだわけです。もし選択を間違えると人が飢えて死ぬかもしれないというギリギリの戦いだったと思います。
しかし、フロリゲンの正体が明らかになった今なら、直接フロリゲンの量を増やして花をつけるタイミングを早めることが可能です。あるいは逆に量を減らして、都合の悪い時期をやり過ごすという応用も考えられます。
また、これまでにないような質の良い品種をつくることも期待できます。品種改良では、たとえば病気に強い品種と味の良い品種を交配する(かけあわせる)ことで、両方の性質を持つ品種をつくっています。ところが、両方が同じ時期に咲かないと交配がそもそも成立しないんです。これが未だに克服できない大きな問題でした。そこで、フロリゲンを使って無理やりタイミングを合わせてやる。今までできなかった組み合わせで交配できるチャンスが増えるかもしれません。
――フロリゲンは私たちが食べて生きていく上でも必要なものなんですね。フロリゲンの研究が進めば、いろいろな応用が考えられそうです。
フロリゲンは花の他にも、じゃがいも、玉ねぎ、トマトをつくることが知られています(注)。これら人間にとって重要な作物たちがフロリゲンによって作られているわけです。
また、食べ物だけなく、別の応用も考えられます。たとえば、バイオエネルギーです。植物は花をつくると、花に多くのエネルギーを送り込むので全身の代謝が変わってしまいます。そこでフロリゲンの量をぐっと減らし、花を作らず葉と茎だけ作るようにしてやれば、それだけ多くのバイオマスが稼げるようになります。
(注)同じフロリゲンがあるときは花をつくり、あるときは芋をつくる仕組みも分かってきた。フロリゲンは単体としては働かず、かならず「フロリゲン活性化複合体」(図)という構造体をつくる必要がある。 茎の先端で待ち構えていたフロリゲン受容体とDNA結合因子に合体し、図のような複合体となる。ここで、花用のDNA結合因子がくっつけば花ができ、芋用のDNA結合因子がくっつけば芋が作られる。
――今後はどのような研究を進めていきたいとお考えですか?
僕たち研究者は、他のどの分野でも応用できるような基礎的な発見をしなければならない、と考えています。なので、今後はフロリゲンの働きの全体像を分子レベルで明らかにすることに集中していきたいです。そうすれば、すべての植物の研究に応用できる基礎となる知見を提供できると思います。
世界最高の研究は誰もができる
――辻先生は高校生のころはどんな学生だったのですか。
僕は高校のころまで生物学を選択していなかったんです。ただ、物理や数学は好きでした。「光とは何なのか」「音とは何なのか」「炎と空気の境目はどうなっているのか」とか、根本的な質問を説明づけてくれるものを好んで読んだりしていました。
――生物の研究を始められたのはどのようなきっかけだったのですか。
大学のときに聞いた生物の講義がたまたま面白かったんです。とくに印象的だったのが、ミトコンドリアのDNAの話でした。ミトコンドリアとはほとんどの生物の細胞のなかにあるエネルギーをつくる器官です。その中にも小さなDNAが存在していて、複雑に組み合わさり全体でDNAの機能を果たそうとしている、という話が面白いと思いました。それから分子生物学の研究室に入り、本格的に研究を始めるようになったんです。
――最後に、高校生へのメッセージをお願いします。
僕が大学で教えていてびっくりするのは、学生たちが「自分は世界最高の研究ができる立場にいない」と本気で思っているということです。そんなことは全くなくて、誰でも世界最高の研究は絶対にできるんです。
実は、フロリゲンが細胞内で複合体をつくって働いていることを世界で初めて確かめたのは、僕の研究室にいた修士課程の学生でした。彼女は、とにかく色々な方法を試して独自の実験系をつくり、緑色に光れば複合体ができた、それ以外の色だとできていない、ということで証明したのです。
また、フロリゲンの姿をこれまでで最も精密に撮影したのも修士の学生でした。この写真は高校生物の教科書に掲載されています。彼女たちは超人でも天才でもなく、コツコツと面白い研究をしていただけなんです。
大学進学を考えている方に伝えたいのは、大学は教育を受けるところではなく、研究をするところだということです。研究をするとはどういうことかというと、8割くらいは「本質的で面白い質問をすること」だと思います。質問をして、その時できうる最も直接的な方法で答える。そして新しい発見に辿りつく。そこでは、人類で初めてその結果を目の当たりにする、というオマケもついてきます。
自ら本質的な課題を見つけることができ、あらゆる手を使ってアウトプットをするということは、今の社会が要請する能力そのものであると僕は思います。このプロセスを介してこそ教育は成立するに違いありません。研究と教育をあえて分ける必要もなく、研究をすれば、それはそのまま自らを高めるための「教育」になるということです。
高校生におすすめの三冊
フロリゲン研究の黎明期、若い研究者たちが切磋琢磨しながらその正体を解き明かそうとする姿がいきいきと描かれている。高校の教科書や入試問題に時折登場する実験が、決して超人でも天才でもない大学院生らの研究に基づくことが紹介される。彼らが自ら得た驚くべき実験結果を解釈して真実にせまる姿が印象的である。
現代の生命科学を変えた技術「次世代シーケンサー」。そのデータ解析手法の解説書であるが、本当に新しく力のある技術が生まれて、それが広がっていくときのワクワク感が感じ取れる。公開データとフリーのツールを駆使して「自分でやってみる」、体験型の教科書とも言える。
ものごとの見方を変える、着眼点を変える、独創性とは何か、などなど研究者の大事な側面について、リラックスしながら眺めているとイメージしやすくなる。
プロフィール
辻寛之
横浜市立大学・木原生物学研究所 准教授。東京大学・大学院農学生命科学研究科 博士課程修了。博士(農学)。2015年 日本育種学会奨励賞受賞。花と実りをもたらすもの・フロリゲンの分子機能の解明と、いつでもどこでも実りの世界をめざした研究を行っている。
http://hiroyukitsuji.tumblr.com