2011.03.16
政府には勇気を、マスメディアには冷静さを
13日の夕刻、筆者の携帯メールに、幼なじみからこんなメールが届いた。「原発大丈夫なのか? 東京まで放射能こんか?」
彼は愛知県に住んでおり、震災当初の本震以外はテレビモニターを通じて情報を得ていることと思われる。予測される余震ではなく、筆者の居住地から200km以上離れた福島第一原子力発電所の事故を心配しているというのは、いかに原発に関するニュースが流布していて、国民の関心を呼んでいるかを如実に示すものと言えるだろう。
今回の震災ではtwitterやfacebookのようなネット媒体が情報伝達に大きな役割を果たしている。原発事故に関しては東京大学の早野龍五教授が冷静かつ科学的に正確なツイートをしていたし(twitter id:hayano)、一般財団法人・サイエンスメディアセンター(http://smc-japan.sakura.ne.jp/)がQ&Aをまとめるなどの情報提供を行っていた。さらに日本原子力学会などプレスリリースを発表して(http://www.aesj.or.jp/info/pressrelease/com_fukushima01_20110316R.pdf)、ベクレルやシーベルトなど専門的な単位を説明するなど、さまざまな情報発信を行い、政府が指示した避難範囲の外側では、人体に対する健康被害が生じない程度のものであることを報じている。
しかし、いくつかの新聞やテレビでの報道ぶりを見ていて、非常に気に掛かることがある。政府なり経済産業省原子力安全・保安院なり東京電力なりの発表側とマスメディアの間に、非常に大きな齟齬というか、深い不信感があるように思われるのだ。一部のメディアで明日にも首都圏が有害なレベルの放射能汚染によって覆われるような見出しが躍るのは、その不信感の現れといえるだろう。当初は避難指示に対して「念のための措置」という説明のみを繰り返し、次第に避難範囲を徐々に広げていくということが、報道側に公表されていない「隠蔽情報」や、危険性の存在を疑わせたことは想像に難くない。
福島第一原子力発電所で1号機・2号機の冷却機能が停止するというアクシデントが生じた当初は情報が錯綜し、「確認しております」「把握しておりません」が乱発され、その混乱ぶり報じる側に強い疑心暗鬼を生んでいたことは間違いないだろう。東京新聞では14日の18面で、「安全?危険?わからない」「伝える気あるのか」といった見出しで枝野官房長官の会見を批判。最初の会見で、法律的な根拠の読み上げを50秒かけ、具体的な説明を15秒で済ませたことに痛撃を加えている。また、原子力安全・保安院の発表は数値や専門用語の羅列ばかりで一般の人にはわからない、という批判も掲載している。
海外にも原発事故の正確な情報が伝わらず、大きな不安を与えているのは事実のようで、民間航空が成田発着便から中部空港へと振り替えたり、フランスが自国民の東京付近からの退避を推奨するなど、諸外国が「過剰反応」を示した。そんな中、在日本イギリス大使館が英政府主席科学顧問をはじめ、数名の原子力に関する専門家が参加する記者会見を行い、今回の事故に対する見解を発表した。
この会見では、科学的な見地から「想定される最悪のシナリオ」から説き起こし、現在の日本国政府および東京電力といった当事者がとっている避難政策・事故対応が適切であることを解説した。
彼らの言う「最悪のシナリオ」とは、燃料棒の融解に伴う大規模な爆発、それに伴う原子炉1基の完全なメルトダウンが生じた場合であり、その場合は50km以上の退避が必要となる状況を指す(ただしさらに2基ないしそれ以上の原子炉喪失した場合でもほとんど状況は変わらないとしている)。しかし、彼らの見解では、海水注入が継続される限り、最悪のシナリオを取るケースは少ないと考えられること、そして東京は福島原発から遠いことの二点から、東京は十分に安全であり、自国民の退去や学校の閉鎖は必要ないと結論づけている。
彼らはチェルノブイリ原子力発電所の事故にも触れ、被覆されていない炉心がメルトダウンを起こして爆発し、何ら制御を成し得ないまま数週間にわたって火災が続いたチェルノブイリの状況は今回の福島とはまったく合致しないこと、さらにこれほどの事故の状況下でも待避範囲50kmで健康被害防止には十分であったことから、現在の避難政策の正当性を説いた。
また、チェルノブイリで放射線による被害が広がった理由として、食物の放射能汚染が測定されなかった上、一般社会への注意勧告が行われなかったために内部被曝(体内に放射性物質がとりこまれたこと)が蓄積されたことが原因として挙げ、福島の事故では現在さまざまな公的・私的機関が放射能レベルを測定しているためほぼ正確な現状把握ができているものとして、安全性の根拠としているようだ。
日本政府の発表においてマスメディアが苛立つ結果になったのは、こうした「最悪のシナリオ」をどう想定していて、どのようにそれを回避するのか、そのビジョンを提示することができなかったからではないだろうか。もちろん、今回のように「想定外」という言葉が連発される中、政府が示す「最悪」がどの程度意味を持つのかという疑問は残る。
しかし、事故が起こった後の状況を把握すれば、科学的根拠に基づいて「最悪の場合でもこの程度で済む」という推論を立てることは可能なはずであった。種々の記者会見で冷静なデータ提供が行われ、回を重ねるたびに向上するレスポンスを見るにつけ、そして今回のイギリス大使館の発表を見るに至り、初動立ち上げの失敗が悔やまれてならない。
しかし、マスメディア側が国民の不安の源泉を政府の無策へのみ帰することができないことは銘記すべきである。先に東京新聞の例を引いたが、事故発生後の12日の朝刊には早くも『86年のチェルノブイリ原発事故に匹敵する国内最悪の原発事故となった』との文章が見える。この時点でチェルノブイリとの類似点はあくまで炉心が融解する、という点のみで、規模や状況などはチェルノブイリと比肩させることはあまりに過剰であったはずだ。
その後も、各新聞・テレビなどでは測定される放射線量を『通常の約何倍』などの表現ばかりを先走らせ、実際に健康被害が出るのがどのくらいの線量なのか、そしてその線量と比較してどのくらい多いのか少ないのかといった「安心のための」情報はほとんど見ることができなかった。
新聞メディアで、航空機で上空を飛行した場合の被曝量、あるいはX線写真やCT撮影などの医療行為からの被曝量と、今回の線量を比較する情報が多く現れたのは15日、16日になってからである。そうした記事には「拡散したらどうするか」といった解説が付随するが、その対処法が「福島原発からどこまでの範囲で適用されるのか」が示されていない点では、読者に不安を煽るだけのものでしかない。
さらに毎日新聞などは『東京駅にも避難者の列』といった見出しの記事を掲載し、『JR東京駅では、平日にもかかわらず、東海道新幹線の切符売り場に名古屋や大阪などへ避難する人々の列ができた。家族全員でマスクを着け、小走りで改札口に向かう姿が目立った。』などと書いている。これを読んでパニックを発する人が現れても、その個人を責めることはできないだろう。
冒頭に記した通り、今回の災害ではSNSなどのネットメディアが大きな力を発揮している。しかし、有益な情報と同時にデマや流言をまき散らしていることもまた事実である。また、誰しもがtwitterを見られるわけでもなく、上記の早野教授のサイトを見られるわけでもない。
冒頭の友人もネット媒体で情報を仕入れるタイプではなく、そうした意味では新聞やラジオ、テレビのような「枯れた」メディアならではの情報伝播力を見くびるわけにはいかない。もちろん意見の多様性は尊重されなければならないし、太平洋戦争当時のような翼賛装置になれと言うつもりもないが、読者・視聴者に安心を届け、一日でも早い生活の復旧に資することもマスメディアの重要な役割であろう。不安を煽り立てることと、注意喚起を促すことはまったく意味が異なるのだ。
政府や東電が懸命に動いていることは理解する。しかし、彼らが何を回避すべく、どう動いているのかを国民に理解してもらうには、彼らが想定する「最悪のシナリオ」も発表する勇気を持つことが必要ではないだろうか。
そして、マスメディアにはその断片をセンセーショナルに報じるのではなく、合理性に基づいた冷静な姿勢もって国民に伝達する姿勢を求めたい。緊張感を保ちつつも、政府・公的機関と相補的に動く体制、それが現在望まれるものであろう。
東電や政府のエネルギー政策が、これまで「原発は絶対に安心・安全である」と言い続け、きちんと利益と危険性の評価軸を示してこなかったことは批判されてしかるべきだ。しかし、それは多くの人が日常に復帰してからでよい。だがそうしたことも含め、日本が新しいリスクコミュニケーションの形を創り上げるきっかけとしていくべきなのだ。
プロフィール
八代嘉美
1976 年生まれ。京都大学iPS細胞研究所上廣倫理研究部門特定准教授。東京女子医科大学医科学研究所、慶應義塾大学医学部を経て現職。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了、博士(医学)。専門は幹細胞生物学、科学技術社会論。再生医療研究の経験とSFなどの文学研究を題材に、「文化としての生命科学」の確立をを試みている。著書に『iPS細胞 世紀の技術が医療を変える』、『再生医療のしくみ』(共著)等。