2014.07.16
生きることを通じてしかできない発見 ―― 「困ってるひと」のタンスの引き出し
突然、原因不明の難病を発病し日本社会をサバイブするはめになった体験を綴り、単行本・文庫あわせて20万部のベストセラーとなった『困ってるひと』(ポプラ社)。あれから3年。絶賛生存中の作家・大野更紗さんが、再び、語り始めた。7月15日に刊行された『シャバはつらいよ』(ポプラ社)。シャバにでた大野さんはいま、なにを思うのか。お話を伺った。(聞き手・構成/金子昂)
ひとりぼっちで生きること
―― 『困ってるひと』の出版から3年、今回、その続きとなる『シャバはつらいよ』を出版された大野さんですが、この間どのように生活は変わっていきましたか?
いま3年って聞いて、「ああ、もう3年も経ったのか」というのが正直なところですね。
一番大きい変化は生活の場が変わったことです。『困ってるひと』の最後の場面で退院をして、外来管理に切り替わってすぐは、物理的に外に出られずにずっと家の中だけで生活している時期も長くありました。そこからだんだん、少しずつ少しずつ、いろいろなプロセスを経て、外に出られるようになったり、いろいろな活動をしたり、大学院に戻ったりして。
この3年間で本当に多くのことが変わりましたが、やっぱり震災が一番大きかったです。震災がいろいろなことをドラスティックに変えたように思います。
―― どんな風に変化したのでしょうか? やはり困難な方向にですか?
そういう面もあります。たとえば家族の面で行ったら、困難な方向に変わるわけですよね。「みんながたいへんだ」という状況の中で、ひとり東京にいる。震災までは、なんだかんだと社会経済的に頼っていた福島の父母や親戚に、どうやっても頼れなくなってしまったわけですから。
治らない病気を、難病を抱えながら、東京で、この社会でひとりぼっちで生きるというのはどういうことなのか、震災をきっかけに迫りくる現実として考えなくちゃいけなくなったという変化はありました。
先生と私の物語
―― 『困ってるひと』でお書きになられている困ってることと、『シャバはつらいよ』でお書きになっている困ってることに、違いはありましたか?
うーん、本質的には変わらないと思うんですよね。
退院したばかりのときは医療依存度が高い状態なので、週に何度も病院にいくようなときもあったんですけども、それもだんだん頻度は低くなっていきます。入院しているときは、医師と患者としての先生と自分の関係が、絶対的な中心にあるわけですよね。先生は私のことを何もかも知っている。それがシャバに出たら、先生と自分との間に、距離も出てくるし、いろいろな要素がたくさん挟まっていくわけです。私についての情報で、先生が知らないことがどんどん増えていくんです。
ただ、病院にいても、シャバにいても、社会にある社会資源ってあんまり変わらないですよね。制度そのものは変わっていない。それでも、先生と私の関係性が変わることで、私の困ることや、私と社会制度との付き合い方はものすごく変わっていく。『困ってるひと』も『シャバはつらいよ』も、関係性も距離感も中心的な課題も変わってきているけれど、先生と私の物語という意味では、共通している話なのかもしれません。
―― 先生と患者さんの関係って具体的にどういうものなんでしょうか?
医師と患者の関係って、すごーく古めかしいテーマですよね。医師がどうしても権威的な立場になってしまう、とか。こういう話は、過ぎ去った過去の古臭い遺物だと、普段恒常的に医療に関わらない人は思うのではないでしょうか。でも、実は『困ってるひと』を書いていたときも、そして2014年の現在においても、当事者の患者さんたちにとっては非常に緊張感のあるテーマでもあります。
難治性疾患の人が関与するのは、主には高度で専門的な医療です。特殊な医療機関で、ユニークで専門性の高いドクターたちと関わらなくちゃいけません。これまで患者さんたちはそうした医療とどうやって付き合ってきたのか、患者さんのQOLのために医学以外のことはなにができるのか。こうした話題が正面切って議論されるようになったのは、案外とここ最近の話なんです。それこそ患者会などの場で、障害者手帳の話や福祉制度の話を気軽にできるようになったのは、この数年くらいの変化なのではないでしょうか。
『困ってるひと』も『シャバはつらいよ』も、あくまで個人的な経験を綴ったものです。その中には、患者さんたちがいままで言えなかったことについて、たまたまかすっている話もあるかもしれないです。
誰にでも手に取ってもらいたい
―― そういう反応は実際にありましたか?
そうですね。『困ってるひと』で、圧倒的に多かった反応は「実はわたしも!」でした。患者さんが「言えなかったこと」っていっぱいあったのだなあと、『困ってるひと』を出版した後にいただいたお便りやメールで知りました。
―― 『シャバはつらいよ』は違いましたか?
『シャバはつらいよ』も、私と同じような難病患者さん、そしてその周囲の反応はたくさんありましたが、もっといろいろな困ってるひとたちが多かったです。例えば、精神障害をお持ちの方、発達障害の人、親御さんの介護をしている人とか、介護職や福祉施設で働いている人……。なんらかの形でケアをしていたり、されている人の反応が『困ってるひと』に比べて多くあったように思います。
うーん、でも、私は読者層や反応とかは文章を書いている時は意識しないので、あんまりわからないですね。
―― 意識しないんですか? 意外です。
「こういう人に届けたい!」って書くわけじゃないから。ごく単純で、読んでくれている人に「おもしろい」と思ってもらいたい、それのみです。
『困ってるひと』の取材でもよくお話したんですけど、ちょっと本が読める中学生から、70、80歳のおじいちゃんおばあちゃんまで、特別な知識とか社会関心がなくても、読み物としておもしろく、誰にでも手に取ってもらえたらいいなと思いながら書いています。
――『困ってるひと』よりもさらに読みやすくなっているので、強く意識されているのだと思いました。というのも使われている言葉が今まで以上に身近に感じたんです。「ナントカカントカ」って難しい医学用語が減って、普段の生活で使うような言葉が増えていて。「どうして同じカギを使うのに、家の鍵穴はふたつあるんだ……つらい……」なんて、「あるある」と思いながら読みました。
全然意識していませんでした(笑)。私は、たぶんですけど、「自分の作品はこんな風に作り込みました」「こんな意図があるんですよ」ってタイプの書き手ではない。読んでくれた人が「こういうことですよね!」とか「こう思いましたよー」って感想を話してくださって、「ああ、そうなのかもしれないなあ」って書いた後で思いかえすタイプの書き手なんですよね。
だから、『シャバはつらいよ』は、『困ってるひと』で医療的なものに目が行っていた自分が、もう少し社会全体とか、市井の生活感みたいなところに近づいているのかもしれないです。
困ってるひとたちの意識の地域間格差
―― 困ってるひとたちを取り巻く社会環境ってどんな風に変わっているんでしょうか?
いろいろな捉え方はあると思いますが、メニューは増えました。社会制度の選択肢は増えたし、障害者総合支援法も施行されて、関連法も整備が進み、障害者権利条約も批准されましたね。東京に限った話ですけど、福祉サービスについては、選択の幅や量は悪くはなっていないと感じます。
でもこれは東京に限った話です。大学院生として、地方に住んでいる患者さんの生活実態をヒアリング調査すると、厳然とした地域間格差があることがよくわかります。それは、サービスの量とか種類とかだけじゃなくて……。たとえば宮城県で難病に対応できる病院は、主には仙台市に集中しています。すると県内の患者さんだとしても、病院までものすごい遠距離移動をしなくちゃいけない。
―― とんでもないお金と時間、労力がかかりますね。
それだけじゃなくて、社会サービスを利用する意識にも違いがあります。一言目はまず、「大丈夫ですから」から始まります。サービス利用について、意識の地域間格差があるんですよ。
初めてインタビューするときが一番緊張しますね。自分を試されてるような気持ちにもなる。患者さんは「困ってることなんて、あまりないですよ」ってずっとお話になるんですよ。
そうして一時間くらい話を聞いていて、「これとこれって大変そうですけど……」と少しお尋ねすると「言われてみれば確かにそうかもしれないなあ……でもうちらは難病患者だから、こんな社会制度使えないよ」という回答がようやく返ってくる。社会サービスを使うことを前提として諦めている状況がある。
都道府県や市区町村の現場の方々が、努力していないとは言いません。めまぐるしい制度の改定のただ中で、よく、ここまでもたせてくださっているとも感じます。ですが、難病については新しい制度について周知や認知はまだまだ低いですし、当事者の方は「傷ついた体験」を持っていることが多いです。
一番困ってるひとの声を伝えたい
―― いまの大きな課題ですか?
いま気になっているのは、社会にいる難病に限らないありとあらゆる困ってるひとたちが、忸怩たる思いを抱えていても、社会システムの変革に繋がるようなチャンネルがない状況です。
―― 困ってるひとたちの声を社会に届ける場がない?
患者会に入るとか、地域の活動に参加するとか、そういうことはあります。でも、本当に深刻な状態に陥っている患者さんは、それすらもできないんです。患者会の集まりがあっても、そこに行くことすら難しい。一番困ってるひとは、待っているんじゃなくて、こちらから探しに行かないと見つからないんです。
そういう人たちは本当にたくさんいますし、そして変えたいというエネルギーを確実に持っているんですけど、それを社会に繋げる回路が、いまはまだないんですよね。
―― どうしていままでなかったんだと思いますか?
「社会変革」って日本はハードルが高いですよね。たとえばロビイストになるにしても、プロフェッショナルな側面がある仕事ですから、現実では限られた人にしかできません。NPO法人を立ち上げるのだって、実際にはそれなりに難しいことです。特に、困ってるひとたちが、思い立っていきなり取り組むには往々として何事もハードルが高い。
普段から地元の議員さんに陳情しに行く人はさておき、いまから議員さんの事務所に訪ねて、お願いをしにいくのは、ただでさえ社会から切り離されてしまっているひとにとっては……。
―― 怖いですね。
そうそう。日本って政治に関与・参与したいって思っても、方法があんまりないんです。私も難病政策の提言をしたりしていますが、ああいう現場ってやっぱりエリート主義的というか、政策論議に対して反射神経の速度が高い人のほうが使い勝手がいいですから、そういう人の声が結局、融通されてしまうところがあるわけですよね。
本当に声の出せない人たちの状況を、代弁するのではなくて、できる限り伝えに行く。できれば、ご本人たちに引き渡す。それができたらいいな、といまは思っています。
誰もがもつ特別なタンスの引き出し
―― 大学院生としての大野さんのご研究であったり、あるいは「見えない障害」をテーマにしたメルマガ・困ってるズ!のような活動を通して、ですか?
そうですね。『困ってるひと』と『シャバはつらいよ』のあいだで変わったことの一つは、困ってるズ!を始めたこと、あとは、わたしのフクシ。や見えない障害バッジといった活動が始まったことだと思います。
囁かな試みですけど、困ってるひとたちが、自分のことを伝えるプラットフォームがわずかながら生まれてきた。そういう取り組みが地道に続いたり、あるいはより発展していくと、変わっていくのかもしれないと思います。
いろいろな困ってるひとがいます。アクティブに活動できる困ってるひとも、本当に深刻で、誰にも気づかれていない困ってるひとも、あるいはアクションを起こすほど困ってるわけじゃないけど、ちょっと困ってるひとだってままいると思います。特に就労されている方だと、就労を維持することで精いっぱいで、自宅に帰ったら体を休めるしかない。アクションを起こす余裕なんてない。社会運動をするよりは、就労を継続するほうが現時点では大切だ、という人もいるでしょう。
そういう人も含めて、もっと気軽に参加できるような方法があったらいいですよね。意識の高い困ってるひとじゃなくても(笑)、ちょっと余裕のあるときに、ポチッとくらいでできることがあったらいいと思います。
人間って、きっと普段はしまっておくんだけど、いざというときに開けるタンスの引き出しみたいなものがあると思うんです。そこには、その人の特別な経験がしまってある。私たちはそれを見せてもらうことで、自分が経験したことない人生や運命を垣間見れるわけですよね。どんなに荒削りでも、生々しくても、言葉には力があって、その人が発してくれることには、どんなことにでも意味があると思っています。うまく伝えなくちゃいけないとか、良いことを言わなくちゃいけないとかじゃなくて、いままで社会に出てこなかった、それぞれの当事者の声がたくさん出てきて、体系的に物語として連なっていけば、それはすごくいいことだと思うんです。
人に助けてもらうのは、簡単なことじゃない
―― ちなみに、大野さんがいま困ってることってなんですか?
なんだろう……過労かな(笑)。
……いま大学院にいるので、学内のバリアフリー化を推進していくことですかね。いまはわりと落ち着いてきたんですけど、入学当初は、いろんな部署のいろんな人に会って、「この教室からあの教室に行くときにですね、あそこがああなって……」とか「このドアが開かないんです!」とか言わなくちゃいけませんでした。
めんどうかもしれないけど、楽しいですよ。こっちが必死だと、職員の人たちだって必死になってくれる。大学の建築管理のシステムがどうなっているのかとか、普段考える機会なんてありませんし、予算の限界との折衷案も考えないといけない。何を優先するのかとか、何が公平性かとか、まあ真剣に車座組んで考えるわけです。
でも、非常にめんどくさい手続きをちゃんと踏んで、応援団みたいな人を見つけて、各部署の人と顔の見える関係を作っておくと、ちょっとずつ困ることが共有されてくる。……お互いに、かなり体力いるんですけど。
―― 困ってることがなくなって助かるためにやらなくちゃいけないことがたいへんで困ってる……(笑)。
そうそう(笑)。「ニーズを発する」ってよくいいますけど、365日24時間発し続けるのって、けっこう疲れるんですよね。
健康なときだったら、スタバでだらっとしながらカフェラテをすすりつつ、「自分のニーズ」なんてほとんど考えないでパソコンをぱちぱちしていられました。移動するときだって、電車の時間なんてたいして調べませんでした。東京都内であれば、ケータイのアプリの乗換案内でパっと調べて、だいたいその通りの時間に着く。
「あの駅は階段があそこにあって、エレベーターの位置はあそこで、だいたい乗り換えの接続連絡には時間帯からしてこのくらいの時間がかかって、そうするとタイムロスはこのくらいだから……ああ、乗換案内なんて全然参考にならないよ!」みたいなことは絶対なかった(笑)。でも今は、違う。
だいたい1時間前に出るか、30分前に出るか。それでもアクシデントが起こる。遠出なら、数時間、半日前に出ることもある。私は、介助者は普段はいないです。大変だけど、その大変さが味わえるから単独行動が好きなのですが、出張や調査の移動計画なんて、数か月~1か月前から綿密に予約し始める。「ふらっと」なんてできないわけです。常に緊張してる。鍵付きの「荷台用」エレベーターに電動車いすで乗りながら、ふらふらするっていうのは、人間が闘って獲得してきた素晴らしい自由なんだと思った。こんなこと、病気になる前は全然知らなかった。東南アジアのフィールドワークしてる時は、まったく気楽なものでした。バンコクに、チェンマイに、行く気だけあれば人はいつだって飛べるんだと信じてた。
いまは365日24時間、自分の状態を自覚して、発信して、なんとか生活を作り上げている。それにふと一瞬だけ疲れるときはありますね。他に方法はあるかなと考えても、なかなかたいへんですよね。人に助けてもらうって、それほど簡単なことじゃないなって思います。
シャバはつらいけど……楽しい。
―― ちなみに助かることは……?
助かることね……助かること……助かる……うーん。
……漠然とした言い方になっちゃうんですけど、人間って他人に関心が持てない側面と頼まれてもいないのに異常な情熱をもって人助けをしてしまう側面の両方をもっていると思うんです。
いつでも利他的で、役に立ちたい! なんて気持ちがずっとある必要はないと思うし、それは逆に不自然だと思うんだけど、でも普通に生きていれば、人間、ひとつは自分のライフワークみたいなものがあると思うんですよ。仕事かもしれないし、趣味かもしれない、まだ見つからない何かかもしれない。それをね、最近つくづく思うんだけど、もうちょっとまっとうなエネルギーに使ってもいいんじゃないかなって。
―― まっとうなエネルギー?
だって、いま、困っていないひとってあんまりいないと思うんですよね。いま所得があったって、親御さんの介護だったり、それ以外にもたくさんリスクはあるわけですよね。
―― いつ難病や障害を持つことになるかもわからない。
程度の差はあると思うんだけど、みんなそれなりに困りごとがあると思います。だから、いつもそんな風に思い続けなくていいから、「これだけは譲れない」んだって思うものをみつけて、それをやってもらえたらいいんじゃないかなって思います。それが難病や障害の問題だったらなおさら嬉しいですけど、あんまり推す気はないです、それなりにたいへんなので(笑)。
―― ありがとうございます。最後に教えてください。シャバにでてきた困ってるひとにとって、シャバってどうですか? やっぱりつらいですか?
……重い疾患を抱えた人がシャバで生きていくってすごくたいへんなことですよ。朝起きるたびにつくづく思いますよね。「ああ、つらいな、今日は生き抜けるかな」って。だってどうなるかわからないわけですよ。賭けなんです。自分を助けてくれる人がいるかもわからないし、この先本当に生きていけるかもわからない。
でも、それを賭けてみて……いまはなんていうか……毎日疲れるし、苦しいし、嫌なこともいっぱいあるし、大変なんだけど……ああ、よかったなって素直に思うことはあります。いや、よかったというよりは、言葉にするのが難しいんですけど……シャバはつらいけど……うん……楽しいです。
私も含めてみんな意識的にぎりぎりだと思うんです。人生設計なんてたつわけないし、レールもないし、こうすればいいなんて方程式もない。大人の言うことは、信じられない。人類が残してきた智慧みたいなものを頼りに、生きていくために強制される選択を毎日選ばされながら生きている。思い通りにいかないし、理屈通りにいかないけれど、そのダイナミックなところが、「社会」なんだなと思います。生きることを通じてしかできない発見だと思います。そういうことがこの本で伝わったら、嬉しいです。
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プロフィール
大野更紗
専攻は医療社会学。難病の医療政策、