2015.06.04
イギリスの若者ムスリムたち――「市民であること」の要件としてのイスラーム
若者ムスリムと社会統合
現在のグローバル政治において、イデオロギーに代わり宗教が重要なテーマとなっている。とりわけ、1980年代を契機としたイスラーム化の広がりは、世俗化を旨とする近代化原理に支えられた政治・社会秩序を危うくするものとして、特に西欧社会において認識されつつある。2001年のアメリカにおけるテロは、そのような認識を世界の人々がまさに同時的に共有することとなるイベントであった。以来、イスラームをめぐる事件や出来事を、メディアを通じて日常的に目にするようになっている。
筆者は2013年4月から2015年3月までの2年間、イギリスで在外研究をおこなっていた。その間だけでも、ISIS(イスラーム国)の樹立と軍事展開(2013年4月〜)、ボストン・マラソン爆破事件(同年4月)、ウーリッジ兵士殺害事件(同年5月)、「トロイの木馬」陰謀事件(2014年3月)、ボコ・ハラム学校襲撃誘拐事件(同年4月)、タリバーン学校襲撃事件(同年12月)、「シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)」本社襲撃事件(2015年1月)、ISISに参加するためシリアに渡航した女子生徒(同年2月)など、イスラーム過激主義と結びつけられる数多くの事件が連日報道されていた。
こうした報道は、必ずしも過激主義をイスラーム一般と同一視するものではない。だが、イスラームは常に否定的な文脈の中で語られることで、西欧社会の「異物」として印象づけられている。とりわけ、若者のイスラーム化は社会不安を高めている。スカーフやヴェールを被る女性や髭をたくわえる男性は、若者のイスラーム化を表すとともに、西欧社会が代表する民主主義や自由といった価値からの離反を意味しているかのように解釈されている。
そうした中で、2005年のロンドン爆破事件の実行犯やISISへの参加者に見られる、「イギリス生まれの(home-grown)」テロリストの存在は、イスラームが社会を破壊し蝕む思想的・人口的「時限爆弾」あるいは「癌」のごとく、イギリスに広まっている証左として理解されている。それに対して、多くの政治家や論客は、「シティズンシップ」や「イギリス人らしさ(Britishness)」といった西欧社会の価値の共有を通じて、若者ムスリムの社会統合を押し進めようとしている。
しかしながら、こうしたイスラーム過激主義への過剰な注目は(理由のあることだとしても)、西欧社会に市民として居住し参加している、現代の若者ムスリムのよりバランスのとれた理解を妨げる危険がある。ヨーロッパには4,000万人以上(総人口の約6%)のムスリムが、そして、この記事が焦点を当てるイギリスでも約300万人(総人口の約5%)のムスリムが生活を営んでいる。イスラームは、西欧社会において、今や第二の宗教として深く根づいているのである。
したがって、彼女/彼らを西欧社会からの潜在的離反者として認識することは、倫理的な観点からのみならず、実態からも大きくかけ離れたものである。とりわけ、西欧社会に生まれ育った若者ムスリムは、「市民であること」と「ムスリムであること」を、独自のやり方で両立させているのである。
この記事は、100名を超えるイギリスの若者ムスリムの声を聞き取った筆者の視点から、その「やり方」、つまり、現代の若者ムスリムがその宗教性を維持しつつ、実際にどのように西欧社会に参加しようとしているのかを素描することを目的としている。その際、若者が社会への参加や統合のためにおこなっている「アイデンティティ・マネジメント」のあり方に着目している。
アイデンティティ・マネジメントとは、人々が与えられた環境に対処するために、アイデンティティを自己および他者に向けてどのように提示するのか、という点にフォーカスを当てる用語である。ここでは、イギリスの若者ムスリムが、社会や自身のコミュニティからの複数の期待(偏見やプレッシャー)に対応するのに、自身のアイデンティティをどのように理解・提示しているのかを明らかにするために、この用語を用いている。その点を、特に「<宗教/文化>の区別」と「知識」というキーワードを通じて解説していく。
<宗教/文化>の区別
若者ムスリムが用いているアイデンティティ・マネジメントの戦略の中で、もっとも基礎的な方策が、「宗教(イスラーム)の文化からの区別」である。これは、若者が自身のエスニックな文化的慣習や伝統から切り離す形で、イスラームを(再)定義するという事態を指している。より正確には、文化を否定的な準拠点として設定することで、イスラームを積極的なものとして、自己および他者に示すものである。たとえば、彼女/彼らは、イスラームを語る際、「文化と宗教は違うわ」「それは文化であって、宗教じゃないんだ」というフレーズを頻繁に用いている。そして、大概の場合、イスラームは肯定的なものとして、文化は否定的なものとして位置づけられている。
<宗教/文化>の区別は、実に幅広いテーマ——食事、礼拝の仕方、儀礼、服装、教育、結婚、女性の社会進出など——の中で目にすることができる。とりわけ、結婚をめぐる問題において、この区別は必ずといっていいほど持ち出されている。
イギリスのムスリムの多数派を形成しているアジア系の家族において、結婚は個人的な問題ではなく、家族の名誉と関わる重要なイベントである。そのため、結婚の時期やパートナー選びに、両親からの介入やプレッシャーが存在している。そうした状況に対して、インタビューをおこなった若者は、<宗教/文化>の区別を活用しながら対応している。
仕事を持っている多くの女性は、早い時期に結婚することへの家族の期待に直面している。それに対して、彼女たちは、キャリアを維持・追求するために、結婚をめぐるいくつかの社会的な期待やプレッシャーは、イスラームとは関係がないということを強調している。たとえば、ボランタリー・セクターで働いている28歳のバングラディシュ系の女性は、未婚状態であることに対して次のように述べている。
文化と宗教は完全に異なるものだわ。文化は、ずっと以前に結婚することを期待している。私はもう28歳。文化は、私を見たら、「オー、神様。この子は歳をとり過ぎてる」と考える。それは、文化が言っていることなの。……でも、イスラームは、「なんていうこと、彼女は28歳だわ。神様、彼女を殺してください。彼女は結婚していないのだから」なんてことは言わない。イスラームは、それ[=未婚]を否定的なものとして見ないの。
彼女は結婚していないことに対するコミュニティからのスティグマやプレッシャーを文化に帰属させ、イスラームはそうした社会的通念とは無関係だとしている。そして、イスラームへのコミットメントを示すことで文化や家族の期待に抵抗し、イギリス社会での自身のキャリアや生き方を肯定しているのである。
両親や親族が子どもの結婚相手(の候補)を決める「お見合い結婚(arranged marriage)」もまた、<宗教/文化>が持ち出されるテーマである。お見合い結婚の内実は多様であり、両親の出自の国からパートナーを呼び寄せたり、コミュニティの親族やモスクの友人と話し合い、子ども同士を引き合わせたり、あるいはモスクがストックしている履歴書(bio-data)から相手を選択することもある。
西欧社会においてお見合い結婚は、子どもの選択の権利を否定する、非民主主義的な婚姻様式として認識されている。こうしたコミュニティとホスト社会との社会的期待をめぐる板挟みの中で、若者は<宗教/文化>の区別を用いながら、その葛藤を回避する方策を編み出している。
自身の手でパートナーを探すことを望んでいる若者にとって、<宗教/文化>の区別は有効な戦略である。たとえばあるパキスタン系の20代前半の男性は、家族からのお見合い結婚の申し出に対して、「母さん。お見合い結婚は文化であって、宗教じゃないよ」と言い、断っている。また、あるバングラディシュ系の20代の女性は、「宗教と文化は違うの。お見合い結婚は文化だわ」と、家族に述べている。つまり、お見合い結婚は、イスラームの義務の一部ではなく、それゆえにそのような慣行に従うつもりはない、あるいはその必要がないと両親に訴えるのである。
こうした<宗教/文化>の区別は、西欧社会に生きる若者ムスリムにとって、三つの重要な意味を有している。第一に、イスラームに与えられた社会からの否定的なイメージや表象(たとえば、自律の否定、強制による結婚、女性への抑圧など)を文化に帰属させることによって、イスラームを民主的なものとして描き、それを自身のアイデンティティの重要な一部として取得することを容易にする点である。
西欧社会に生まれ育ったムスリムは、自身の文化的コミュニティと主流社会からの、二つの異なる社会的期待を満たすことが求められている。両者はしばしば対立するものとしてとらえられ、その間の葛藤を処理できない場合、アイデンティティの危機や、<イスラーム/西欧社会>という対立的区別に基づく反動的なアイデンティティ形成(過激主義or信仰の否定)を帰結することになる。
そうしたアイデンティティ形成をめぐる問題に対して、多くの若者ムスリムは、主流社会による否定的な評価からイスラームを守るために、文化をいわば「生贄」とすることで―つまり、否定的評価を文化に帰属させることで―、信仰を守り、それをアイデンティティの積極的な一部として組み込んでいるのである。
第二が、宗教をより上位の倫理的基準として設置することで、家族・親族・コミュニティの文化的期待をめぐる交渉の資源としてイスラームを活用するという点である。イスラームはコミュニティにとって、世代や文化的差異を超えて尊重されるべき行動規範であり、若者はそれをより民主的なものとして定義することを通じて、抑圧的な慣行を拒否するために動員しているのである。
第三に、この区別は、イスラームが西欧社会の価値やライフ・スタイルと両立可能であることを示すために用いられている。つまり、文化的価値から宗教を切り離し、<西欧社会——イスラーム>の距離を、<西欧社会——(家族の)文化>の距離よりも近く設定することで、西欧社会においてムスリムとして生きることに問題がないことを、自己および他者に向けて提示するのである。
イスラームの知識
<宗教/文化>の区別を実現し、若者の西欧社会への統合を可能にしているのが、イスラームの「知識(ilm)」をめぐる伝統(の提示)である。知識はイスラームにおいて特別な意味を有している。知識は、クルアーンにおいて楽園に至る道を照らす「光(nur)」として表現されているように、その探求はムスリムが幸福へと至る条件であり、神によって命ぜられる義務である。
重要なことは、「啓示」に基づく知のみならず、世界の法則をめぐる「理性」に基づく知(自然・社会科学など)の探求もまた、イスラームの知識が有する義務の中に含まれるということである。世の中の様々な知識を得ることは、神が創りし世界を理解すること、つまり神の意志を知ることだからである。宗教的権威を有するイスラーム法学者は一般に「ウラマー(ulama)」と呼ばれるが、それはまさに「知識を持つ者」を意味しているのである。
イスラームの知識をめぐる伝統は、二重の意味で、現代の若者ムスリムの西欧社会への参加を促すものとなっている。第一に、<宗教/文化>の区別は、イスラームの知識によって実現している。つまり、何がイスラームであり、何がそうでないかを区別するのは、知識によってのみ可能である。
第二に、イスラームの知識は、個人や社会に貢献する、より幅広い知を含んでおり、そうした知を探求することがすべてのムスリムに課された義務として位置づけられている。そのことは、女性を含め、若者が世俗社会の教育システムにアクセスし、また社会に出て、様々な経験を積むことを支持する態度を帰結させている。
若者の知識をめぐる意識は、世俗社会への統合と相互に強化し合う関係にある。知識習得の義務の強調は、大学進学やキャリア形成への意識を高め、また逆に高い学歴を有するほど、イスラームの多様な知識や考え方を学び、それを身につける機会と能力を増大させるためである。このことは、近年のムスリムの進学率の増大が、信仰と社会統合をめぐる新たな関係を生み出しつつあることを示唆している。
こうしたイスラームの知識との関わりは、若者が古い世代と自己を区別するために用いるメルクマールの役割を果たしている。若者世代は「古い世代」におけるイスラームが文化的な慣習に基づいており、それゆえに純粋なイスラームの教えから逸脱しているととらえているためである。
途上国の貧しい地域に住んでいた古い世代は、読み書き能力の欠如ゆえに、クルアーンを読めず、もっぱら「口承」によってイスラームを習得している。そのため、イスラームの知識の正確性や解釈の妥当性は、それほど重視されていない。それに対して、若い世代は、西欧社会の教育制度を通じた高いリテラシー能力を前提とし、インターネットや印刷物などのメディアを通じて、イスラームの知識を習得することがでる。
また、そうしたメディアは、古い世代により支配されたローカルなイスラーム理解から若者を自由にし、自身の生活する環境と両立する形でイスラーム解釈を発展させることに寄与している。特にインターネットは、若者ムスリムの知識の習得にとって不可欠なツールである。
多くの若者は、イスラームのサイトにおいてクルアーンやハディース(=預言者ムハンマドの言動集)を読み、そこから「検索」機能を用いて関心のあるテーマと関わる箇所や証拠となる部分を探し、イスラーム解釈をめぐりオンラインのフォーラムで様々な質問をおこない、Youtubeでお気に入りの学者による講義を受け、オンライン講座を通じてアラビア語やイスラーム学を学んでいる。こうした新しいメディアの利用により、若者は「知識を有する(knowledgeable)」ことに誇りを持ち、それを動員しながら、役割期待をめぐり家族と交渉をこない、イギリス社会への参与を実現しているのである。
こうした知識は、特に女性ムスリムによって積極的に活用されている。なぜならば、(イギリスのムスリムの多数を占める)アジア系の家族において、女性は男性に比べ、文化的規制をより強く受ける傾向にあるためである。それに対して、彼女たちは、イスラームを平等主義の体系として理解し、提示している。
彼女たちが社会への参加を正当化するためにもっとも好んで参照するのが、預言者ムハンマドの最初の妻ハディーシャである。ハディーシャは経営者であり、ムハンマドはその従業員であった。また、彼女はムハンマドよりも20歳以上も年上であり、彼に自ら結婚を申し込むという、経験と自律性に富んだ女性である。
こうしたハディーシャ像やそのエピソードは、女性が若いうちに結婚することが期待される文化的なプレッシャーや、世間からのそのような偏見に抗し、社会でキャリアをつみ、自身の手で結婚の相手や時期を決めることを正当化するための資源として用いられている。たとえば、教師をしている20代半ばのバングラディシュ系の女性は、次のように述べている。
彼女[=ハディーシャ]は、彼[=ムハンマド]よりもお金持ちだった。彼女は、彼に、「私と結婚してくれませんか」と言ったのよ。彼は留まり、彼女に「はい」と答えたの。彼女の夫は、基本的に彼女のために働いていた。彼女は、そんな風に強い人物なの。私は、彼女が私をやる気にさせているのだと思う。彼女はそれをすることができた。なぜ私にそれをすることができないというの。
また、いく人かの女性は、コミュニティにおいてリーダーシップを発揮した学者であった、ムハンマドの最年少の妻であるアイシャの事例を出し、女性が社会の指導的地位を占めることをイスラームが認めていると主張している。こうした女性たちにとってイスラームは、女性を勇気づけ、イギリス社会におけるライフコースの選択を可能にする資源として活用されている。
<真>の社会の統合に向けて
これまで紹介してきたイギリスの若者ムスリムの姿は、読者がイメージするそれとは異なるものであるかもしれない。彼女/彼らは、まさにムスリムであることによって、より広い社会への積極的な参加や統合を実現している。言い換えれば、これらの若者ムスリムはイスラームを否定することによってではなく、まさにそれを確証し、追求することを通じて、市民社会の一員となっているのである。
むろん、ここで扱った若者のアイデンティティ・マネジメントをめぐる戦略の描写は、イギリスの若者ムスリム一般のあり方を正確に反映したものであると言うことはできない。ムスリムは内部に高い多様性を持ち、容易に一般化しうるものではない。しかし、西欧社会に生きる若者ムスリムは、複数の社会的な期待を融和させ、コミュニティとともに主流社会の一員となるために、何らかのアイデンティティ・マネジメントの様式を発展させるという共通の課題を有している。上記で述べた<文化/宗教>の区別やイスラームの知識の活用は、そうした課題を解消するために多くの若者が採用している基本戦略なのである。
こうした理解は、ムスリムの西欧社会への<真>の統合のために不可欠なものである。社会統合はしばしば「二方向のプロセス」であると言われる。一方で、マイノリティは、主流社会の価値やシステムに同化することが求められている。他方で、マジョリティは、マイノリティの文化的慣習への理解や配慮とともに、そのような新たな文化を取り入れることにより、主流社会の文化や制度を豊穣化させることが期待されている。
しかし、実際は多くの場合、マイノリティの主流社会への同調のみが強調され、マイノリティによる主流社会の公的文化への貢献は認められていない。その結果、マイノリティは、主流社会の文化や価値からの距離によって評価される、「不完全な市民」あるいは「相対的な市民」でしかありえない。だが、これまで論じてきた若者ムスリムによるイスラームの考え方は、民主主義の枠組みにおいて単に消極的に容認されうるものではなく、むしろ、異なる伝統を通じて、市民社会における民主主義的価値(citizenship)の実現に向け、積極的な意義を有するものなのである。
そうであるならば、「文明の衝突」を煽り、ムスリムについて声高に語る政治家や専門家の言葉ではなく、社会の不可欠な一員として実際に生活するムスリム自身の声に耳を傾けることこそが、グローバルな、そしてナショナルな社会の安全と統合のために必要なことではないだろうか。
本テーマについてのより詳細な議論は、筆者の下記の文献を参照されたい。Adachi, Satoshi, 2011, “Reflexive Modernity and Young Muslims: Identity Management in a Diverse Area in the UK,” in K. Kimura ed., Minorities and Diversity, Melbourne: Trans Pacific Press; 安達智史, 2013, 「『超』多様化社会における信仰と社会統合——イギリスにおける若者ムスリムの適応戦略とその資源」『ソシオロジ』177号, 35-51; 安達智史, 2013, 『リベラル・ナショナリズムと多文化主義——イギリスの社会統合とムスリム』勁草書房; 安達智史, 2015,「多文化社会における女性若者ムスリムのアイデンティティと社会統合——イスラーム、文化、イギリス」『社会学研究』96 号(近刊)。
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プロフィール
安達智史
社会学理論、政治哲学、イギリスの社会統合政策研究、若者ムスリム研究。Institute of Education(University College London)客員研究員を経て、2015年4月より近畿大学総合社会学部専任講師。東北大学文学研究科博士課程修了、博士(文学)。著書に、『リベラル・ナショナリズムと多文化主義——イギリスの社会統合とムスリム』(勁草書房、2013年)。主たる受賞歴「第9回日本社会学会奨励賞(論文の部、2010年)」(受賞論文「ポスト多文化主義における社会統合について——戦後イギリスにおける政策の変遷との関わりのなかで」『社会学評論』60(3): 433-448、2009年)。