2010.12.27
モスクワ暴動 ―― 高まる民族主義の危険
12月に、数度にわたりロシアの首都・モスクワで大暴動が発生し、数千人が拘束された。それら暴動はなぜ起きたのか?本稿では、その直接的な原因のみならず、それが発生した背景についても踏み込んで考えていきたい。
直接的原因は?
今回の暴動の直接的な原因は、12月6日、サッカーチーム「スパルタク・モスクワ」のロシア人サポーターのグループと、コーカサス系(ロシア南部の北コーカサスないし、アゼルバイジャン、アルメニア、グルジアというコーカサス三国が位置する南コーカサス出身者)のグループが喧嘩をし、その結果、ロシア人のイェゴール・スヴィリードフ(27歳)が銃殺されたことにある。
喧嘩に関わった、北コーカサス出身の6人が逮捕されたが、銃殺を行ったアスラン・チェルケソフ(26歳、カバルディノ・バルカル出身)以外は、程なく釈放された。実行犯のチェルケソフは、先に攻撃をしてきたのはロシア人グループであり、自らは命の危険があったため、正当防衛でやむなく銃殺したと主張している。ことの是非はさておき、コーカサス系民族はモスクワで頻繁に攻撃されたり、殺害されたりしており、チェルケソフの主張もわからないではない。
だが、ロシア人のサッカーファンたちは殺人の共犯者の5人の釈放を許すことができず、5人についても捜査と処罰を与えるべきだと考え、翌7日には約1000人が抗議行動を行い、レニングラード大通を封鎖した。5人の釈放の裏には、北コーカサス出身者のボスの陳情と警察の収賄(拘束者一人当たり25,000~30,000ドルとされる)があったと報じられたことも、彼らの怒りを増幅させていた。
そして、抗議運動はさらに高揚し、12月11日にモスクワ中心部のマネージ広場に、サッカーファンにとどまらず、ロシアで「極右」や「ネオナチ」として知られる者たちを含む、民族主義者たちがこぞって押しかけてきた。
結局、約6000人もの民族主義者が、「ロシア人のためのロシア!」「モスクワっ子のためのモスクワ!」など、人種差別的スローガンを叫びながら、ナイフや鉄棒を振り回して、コーカサス系と思しき者を中心とした非ロシア人に対し、無差別に集団暴行を開始したのだった。警察が取り締まりに入り、死者は出なかったものの、30人程度の負傷者が出たといわれている。
この騒乱の数分後となる11日の午後5時、メドヴェージェフ大統領は、国家安全保障会議開催中に「国内の治安強化のための追加措置に関する大統領令」を発令した。大統領は、各州の知事が権威を失っているために、何が起きているのか知らなかったり、対応が取れなかったりしているとして、法執行機関との連携を強めることを要請し、定期的に「調整会議」も開かれることになったが、混乱は容易には終息しなかった。
つづく混乱
12日には、キルギスからの出稼ぎ労働者であったアリシェル・シャムシエフ(37歳)がバス停で襲撃され、胸を刺されて即死した。周辺ではロシア人が冷酷にその様子を眺めていたという。被疑者はいまだに特定されていない。また、この日には、ロストフ・ナ・ドヌでも数千人のロシア人が、イングーシ人のクラスメートにロシア人が殺された問題について抗議行動を行った。
さらに、13日にも新たな非ロシア人に対する襲撃事件が起きていた。ほとんどの襲撃事件は偶発的に発生しており、若者グループ(女性も含むという)が、非スラブ系の風貌をしているというだけの理由で襲撃を行っているとみられている。
このような状況に対し、13日、メドヴェージェフ大統領も動いた。国営テレビを通じて演説をした大統領は、「民族主義者による攻撃がロシアの安定を脅かしている」と警告し、法執行機関に対して、民族感情にもとづいた衝突を厳重に取り締まるよう指示したのである。さらに、大統領は警察に対し、路上での混乱防止と無許可の抗議行動の阻止を命じた。
そして、13日夕方から警察と治安部隊もモスクワ全体に対して厳戒態勢を敷き、とくにクレムリン周辺の警備を強化した。防弾チョッキを着た機動隊が広場に入り、広場の周辺では大型商業施設が当局の命令で閉鎖された。
だが、厳戒態勢も敷かれていたにもかかわらず、11日~14日のあいだに、少なくとも非ロシア人に対する暴力事件が40件以上発生してしまった。また、15日には、ロシア民族主義者やコーカサス地域の出身者らが刃物などを所持して、モスクワ中心部の広場などに集まろうとした。
そのため、暴動を繰り返さないために、治安部隊が大量動員され、約800人が拘束された。早期の治安部隊の動員が功を奏し、死者は出なかった。なお、同日、サンクトペテルブルクでも暴動が発生しそうになって数十人が拘束されるなど、全国レベルでは、拘束者が1700人以上に達したという。
緊張は容易には溶解せず、18~19日の週末には、若者ら約1450人が拘束されたと、20日にモスクワ市の警察当局が発表した。
極右・ネオナチの動向
今回の一連の事件により、ロシアに約7万人程度いるといわれている極右やネオナチの力の強さが白日のものとなった。とくにロシアの専門家は、サッカーなどの大衆文化には、攻撃的な民族主義や排外主義が浸透することがよくあるものだと述べており、そのような状況も今回の事件の拡大要因となったといえるだろう。
これまでも、モスクワやサンクトペテルブルグなどロシアの都市では、他民族に対する憎悪による襲撃事件がたびたび起きてきたが、コーカサス系やアジア系の民族に対する過激な暴力はとりわけ目立ってきた。攻撃の対象としては、コーカサス系、中央アジア系やベトナム人が想定されていたようだが、日本人も中央アジア系民族やベトナム人と似ているため、間違えられて攻撃を受けてきたという。
最近ではとくに、北コーカサスや中央アジアからの移民労働者が増えていることや、プーチン前政権以降の大国復活路線にも呼応するかたちでロシア民族主義が勢いづき、暴力が過激化しているといわれてきた。そのため、マイノリティのリーダーたちは、なるべく外出をしない、外出する場合は複数で、また暴力を受けても絶対に報復をしない、などの注意を呼び掛けていたなかでの事件であった。
コーカサス系諸民族への嫌悪感
そもそも、ロシア人はコーカサス系諸民族を古くから嫌っている。長く解決しないチェチェン紛争の背景も、グルジア紛争の背景も、究極的にはそこにある。コーカサス系諸民族は、ロシア人からは、犯罪者や詐欺師ばかりで、非合法ビジネスで設けたり、ロシアの治安を乱したりしているとして、長らく蔑まれてきたのだ。
たとえば、モスクワの市場では、コーカサス系民族が働いていることが多いが(コーカサスでは野菜や果物が豊富にとれるため、寒冷地が多いロシアにおいては重要な供給源となっている)、そのような場所で、コーカサス系民族が理由もなく暴行を受け、殺害されたり、負傷したりする事件は頻繁に起きてきた。
このような状況にあっては、コーカサス系民族をたたけば、ロシアの民族主義を高揚させることができる。だからこそ、チェチェン紛争もグルジア紛争も多くのロシア人の支持を得てきたのである。
しかも、プーチン首相(現在)は、2000年に大統領に就任する前の1999年の首相時代から、チェチェンに対する厳しい政策をとってきたことで、絶大な人気を得たともいわれている。プーチンが第二次チェチェン紛争を開始する直接の原因とされているのが、ロシア各地でのアパート連続爆破事件であるが、その問題については、プーチンの権力基盤であるFSB(ロシア連邦保安庁)の「やらせ」であるという内部告発者による証言があり、実際に証拠もある。
プーチンは、自身の支持率を上げるために、チェチェンを攻撃する口実をつくった上で、チェチェンに対して厳しい政策を貫き、さらに、経済的に破綻してボロボロになったロシアの1990年代の屈辱的な状況から、石油・天然ガス収入を糧に力強く生き返らせたことによって、「力強い指導者」として国民の強い支持を得た。つまり、プーチンらは、長年、盲目的愛国主義と外国人排斥傾向を弄んできたといえる。
また、当局は極右やネオナチのグループに対して、危険なほど寛容だったという。なぜなら、このようなグループを社会的な安全弁として利用するために、彼らが政治に関与してこないかぎりは外国人への暴力も黙認して、彼らを政権サイドにおきつつ、管理しようとしてきたからである。
民族主義を自らの政治的権力強化の手段として利用してきたのだ。しかし、そのようなご都合主義にもついに決定的な綻びが出たといってよいだろう。そのため、これまでそれら過激主義者たちを黙認してきたプーチン首相ですら、「より強硬な措置」を取るよう指示したが、ことはすでに手遅れだった。
危険な兆候だが……
そのため、このような状況を逆手に取り、またチェチェンや北コーカサス諸国に対して、ロシア当局が攻撃をするのではないかという危惧が、北コーカサスを中心に広まっているという。
しかし、筆者は1999年と現在では、北コーカサスをめぐる状況がまったく異なっていることもあり、当局が北コーカサスを攻撃することはまずありえないと考える。というのは、2014年に北コーカサスのソチで冬季五輪の開催が決まっており、それはプーチンの肝入り事業であることから、当局は北コーカサスの混乱を何とでも避けたいと思っているはずだからである。もし、紛争でも起きれば、冬季五輪の開催が危ぶまれることは間違いない。
逆に、当局としては民族間の憎悪をいかに鎮静化させるかに躍起になっているはずだ。これまで民族対立を自身の支持率アップに利用してきたプーチン体制の「つけ」がいまごろになって回ってきたともいえる。
ロシアにおける民族間の憎悪は「根」は深い。今回の事件はロシアの民族問題の氷山の一角にすぎない。とくに、現在は、経済状況が悪く、人々の不満が高まっているが、そういうときは、民族主義が高揚しやすい傾向があることも、いまのロシア首脳陣にとっては頭痛の種であるはずだ。だが解決はきわめて難しく、「ロシア人がロシアのマイノリティにならないかぎり解決しない」という意見まであるほどだ。
今回の事件は、「多民族・多宗教のロシア」(プーチン首相)を構成している多くの民族に対して一貫した政策を構築することが、世界レベルの金融危機で落ち込んだ経済の立て直しや民主化など政治問題と並び、急務であることを明らかにした。高まった民族間の緊張をどのようにほぐしていくか、また、問題の根本的解決を図ることができるか、ロシア当局の手腕が問われている。
推薦図書
本書は、ノルウェーのジャーナリストによる、現地における体当たりの取材にもとづくチェチェンについての渾身のルポルタージュである。オスネ・セイエルスタッド、アフガニスタンでの潜入取材による『カブールの本屋―アフガニスタンのある家族の物語』の著者としても有名であり、戦場ジャーナリストとしての地位も確立している。
本書は、第一次チェチェン戦争(1994~96年)を取材したのち、第二次チェチェン戦争後の2006年にふたたびチェチェンとモスクワでの取材を行ない、執筆されているが、これを読めば、辛いほどに現地の状況がリアルにわかるはずだ。
本書は、さまざまな立場の人々の状況を明らかにしているが、チェチェン人に暴力をふるい、罰せられたロシア人の話も出てくる。そこからは、チェチェン人に暴力をふるっても仕方ない、むしろ、そのために捕まったなんて気の毒というロシアの雰囲気が伝わってくるだろう。そのような雰囲気が掴めれば、今回の暴動の背景もよく理解できるはずである。
なお、筆者は本書の解説を書いている。
プロフィール
廣瀬陽子
1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。