2021.03.24

リベラルな日米同盟と「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」の意義――安倍政権の安保政策を振り返る(3)

松岡美里 国際関係理論、安全保障研究

国際 #安全保障をみるプリズム

はじめに

2021年3月3日、米国のバイデン政権が、その外交・安全保障政策の基本方針となる「国家安全保障戦略(暫定版)」を発表した。同戦略は、中国に対する警戒感を明確にする一方、これに対処するため、米軍のインド太平洋地域への重点配備、また、同盟関係を「最大の戦略的資産」とみなした【注1】。バイデン政権のインド太平洋・同盟重視の中でも、日米同盟を重んじる姿勢は際立っている。つい先ごろ来日したブリンケン米国務長官も「日米同盟はインド太平洋地域の平和と繁栄の礎」【注2】と述べ、日本の持つ戦略的な重要性を強調した。また、菅義偉首相がバイデン大統領の対面による初の首脳会談の相手として選ばれ、4月にも訪米予定であることからもこの方向性は明らかである。このような最近の動き、特に米国の対応を考える際、インド太平洋における「リベラルな同盟」という概念がキーワードになるが、実は、これは安倍政権が種を蒔いたものだ。

2020年8月28日、安倍晋三首相【注3】の突然の退陣表明が世間を驚かせたことは記憶に新しい。それから約半月後、菅義偉首相に後を譲り、歴代最長記録を更新した第二次安倍政権は約8年間の幕を閉じた。安倍外交については、日本の安全保障政策、特に日米同盟のあり方は大きな変貌を遂げ、国際的に目立たなかった日本の存在感を示すことができたといわれる【注4】。しかし、日米両国ともに国内政治の不安定要因を抱えている。米国においては、2021年1月20日にバイデン新政権が誕生したが、米国内の分断は深刻化しており、実際にどの程度政治的主導権を発揮できるかわからない。日本においても強力な政治的指導力の不在が日増しに露わになり、発足直後は高い支持率を誇った菅政権が、コロナ対策で対応の遅れなどで、国民の支持は低迷気味だ【注5】。このように様々な懸念材料があるなか、2020年代の日米同盟はどこに向かうのだろうか。

この問題を考える手がかりとして、本稿は、先に挙げた「リベラルな日米同盟」という概念をキーワードにしたい。日米の安全保障関係の紐帯の根底には、自由、民主主義、市場経済といった自由主義思想を擁護する共通の思想的基盤がある。リベラルな同盟とは、これらの要素を重んじる国際リベラル秩序の維持を目指すものである。安倍首相は、自由主義の擁護者という立場を明確に打ち出すことこそが日本の強みになるという意識を強く持って「自由で開かれたインド太平洋構想(Free and Open Indo-Pacific: FOIP)」を掲げ、その枠組みのなかでリベラルな同盟としての日米安全保障関係の強化を推進した。FOIPの意義にも触れつつ、安倍政権が推進したリベラルな日米同盟がポスト安倍外交へ与えたインパクトを検討してみたい。

冷戦後のリベラル世界秩序と自由主義

冷戦の終結によってソ連を盟主とする共産主義勢力が瓦解すると、リベラルな世界秩序が到来したとの認識が広まった【注6】。米国の著名な政治学者であるフランシス・フクヤマは、冷戦の終焉によって、数千年に及ぶイデオロギー間の対立は終わり、西洋型の自由民主主義が普遍化したのだと主張し、「歴史の終わり」論を唱えたことはよく知られている【注7】。

実際、冷戦の終結後、自由主義に基づく世界を構築するための取り組みが、民主主義の推進、国際機関や国際法の整備、自由主義経済の発展、人権の保護に至るまで幅広く政策に反映され、従来、自由主義が行き渡っていなかった国や地域にも自由主義を押し広げていくこととなった【注8】。国際関係論や政治学などの学術的な分野でも、民主的平和論、新自由主義的制度主義論、制度的自由主義論など多岐にわたる自由主義的アプローチが発展した。このように自由主義が急速に広がり、浸透していくうえで生まれたのが、北大西洋条約機構(North Atlantic Treaty Organization: NATO)に端を発するリベラルな同盟である。冷戦後、旧東欧諸国を新加盟国として次々に取り込み(いわゆる「東方拡大」)、欧州全体に自由主義的な価値を根付かせ、リベラルな価値共同体の拡大を図ることを新たな使命としたのだった【注9】。

リベラルな日米同盟の変遷

戦後日本の安全保障政策が日米同盟を基軸としてきたことはいうまでもないが、米国との同盟関係に「リベラル陣営」の一翼を担う意味が明確に意識されるようになったのは、1970年代半ば以降である。1975年には先進国首脳サミット(現在のG7)が始まったことで、「西側」の結束が強調されるようになった。1970年代末には、ソ連のアフガン侵攻を機に新冷戦が始まり、西側の結束が一層強調され、当時の中曽根康弘首相の「不沈空母発言」に端的にみられるように、日本側でも「西側陣営の一員」として防衛努力を担う意識が強まった。また、80年代後半から冷戦後、日本の経済力に見合った水準で国際リベラル秩序の維持に貢献することが求められるようになったのである。

だが、1990-91年湾岸危機・戦争において、日本政府が自衛隊を派遣せず、「小切手外交」に終始したことに対して米国が激怒したが、これは国際リベラル秩序をともに担う意思の欠如とみたからである。さらに、湾岸戦争後、ソ連という共通の脅威が消失したことで、日米双方が日米同盟の意義を見失い、「同盟の漂流」といわれる状態にも陥った。他方、当時の東アジア情勢は、北朝鮮の核開発疑惑により揺れ動いていたため、日米双方の実務家や安全保障の専門家が同盟関係のほころびに危機感を募らせていた。

こうした懸念を背景に、冷戦後の文脈に合わせて日米の安全保障関係をリベラルな同盟として「再定義」する試みがなされることになる。1995年、その方向性は、日米双方で出された政策文書――米国側の「東アジア戦略報告(別名:ナイ・イニシアティブ)」【注10】、日本側の「防衛計画の大綱(以下、防衛大綱)」改定――によって確認され、翌年4月、ビル・クリントン米大統領と橋本龍太郎首相が出した「日米安全保障共同宣言」によって正式に「日米同盟の再定義」が掲げられたのであった。これを受け、日本側では、1997年には、1978年の制定以来、初めて日米防衛協力のための指針(以下、新ガイドライン【注11】)が改定された。さらに、これに法的実効性を与えるため、1999年、いわゆる「ガイドライン関連法」が整備されて、「日本側での日米同盟の再定義」の一連のプロセスが完了した。

「日米同盟の再定義」を理念的に主導したのは、知日派として知られる米国の安全保障専門家、――マイケル・グリーン(戦略国際問題研究所)、パトリック・クローニン(ハドソン研究所)、マイケル・オハンロン(ブルッキングズ研究所)、マイク・モチヅキ(ジョージ・ワシントン大学)らである【注12】。軍事的役割の拡大に慎重な日本の「平和主義」に配慮しつつも、米国との同盟関係を通じ、日本が民主主義や市場経済の原則など自由主義に基づく共通の政治的価値観を国際的に維持・強化していくため積極的な役割を担うことに強い期待を寄せ、日米同盟を東アジアにおける自由主義の橋頭堡とする構想を思い描いた。域外においても、人道支援、平和維持活動(Peacekeeping Operations: PKO)、海賊対策、テロ対策など、グローバルな脅威に対応する役割を日本が積極的に担うことを強く促し、米国とともに自由主義に基づく国際秩序を支えるパートナーとなるように働きかけたのである。

こうした自由主義に基づく国際秩序観、また、リベラルな同盟として息を吹き返した日米のパートナーシップは、1990年代における日米の対中関与政策の戦略的な枠組みとなった。それは短期的な抑止力として機能するだけでなく、より長期的な関与で中国の民主主義的な変革を促し、将来的には、中国にもリベラル国際秩序の維持に関与してもらいたいという理想主義的・楽観的な期待に基づくものだった。いいかえれば、現在ほど中国の台頭に対する警戒心は強くなかったのである【注13】。その背景には、プリンストン大学のG・ジョン・アイケンベリー教授が制度的自由主義論の視点から主張するように、米国の覇権的地位は低下していても、リベラルな国際的特徴である開放性、ルール、多国間協力といった秩序は国際社会に深く根付いており、長期的に持続するという理想主義的な見通しがあったからである【注14】。

しかし、21世紀に入ると、9.11テロや中国台頭などの安全保障環境などの大きな変化によって日米同盟が直面する課題も大きく変わり、日本に対しても、より直接的に国際的な安全保障に貢献することが求められるようになる。この中で、軍事力の役割を最小限に抑制しようとする日本の伝統的な平和主義の維持が次第に難しくなり、後述する「積極的平和主義」へと変質していくこととなった。直接的な要因の一つとして、2000年代初頭、米国を率いていたジョージ・W・ブッシュ政権の外交志向も大いに関係する。当時の米国で大きな影響力を誇っていた「新保守主義(ネオコン)」思想のもと、ブッシュ大統領は、アフガニスタンやイラクに武力介入するのみならず、これらの脆弱国家を自由主義に基づいた国家へと再生させようとした【注15】。つまり、テロや大量破壊兵器の開発という脅威を取り除くためだけのものではなく、両国に民主化をもたらし、究極的には、自由主義的な国際秩序をおし拡げることを目的とした。日本側の小泉純一郎首相は、この米国の目的を共有し、自衛隊をイラクやインド洋に派遣することで、米国とともにリベラル国際秩序を支える意思を明確に表明したのである。

第一次安倍政権になると、自由主義的な共通価値の重要性がいっそう強調されるようになる。ただし、それは、中国の台頭を念頭に、自由主義という価値観を戦略的に活用しながら、安全保障政策を変質させるものになった。その傾向は特にトランプ政権が誕生してから、より顕著となる。揺らぎつつある米国のリベラルな国際秩序を確立するために、安倍政権が主導的にリベラルな日米同盟を確固たるものにしたといえる。これにより、日本政府も、日米同盟を強固にするための戦略的な手段として、リベラルな価値をますます重視するようになる。

安倍政権下における日米同盟の強化プロセス

前節までみたように、冷戦後の日米同盟は、自由主義思想を基軸として再構築され、安倍首相の下で一層顕著となった。この点について詳しくみる前に、安倍政権下で進められた安全保障政策変革の軌跡を振り返っておきたい。2006年に小泉政権からバトンを渡された第一次安倍政権は、長年の懸案とされてきた安全保障政策上の課題に矢継ぎ早に取り組み始める【注16】。その根幹には、冷戦期とは異なる安全保障環境に適した実効性のある法整備が必要との認識があった。

こうした問題意識を背景に、2007年5月に、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(以下、安保法制懇)」が設置され、集団的自衛権の政府解釈変更に関する検討が開始された。しかし、当初の意気込みもつかの間、閣僚の不祥事、参院選での大敗、さらに安倍自身の持病の悪化が致命的になり、第一次安倍政権はわずか1年で唐突に終わりを迎えた。その結果、日本の国家安全保障会議の設立は先送りされ、第一次安倍政権下で始まった安保法制懇による安全保障関連政策の見直し作業も中断することになった。2008年6月に同法制懇によって報告書がまとめられるも議論は棚上げにされ、安倍肝いりの安全保障政策変革の試みの多くは失速することになった。

ところが、2012年末に首相の座に返り咲いた安倍は、第一次政権時代とは打って変わった安定ぶりをみせ、憲法改正への地ならしまでも射程に入れるといった思い切った安全保障政策の改革を次々と実現していくことになる。とりわけ精力的に取り組んだのは、日米同盟の機能性を向上させるための一連の改革であり、怒涛のごとく、次々に大胆な変革が進められていった。2013年10月には、日米の外務・防衛担当閣僚による日米安全保障協議委員会(いわゆる「2+2」)で新ガイドラインの見直しが始まり、同年12月17日の閣議では、日本史上初めて総合的な安全保障戦略として「国家安全保障戦略」の策定が決定された。国家安全保障戦略は、集団的自衛権の行使を前提に米国との緊密な軍事的連携を図る組織と位置付けられ、自衛官も構成員として含まれるものとなった。国家安全保障戦略の策定と同日、防衛大綱も改定され、東シナ海における中国の海洋進出の活発化に対抗するために、南西諸島の守りを重視する姿勢を明確に打ち出した【注17】。安倍首相が牽引する一連の安全保障政策改革は、2014年に入っても、破竹の勢い進んでいった。

さらに重要な変化として、安倍首相が長らく実現を訴えてきた集団的自衛権に関する政府解釈の見直しに向けた動きが急速に進められた。この布石として、第一次安倍政権下で招集されていた安保懇談会が、第二次政権発足まもない2013年2月に再開され、政府解釈変更についての議論を行っていた。同年10月には、前述の「2+2」において、日本側は集団的自衛権の行使を可能とする政府の憲法解釈の変更についての検討を進めることを表明した。こうした周到な準備に基づき、2014年5月15日には、安保懇が内閣に提出した報告書の中で、自衛の措置としての武力行使の要件が変更され、いわゆる「新三要件」が示され【注18】、この条件にもとづき、「集団的自衛権の行使は認められるべき」とする勧告を行った。これを受ける形で、同年7月1日、集団的自衛権の限定行使へと憲法解釈を変更する新たな安全保障法制の整備のための基本方針の閣議決定がなされた。従来は「集団的自衛権行使は憲法9条で許容される範囲を超えるものであり、許されない」(防衛白書2013年版)とされていた集団的自衛権は、憲法上許容されることになったのである【注19】。

2014年夏、憲法解釈の変更という最難関を突破した安倍首相は、集団的自衛権の限定的容認の新方針に実効性を与えるため、実務的な取り決めの見直しと法整備とを同時並行的に進めていった。実務的な制度の修正として、2015年4月27日には、新ガイドラインの詳細が公表された【注20】。さらに、これらの実務的措置に法的裏付けを与えることを目的にいわゆる「平和安全法制」整備の準備が進められ、2015年5月、10本の既存法の改正を行うための「平和安全法制整備法案」と新法である「国際平和支援法案」が国会に提出された【注21】。平和安全法制の成立により、集団的自衛権に関連する法改正(自衛隊法と武力攻撃事態対処法)がなされ、存立危機事態に対処するための自衛隊の防衛出動や援助要請を実施できるようになった。この法改正によって集団的自衛権の限定的な行使が可能となり、日米同盟の実効性が強化されることになった【注22】。

安倍政権が重視した自由主義における「法の支配」と積極的平和主義

他方、平和安全法制の整備については、国内法整備よりも先に新ガイドラインを策定したことについて、先行して既成事実作りをした上に、結果的に米国の戦争に巻き込まれるのではないかという批判もあり、憲法学者や市民社会からの反対の声も強かった。国外でも、軍国主義の復活を懸念する声も聞かれた。靖国神社参拝に積極的であったこともあり、安倍首相を「タカ派」とみなし、右傾化を警戒する論調が活発になっていった。しかし、安倍政権の外交・安全保障政策の基調は、自由主義的な価値の重視に置かれていた。2010年に発生した尖閣諸島中国漁船衝突事件の影響もあり、いやがおうにも中国の台頭に対する警戒感は高まってはいたが、そのなかで取られた対応は、日米同盟の強化に加え、リベラルな価値観、特に「法の支配」の重要性を強調することであった。

自由主義に基づく「法の支配」を重視する安倍の認識は、2012年末、政権復帰の翌日に安倍首相が発表した英文論考「Asia’s Democratic Security Diamond」に典型的にみられた。同論考において、安倍は、日本としては、中国の東シナ海・南シナ海進出の阻止を狙いとしていることを明らかにし、この目的に沿ってインド太平洋における貿易ルートと法の支配を守ることを訴えるとともに、海を「力ではなく法律とルールで統治する」ことの今日的必要性を強調した【23】。さらに首相就任後、在ワシントンのシンクタンク、戦略国際問題研究所にて、日本外交の基軸とみなされている日米同盟について安倍首相は「一層強化して、日米のきずなを取り戻さなければなりません」と述べ、日本は「ルールの増進者」としての役割を果たすとし、同盟関係の強化を目指すことを表明した【注24】。

安倍首相の自由主義重視の姿勢は、その政権下で次々と実現していった政策に明確に具現化された。たとえば国家安全保障戦略では、基本理念として、従来の理念を「消極的平和主義」と位置付け、その転換を図って「国際協調主義に基づく『積極的』平和主義」が掲げられた。つまり、日米同盟重視に限らず、国連PKO、政府開発援助(Official Development Aid: ODA)や防衛装備品の技術協力などの多国間協力にも積極的に関わり、総合的にリベラルな国際秩序を維持するという秩序維持のための日本の平和主義へと変質した。これを日米同盟基軸に、米国とともにリベラルな世界秩序を維持していくというリベラル重視のエッセンスである。たとえば、安保懇談会の実質的な取りまとめ役を務めた北岡伸一・国際協力機構(Japan International Cooperation Agency: JICA)理事長)は、日本のODAや国連PKOへの参加が積極的平和主義の現れだと指摘した【注25】[25]。それは、リベラルな国際秩序を維持し、守るために、日本が文字どおり積極的に役割を果たすという表明であり、国際社会における日本の位置づけを意識したものである。

「自由で開かれたインド太平洋構想(FOIP)」と「法の支配」

こうした安倍の自由主義に基づく「法の支配」重視の姿勢は、FOIP、――自由で開かれたインド太平洋構想――にも鮮明に打ち出された。第一次安倍政権は、目立った成果をほとんど残さず短期間で幕を閉じたがが、そのわずか1年の任期中、現在のFOIPにつながる「自由で開かれたインド太平洋」概念が導入されたことは銘記されるべきだろう。これは、法の支配に基づく自由で開かれた海洋秩序による国際社会の安定と繁栄のために、インド太平洋地域における海上保安能力構築支援や法整備支援、自由貿易や航行の自由を実現するためのルール維持と強化の必要性を訴えるものである【注26】。その起源は、2007年8月、安倍首相がインド国会で行った「二つの海の交わり」演説にあるとされ【注27】、さらに、これに先立つ同年5月には、自由主義の価値を共有する日本、米国、オーストラリア、インド4カ国による戦略対話、いわゆる「QUAD(クアッド)」も形成されていた。ただし、当時、このイニシアティブは中国に対する強硬策と受け取られ、インドとオーストラリアはあまり積極的ではなかったことに加え、提唱者である安倍首相自身が上記演説のわずか1ヶ月後に退陣したこともあり、ほとんど具体的な成果はなかった。

しかし、第二次安倍政権下、FOIPは息を吹き返し、特に2017年ごろからは日本の外交・安全保障政策の要として繰り返し強調されるようになった。それに伴い、FOIPの方向性は、実務的な政策のなかに落とし込まれ、次々と具体化していくことになる。その一環として、QUADが復活し、2019年9月には、初の4カ国外相会談開催にこぎづけ、同年11月には、インド洋上において、日米印三ヶ国共同訓練「マラバール」が初めて実施され、翌年にはオーストラリアも加わるQUAD4カ国が「マラバール2020」を実施した。FOIPやQUADが当初、提唱されてから10年以上経つうちに、域内における中国の著しい台頭に対する各国の対中観が大きく変化したことにともない、インド太平洋が重要な地域概念として認識されるようになった。そのなかで自由主義という共通の価値を軸として打ち出すことに重要性が認識されるようになったことが背景にある。このように、近年、各国から注目を集めるようになったFOIPの源流は、実は短命に終わった第一次安倍政権によって形作られていたのである。

安倍政権の挑戦が一区切りついた2016年秋に、米国でトランプ政権が誕生した。よく知られているように安倍首相は、トランプ大統領との信頼関係をてこに、日米同盟の強化に腐心した。「アメリカ第一主義」を掲げたトランプ大統領には、同盟国との関係を軽視し、国際リベラル秩序を揺るがす懸念の声もあった。そのなかで、安倍首相は、いかにして米国との同盟関係を維持・強化するかという難題に直面した。しかし、中国の海洋進出の激化などにより、日本の安全保障政策の実効性の確保と、日米同盟が強固であることの重要性は増す一方、東アジアを含むインド太平洋全体が、リベラルな国際秩序の維持を考えた時には、戦略的に極めて重要な地域として位置づけられる。こうした認識にたつ安倍首相は、トランプ大統領に対して、インド太平洋重視の必要性を説得し続けたのである。

トランプ政権発足後の2017年2月に開かれた日米首脳会談ではアジア太平洋地域における中国の拡大防止に対するコミットメントへの具体的言及や尖閣諸島への日米安全保障条約第5条の適用などに関する共同声明が出された。さらに、同年11月に初訪日したトランプ大統領は安倍首相とFOIPの実現のために、①法の支配、航行の自由等の基本的価値の普及・定着、②連結性の向上等による経済的繁栄の追求、③海上法執行能力構築支援等の平和と安定のためという3つの取組みにおける日米協力に合意し、日米同盟の文脈の下でFOIPが明確に重要視されるようになった【注28】。また、周知のように米国の安全保障・貿易政策でも、より中国に対する強硬姿勢が強まり、インド太平洋へ戦略的に焦点があてられるようになった。2017年12月には、アメリカの国家安全保障戦略が改定され、中国やロシアとの大国間競争を基調にインド太平洋地域は優先課題地域と位置付けられた。さらに中国の軍事的脅威への対応や同盟国・友好国からの協力が銘記されるともに、日米豪印の連携重視も発表された【29】。インド太平洋概念定着の一つの象徴は、米国太平洋軍(PACOM)の名称が、米国インド太平洋軍 (INDOPACOM)へと改称されたことだろう【注30】。

米国がトランプ政権下にあった間、リベラルな国際秩序が衰退したという見方もある。だが、アイケンベリーが指摘するように、米国単独でのリベラルな覇権が衰退していても、リベラルな国際秩序が根付いていれば、米国と同盟国が共同でリベラルな国際秩序を維持していく力が働く。こうしてリベラルな国際秩序が維持される構図が、トランプ政権下で進展し、とりわけインド太平洋地域ではその担い手として、安倍政権があったといえるだろう。ここまでみてきたように安倍政権下で法の支配などのリベラルな価値観に基づく枠組みが推進され、トランプ政権期においても、米国主導のリベラルな国際秩序は維持されたと考えられる【注31】。ただし、トランプ政権下で米中対立がより激化し、インド太平洋政策が対中強硬政策と同一化されることで、より米中の対立構造が際立ってしまったことも確かである。

バイデン政権下のリベラルな国際秩序重視への回帰

日米同盟を基調とする日本の安全保障政策は、米国が率いるリベラルな国際秩序を強化するかたちで強化されてきた。本論で整理したように、安全保障環境と米国の政権の方針により、その米国のリベラルな施策の性質が変わってきた。90年代にいわれたリベラルな日米同盟においては、日本の平和主義を考慮し、人道支援などの非伝統的な安全保障な分野で日本がより積極的に貢献することでリベラルな同盟を強固するという考えがあった。しかし21世紀に入ると、力による現状変更を試みる中国の台頭により、日米同盟を強固にし、米国が率いるリベラルな国際秩序を維持しなければならないという、より伝統的安全保障の文脈での要請が強くなった。2010年代を担った第二次政権以降の安倍外交はこの認識を基盤とするものだった。

他方、トランプ政権下の米国の強硬な対中政策によって米中対立が際立つようになり、自由主義をうたう価値観を用いた外交が中国包囲網とみなされるようになった。日本を含めて中国との関係悪化を避けたい国々は慎重に対応していたが、中国は既存の国際秩序に対し、政治的、経済的、軍事的、技術的に挑戦する姿勢も示してきている【注32】。これにより、米国のリベラルな国際秩序を確立することは、「中国包囲論」に近いものへと急速に変質させたともいえよう。実際にFOIPについては、山﨑周氏による本連載企画掲載の論考『中国は日本の「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」構想をどう見ているのか』で指摘した通り、中国に向けられた地政学的な戦略であると中国側に認識されているため、米中双方に根強い不信感が存在する【注33】。

トランプ政権と異なり、バイデン新政権は同盟関係構築を重視し、米国のリベラルな国際秩序の立て直しを目指すというのが一般的な見方だ【注34】。中国との関係も、オバマ政権の楽観的な観測に基づいた関与政策とは異なり、協力関係を破棄するわけではないが、競争相手としてみる姿勢が鮮明になっている。2021年3月18日に米アラスカ州で開かれた2日間の米中高官協議においても、異例の非難の応酬が繰り広げられ、米中対立が浮き彫りになった【注35】。中国台頭を視野に、バイデン政権はリベラルな国際秩序を再確立し、少なくとも日本などの同盟国との良好な関係維持を目指すだろう。しかし、新型コロナウイルスの蔓延により弱体化した米国にはかつてのように良くも悪くも指導力を発揮してリベラル国際秩序を構築する余力はないため、今後、日本がリベラル国際秩序の維持のために果たす役割が一層増していくだろう。

【注1】NHK(2021).「米 バイデン大統領 安全保障戦略の指針公表 同盟強化の方針」、 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210304/k10012896851000.html 

【注2】ロイター(2021).「米国務長官の訪日通じ「絆いっそう強固に」=日米外相会談で茂木氏」、https://jp.reuters.com/article/motegi-blinken-idJPKBN2B80FI 

【注3】便宜上、肩書きは当時のものにしておく。

【注4】マイケル・オースリン(2020).「安倍晋三は『顔の見えない日本』の地位を引き上げた」、Newsweek Japanhttps://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/09/post-94316.php

【注5】2021年2月12日のNHK世論調査によれば、菅義偉内閣に対する不支持率が2ヵ月連続4割超え(41%)が、わずかながら支持率(40%)を上回り、首相の指導力に翳りが出ている感は否めない。時事通信(2021).「内閣不支持、初の4割超え ワクチン「期待」82%―時事世論調査」、https://www.jiji.com/jc/article?k=2021021200828&g=pol   

【注6】一方、米国が率いる一極体制の世界だという見方に対し、冷戦終焉そのものが「一時的な」一極体制であり、実際のところ多極的な世界であるという主張もある。Krauthammer, C.(1990). ‘The Unipolar Moment,’ Foreign Affairs, https://www.foreignaffairs.com/articles/1990-01-01/unipolar-moment 

【注7】Fukuyama, F.(1992). The End of History and the Last Man. New York: Free Press.

【注8】Jahn, B.(2013). Liberal Internationalism Theory, History, Practice. Basingstoke: Palgrave Macmillan. 一方、良くも悪くも柔軟性のある理論であるため、ネオコン的なアプローチとリベラルな介入主義という「奇妙な組み合わせ」も可能にしたという指摘もある。Allison, G.(2018). ‘The Myth of the Liberal Order: From Historical Accident to Conventional Wisdom,’ Foreign Affairs, https://www.foreignaffairs.com/articles/2018-06-14/myth-liberal-order

【注9】Epstein, R.(2005). ‘NATO enlargement and the spread of democracy: Evidence and expectations,’ Security Studies 14(1): 63–105; Gheciu, A. (2019). ‘NATO, liberal internationalism, and the politics of imagining the Western security community,’ International Journal: Canada’s Journal of Global Policy Analysis, 74(1): 32-46.

【注10】リベラリズム学派を代表する米国の国際政治学者であるジョセフ・S・ナイが、当時、米国の国防長官補(国際安全保障担当)の地位にあり、米国側での「同盟の再定義」プロセスを主導していたため、その名をとって「ナイ・イニシアチブ」、「ナイ・レポート」などと通称される。

【注11】日米の安全保障・防衛協力の実効性を向上させるため、役割や任務などのあり方における政策的な方向性を示すものである。1978年に冷戦時を踏まえ、「日本有事」に備えて策定されたが、1997年に朝鮮半島での戦争を想定し「周辺事態法」を盛り込まれた。

【注12】各自の所属先は、2021年3月現在のものである。

【注13】O’Hanlon, M. E. and Mochizuki, M. M.(1998) ‘A Liberal Vision for the US-Japanese Alliance,’ https://www.brookings.edu/articles/a-liberal-vision-for-the-us-japanese-alliance/;植木(川勝)は、日本の対中政策において、「リベラル抑止」政策、つまり経済と安全保障における相互依存の協力を用い、協力を促し、抑止による非協調的行動のコストをあげることを指すものだと説明している。http://www2.jiia.or.jp/kokusaimondai_archive/2000/2009-11_003.pdf?noprint

【注14】Ikenberry, G. J.(2018). ‘The end of liberal international order?,’ International Affairs 94(1): 7–23.

【注15】ネオコンサバティズム (neoconservatism) の略であり、自由主義や民主主義を重視するとともに、武力介入も辞さない思想の事を指す。

【注16】たとえば、前政権からの懸案であった防衛庁から防衛省への昇格が第一次安倍政権で実現したほか、自衛隊法改正も試みられた。2006年11月、首相官邸の国家安全保障に関する司令塔としての機能強化のため、「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」が設立され、自衛隊の制服組を意思決定トップに加えることで安保・危機管理体制の変革をもたらしたものであった。

【注17】同大綱では、2010年、民主党政権下に策定された旧大綱で示された「動的防衛力」概念を発展させ、陸海空の統合運用と南西海域・島嶼の機動的展開を重視する「統合機動防衛力」という概念が導入された。

【注18】新三要件とは、①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、➁これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきことである。内閣官房「『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』の一問一答」https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/anzenhoshouhousei.html#shinsanyouken 

【注19】2013年度版では「わが国は、主権国家である以上、国際法上、当然に集団的自衛権を有しているが、これを行使して、わが国が直接攻撃されていないにもかかわらず他国に加えられた武力攻撃を実力で阻止することは、憲法第9条のもとで許容される実力の行使の範囲を超えるものであり、許されないと考えている。」 とあったものが、2014年度版は修正され、憲法9条に縛られないものとして再定義されている。防衛白書(2013). http://www.clearing.mod.go.jp/hakusho_data/2013/2013/pdf/25020102.pdf 

【注20】新ガイドラインは、①シームレス(切れ目のない)な対応、➁グローバル、宇宙やサイバーを含む対象範囲の拡大、③日米間で実際に機能するメカニズムの構築の3つの柱を中心に構成された。同年11月3日には、やはり新ガイドラインに基づき、「同盟調整メカニズム」が設置された。有事にシームレスに対処するために、日米間で平時から協議や調整を緊密にすることを目的としており、実際に翌2016年2月の北朝鮮によるミサイル発射の際にはさっそく活用された。沓脱和人(2016).「平和安全法制成立後の防衛論議 ― 日米同盟の強化のための取組と在日米軍の駐留に係る諸課題 ―」、立法と調査, No. 379: 62-78.

【注21】前者の法案は、自衛隊法、国連PKO法、周辺事態安全確保法(重要影響事態安全確保法に改正)、船舶検査活動法、事態対処法、米軍行動関連措置法、特定公共施設利用法、海上輸送規制法、捕虜取扱い法、国家安全保障会議設置法の10本の法律の改正するものであり、後者の法案は国際社会の平和と安全のために活動する他国軍隊への支援活動を行うため、新規に恒久法を制定しようとするものである。

【注22】中内康夫、横山絢子、小檜山智之(2015).「平和安全法制関連法案の国会審議― 4か月にわたった安保法制論議を振り返る ―」、立法と調査、No. 372: 3-30;これにより、自衛隊の米軍防護は2017年に2件だったものが、翌年は16件と徐々に増え、さらに、2015年の防衛大綱に基づき、2018年には日本の陸上自衛隊に新編された部隊である水陸機動団が誕生し、米国の海兵隊との共同訓練「アイアンフィスト2020」も2020年2月に実施され、米国を率いる国際リベラル秩序を維持するための日米同盟が強固にされていくこととなる。

【注23】2016年8月にケニアで開催されたアフリカ開発会議(TICAD)の基調演説で安倍首相は「世界に安定、繁栄を与えるのは、自由で開かれた2つの大洋、2つの大陸の結合が生む、偉大な躍動にほかなりません」と述べ、2017年版の外交青書にFOIPの概念が導入されている。ただ、日本は対中関係構築もFOIPと並行して進め、インド太平洋「戦略」ではなく、「構想」と言い換え、軍事的な意味合いを弱め、中国の「一帯一路」構想に対し条件付きで支持すると表明し、中国との関係構築を試みられた。これを「戦術的ヘッジング」を用いたものとみなせる。Koga, K.(2020). ‘Japan’s ‘Indo-Pacific’ question: countering China or shaping a new regional order?,’ International Affairs 96(1): 49-73.

【注24】外務省(2013).「安倍総理大臣演説:日本は戻ってきました」、https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/25/abe_us_0222.html; また、2014年5月、第13回国際戦略研究所アジア安全保障サミット(シャングリラ・ダイアローグ)においても、安倍は「アジアの平和と繁栄よ永遠なれ」と題して基調講演を行い、自由主義的な考えのひとつである「法の支配」の重要性を強調したのである。外務省 (2014).「第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)安倍内閣総理大臣の基調講演」、https://www.mofa.go.jp/mofaj/fp/nsp/page4_000496.html 

【注25】北岡伸一(2014).「『積極的平和主義』に転換する日本の安全保障政策」、Nippon.comhttps://www.nippon.com/ja/currents/d00108/ 

【注26】外務省(2017).「2017年版開発協力白書 日本の国際協力」、https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/17_hakusho/menu/m_honbun.html

【注27】外務省(2007).「二つの海の交わり」https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/enzetsu/19/eabe_0822.html

【注28】外務省(2017).「日米首脳ワーキングランチ及び日米首脳会談」、https://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page4_003422.html

【注29】White House(2017). ‘National Security Strategy of the United States of America,’ https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2017/12/NSS-Final-12-18-2017-0905.pdf 

【注30】また中国を念頭にインド太平洋における軍事上の競争に特化する「太平洋抑止イニシアティブ」も創設された。約70億ドルの国防権限法の予算案も盛り込まれ[30]、中国台頭に対抗するような姿勢を米国は示したのである。ロイター(2020).「米上院委、7400億ドルの国防権限法案を公表 中国念頭の措置など」、https://jp.reuters.com/article/usa-defense-china-idJPKBN23I3C4 

【注31】これに関し、その方法はむしろ古典的であり、軍事的拡大や同盟を伴うパワーバランスのアプローチや、中国を含む民主的、権威主義的を問わず、様々な政治体制との間で協定を結ぶという古典的な外交的アプローチが含まれているという指摘もある。Tamaki, N.(2020) ‘Japan’s quest for a rules-based international order: the Japan-US alliance and the decline of US liberal hegemony,’ Contemporary Politics, 26: 384-401.

【注32】NHK(2021).「日米2プラス2 成果文書発表 中国の海洋進出などを強くけん制」、https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210316/k10012918091000.html 

【注33】山崎周(2020).「中国は日本の『自由で開かれたインド太平洋(FOIP)構想』をどう見ているのか?―セキュリティ・ディレンマの観点から」、シノドス、https://synodos.jp/international/23722 

【注34】Biden, J. R. Jr.(2020). ‘Why America Must Lead Again: Rescuing U.S. Foreign Policy After Trump,’ Foreign Affairs (March/April) https://www.foreignaffairs.com/articles/united-states/2020-01-23/why-america-must-lead-again 

【注35】William Mauldin(2021).「米中高官協議が終了 両国の主張対立鮮明に」、The Wall Street Journal 日本版https://jp.wsj.com/articles/bitter-alaska-meeting-complicates-already-shaky-u-s-china-ties-11616199158

プロフィール

松岡美里国際関係理論、安全保障研究

帝京大学外国語学部准教授。ウォーリック大学大学院博士課程修了(政治学・国際関係学博士)。国際関係理論、安全保障研究、日本の外交政策、アジア太平洋/インド太平洋における地域主義についての研究を専門とする。主要な業績は「Hegemony and the US-Japan Alliance」(単著)Routledge、2018年など。

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