2011.01.28

ロシア空港テロ事件 ―― その背後にあるもの

廣瀬陽子 国際政治 / 旧ソ連地域研究

国際 #テロ#ロシア#メドヴェージェフ#北コーカサス#ドモジェドボ空港#北カフカス連邦管区#国家対テロ委員会#対テロ掃討作戦

じつはロシアで多発しているテロ

日本などではほとんど報じられていないが、じつはロシア国内、とりわけ北コーカサス地方では、きわめて頻繁にテロが発生している。空港テロの直後である1月26日にも、北コーカサスを構成するダゲスタン共和国のハサヴユルトで、カフェの近くに止めてあった車が爆発し、4人が死亡、6人が負傷するテロが発生している。

今回の空港テロのように、ロシアの首都圏で大きなテロが起きたり、ロシア人に犠牲者が出たりすると、国際的に大きく報じられるが、地方でのテロやロシアの辺境の紛争の動向は世界の注目をあまり集めない。

また、第一次、第二次で犠牲となったチェチェン人についても報じられる機会はきわめて少ない。チェチェン人はチェチェン紛争で20万人以上が亡くなってきたし、現在も日常的に恐怖に直面しているが、ロシア人のテロの犠牲者は1000人を超えないという。テロの撲滅を考えるのであれば、国際社会はまず、北コーカサスの現実に目を向けるべきではないだろうか。

報道はなされていないが、北コーカサスにおける犠牲者の数はきわめて多く、いま現在も増える一方である。また、2014年に五輪開催が予定されているソチは、テロが頻発している北コーカサス地方の西部に位置しており、実際にソチでもテロが起きているため、政府は北コーカサスの安定化に躍起になっているのである。しかし、上記したように、当局の北コーカサス対策はうまくいっていない。

苦悩する北コーカサスの人々

ロシアの国家対テロ委員会は2009年4月16日に、チェチェン共和国で過去10年間にわたって継続してきた「対テロ掃討作戦」の終了を宣言した。ロシア軍がチェチェン人に対して行ってきた数々の残虐行為については、本稿では割愛せざるをえないが、多くの犠牲者が出て、多くの難民も発生していることは留意されるべきだろう。そして、ロシアの対テロ掃討作戦が終わったからといって、チェチェンが平和になったわけでは決してない。

プーチン大統領時代に、「チェチェン紛争のチェチェン化」が進められた。つまり、チェチェンにおける武力行使の担い手がロシア軍からチェチェン人へと変えられ、プーチンの「傀儡」とされる(ただし、完全な傀儡ではなく、カディロフはプーチンの機嫌をとりながらかなり好き勝手な行動を取りつづけてきた)、カディロフ父子(当初、元ムフティのアフマド・カディロフがチェチェンの大統領となったが、2004年にテロで暗殺されてからは、息子のラムザン・カディロフがチェチェンを掌握してきた)にチェチェンの正常化を任せたのだが、カディロフ、とくに息子のラムザン・カディロフは、チェチェンに恐怖政治を敷いてきた。

カディロフはロシア政府からの財源を私的に利用して、贅沢三昧の生活を送って、チェチェンの復興をごく表面的にしか進めない一方、カディロフの私兵といえる「カディロフツィ」は、一般住民に対して、数々の悪徳行為を行ってきた。金品の強奪、誘拐・強姦・拷問などとセットにされた多額の身代金要求、殺害など、その悪行については枚挙にいとまがない。そのため、チェチェン人のなかには、ロシア軍よりカディロフおよびカディロフツィを恐れる者も少なくないのである。

そのような恐怖政治のなか、チェチェンのイスラーム武装勢力のほとんどはチェチェンを離れ、活動の拠点を周辺の北コーカサス諸国に移した。だからこそ、北コーカサス全体がテロにまみれ、不安定化しているのである。北コーカサス全体で、住民は不安定な情勢に怯えている。

さらに、12月27日の拙稿「モスクワ暴動:高まる民族主義の危険」に書いたように、現在、ロシアではコーカサス系民族に対する排外主義が高まっている。今回の空港テロの誘因を、12月に起きたコーカサス系民族に対する、ロシア人民族主義者の一連の攻撃などに求めるロシアの専門家の意見もあるほどだ。そのようなロシアの危険な趨勢が、テロを刺激している側面もあるといえるだろう。

問題の本質を

ここで考えなければならないのは、繰り返される悲劇をどうやって止めるか、である。

北コーカサスには「血の復讐」という伝統がある。すなわち、一族の誰かを殺された者は、一族による血の復讐を宣言し、一族の成人男子が全員で協力して、殺人者ないし、その一族の誰かの命(殺されたのが女性の場合は二人の命)を奪うことができるというものだ。そして、一族の責任は7代にわたって引き継がれる。

こういう伝統ばかりが知られ、「だから北コーカサスの人間は野蛮だ」というような思い込みがもたれている感があるが、実際は、各社会で紛争を仲裁するさまざまな決まりごとがあり、実際には殺人による復讐が常態化してきたわけではないし、また「血の復讐」を避けるべく、彼らの行動規範である伝統慣習法(アダート)を守り、つねに抑制や忍耐を心掛けて慎重に行動してきたのである。

北コーカサスの人々が粗暴なので、テロによってしつこく復讐をしているというイメージが蔓延しているような気がするが、実際は、一部の過激派がテロを行っているだけであり、北コーカサスの人々全員がテロリストだというわけでは決してないことを強調しておきたい。

とくに、自爆テロを行っているとされるいわゆる「黒い未亡人」は、紛争などで夫や息子を失い、生きていく希望をまったくなくしたところで、過激派に拉致されたり、勧誘されたりして、洗脳や教育を施され、テロリストに仕立て上げられている場合がほとんどである。爆発物が入った荷物を運ぶように命令され、遠隔操作で爆破されている場合もあり、自分がテロリストであるという意識もまったくないままに自爆している者も多いという。

このままでは悲劇の連鎖はずっとつづいてしまう。そろそろ国際社会もこれまでチェチェンや北コーカサス諸国の人々が味わってきた悲劇を理解し、問題の根本的な解決を考えるべきではないか。

推薦図書

本書はロンドンでポロニウムにより謎の死を遂げた元FSB(ロシア連邦保安庁)将校のリトヴィネンコらが、FSBを告発した内容やリトヴィネンコのロシアからの逃亡過程などが描かれたものであり、ロシアでは発禁となった。その内容から、ロシアの秘密諜報機関の実像やテロの本質を垣間見ることができる。

リトヴィネンコはチェチェン紛争の契機となった1999年のアパート連続爆破事件などをはじめとした、「チェチェン人による」とされるテロがじつはFSBの自作自演であることをまざまざと記している。FSBから受けた違法な暗殺指令を暴露したり、あらゆる面でFSBを告発してきた著者の告発はじつに重みをもっており、謎が多いロシアのテロの理解を深めることは間違いない。

プロフィール

廣瀬陽子国際政治 / 旧ソ連地域研究

1972年東京生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授。専門は国際政治、 コーカサスを中心とした旧ソ連地域研究。主な著作に『旧ソ連地域と紛争――石油・民族・テロをめぐる地政学』(慶應義塾大学出版会)、『コーカサス――国際関係の十字路』(集英社新書、2009年アジア太平洋賞 特別賞受賞)、『未承認国家と覇権なき世界』(NHKブックス)、『ロシアと中国 反米の戦略』(ちくま新書)など多数。

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