2025.08.01

マオリ文化とデジタル教育の交差点──Digital Natives Academyが描く新たな学びのかたち(ニュージーランド)
ニュージーランド北島の小さな街、ロトルア。
ここでいま、マオリやパシフィカ系の若者たちが、デジタルの力を借りて自分たちの文化と未来を創り出そうとしています。
Digital Natives Academy(以下DNA)は、2014年にマオリの起業家 Nikolasa Biasiny‑Tule と Potaua Biasiny‑Tule によって設立された非営利団体。
マオリやパシフィカ系の若者に向けて、コーディング、ゲーム開発、アニメーション、eスポーツなどのデジタル教育を無償で提供しています(公式サイト)。
活動の中心となる教室「DNA Lab」では、たんなるスキルの習得にとどまらず、自分たちの文化的背景やアイデンティティをもとに、映像やゲーム、ストーリーテリングを通じた表現に挑戦しています。
こうした活動を通じて若者たちは、テクノロジーを「自分たちのもの」として使いこなし、未来を切り開く力を身につけていきます(Digital Natives Academy)。
「テクノロジーは都市のものでも、富裕層のものでもない。どのコミュニティにも、その可能性を開く扉がある」
──この言葉に象徴されるように、DNAの理念は、誰もが未来にアクセスできる社会を目指すものです。
都市や特権層に限定されがちなテクノロジーの機会を、マオリの若者たちに開く。
DNAの活動は、デジタル時代の包摂と文化再構築のひとつの実践として、世界的にも注目されています(UNESCO公式ページ)。
マオリとデジタル技術の交差点
ニュージーランドの先住民族であるマオリは、2023年の国勢調査によれば、人口約97万8千人。全国人口の約19.6%を占めています。
平均年齢は27.2歳と、国全体(38.1歳)に比べてとても若く、これから社会を支える重要な存在です(Stats NZ/NZ Herald)。
一方で、マオリの若者たちは、教育や雇用の面で、多くの課題に直面しています。
たとえば、高等教育への進学率や学士号の取得率は、欧州系住民に比べてきわめて低い。
マオリの学士号保有率は約10.3%、欧州系では約20.4%と、2倍の差があります(AKO Aotearoa『Weaving the Mat』レポート)。
また、STEM(科学・技術・工学・数学)分野への進出率も低い。
背景には、経済的困難、言語的・文化的疎外感、教育資源へのアクセス制限など、複数の要因が重なっていると言われます(Ministry of Education, Education Counts)。
しかし、同時に注目すべきは、マオリ文化が口承、視覚表現、共同性に富むという点です。
伝統的に知識は文字でなく、話し言葉、儀礼、彫刻や舞踊によって継承されてきました。
こうした文化的特性は、デジタル技術と高い親和性をもちます。
ストーリーテリングや映像表現と結びつくことで、新たらしい創造の可能性に開かれているのです(What Works NZ “Digital Natives Academy – Evaluation Summary”)。
こうした背景から国家レベルでも、「デジタル包摂(Digital Inclusion)」が重要な政策課題となっています。
ニュージーランド政府は2022年に、「Digital Strategy for Aotearoa」を発表。
すべての人が、テクノロジーに平等にアクセスできる社会を目指すと宣言しました。
とりわけ、先住民族や地域コミュニティとの協働を、不可欠な柱としています(NZ Government, Digital Strategy)。
Digital Natives Academyの活動
DNAが目指すのは、テクノロジーを「自分たちの文化を語る言語」として自在に使いこなす力を育むことです。
UNESCOやNZQAによっても高く評価されており、プログラムはcoding, animation, esports を柱に、文化的文脈を組み込んだ教育を提供しています(UNESCO概要)
DNAの生徒たちは、ゲーム開発やアニメーション制作、ストーリーテリングなど、多様なクリエイティブ技術を学びながら、自らの文化的アイデンティティを表現する機会を得ています。
教育理念には、「Te Ao Māoriの視点をプログラムに組み込む」とあります。
さらに注目すべきは、eスポーツを「教育的なリーダーシップと協調スキル育成の手段」として活用している点です。
DNAはRiot Gamesと共同で、eスポーツ学習プログラムを開発し、戦略、自己管理、実況スキル、チーム運営などを包括的に教えています。
DNAのもうひとつ特徴は、「若いメンターによる運営ループ」です。
かつての受講生だった若者が、ボランティアとして講師やサポーターになり、学びの成果を次世代へ還元しています。
これは地域のコミュニティと教育が伴走する、持続可能な循環モデルを実現する重要な仕組みとなっています(BayTrustストーリー)。
2025年6月、DNAは、その長年の活動とマオリ文化の革新への貢献が評価され、ニュージーランドの「Matihiko Awards」において、「Kaupapa Tōtara部門賞」を受賞しました。
この賞は、マオリ主導の団体がデジタル分野において、10年以上にわたりコミュニティに貢献してきたことを称えるものです(Rotorua Daily Post / NZ Herald, 2025年6月)。
語る力を、誰にひらくのか
DNAが目指しているのは、「語る権利」をテクノロジーによって取り戻すことだと言えます(UNESCO公式プロフィール)。
DNAの教育は、「自分は何を伝えたいのか」「何が大切なのか」と、自身に問うところからはじまります。
そして、コーディングやアニメーションなどの技術は、それを外に向かって翻訳する「新しい言語」として使われているのです(What Works NZ評価レポート)。
マオリの文化はもともと、口承や儀式を通じて物語を伝える伝統をもっています。
DNAはこの文化的特性を尊重し、若者たちがデジタルメディアという新たな表現手段で、自らの世界観やコミュニティの物語を再構築する機会を提供しています。
これは「文化を残す」ことにとどまらず、「文化が進化し、現代社会と対話する」プロセスでもあると言えるでしょう。
こうした取り組みは、包摂とは何かという問いも投げかけます。
テクノロジーを「与える」ことがインクルージョンではなく、自分自身の語りにアクセスできることこそが、真の意味での社会的包摂なのではないか。
──DNAの実践は、そのような可能性を示しています。
さらに、DNAの教育プログラムは、雇用や地域経済にも波及しつつあります。
InternetNZの報告書によれば、DNAを経た若者がBlender、Photoshop、Python、Premiere Proなどのスキルを身につけ、フリーランスのゲーム開発者や映像制作者となり、IT支援業務に進む事例が増加しています(InternetNZ最終報告書)。
このように、「文化 × 技術 × 経済」が交差するこのモデルは、地域に根ざしながらも未来を見据えた、持続可能なエコシステムとして機能しはじめているのです。
問いと展望
「学ぶ」とは、何を意味するのでしょうか。
それは知識を得ること、スキルを身につけること──そう考えられることが多いでしょう。
しかし、DNAの活動を見ていると、それだけでは足りないことに気づかされます。
子どもたちは、たんに技術を学んでいるのではなく、自分の物語をつくる手段として技術を「選び取って」いるのです。
テクノロジーが、自らつかみ取り、操り、そして語るための道具となるとき──そのときにこそ、本当の意味での「学び」や「包摂」が可能になるのではないでしょうか。
マオリの若者が、自らの文化をコードで再解釈し、ゲームや映像にして発信する。
そこには、「伝統を守る」だけではない、「未来に向けて進化させる」という創造的な意志がうかがえます。
それは、「自分たちも、この時代の一員である」と宣言する姿を見るかのようです。
ニュージーランドの小さなラボから始まったこの取り組みは、東南アジアや太平洋諸国に暮らす多くの若者たちにも、新しい可能性を示しています。
たとえば、東南アジアの山間部や都市スラム、離島地域など、語る手段から疎外された子どもたち。
彼らにとっても、「自らの文化や生活をテクノロジーで表現すること」が教育であり、社会参加であり、ひいては経済的自立への入り口となり得るのではないでしょうか。
文化と技術は、創造的に交わることができる。
「違い」は、学びの起点になる。語る力は、誰にでもある。
──この前提に立つ社会は、きっと強く、しなやかです。
今後、日本において、あるいはアジアの他の国々で、自分たちの文化や物語を「語る力」を、どのように支えていくのか?
テクノロジーの進歩が著しいいまだからこそ、その使い道を選ぶ自由と支援のあり方を、改めて考えるべきときが来ているのではないでしょうか。
プロフィール

芹沢一也
1968年東京生。
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
・株式会社シノドス代表取締役。
・シノドス国際社会動向研究所代表理事。
http://synodoslab.jp/
・SYNODOS 編集長。
・SYNODOS Future編集長。
https://future.synodos.jp/
・A Quiet Traceクリエーター
instagram.com/kazuyaserizawa_aqt/
・シノドス英会話コーチ。
https://synodos.jp/english/lp/
著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。