2025.08.06

〈声〉をどう届けるか──制度を動かす「市民参加」のデザイン(オーストラリア)
「こうしてほしい」「これはおかしい」と思ったとき、その思いをどこに向けていますか。
SNSでつぶやく、署名をする、あるいはデモに参加する――意見を表明する手段はたくさんあるように見えます。
しかし、自分の声が届いたと感じられる機会は、どれほどあるでしょうか。
私たちはいま、「声をあげる手段」に恵まれている一方で、「声が届く仕組み」については、なお課題が残されている時代に生きています。
民主主義とは、市民の声が制度を動かす仕組みです。
しかし、声が制度に反映されるルートは、かぎりなく不透明です。
市民の声をどうすくい上げ、どう政策に結びつけるのか。
今回取り上げるオーストラリアも、この問題に真摯に取り組んできました。
近年では、政府が主導し、公共サービスのデジタル化や、参加型の政策形成が進められています(Digital Transformation Agency公式ブログ)。
たとえば、Whole-of-government platformsと呼ばれるデジタル基盤が整備され、市民との対話を組み込んだ行政サービスの再設計が行われています。
また制度の外側からも、草の根の市民やスタートアップが、さまざまな試みを行ってきた歴史もあります。
たとえば、メルボルン発のOurSayは、かつてオンライン上で市民の質問を集め、政治家に届ける仕組みを実現しました。
さらに最近では、非営利団体Amplifyが、タウンホール形式の対話とオンライン参加を融合させ、市民の声をより多様なかたちで政策形成へとつなげようとしています。
この記事では、オーストラリアにおいて、「声が制度に届く仕組み」がどうつくられてきたのか、その模索をたどります。
そして、デジタル時代の民主主義が向かう先を、考えてみたいと思います。
政府の「デジタル化」は、市民参加をどう変えるのか?
オーストラリアではこの十年あまり、行政サービスのデジタル化が大きく進みました。
現在では、税金の申告、年金の申請、医療の記録確認まで、スマホひとつで手続きができるようになっています。
しかし他方で、「市民の声」はどうでしょうか。
行政は、その声をきちんと受け止められるようになったのでしょうか。
この問いに向き合うのが、オーストラリア政府内のDigital Transformation Agency(DTA)という組織です。
政府のデジタル政策をリードするこの機関は、「市民中心の設計(user-centred design)」という考え方を掲げています。
そして、たんなる「効率化」ではなく、行政サービスに市民が「参加しやすく」しようとしています(Digital Transformation Agency – Wikipedia)。
その一例が、Have Your Say(あなたの意見を聞かせてください)と呼ばれるオンライン意見募集の取り組みです。
オーストラリアでは、連邦政府から地方自治体に至るまで、さまざまな政策案について市民の声を募る仕組みが設けられています。
実際に、市民の意見によって、政策内容が修正されることもあります。
たとえばニューサウスウェールズ州では、2023年末に行われたLow and Mid‑Rise Housing Policyに関する意見募集で、約8,000件もの意見が市民から集まりました。
寄せられた声のなかでは、交通渋滞や地域の景観保護、必要な公共インフラの確保といった懸念が目立ちました。
集まった声を受けて、政府はいくつかの方針を見直しました。
たとえば、災害リスクの高い地域や文化的に大切な場所は対象から外され、交通や生活インフラの整ったエリアに絞って計画を進めることになりました(Low and Mid‑Rise Housing Policy公的意見募集結果 – NSW政府公式)。
こうした姿勢は、行政の側が「市民の意見を聞く準備ができている」というメッセージともなります。
ただし、誰もが平等に参加できるわけではありません。
デジタルに慣れていない人や、そもそもネット環境にない人の声は、まだ届きにくいままです。
そのため現在では、オンラインとオフラインの両方を使って、意見を集める取り組みも増えてきました。
市民の声は届くのか──OurSayからAmplifyへ
「市民の声は、本当に届いているのか?」
この問いに、政府でも企業でもない立場から挑戦した人たちがいました。
彼らがつくったのが、OurSay(アワーセイ)というオンラインプラットフォームです。
OurSayは2010年、メルボルンで設立されました。
目的は、市民と政治家のあいだに、もっと開かれた対話の場をつくること。
市民が「この問題について聞きたい」と思う質問を投稿し、それに他の市民が投票。
多くの支持を集めた質問が、政治家や政策担当者に届けられ、彼らが公開の場で答えるという仕組みでした。
2012年には、当時の首相ジュリア・ギラード氏が、OurSayの質問に答えるフォーラムに登場しました。
この出来事は、現職の国家首脳が、市民のオンライン質問に公開で応答する初の事例として注目を集めました。
SNSやスマートフォンの普及が進むなかで、「インターネットが政治との距離を縮めるかもしれない」と期待された象徴的な場面だったと言ってよいでしょう(OurSay – Wikipedia)。
その後、OurSayは地方自治体や非営利団体と連携し、地域ごとの政策づくりや選挙前の候補者との対話などにも活用されました。
政治家や専門家による「一方向の発信」ではなく、市民同士が議論し、優先順位を決め、そこに応答が返ってくるというかたち。
これは、当時の参加型テクノロジーのなかでも、独自の位置を占めていたと言えます。
その流れを引き継ぐかのように、2024年には、Amplifyという新たな取り組みがはじまりました(The Australian “Paul Bassat’s latest venture offers a voice for a divided Australia”)。
Amplifyは、住宅や環境といった社会課題に対して、多様な市民の声を対話によって集め、政策に反映させることを目的とした非営利団体です。
特徴的なのは、対面によるタウンホール形式の集会と、オンライン参加を組み合わせた参加設計です。
「意見を言える人」だけでなく、「言いたくても言えなかった人」にも開かれた場をつくること──Amplify がめざしているのは、そうした新しい公共のあり方です。
そこでは、立場の違いを前提としながらも、「このテーマについて話し合う意味がある」と感じられる共通基盤(uncommon ground)を探ることが重視されます。
運営には、元ニューサウスウェールズ州首相や業界団体のリーダー、スタートアップ創業者らが名を連ねます。
すでに住宅政策に関する市民討議イベントを実施し、13項目の改革提言を政府に提出するなど、具体的なアクションを開始しています。
市民参加の三つのかたち──制度、民間、そのあいだ
現代の民主主義において、「市民の声をどう制度に取り込むか」はきわめて重要な課題です。
オーストラリアでも、この問いに対して異なるアプローチが取られてきました。
政府が主導する制度と、民間が発案する仕組み。
あるいは、Amplifyのように、非営利の立場から公共政策と制度の接点を意識し、対話の構造をつくろうとする「中間型」の試み。
Have Your Sayなどの制度は、政府が設計し、一定の予算と制度に組み込まれた枠組みのなかで運営されています。
行政のウェブサイト上で、市民が意見を投稿できるページが定期的に公開され、テーマによっては最終的な政策決定にもつながります。
こうした仕組みは、ある程度の安定性と信頼性がある反面、テーマ設定が政府側に委ねられているため、参加の幅が限定されやすいという側面もあります。
一方、民間主導の試みは、形式にとらわれない柔軟な発想が特徴でした。
OurSayのように、市民が自分の関心にもとづいて質問を投稿し、他の市民がそれを支持することで優先順位が決まる。
そうしたボトムアップの仕組みは、制度にはのりにくい声を拾い上げる可能性を秘めていました。
ただし、完全に制度の外側で動くこのモデルは、運営資金や継続性、制度への影響力といった点で大きな課題にも直面します。
その中間にあたるのが、Amplifyのような新しい試みです。
制度には組み込まれていないが、政策決定者との接続をあらかじめ想定した設計になっており、対話の場と制度を橋渡しすることをめざします。
こうしたモデルの違いには、それぞれの強みと限界があります。
政府主導は制度との一体性を活かし、民間主導は自由な発想と市民の主体性を活かす。
そして中間型は、両者の特性をつなぎながら、より現実的な影響力を模索していると言えるでしょう。
いずれかに正解があるわけではなく、それぞれを補い合うかたちで組み合わせていくことが、これからの市民参加のあり方として求められています。
声を生かすために必要なもの
「声を届ける場所がある」
こう感じられることは、ただ意見が言えるという以上に、大きな意味をもちます。
社会の一員として尊重されているという感覚。
そして、自分たちの生活に関わることを発言できるという実感は、民主主義の土台を支えるものです。
オーストラリアでは、政府主導のHave Your Sayのような制度から、市民発のOurSayのような実験、そしてAmplifyのような新しい試みまで、さまざまなかたちで市民参加の仕組みが試みられてきました。
それぞれに違った特徴と限界がありましたが、共通していたのは、「対話の場」をどう築くかという問いでした。
そしていま、その問いは一層、重みを増しています。
気候変動、都市の再開発、社会的不平等──こうした大きな課題にどう向き合うかを考えるとき、専門家だけでなく、当事者としての市民の声が不可欠です。
だからこそ、たんに「意見を募る」だけでなく、どのように耳を傾け、どう政策に生かすのかが問われています。
しかし、結局のところ、大切なのは「仕組み」だけではありません。
どれだけ制度が整っていても、そこに真剣に耳を傾ける姿勢がなければ、市民の声は空中に消えてしまいます。
逆に、多少不完全でも、真摯に対話しようとする意志さえあれば、制度は育っていくものです。
オーストラリアで試みられた数々の挑戦は、日本を含む他の国や地域にとっても、大きな示唆を与えてくれます。
声を届けるとはどういうことか。
その声をどう受け取り、どう行動につなげるか。
そうした問いを、私たち自身の社会にも向けていくことが、次の一歩につながるはずです。
プロフィール

芹沢一也
1968年東京生。
慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。
・株式会社シノドス代表取締役。
・シノドス国際社会動向研究所理事
http://synodoslab.jp/
・SYNODOS 編集長
https://synodos.jp/
・SYNODOS Future編集長。
https://future.synodos.jp/
・A Quiet Traceクリエーター
https://www.instagram.com/kazuya_aqt/
・シノドス英会話コーチ。
https://synodos.jp/english/lp/
著書に『〈法〉から解放される権力』(新曜社)など。