2013.03.22
アフリカ取材のあり方を通じて日本のメディアを見つめてみる
ジンバブエが日本のメディアで取り上げられるのも珍しいので、わたしが働いているジンバブエの教育セクターのことが日本のメディアで取り上げられることなんて、まずないと思っていたのですが、驚くことに朝日新聞の「アフリカの風に吹かれて」という連載記事のなかで「672ドルになります 教育国の学力低下取材@ハラレ」と「人生を賭けた試験、背後に政府の人心掌握術?@ハラレ」と、二回にも渡ってジンバブエの教育が取り上げられました。
この「アフリカの風に吹かれて」は、アフリカ大陸に住み、歩き、語らい、感じ、そして日本を見つめるという趣旨の下に連載されているようなので、わたしもこの連載にならって日本のメディアのアフリカ取材のあり方から、日本のメディアのあり方を見つめてみようと思います。以下では、先ほどご紹介したそれぞれの記事の内容を順番に追っていって、日本のメディアのあり方を見つめてみます。
日本のメディアの傲慢さ
教育省の幹部に直接取材しようと押しかけたら、会議中だという。秘書が「質問と連絡先を紙に書いて」というので、ノートを破って書いて渡した。すると小一時間たって幹部から電話がかかってきて「質問があるときは、会社の正式な用紙に印刷するものです」と文句を言われる。
そもそも、ジンバブエにかぎらず、途上国の教育省の幹部は概して多忙です。途上国の教育官僚も、さまざまな陳情を受けたり、国会対応があったり、地方視察があったり、調査を行ったり、先進国の教育官僚と変わらない仕事をしています。ただ、途上国の教育官僚は先進国の教育官僚とは次の二点で大きく異なっています。
(1)人材・インフラ不足
つい先日、ジンバブエの国庫には217ドルしか残っていないことが、欧米や中東の主要メディアによって大きく報道され、日本のメディアでも取り上げられました。途上国の教育財政はここまでいかないにしても、大抵どこの国も逼迫した財政状況なので、新たに人を雇ことは難しく、教育省の内部を見ると、かなりのポストが空席のまま放置されているのが一般的です。普通の先進国ではこのような状況はないと思うのですが、基本的に途上国は先進国以上に少ない人材で仕事をしているというのが実情です。
さらに道路や電気などのインフラも整っていません。地方へ出張に行くのも、先進国なら日帰りで行けるような距離や行程であっても、鉄道はあるものの高速鉄道というには程遠く、それでいて道路の状況も良くないので移動に時間がかかる上に、治安上の問題で夜間は車の運転をすることができず、泊りになってしまったりすることもよくあります。
さらに、停電でパソコンやインターネットが使えなかったり、エレベーターが使えず10数階まで階段で行くこともあったりします。つまり、人もインフラも不足しているために、同じ仕事をしようとすると先進国よりも遥かに時間がかかってしまうという現状があります。
(2)ドナー・機関対応
わたしが働きだす前と比べて随分と改善されてきているそうなのですが、依然として国際協力業界でこれは大きな問題となっています。わたしの拙い仕事ぶりもそうさせてしまっている面があるので心苦しいかぎりなのですが、途上国の教育官僚は、世界銀行・ユニセフ・ユネスコ・UNDP・アフリカ(アジア・米州)開発銀行・ILOのような、教育関連の国際機関の職員との会議に頻繁に駆り出されてしまいます。
もちろん、援助の世界で動いているのは国際機関だけではありません。JICA、USAID、DFID、SIDA、GTZ、China AIDのような二国間援助機関(ドナー)も数多くあり、いくら近年コーディネートされてきているといえども、それらの機関との打ち合わせのために長い時間が割かれてしまうこともしばしば起きます。これに加えて、PLAN、World Vision、Oxfamのような数多くの国際NGOも途上国では活動しており、これらの国際NGOとの打ち合わせももちろんあります。
これだけでも頭が痛くなると思うのですが、各国には数多くの国内NGOも存在していて、教育省はこういった団体とも一緒に仕事をしています。近年、援助協調のスローガンとともに、この手間を減らそうという動きが盛んではありますが、まだまだ改善の余地があるのが現状です。
このように途上国の教育官僚の方々の多忙さは、教育省幹部と会議をするために、われわれでも10日前から彼らの日程を抑えさせてもらうことがあるほどです。とくにジンバブエの発展に貢献するような建設的な報道をするわけでもなく、ジンバブエで政治的なプレゼンスを発揮している報道機関でもない朝日新聞が、アポなしで押しかけていって教育省幹部に時間を取ってもらえるという考え方は傲慢以外の何ものでもないと思いました。
そもそも、日本の文部科学省の幹部に取材をするにあたって、いきなり押しかけて取材するような失礼なことをするのでしょうか? 日本での日々の業務のなかでやったら失礼なことは、基本的にどこの途上国に行っても失礼なことである、という認識が欠けているように思われます。途上国に対する驕りがそうさせているのかもしれませんが、これも傲慢以外の何ものでもないと思います。
この連載の別の記事 http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201302280366.html では、中央アフリカの大統領と面会するのにラフな服装、なんてこともされていますが、たとえば安倍総理に面会してもらうのにラフな服装でなんてありえないと思うのですが、一国のトップに時間を割いてもらってこの態度というのは、掲載されている写真を見ても傲慢さを通り越して一般常識が無いのではないか? と疑わざるを得ません。
事前準備を手抜きする日本のメディア
あげくに、問題のテストに関しては、ジンバブエ学校試験協議会(ZIMSEC)に聞けという。(中略)この資料は2012年度のO(オー)レベル試験の結果だった。日本で同じようなテストがないので比較できないが、あえて乱暴に言えば大学入試センター試験のようなものだ。
Oレベル試験について教育省に取材に行ったものの、ZIMSECに行くように指示をされてかなり不満を持たれたようです。Oレベル試験について解説をすると少し長くなるので省略しますが、朝日新聞の記者の方は日本の大学入試センター試験のようなものだという認識だったようです。
そのような認識をされているからなおさら問題だと思ったのですが、日本のセンター試験は大学入試センターによって取り行われており、センター試験について取材をするのであれば文部科学省ではなく、大学入試センターに取材に行くのが筋のはずです。ジンバブエのOレベル試験も日本のセンター試験と同じように、教育省ではなくZIMSECによって執り行われています。
つまり、センター試験の取材のために文部科学省に行ったところ、大学入試センターに行くように指示をされたのとまったく同じことで、これに対して不満を持つというのは教育省に対して不当に責任転嫁しているとしか評価しようがありません。このジンバブエのOレベル試験についても、イギリスや旧イギリス植民地では広く行われているもので、少し事前に下調べをしておけば、これぐらいのことはすぐに分かるはずです。ここから事前準備をほとんどせずに、適当な取材しかしていない日本のメディアの姿を見つめることが出来ます。
自分が見たいようにしか物事を見ることができない日本のメディア
学歴社会のジンバブエでは学位の有無がその後の人生に大きくものを言う。だから、Oレベルの合格率が下がるのは、大きな問題だというわけだ。
わたしには学歴社会という曖昧な言葉が意味するところが良く分からないのですが、教育の収益率が高いという点を指すのであれば、基本的にどこも途上国は先進国以上の学歴社会になっています。これは、そもそも教育を受けている人材が先進国と比べて少ないため、教育を受けた人材の希少価値が高かったり、産業構造的に中学校程度の教育が効果的だったりする、といった背景による部分が大きいためです。教育の収益率が高いから試験結果が悪くのなるのが問題、と言われても、わたしには何が言いたいのか良く分かりません。
では、なぜ今ジンバブエでOレベルの試験結果が悪くなったことが大騒ぎされているのかというと、それは学歴社会だからではなく、近年巨額のお金が教育セクターに流れ込むようになったのに、Oレベル試験の結果につながらなかったからです。
国際協力の世界では、ある国で何か大きな有事があり、メディアで大々的に報道されると、巨額の援助資金が流れ込んでくることがよくあります(メディアが取り上げなくなった途端に援助資金の流れが止まって、復興が頓挫してしまう・中期的な復興計画が立てられないといった問題もあるのですが)。ジンバブエでも未曽有のハイパーインフレーションの後に、緊急復興のための援助資金が流れ込みました。そして、この資金はもちろん教育セクターにも流れ込んでおり、この数年で教科書や学校設備といった子どもたちの学習環境は大幅に改善されてきています(とは言うものの、今年の夏には大統領選挙が予定されており予断は許されない状況ですが)。
莫大なお金が投入されたのに結果が伴わなければ、それはジンバブエにかぎらずどこの国でも大問題になりますが、これがジンバブエのOレベル試験問題の背景で、このような情報は調べればすぐに分かることです。このOレベル試験の結果が悪くなった問題に対して、援助資金の流入という背景を無視して学歴社会という言葉を持ち出している点から、日本のメディアが、自分たちが見たいようにしか物事が見られなくなっている状況を見つめることができます。
前半の記事だけでもこれら以外に、Oレベル試験のデータが欲しいと言って、その料金を請求されたことに不満を示している、(普通はデータが欲しいと言ったら個票データが出てきますし、日本のようないくつかの先進国でもこのようなデータは一部有料です)など問題点はいくつかあるのですが、触れているときりがなくなってくるので、後半の記事の内容に移ろうと思います。
安い陰謀論にはまる日本のメディア
経済が停滞し、恒常的に失業率は高くなった。大学を出ても職がないという状況が生まれ、大学が政権の批判勢力の温床になった。危機感を強めた政権は学生への抑圧を強め、大学に入る人間を制限するようになった。以来、その窓口とも言えるOレベル試験の合格率は低迷し続けている。
さて後編の記事へと移ります。後編の内容はたしかにもっともらしいものですし、日本も戦前は中等教育レベルで計画的に人数を絞っていた経験があり、ジンバブエ政府が敢えてOレベルの合格率を下げている、という陰謀論もあり得そうな話です。
しかし、この陰謀論はまったくもって事実無根でしかありません。教育省は今年のOレベル試験の結果を真摯に受け止め、なんとかしようとさまざまな対策を打ち出し始めており、筆者もこれに関連したとある業務の支援を行っています。さらに、ジンバブエにかぎらず途上国一般に幅広く見られるのですが、このような調査の指示を行える政府高官は政治任用であることが多いため、政治的に0レベルの合格率を下げつつ、その改善のための調査を行うという矛盾した行動を取るとは考えづらいところがあります。
さらに、これは良くもあり悪くもあるのですが、一般論として援助資金が流入している国が、意図的に教育の質または量を悪化させようというのは事実上不可能になっています。これは国際機関や各ドナーが援助計画とその評価をかなり厳格に実施しているために、教育の質または量が悪化しそうであれば、これらのアクター自身の評価にもつながってくるので全力でそうならないように行動しますし、悪化してしまったら援助資金が減額、最悪の場合打ち切りの可能性まであるからです。
これらのことを考えると、ジンバブエ政府が意図的にOレベルの合格率を下げているというのは事実無根な主張だと考えられます。この後編の記事の内容からは、裏も採らずにたったひとつの取材源の情報を鵜呑みにし、安い陰謀論を真に受けてしまう日本のメディアの実情を見つめることができます。まだ三流ゴシップ誌がこういうことをするなら分かりますが、朝日新聞レベルがこんなことをしてしまうとは正直驚きです。
内向きな若者ならぬ、内向きな日本のメディア
最後に、ジンバブエの教育セクター以外についての記事からも、少しだけ日本のメディアを見つめてみようと思います。ジンバブエ以外を扱った記事 http://www.asahi.com/special/news/articles/TKY201302260262.html のなかで、現在サハラ以南アフリカに常駐している日本の大手メディアの常駐記者は、たった4人しかいないことが明らかにされています。もちろん人数がすべてではありませんが、このグローバル化の時代に、しかも今年はTICAD(アフリカ開発会議)という日本とアフリカの関係上大イベントが控えているにもかかわらず、日本の大手メディアをすべて合わせても、サブサハラアフリカにたった4人しか常駐記者がいないという状況からは、内向きな日本のメディアのあり方を見つめることができます。
残念なことにわたしも若者とみなされる年齢からは外れてしまったのですが、ここまで記者の配置も報道のあり方も内向きな日本のメディアに、内向きと叩かれる日本の若者が不憫で仕方がありません。とくに、わたしはここジンバブエでわたしよりも若い青年海外協力隊の隊員や、外務省やJICAの任期付き職員として頑張っている若者を何人も見かけているので、この日本のメディアの状況は怒りを通り越してただ呆れるしかありません。
最後に
そろそろこの長い記事もまとめようと思うのですが、たかだか2本の朝日新聞の記事やひとつの連載で日本のメディアを見つめることができるのか? と、疑問に思った人もいるかと思います。もちろん、その通りでこれは不可能なことです。たとえば、わたしが一緒に仕事をさせて頂いているメディアの方は、傲慢さの欠片もなく、そこまでするか? というぐらいに取材の下調べや取材を行い、安い陰謀論ではなくエビデンスを丁寧に探し出していくような方々ですが、そんな彼らも紛れもない日本のメディアの一員です。
まともに日本のメディアについて調べもせずに、たった2本の記事から日本のメディアを見つめることは不可能なように、下調べや念入りな取材をせずにジンバブエの教育について分かるはずがないし、当然ですがそこから日本を見つめることなど不可能です。日本のメディアが全体としてどうなのかは分かりませんが、少なくともこの連載を担当している朝日新聞には、またジンバブエの教育を取材に来られるようなことがあるのであれば、ぜひしっかりと下調べを行い、丹念に取材をして、ジンバブエの教育と日本を見つめて頂きたいものです。
もちろん官僚の質・量ともに課題がないわけではないですし、より一層の奮起を期待したいところもありますが、ジンバブエの未来を支えるジンバブエの子どもたちに、より良い教育を届けるために日々一生懸命働いている教育官僚も大勢いるのに、その働きをバカにするような記事だったので、彼・彼女らと一緒に働き、支援している者として許せなかったので、このような長い皮肉をしたためてみました。
ジンバブエは、明日は憲法制定のための選挙が行われます。何事もなく終わってくれると良いのですが。
(この記事は筆者の個人ブログの内容を転載したもので、筆者が勤務する国連児童基金の見解を代表するものでも、関連するものでもありません。立場上守秘義務があるため、意図的に曖昧に書かれた箇所が何箇所かあり、読みづらい・分かりづらい点があるかと思われますが、ご了承ください)
プロフィール
畠山勝太
NPO法人サルタック理事・国連児童基金(ユニセフ)マラウイ事務所Education Specialist (Education Management Information System)。東京大学教育学部卒業後、神戸大学国際協力研究科へ進学(経済学修士)。イエメン教育省などでインターンをした後、在学中にワシントンDCへ渡り世界銀行本部で教育統計やジェンダー制度政策分析等の業務に従事する。4年間の勤務後ユニセフへ移り、ジンバブエ事務所、本部(NY)を経て現職。また、NPO法人サルタックの共同創設者・理事として、ネパールの姉妹団体の子供たちの学習サポートと貧困層の母親を対象とした識字・職業訓練プログラムの支援を行っている。ミシガン州立大学教育政策・教育経済学コース博士課程へ進学予定(2017.9-)。1985年岐阜県生まれ。