2014.04.08

「アッラーを立法者とする法(シャリーア)」からヨーロッパ近代法への問い――ジハードをめぐって

奥田敦 イスラーム法

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シャリーアという言葉は耳馴れていなくても、ハラールやハラル[*1]という言葉を聞いたことのある人は多いのではなかろうか。

たとえばハラールツアー。近年、目覚ましく増大する東南アジア、特にインドネシアやマレーシアからのイスラーム教徒の観光客に対する、イスラーム教徒のためのおもてなしが盛り込まれている。あるいは、ハラールビジネス。旅行業のほか、イスラーム教徒およびそのマーケットへの輸出入なども含めた商売である。エスニック料理好きなら、インド・パキスタン系、アラブ系、あるいはトルコ系などのレストランの店先やメニューにハラールの言葉を目にすることもしばしばであろう。

ハラールとは、「合法」あるいは「許されている」といった意味で、その対義語は、「禁止」「禁忌」を意味する「ハラーム」である。食べ物では、豚肉とアルコールがハラームとして、よく知られているが、殺人や盗み、利子や親不孝などもハラームに数え上げられる。それでは、何を基準に「合法」や「禁止」が決まるのであろうか。究極的にそれは、アッラーの意志である。何がハラールで、何がハラームなのかは、アッラーが預言者ムハンマドを通じて信徒たちに下した啓示、人智を超えたところからの命令に基づいて決められる。より具体的に言えば、聖典クルアーンと預言者ムハンマドの言行(スンナ)を根拠に決められるのである。

なお、アッラーからの命令は、5つの段階に分類されるのが普通である。義務、奨励、許容、回避、禁止、つまり「やらなければならないこと」、「やった方がよいこと」、「どちらでもよいこと」、「やらない方がよいこと」、「やってはいけないこと」である。ハラールは、「許容」に、そしてハラームは「禁止」にあたる。

法と道徳、法と宗教を分けず、すべての社会規範がそうした5つの段階に整理されながら一つの体系をなしているのが、シャリーア、つまりイスラーム法であると言うこともできる。

「権利と義務」の体系のもとで「ハラールとハラーム」を生きる人びと

いわゆるヨーロッパ近代法が、「権利と義務」を軸に構成されているのに対し、イスラーム法は、「ハラールとハラーム」を軸に構成されているとみることができる。

イスラーム教徒が大多数を占めるインドネシアからセネガルに至るユーラシア大陸とアフリカ大陸の低中緯度地域であっても、サウジアラビアやイランなどを除き、たいていの場合は、国家制定法のレベルでは、西洋近代法的なルールに従いつつ、同時に社会のレベルではイスラーム法にも従っている。つまり「権利と義務」の法体系と「ハラールとハラーム」の法体系という2重の法規範の状況が現出している。イスラーム教徒がマジョリティを形成しない諸国に住むイスラーム教徒の場合、圧倒的に強力なそれぞれの国家制定法秩序あるいは、社会秩序に晒されていることは言うまでもない。

とは言いながらも、現在、全世界で16億人とも18億人ともされるイスラーム教徒たちは、もちろん程度の差はあるものの、イスラーム法を意識しながら、また実際に従いながら生きている。この「ハラールとハラーム」の法体系が、日々5回の礼拝、金曜日の合同礼拝、貧者への施し、ラマダーン月の斎戒などの「義務」の実践に支えられていることは重要である。

近代法では、信教の自由の領域として法が関与しないこれらの行為ではあるが、イスラーム法においてこれらは、アッラーとの関係を律する信仰にかかわる領域に属する義務となる。ここでは、人間同士の社会的な関係にかかわる領域と斉一的により大きな体系の下に収められている。この義務の実践に伴って共同体の中に形成されるセーフティネットがあればこそ「ハラールとハラーム」の法体系が維持されるのである。

「アッラーを立法者とする法」の誤解されやすい現実

このようにシャリーアとは、アッラーの命令に基づく法あるいはその体系であり、したがって、しばしば「アッラーを立法者とする法」とされる。「アッラーを立法者とする」と聞けば、そこでは、神の思し召しがすべてで、民衆の良心や意思が反映されることはなく、人々は一方的に苦難と忍耐を強いられ、自由が一切封印された法の世界を想起するかもしれない。そしてそれが、今日のイスラーム世界の惨状や停滞を説明してくれるかのように思うかもしれない。

たしかに、テロ行為によって罪のない人々を巻き添えにし、内戦によって信者が信者の生命と日常を奪うといったことの背後に、彼らの後進性、狂信性、硬直性、閉鎖性があり、したがってそういった性質がすべて彼らの行動をより広範に規定するイスラームや、その法であるシャリーアに起因し、イスラームこそ諸悪の根源のように思われがちである。しかしながら、聖典クルアーンに尋ねればテロ行為とは、必ずしも、破壊行為を意味しないし、そもそも信者同志が殺し合うことも禁じられている。正義と篤信のために協力し合えと教えられている者たちが、篤信を伴わない自分本位の正義のために人々を惨情と窮乏に追い込んでいるのが現状である。

つまり、こうしたハラームな現実を生み出しているのは、イスラームの教えやシャリーアそのものではなく、むしろそれらの命じるところの実践を忘れてしまったイスラーム教徒たちなのである。

この惨状をイスラームの教えの忠実な実践の結果としてはいけない。教えのレベルからみればこれらは明らかにハラームであり、実践の欠如の結末であると言える。だからこそイスラームの教えが何を求めているのかの究明は、この事態を克服していかなければならない信者たち自身にとって喫緊の課題であると同時に、イスラームの正しい理解のためにも不可欠なのである。

[*1]ハラール(الحلال)は、アラビヤ語の単語。マレー・インドネシア語では「ハラル(halal)」となる。

小ジハードから大ジハードへ

教えと実践が著しく乖離した例として挙げられるべきが、ジハードであろう。自爆テロなどと結びつき、イスラーム教徒による無差別の武力行使のような印象さえもたれかねないこの言葉であるが、本来は、武力行使を伴うものではなかった。むしろよい態度とよい言葉でイスラームの教えを説いてまわることがジハードだったのである。《だから不信心者に従ってはならない。かれらに対してこの(クルアーン)をもって大いに奮闘努力しなさい》(識別章52)と聖典クルアーンは教える。

あまり知られていないことだが、イスラームは、ヒジュラ以前、迫害を受けながらも宣教を続けていたメッカ期においては、人を殺すこと自体を禁じている。むしろ、まさに《善い御言葉》(イブラーヒーム章24)と《英知と良い話し方》(蜜蜂章125)そして《最善の態度(による)議論》(同)により、たとえ《(人が悪をしかけても)一層善行で悪を追い払え。そうすれば、互いの間に敵意ある者でも、親しい友のようになる》(フッスィラ章34)に明らかなように、悪に対しては善を以ってこれに報いよというのが基本的な姿勢である。

武力行使を伴うジハードが許されたのは、マディーナ(メディナ)に移った後で、マディーナに成立した政治的共同体の主権、すなわち人民、領域、イスラームによる統治を防御するための戦いに限られたのである。(ブーティー「人権」43頁以下)しかもそれは、私利私欲などのためではなくアッラーの道のための戦いであり、その対象が、「あなたがたに戦いを挑む者」であることが明言され、しかもその際、侵略的になることが禁じられている。《あなたがたに戦いを挑む者があれば、アッラーの道のために戦え。だが侵略的であってはならない。本当にアッラーは侵略者を愛さない》(雌牛章190)のである。

注釈学者によれば、「侵略的であるな」とは、「『先制によって』侵略的であるな」ということであるという(ジャラーライニ)。なぜならば、先制を行えば、自分たちから先に相手方に悪を被らせることになるからである。先制攻撃は、「あなたがたに戦いを挑む者があれば~戦え」という前段の内容とも齟齬をきたしてしまう。

戦闘においては、手荒な扱い、戦利品のごまかし、さらに、女性、子供、年寄り、宗教者などの殺害、樹木の焼き払い、無益な殺生といった禁止事項が犯されがちだが、そうした侵略的な行為を禁じたものである(イブン・カスィール)。

そのことは、聖預言者の言行によっても裏付けられる。イブン・カスィールは、ムハンマドが軍隊を送る場合に言ったとされる「アッラーの御名によって出征し、アッラーの道においてアッラーに対する不信心者たちと戦え。(その際)侵略的ではなく、戦利品をごまかさず、過酷な扱いをせず、子供たちや僧たちを殺すなかれ」ということばや、聖預言者が「女性や子供の殺害を否定した」という伝承などを、上の聖句の注釈において引用している。

その一方で、クルアーンの中には、そうした戦いの一つであるウフドの戦いについて下された聖句があって、《もしかれらが背をむけるならば、ところかまわずかれらを捕え、見付け次第かれらを殺せ。》(婦人章89)と命じる。しかし、これを一般的に武力行使によるジハードの正当性の根拠とすることは難しい。なぜならば、この聖句に言う《かれら》とは、ムスリム軍を重大な任務放棄によって危機的な分裂状態をもたらした偽信者たちのことであるからである。しかも、彼らは悔悛すれば殺されることはないし、《あなたがたと盟約した民に仲間入りしたもの、またはあなたがたとも自分の人々とも戦わないと、心に決めて、あなたのところへやって来る者は別である》(婦人章90)ともしている。したがって、《ところかまわずかれらを捕え、見付け次第かれらを殺せ。》とは言っても、かなり厳しい限定がかけられていることがわかる。

このように武力によるジハードが認められたとは言っても、それは、ジハード全体からみれば、非常に限定的である。実際、戦闘を伴う武力によるジハードは「小ジハード」の名で呼ばれ、日々の自分自身と戦いで、すべての信者に課せられる「大ジハード」とは区別される。あくまでも主流は、マッカ期から続く宣教を基調としつつ、宗教や価値観の異なる人々に対しよい言葉とよい態度で人々との間によい関係を作るジハードなのである。

イスラームの教育を取り戻す

テロリズムについては、それを意味するアラビヤ語「イルハーブ」が、聖典クルアーンの中で《かれらに対して、アッラーの敵、あなたがたの敵に恐怖を与えるよう、あなたのできる限りの力と多くの繋いだ馬を備えなさい。》(戦利品60)「恐怖を与える」を表す語として用いられている。これは、一見テロリズムを肯定しているように見えるが、それは《力と多くの繋いだ馬を備え》ることによるのであって、無差別の殺戮行為によるものでないことは明らかである。

なおこの聖句は、「バドルの戦役に際して、ムスリム側に十分な準備がなく、いつの世も準備なきところに勝利なきことを知らしめるもの」(サーブーニー『サフワ』480頁)であり、「諸共同体にとってその存在、国威、尊厳、国境、安全、栄誉、繁栄を守るための準備の必要として一般性を有したものとして捉えられる」(ズハイリー『タフシール』10巻52頁)のである。

《多くの繋いだ馬を備えよ》とは「時代に合った武器を備えよ」ということで、たとえば、常備軍を配備することであると解され(ズハイリー『タフシール』10巻50頁)、《力を備えよ》に言う「力」とはあらゆる種類の力を指し、物理的な力と精神的な力の両方を備えることであるとされる。「物理的な力とは、イスラーム諸国内で作られた、敵の戦力に見合った、時代に相応しい武器をいい、精神的な力とは、才能や能力を呼び覚まし、人々に戦いへの気持ちの準備をさせ、真のイスラームの信仰と正しい宗教的な倫理で武装させることであり、これがなければ、敵に対する勝利はない」(ズハイリー『タフシール』10巻49頁)。

現代を代表するクルアーン注釈学者であるサーブーニーは、この聖句について、「イスラーム諸国に兵器工場はなく、武器の備えもなく、ただ、敵からすべてを買っているという状況の中で、なぜ、敵がイスラームの諸王国を食い物にしないということができるのか?われわれがもし威厳と高貴に満ちた生を望むならば、イスラームの教育を取り戻すほかにない」(サーブーニー『サフワ』481頁)と指摘している。

「最善のジハードとは暴君の前での真理の言葉である」

結局、築くべきは、文明としての総合的な力なのである。上の聖句が、現在のイスラーム教徒に求めているのは、恐怖や威嚇を生じさせるような無差別の武力の行使でもまたその備えではなく、畏敬に値する文明の確立だということになる。今なお激しい内戦が続くシリアのアレッポは、2005年にイスラーム諸国会議機構からイスラーム文化の首都に指定され、実際イスラーム文明がしっかりと息づいていたが、その街と社会を破滅に追いやる行為は、疎ましがられたとしても、誰も畏敬には及ばないし、畏敬に値する文明を自ら破壊する行為に他ならない。

そもそも聖戦の始まりは、ユダヤ教に見出すことができる。旧約聖書にある聖絶を伴う、皆殺しの戦争が彼らにとっての「聖戦」であった。「かれら(ヨシュアの軍勢)は、町(エリコ)にいるすべてのものを、男から女、若者から老人、また牛、羊、ろばに至るまで、剣の刃にかけて聖絶した」(ヨシュア記6:21)にある通り、全面的な殺戮を伴う征服が彼らにとっての聖戦なのである。

これに対して、徹底的な服従主義、無抵抗主義を貫いたイエス・キリストの教えにおいては、聖地奪還という形の聖戦はあったが、現実的には「正戦」、つまり、人間にとっての正しい戦争が主流だった。度重なる宗教戦争に対しても、現実の社会のルールには、基本的に関与しないのがキリストの教えであったとされる(カレン・アームストロング)。

一神教を進化の過程においた場合その最終的な形態を実現していると見ることのできるイスラームでは、したがって、ユダヤ教のような無差別の殺戮を排し、キリスト教のような徹底的な無抵抗主義は取らない。あるいはすべてを人間に委ねることも止め、むしろ、戦闘的ジハードは最小限にとどめ、信仰や価値観の異なる人々に対し、よい言葉とよい態度で、たとえ悪を行われたとしても善を以って報い、自らの信仰を伝え、共有しようとする不断の努力としてのジハードが、教えのレベルには用意されているのである。そこにあるのは、狂信的に自らを主張するのではなく、辛抱強く相手を聞き入れようとする姿勢なのである。

ところで、預言者ムハンマドは『最善のジハードとは暴君の前での真理の言葉である』(『アフマドのムスナド』10716番)あるいは『正義の言葉』であるとしている。たとえ国家やその長に振り回されなくとも、自分自身に振り回されている人は少なくない。暴君は、自分自身の中にいると思い当たるのであれば、ジハードは、もはやイスラーム教徒だけの問題ではない。暴君の言いなりになると、人は小さい自分や自分たちのために、聖絶さながらの殺戮を行いかねない。それを食い止める方法の一つが、シャリーアの中にあるとさえ言いうるのである。

「この世」と「あの世」、二つの世界での幸福を目指す。

最後に立法者としてのアッラーについて、触れておきたい。アッラーを少しだけ神学的に解説すれば、宇宙が始まるときには既に存在し、宇宙が終わるときにも存在し、すべての存在の外側にも内側にもいて、しかも一人ひとりにとっては頸動脈より近いところにいて、しかも実数的な世界も虚数的な世界も含めすべてを包み込み、貫き通している存在ということになる。

アッラーは、主であり、王であり、神である(人々章)。つまり、この世とあの世という二つの世界を創りだし、すべてを御存知で、すべてを支配し、人間に数々の恩恵と救いを与えて下さる。この世に神も仏もあるものかと思う人であっても持っているはずの良心を与えて下さり、災難に見舞われた人間の助けの叫びを細大漏らさず聞き取ってくれる存在がいるとするならば、それがアッラーである。

別の言い方をすれば、自分の親を選んで生まれてくる者も、自分の天寿がいつ全うされるのか知る者もいない状況において、それをもしも知っている存在があると思え至ったならば、それがアッラーである。それだけには逆らえない、あるいは、従わざるを得ない命令を行う存在。イスラーム教徒になるためには、「アッラー以外に神はない。ムハンマドはアッラーの御使いである」ことの証言を行うが、それは「そういった逆らうことの出来ない存在の命令以外には、何の、あるいは誰の言いなりにもならない」の意味であり、その点では、誰にでも開かれている教えであるということができる。

また、その存在は、この世では見ることができない。しかし、彼は、すべてを知っていて、すべてを見ていて、すべてを聞いていて、しかも語る。森羅万象は、アッラーの存在の徴に、そして奇跡に溢れている。イスラーム法の不易不動の法源をなす聖典クルアーンは、そのアッラーの言葉である。

しかしながら、クルアーンに個別具体的な規定が記されているケースはむしろ少ない。したがって、クルアーンと並び、より具体的な記述が目立つ預言者ムハンマドの言行もまた、不易不動の法源としての位置を占める。ただし、この二つをもってしても、具体的なルールが見つからないことも少なくなく、そこからは、人間の側からで法発見が行われる。この法発見の努力をイジュティハードと言い、合議、類推などの方法で事例に対して最適な法発見が行われるという枠組みをシャリーアは用意している。

そこには、啓示だけに頼るのでも、また理性だけにも頼るのでもなく、両者の均衡が保たれつつ行われる法発見の場が用意されていることになる。

理性が行うことのできないのが、究極の正義の実現である。理性は、最後の審判の主宰者になれないばかりか、逆に裁かれる側に回るからである。その審判の日、アッラーは、たとえどんなに小さな善行も、あるいは悪行も決して見逃すことなく、各人に各人のものをお与えくださる。この世で報われたいと思う者は、力づくでも他人のものを奪いに行く。あの世を信じ、審判を恐れ、来世での報いを待つ者は、この世では他人に譲ることも与えることもできる。アッラーの御満悦、来世での楽園に近づく第1歩である。「この世でもよく、あの世でもよい」が、イスラーム法の目指すところ。それは、正直者が馬鹿を見る道徳と法が分離している規範の下では決して実現しない。

西暦7世紀の初め、アラビヤ半島にイスラームの教えが下って以来、実に多くの支配者がそして国家が、あるいは、社会がそして文明が生まれては消え、消えては生まれた。それにもかかわらず、そして、程度の差があることはやむを得ないとしても、守られ続けているのが、シャリーアである。いま世界中を席巻しているヨーロッパ近代法、あるいはその派生的な法体系は、人間理性解放の法であると同時に私利私欲を原動力とする法でもある。私利私欲に偏った法の弊害がそこここで観察されるのが現代という時代であるとするならば、イスラームが果たすべき役割は、きわめて先進的で、信者たちだけのためにとどまらない。

国家が与えてくれる権利や義務ではなく、アッラーの与えてくれた義務や禁止をもとにこの世だけでなく、あの世においても幸福を実現しようとする法を生き、また生きようとする人々との関係が、日本においても今後ますます広がっていくことであろう。彼らとの間で、あるいは近隣の諸国との間で、どのようなジハードが可能なのであろうか。それもまた宗教アレルギーを乗り越え、人間の側からシャリーアに尋ねてみるべき事柄である。

サムネイル「Holy Mosque of Makkah」Ahmad Halawany

https://www.flickr.com/photos/halawany/8232297145

プロフィール

奥田敦イスラーム法

1960年神奈川県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部教授、法学博士。1984年中央大学法学部卒業。1990年中央大学大学院法学研究科博士課 程後期課程規定年限経過後退学。シリア国立アレッポ大学アラブ伝統科学研究所客員研究員(93~99年)、同大学学術交流日本センター主幹(95年~99 年)、慶應義塾大学総合政策学部助教授(99年~05年)を経て2005年4月より現職。慶應義塾SFC研究所イスラーム研究ラボ代表。専門はイスラーム法およびその関連領域。イスラームの教えを軸にした人間・社会・宗教・法にかかわる総合的研究のほか、アラビヤ語教育、ガバナンス論にも力を注ぐ。同時にアラブ・イスラーム圏との実践的な相互理解を目指すフィールド・ワーク・学術交流・研究拠点の構築とそのネットワーク化も積極的に展開。2015年度から2年間の予定で、神奈川県大学発政策提言制度により、「ムスリム接遇人材育成プログラム事業」(「ムスリム接遇人材育成プロ グラムの開発と実施:共生的モデルの構築とともに」という提案をもとに)取り組む。さらに、空港総合研究所とともに、世界中を平和で結ぶ「アッサラーム・アクション」(http://assalam-jp.com/)も展開中である。(撮影:戸田圭祐氏)

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