2012.07.24

橋下現象はポピュリズムか? ―― 大阪維新の会支持態度の分析

坂本治也

政治 #ポピュリズム#橋下徹

2011(平成23)年11月27日に投開票が行われた大阪市長・府知事同日選挙(以下「大阪ダブル選」)において、地域政党大阪維新の会の代表である橋下徹氏と同会幹事長の松井一郎氏が当選したことは、既に広く知られる通りである。大阪都構想を含め、教育制度や公務員制度の抜本的改革を推進すべき政策として掲げていた両氏は、当選後すぐに選挙で争点となった政策を実現すべく動き出し、2012(平成24年)5月には「大阪市教育行政基本条例案」が大阪市議会で可決されるなど、着実に成果を蓄積させつつあるように見える。

もっとも、そのような成果をあげつつも、大阪維新の会ないし橋下氏の政治スタイルに対する批判を展開する書籍や論稿は多く、また一部の有識者からは「橋下はポピュリストだ」などと論難されてもいる。「ポピュリズム」は必ずしも悪しき政治手法を意味するわけではないが、日本ではそのように捉えられる風潮にある。善悪二元論的図式の強調、テレビやインターネットなどを通じての有権者に対する直接的なアピールの重視、「小さな政府」への志向性など、たしかに「ポピュリスト」であるかのように見えてもおかしくはない政治手法を、橋下氏は採用しがちである。

少なくとも、「ポピュリスト」を悪しき政治だとみなす論者にとって、橋下氏が格好の獲物であることは否定できない。ゆえに、大阪ダブル選の結果についても、上述した橋下氏の戦略が功を奏したからとの解釈が一般的である。つまり、既成の政治に不信や不満を抱く大衆が「ポピュリスト」によって扇動された帰結として、大阪維新の会の大勝は説明されるのである。

しかし、彼が「ポピュリスト」であるかどうかと、有権者が彼の政治手法に踊らされているのかどうかは別次元の問題であろう。橋下氏自身が戒めているように(*1) 、一般の有権者が政治エリートと比べて知的水準が低いということは決してない。有権者は、彼らなりの冷静な判断のもとで、大阪ダブル選では橋下氏や松井氏を支持し、票を投じたのではないだろうか。

大阪維新の会および橋下氏の政治手法が「ポピュリズム」であるかどうかは、本来は、有権者がどのような意思決定を行ったのかを見なければ判断することはできないはずである。しかしながら、橋下氏を批判する多くの論者はその点にほとんど注意を払うことなく、印象論的な批判をただひたすら繰り返している気がしてならない。

そこでこの小論では、筆者らが実施した意識調査を用いて (*2)、橋下氏が「ポピュリスト」なのかどうかを、有権者に焦点をあてつつ明らかにしていきたい。とりわけ、ここではこれまでの橋下氏の手法に対する批判によく見られる次の2つの点について、実証的な見地より検証することをねらいとする。第1の論点は「大阪維新の会への支持は熱狂的なのか」である。第2の論点は、「大阪維新の会への支持の背後には政治不信があるのか」である。以下、それぞれの論点について、順次検討を加えていく。

(*1)「政治家なんて神様でも何でもない。普通の人間だよ。しかも日本の教育レベルは相当高いから、政治家と有権者の教育レベルなんて差はない」2012年1月3日17時18分、橋下氏のツイッターでの発言より。

(*2)本調査データの詳細については、善教・石橋・坂本(2012a[近刊])にて説明しているので、そちらを参照願いたい。

大阪維新の会への支持は熱狂的なのか

ジャーナリストの鳥越俊太郎氏は、大阪ダブル選の結果を次のように総括している。「大阪を再生させたいという大阪の人々の願いと大阪都構想がどこでどう結びついているのか、今ひとつ見えないまま、大阪の有権者は『橋下さんなら大阪を変えてくれるだろう』という、熱狂状態で投票日を迎えました。結果は小泉選挙の時と同じ。熱狂は一つの変化を生み出しました。大阪維新の会が擁立した橋下市長と松井一郎府知事の誕生でした」(*3)。

たしかに橋下氏の得票は大阪市24区すべてにおいて平松邦夫氏のそれを上回り、また松井氏も池田市と能勢町を除くほとんどの大阪府下市町村で、倉田薫氏や梅田章二氏などの得票を上回った。しかしながら、他方で橋下氏や松井氏が有権者の熱烈な支持を受けて当選したのかと問われれば、そうとはいえないようにも思われる。

というのも、橋下氏も松井氏も、相対得票率を見る限りそれなりに苦戦を強いられた選挙であったように思われるからである。まず橋下氏の相対得票率についていえば59.0%(750,813票)であり、平松氏の41.0%(522,641票)とそれほど大きな差があるとはいえない。また松井氏の勝因についても、大阪維新の会が支持されたからというだけではなく、大阪維新の会を支持しない有権者の票が倉田氏と梅田氏とで割れてしまった点に拠るところも大きいだろう。どの程度の得票から圧勝となるかは人それぞれだが、少なくとも4割から5割の有権者が橋下氏や松井氏以外の候補者に投票している点は事実として指摘できる。

そもそも、大阪維新の会を支持する人が熱狂的だという指摘には、いくつかの落とし穴がある。その最たるものは、熱狂的だという指摘は「熱狂的ではない支持」があることを前提にしなければ成立しないにも関わらず、そのような支持についてほとんど語られることがない点である。大阪維新の会への支持が熱狂的か否かは、熱狂的ではない支持層との相対的な比較から、本来なら主張されてしかるべき事柄であろう。しかし、この点を明らかにした上で、大阪維新の会の熱狂度合いを指摘している論者は、管見の限り存在しない。

そこで筆者らは、大阪維新の会への支持を1)強く支持する「熱狂」層、2)弱い支持態度を有する「穏健」層、3)支持しないが好ましいと感じる「潜在」層、4)好ましいとすら思わない「拒否」層の4つに分類し、それぞれがどの程度いるのかを分析した。その結果を整理したものが図1である。

支持か不支持かで分類すると、支持が約60%と不支持より多く、その意味でいえば大阪維新の会は多くの有権者に支持されているといえるが、その内訳について見てみると、圧倒的に「穏健」層が多く、「熱狂」層の割合はわずか全体の10%程度いるに過ぎない。他方、不支持について見てみると、支持での傾向とは逆に、「潜在」層よりも「拒否」層の方が多いという結果になっている。大阪維新の会は強く支持されているというよりも、逆に熱狂的な形で支持されていないのである。

hashimoto01

以上にくわえて、大阪維新の会支持態度と市長選および府知事選における投票先の関係について整理した図2および図3をご覧頂きたい。たしかに「熱狂」層のほとんどが橋下氏および松井氏に投票しているが、それと同等に、あるいはそれ以上に「穏健」層も両氏に投票している。また、大阪維新の会を支持はしないが好ましい政党だと考えている「潜在」層の多くも、橋下氏や松井氏に投票している点も重要である。そして、平松氏や倉田氏の得票率が橋下氏や松井氏の得票率を完全に上回っているのは「拒否」層のみである。

以上の分析結果は、大阪維新の会への支持は熱狂的というわけではなく、またそのような熱狂的な支持が橋下氏や松井氏の勝利をもたらしたわけではないという2点を明らかにしている。すなわち両氏の勝利にもっとも貢献したのは、全体の割合と投票傾向からいえば、それほど強く大阪維新の会を支持しない「穏健」層なのであって「熱狂」層ではないのである。有権者の多くは「ポピュリスト」に扇動されたのではなく、実態としてはある程度の冷静さを保ちつつ、大阪維新の会を支持し投票した。そのような有権者の姿を、ここでの結果からは窺い知ることができる。

hashimoto02

hashimoto03

(*3) 『毎日新聞』2011年12月3日朝刊。

政治不信が大阪維新の会への支持を支えているのか

大阪ダブル選の結果が、橋下氏の扇動的な政治手法によってもたらされたのかどうかを判断する上では、大阪維新の会への支持が熱狂的であるのかという点にくわえて、既成政党や政治のあり方に対する不信の影響がどの程度あるのかも明らかにしなければならない。なぜなら、大衆扇動的な政治手法の影響をもっとも受けやすいのは政治から疎外された有権者であり、また「ポピュリスト」への支持基盤となるのはそのような政治からの疎外感、すなわち政治不信であるとしばしば主張されているからである。

たとえば副総理である岡田克也氏は、橋下氏が有権者から高い評価を与えられている理由を「既成政党への不満」から説明しているし(*4) 、また橋下氏自身も2012年5月24日の定例会見の中で自身への支持の理由を「既成政党への不信だろう」と解釈している (*5)。

対象が政治家であれ既成政党であれ、多くの有権者が不信を抱いていることは想像に難くない。しかし、そのことは必ずしも政治不信の蔓延が大阪維新の会の勝利をもたらしたことを意味しない。多くの有権者が政治家や既成政党に対して不信を抱いているということは、裏を返せば橋下氏や松井氏に投票しなかった人も同様に不信を抱いていることを意味するためである。

言い換えれば、大阪維新の会を支持している人も支持していない人も政治に対する不信感を抱いている場合、政治不信は橋下氏や松井氏への投票や大阪維新の会への支持とは関係がないということになる。既存の政治に対する否定的な認識が大阪維新の会への支持基盤となっているのか否かを知るうえで、両者の関連をなるべく客観的な視点から分析する必要がある理由は、まさにこの点に求められる。

hashimoto04

筆者らの調査では複数の政治不信について質問しており、上記の点について確かめることが可能である。まずは政治家に対する不信感と大阪維新の会への支持の関係について整理した図4をご覧頂きたい。一方の「政治家は選挙が終わると有権者のことを考えなくなる」という意見への賛否との関係について見てみると、否定的な回答(信頼できる)をしている人ほど「穏健」層の割合が増加し、「潜在」層の割合が低下していることがわかる。

他方、「政治家は自身のことばかり考えて国民の生活をなおざりにしている」という意見への賛否との関係については、はっきりとした関連が示されているわけではないが、同様に否定的な回答(信頼できる)をしている人ほど大阪維新の会を支持する傾向にある。政治家に対する不信感は、大阪維新の会への支持というよりも、不支持に結び付くことを示す結果であると考えられる。

では、政党への不信についてはどうだろうか。筆者らの調査では、政党や選挙制度といった「制度」に対する不信感についても尋ねているので、それらと大阪維新の会への支持の関係について確認しよう。「政党があるからこそ民意が政策に反映される」という意見への賛否との関係について見てみると、肯定的な回答をしている人ほど「拒否」層の割合が高くなるという結果となっている。

すなわち、政党(制度)に対する不信を抱いている人ほど、大阪維新の会を支持する傾向にあり、通説的な見解と合致する結果だといえる。ただし、両者の関連はそれほど明確ではない点には注意しなければならない。否定的な見解をもつ人と肯定的な見解をもつ人との間に明瞭な支持の差があるとはいえない点に鑑みれば、両者の間には多くの論者が指摘するほど明瞭な関係があるわけではないと見る方が適切ではないだろうか(*6) 。

hashimoto05

結局のところ、政治不信との関係についても、既存の見解とは大きく異なる結論を導くことになりそうである。政治家への不信と大阪維新の会への支持の関係については、不信が大阪維新の会への支持ではなく不支持へと繋がっており、また政党への不信については、不信との関係がそれほど明瞭な形では見られなかった。大阪維新の会への支持は、不信というよりもむしろ信頼によって支えられているのである。したがって、ここでの分析においても、大阪維新の会への支持者は、政治から疎外され、また「ポピュリスト」によって扇動された人たちではないと主張することはできるのではないだろうか。

(*4)『日本経済新聞』2012年5月4日朝刊。

(*5)『MSN産経ニュース』2012年5月24日。

(*6)筆者らの調査では、自民党や民主党といった既成政党に対する好き嫌いの感情についても尋ねている。これらと大阪維新の会への支持の関係についても、基本的には図5に見られるように、ほとんど両者の間には関係がないという結果であったことをここに記しておく。

「橋下現象」はポピュリズムか? ―― おわりに代えて

これまでの分析結果をまとめれば、おおよそ次の通りとなろう。第1に、大阪維新の会への支持は「熱狂」的ではなく「穏健」な支持である。「拒否」層が「潜在」層より多い点を勘案すれば、むしろ熱狂的なのは支持ではなく不支持者であるといえる。第2に、橋下氏および松井氏の勝利にもっとも貢献したのは、「熱狂」層ではなく「穏健」層である。弱い支持態度を有する人びとのほとんどが橋下氏および松井氏に投票した点こそが、彼らの勝利を支える要因であった。

第3に、大阪維新の会への支持は、政治家や既成政党に対する不信をその基盤としているわけではない。大阪維新の会を支持する人の多くはたしかに政治不信を抱いているが、同様に不支持者の多くも、現在の政治に対しては辟易している。両者の間に明確な関連性があるわけではないし、あるとしても信頼が高い人が大阪維新の会を支持するという通説的見解とは逆の関連が見られる。

以上の結果は、これまで多くの論稿などにおいて論じられてきた「橋下現象」の解釈が、部分的にではあれ誤っている可能性が高いことを示唆するものである。たしかに橋下氏の政治手法や政策については、その是非をめぐって賛否が大きく分かれるところである。そのこと自体を否定するわけではないが、しかしそれは論者の独断と偏見に基づく印象論を展開してよいことを意味しない。

自身が扇動されたのかどうかは、有権者が何より理解している。有権者の判断がすべて正しいというわけではないだろうが、少なくとも大阪ダブル選に関していえば、有権者は意外にも冷静な視点から投票先を決めていた可能性が高いのである。

この点に関していえば、橋下氏を「ポピュリスト」だと論難し、大阪ダブル選の結果を「ポピュリスト」によって扇動された有権者の「熱狂」に基づくものだと解釈する議論には、ほとんど批判としての意味がないように思われる。どのような批判であっても、それが政治を動かす原動力となるには、一般市民が納得しうるものである必要がある。

しかしながら、橋下氏の政治手法を「ポピュリズム」だとする批判の多くは印象論や感情論であり、それゆえに有権者の中に浸透していないように思われる。むしろ、そのような批判を展開すればするほど、有権者はそのような言説に愛想をつかしていくだろうし、また大阪維新の会への支持もますます拡大していくことになるのではないだろうか。

なお、大阪ダブル選挙下の有権者の政治意識や投票行動については、別稿(善教・石橋・坂本 2012b[近刊])にて詳しく論じており、そこでは年齢や収入といった属性と投票行動の関係や、大阪都構想への賛否と大阪維新の会への支持の関係について分析している。興味のある方は、ぜひそちらについてもご参照頂ければ幸いである。

政治現象を適切に理解するには、実証的なデータに基づく分析が不可欠である。もちろん、本小論の分析結果が必ずしも正しいとは限らない。しかし、このような地道な実証分析の積み重ねこそが、現象理解に資する唯一の方法であることを、ここでは強調しておきたい。

参考文献

善教将大・石橋章市朗・坂本治也(2012a)「資料 2011年大阪市長・府知事同日選挙下の投票行動と政治意識に関する調査の概要」『関西大学法学論集』62巻2号。
http://kandaihougakukai.jp/wp-content/uploads/2012/08/ronsyu62_02_08.pdf

善教将大・石橋章市朗・坂本治也(2012b)「大阪ダブル選挙の分析-有権者の選択と大阪維新の会支持基盤の解明-」『関西大学法学論集』62巻3号。
http://kandaihougakukai.jp/wp-content/uploads/2012/10/ronsyu62_03_08.pdf

プロフィール

坂本治也政治学 / 市民社会研究

1977年生まれ。関西大学法学部准教授。専門は、政治学、市民社会研究。大阪大学大学院法学研究科博士後期課程単位修得退学。博士(法学)。琉球大学法文学部講師、同准教授を経て、2008年より現職。著書に『ソーシャル・キャピタルと活動する市民―新時代日本の市民政治』(有斐閣、単著)、『現代日本のNPO政治―市民社会の新局面』(木鐸社、共編著)など。

この執筆者の記事

善教将大政治意識論 / 政治行動論

1982年生まれ。(公財)ひょうご震災記念21世紀研究機構主任研究員/神戸大学法学部・法学研究科非常勤講師。専門は政治意識論、政治行動論。

この執筆者の記事