2015.03.20
地下鉄サリン事件から20年――いまだ後遺症に苦しむ被害者たち
20年前の3月20日、首都の地下鉄3路線5方面の車両に、猛毒ガス・サリンがまかれた。事件は5系統15の駅で同時多発的に発生し、被曝した13人が死亡、約6500人が重軽傷者を負うという大惨事となった。
被害者は都内278の医療機関に搬送され、あるいは自力でたどり着いた。都市に毒ガス兵器が散布されるという無差別テロは、空前絶後のことで、医療機関も、あるはずのないサリンという物質を前に、困難な対応をせまられた。
その前年の6月27日には、死者8人重軽傷者660人を数える松本サリン事件が起きていて、その被害者の治療に当たった医師からは、比較的早期にその経験が伝えられた。だがそれでも、想定外の毒ガステロ被害者に対する対応に様々な困難があった事は否定できない。
被害者のほとんどは、いつもの駅からいつものように地下鉄で通勤・通学するごく普通の市民だった。その、通勤通学のピーク、午前8時が狙い撃ちされたのである。生存被害者の多くの初期の訴えは、息が苦しい、痙攣が止まらない、周囲が暗く見える、胸が苦しく吐き気がする、激しい頭痛、鼻水やよだれが止まらない、などだった。
それでも、負傷者の被害は、ほとんどの病院において一過性のものと扱われ、身体障害が残る重傷者を別にすれば、短期間の通院、または長くて数か月の入院で治療を終えたものとして扱われた。
しかし実際には、医者からは治ったといわれたサリン被害者の多くが、その後も心身に様々な問題を抱えながら生活していたのである。
自宅や勤め先で凄惨な事件現場がフラッシュバックする、通勤に出ようとすると足がふらついて踏み出せない、などのいわゆるPTSDといわれる症状をはじめとして、被曝を境に、視力が落ちた、目がチカチカする時がある、臭いや煙に過敏になった、殺虫剤や線香の臭いを嗅ぐと気持ちが悪くなる、疲れやすくなった、集中力が衰えた、記憶力が衰えた、ときには記憶の一部がボコッと脱落してしまうことがある。こうしたことが、高齢者だけではなく事件当時20代30代の人にも起こっていたことが重要である。
二つのサリン事件の被害者に取材する中、被害者のこうした後遺症に注目したジャーナリストがいた。私たちの団体の理事でもある磯貝陽悟氏である。彼はこうした被害者のための継続的な健康診断を行う必要性を感じ始め、そのための受け皿造りに奔走した。
そしてやはりサリン事件にかかわってきた医師、看護師、弁護士などの専門家に声をかけ、その協力を得てR・S・Cの前身となる任意団体が設立された。そして、事件の翌年の96年春から健康診断をスタートした。
私共の団体、リカバリー・サポート・センター(以下R・S・C)がNPO法人の認証を受けたのは、事件からちょうど7年目、2002年の3月20日の事である。
R・S・Cがしてきたこと
R・S・Cの行ってきたメインの被害者サポートは、毎年秋に実施する被害者への無料健康診断である。健康診断は、被害者の交通の便を考えて毎年、越谷、足立、渋谷の3か所で、計5回行っている。
検診の実施にあわせて、団体が把握している1200人に検診案内書を送る。その内、受診希望者は、年100人から150人。19年間の累積では、3225人となる。受診はしないが健康症状の調査アンケートに回答してくれる被害者は年150人~200人おられる。
これによって、今日まで19年間でのべ6029件に上るデータが蓄積されている。ちなみに、サリン被害の実態に関しては、警察庁によって平成11年と平成1年に調査がなされたのみで、国による継続的な追跡調査は行われていない。
大規模被害について、このような継続的健康調査が行われ、データの蓄積が行われたことは、広島長崎の被曝者についで今でも実施されている放射能影響調査以外にはないとおもわれる。
その中でどんなことがわかってきたか
サリン被曝のような有機リン中毒は一過性のものと信じられていたが、覆ったということだ。
まず、初期の治療後も、被害者の身体の様々な部位に慢性的な症状が続いていることが、実証されたということである。特に縮瞳を体験した人について、目に頑固な症状が続いている。目がつかれやすい、目がかすんで見えにくくなった、焦点が合いにくくなった、瞼が痙攣するなどだ。
心理的な面で不安を訴える人も多い。いまだに事件が起きた3月頃になると、心身の不調をきたすひと、地下鉄に乗れない、満員電車に乗れない、という人もいる。
死者が出た現場から九死に一生を得た被害者のなかには、死亡した人や重症者を救えず自分が現場から逃げた。そういう負い目を感じて、苦しくなるという人もいる。
女性については、胎児に影響がないかということで、出産に不安を感じたというひと、結婚するときに事実を告げるかどうかで悩んだという人も多い。
そのうえ、被害者に対する周囲の目は、必ずしも温かくはなかった。症状は目に見えるものは少ない。当初は理解を示していた勤め先の上司も、いつまでサリンのことをいっているんだ!とつきはなすように言う。
医師の診察を受けても、気のせいだといわれた人も少なくない。20代の被害者なのに、老化だといわれたという例もある。
R・S・Cでは、こうした心理的な面の問題も対象にして、心電図、尿検査、問診などの医学的な健診だけではなく、ボランティアによるアロマテラピー、カウンセリング、鍼、など総合的な治療手法をとり入れている。
2年前からは被害者が自らをケアするセルフケアの講習会も取り入れた。こうした工夫は検診に参加した被害者の好評を得ている。
これから取り組まなければならないこと
R・S・Cは検診とアンケート回答による被害者の方々の症状などに関するデータについて、科学的な解析をするということを目指してきたが、なかなか実現できなかった。しかし、いま、二つの大学の機関でR・S・Cの蓄積してきたデータの解析が行われている。
一方は、日本医科大学精神医学と公衆衛生学の分野からのアプローチ、他方は、広島大学の機関による法医学の分野からのアプローチだ。ここ数年をかけて研究が続けられてきたが、近々その成果が発表される段階に来ている。
そのなかで、被害者の訴える症状がサリンの被曝に由来することが、疫学的にも、統計的にも実証されると確信している。症状の原因が何であるのかを被害者に示すことは、被害者が自らの症状と向き合い、折り合いをつけていくために重要な意味を持つ。
最後に、被害者どうしの交流を深めていくことである。
事件から10年目の3月20日、R・S・Cは被害者とその家族の45人が、医師や看護婦、ボランティアと一緒に、被害にあった地下鉄の沿道を歩くという取り組みをした。当時は被害者の中に、地下鉄の沿道を歩くこと自体に不安を感じる人も多かった。そのなかで、被害者の中から提案されたイベントは、メモリアル・ウォーキングと名付けられた。
最も大きな被害者を出した日比谷線の小伝馬町駅から霞が関駅までを、参加者は約2時間半かけて歩いた。被害者の方々は無事に歩き終え、中には、亡くなられた方がでた駅でホームまで降りて献花する方もいた。同行した救護のための機器や車両は使われずに済んだ。
これがきかっけとなり、検診会場に、被害者同士が集まる交流の場が自然に作られるようになった。
被害者には被害者でなければ分からないことがある。この部分を、被害者同士の交流で補っていければいい。R・S・Cの健診がその土壌をつくる場になれればと思っている。
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サムネイル「地下鉄」tomoti
プロフィール
木村晋介
1945年長崎生まれ。大学在学中は、作家椎名誠らと同じ宿で共同生活を送る。1970年弁護士登録。消費者問題、犯罪被害者支援、高齢者問題、プライバシー問題などに深く関わり、著作や講演等でも幅広く活動。最近はカンボジアの法律家養成のための国際協力、若者の国際交流を支援に力を入れている。
元坂本弁護士一家救出のための懸賞金広告実行委員長、NPO法人リカバリー・サポート・センター理事長、日本カンボジア法律家の会協同代表、公益財団法人かめのり財団理事長。
著書に、『遺言状を書いてみる』(ちくま新書)、『激論!「裁判員」問題』(朝日新書・共著)、『キムラ弁護士、小説と戦う』『サリンそれぞれの証』(本の雑誌社)他。