幸福追求権、生命権、平和的生存権と安全保障 ――人権論の誤用に歯止めを

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後方支援も武力行使と無関係ではない

 

――内容・輪郭のあいまいな憲法上の概念が加わることによって、従来の個別的自衛権で了解されていた制約から離れていく流れが正当化されてしまうわけですね。制約がなくなるということでは、各種の「後方支援」もそうですね。

 

「武力行使」そのものではない「後方支援」についても、憲法違反といわざるを得ない内容が含まれていると思います。日本および日本と密接な関係にある国の安全を守るための支援活動としては弾薬提供を含む後方支援が定められ、国際社会の平和に貢献するために制度化される支援活動としては、弾薬提供や現地の治安活動までが活動内容となり、必要な場合武器使用が容認されることになります。

 

また、そのさいの活動範囲も、「非戦闘地域」という概念が外され、「現に戦闘行為が行われている現場」以外の場所であれば活動可能となるので、従来よりも戦闘地域に近づいたところまで活動範囲となることになります。

 

それらの後方支援が攻撃の対象となりやすく、重要な物資を伴う「後方」が瞬時に「戦闘地域」になりうること、その結果として護身のための「武器使用」がそのまま武力行使と一体化せざるをえない状況となること、その結果現地の民間人を巻き込む可能性も高まることなどは、多くの議員や理論家や経験者が指摘しています。

 

2003年からのイラク派遣でもすでにそうした危険な状態が起きていたことが裁判過程や多くの報道で指摘されており、帰国後の自衛隊員に自殺者が多いことも問題視されています。自衛隊員の職業選択の自由と労働者としての権利を保障するためにも、国家の側は、同じ危険を伴う任務でも、戦闘型軍事に関与する業務と、災害時の人命救助やインフラの応急復興など福祉型のニーズに関与する業務とを分け、別々に志願者を募るべきです。これについては現在でも、いつ自衛隊員から違憲訴訟が起きてもおかしくないと思いますが、現在の法案のセットが現実のものとなったときには、問題がより深刻になるのは必至です。

 

また、仮に運よく戦闘に巻き込まれずにそれらの活動を行えたとしても、戦闘中の軍隊に戦闘用の「弾薬」を提供する行為を「武力行使とは無関係」と言うことは、倫理的にも、攻撃を受ける国の感情としても、通る話とは考えられません。法的には日本国憲法に反し、倫理的には国際社会から疑問視され、現実的には敵対関係に立つことになる相手国から、日本が報復の対象となると考えるべきでしょう。

 

しかも8月4日・5日の参議院で、日本が提供できる「弾薬」に何が含まれるかを問いただす質疑の中では、法文上はここにミサイルも劣化ウラン弾も含まれること、輸送任務には核ミサイルや毒ガスも「法文上除外されていない」ことが明らかになっています(現在、日本国内では製造も保有もされてはいないはずのものですが、外国が製造・保有しているものを日本の自衛隊が運搬する可能性はあることが指摘されています)。

 

この「法文上除外されていない」状況が現実化したとき、発射ボタンを押すパイロットは日本人ではないかもしれないけれども、「日本は武力行使には手を染めていない」と考える者がいるでしょうか。さらに、これまで多くの国が行ってきた爆撃やミサイル攻撃では、多くの民間人に巻き添えの死傷者が出ていることが伝えられています。日本国民にとって「幸福追求権との凄惨なバランシング」が起きる可能性は、後方支援についても深刻な問題となってくるわけです。

 

こうした流れの中で日本が攻撃の対象となったとき、現地での戦闘であれば自衛隊員の生命の危機ということになります。軍事基地の周辺の住民の危険も高まるでしょう。さらに、その攻撃が、現地にとどまらず日本国内の日常生活の中で報復テロ攻撃という形で起きることも十分に考えられます。そうなると、現実の具体的な国民多数の生命権と平和的生存権の問題にもなります。

 

そういうリスクを飲んででも戦闘型の行動を行うことができるのは、百歩譲っても現に国民の生命が危険にさらされており、警察では対処できない場合だけでしょう。一方、他国の平和、国際社会の平和については、そういうリスクを飲んででもそういう形で貢献したい、と、国民の多数が真剣に考えているかどうか。これを問わないままに現在提出されている案のような活動を行うことはできないでしょう。

 

 

憲法改正をしても容認できない部分

 

――では、憲法改正をすれば、そのような「平和的生存権」や「幸福追求権」の守り方をすることもできる、ということになりますか?

 

そう考える論者もいらっしゃると思います。ただ、総議員の3分の2と投票した国民の過半数がOKすればなんでもOKだというわけではなく、私はそこには限界があると思います。まず、自分たち自身の生命がかかっている純然たる自衛(個別的自衛)に限っては、主権者の判断に委ねることになってもよいのではないか、と思います(これについて、一人の主権者としての私自身のオピニオンはありますが)。しかし、集団的自衛権に基づく武力行使を認めることは、今の案のままでは憲法改正権の限界を超える部分を排除できないと思います。

 

国際紛争においては、ある国家の軍事行動が真の自衛または人道的介入として致し方ない手段であったのか、それとも覇権維持を動機とした制圧行動であったのかは、リアルタイムの場面では判然とせず、ある程度時間が経ってようやくわかってくる、ということがほとんどです。ベトナム戦争、イラク戦争など、これまでの現代史がそのことを物語っています。

 

そうであれば、他国の軍事行動に協力することについては、いくら慎重であってもありすぎることはありません。覇権、つまり国際社会における主導的影響力を得ようとすることは、それ自体は悪ではありませんが、軍事ではない方法と努力によって追求されるべきものです。これを戦闘型の軍事力によって追求することは、政治的には覇権の「防衛」という言い方がなされるとしても、法的・客観的には「自衛」ではなく、「侵略」または限りなく侵略に近い「制裁」に属すると思います。

 

侵略、すなわち自国の利益追求のために軍事行動を起こすことは、日本国憲法を論じるまでもなく、国際法上、違法です。独自の歴史的事情から国際法よりも厳しい限定を自国に課している日本では、軍事行動によって国益や覇権の追求を自ら行うこと、および参加することは、現行憲法上違憲であるだけでなく、憲法改正によっても解禁できないものでしょう。第二次大戦後に日本が主権国家として再生したさいに依って立つことになった原理(国家存立の倫理的土台)に照らし、そこまでは言えると思います。

 

そのような侵略型の軍事行動に加担者として巻き込まれる可能性を完全に排除した上で、政府が現在説明しているような純粋な自衛としての集団的自衛権としてのみ、武力行使を解禁することが、実際上可能なのかどうか。ここで「可能だ、そこは政府を信頼しよう」といえる立場からは、憲法改正手続を経ればこの種の集団的自衛を容認することもできる、と考えることになるでしょう。

 

しかし、ここで「それは不可能だ、そこは政府を敢えて信頼しないことが立憲主義の要請だ」という立場からは、憲法改正によってもこの内容を容認することはできない、と論じることになるでしょう。私は、戦闘型軍事を前提とするかぎり、そして歴史を見る限り、「不可能ではないか…」と思うため、後者の立場に近いことになります。

 

つまり、現在提案されている安全保障関連法案をそのまま成立させ、これを容認する憲法改変を行うとするならば、覇権追求型の軍事行動に加担してしまう可能性を排除できない点で、現行憲法に反するだけでなく、憲法改正の規範的限界をも超えて国家存立の土台を壊乱してしまうと私自身は考えています。

 

ただ、これは、「国家として」できない、ということです。「外国の軍人が日本のために血を流すリスクを引き受けているのに、これではすまないだろう」「日本の自衛は国際環境の変化を考えると日本自身だけで守ることは不可能で、外国の軍隊と共同対処しなければならない」と考える日本人が、個人の資格で、日本の法律に反しない範囲で外国の軍隊に協力することを、日本国憲法は禁止していません。

 

そこから先は当該の外国軍隊の制度に委ねられる問題となりますが、そのように自発的に考える日本人が、外国の軍隊に入隊して日本や世界の平和のために貢献しようと望むことは、現行憲法上、自由です。

 

平和のための貢献にはさまざまなチャネルがあり、その中で、日本は軍事行動は行わないと自己決定をした国家です。「それでは国際社会に対して説明がつかない」、という発想ではなく、そこを国際社会に対して十分に説明し、軍事以外での貢献の道を対話によって模索することが、国政担当者たちに本来信託されるべき仕事だと思います。

 

日本はその道をとらずにずるずると建前と現実を乖離させていったため、そのツケがたまって、「いまさらそんなことは言えない」という苦境に立ってしまったけれども、一主権国家として、どこかで思い切って一回はそれをやらなければいけない、そういう岐路に来たのではないでしょうか。

 

 

個人の幸福追求から発展する政治的「良心」と国家の「名誉」

 

――今回の一連の出来事に対して、「でもこの成り行きを選んだのは有権者ではないか」という声をあちこちで聞きますが…

 

もしも立憲的手綱のない手放しの民主主義を前提とするならば、いったん選んだ政権が何をしようと選んだ側の責任だ、と言えるかもしれません。しかし日本の民主主義は、民主主義の手続によって決めたことであっても逸脱してはならない限界がある、という「立憲主義」を組み込んだ民主主義です。

 

そのような立憲民主主義のもとにある政治では、立憲主義を逸脱している事柄についてはその事柄ごとに憲法適合性を問題にすることはできます。また、国民は、代表者を選んだ後に代表者に要望を伝える自由もありますし、「私があなたを選んだのはそれのためではない」という意見表明をすることもできます。そのために、選挙とは別に「請願権」(憲法16条)というルートも保障されているわけです。

 

先に、「幸福追求権」の話をしました。人によっては、自分の考える幸不幸の問題が、自分個人のライフスタイルや幸福観の自由から出発して、政治的に表明したい事柄に発展していくこともあります。今、安保法制案については学生と有識者たちが共同してアピールを行い、多くの市民がこれに参加していますが、こうした場面がそれです。ある考えが、個人の幸福追求の自由にとどまらず、政治的良心として表明され、それが請願という形になったり、選挙時に有権者の意思へと具体化される場面があるわけです。

 

普通の感受性をもった多くの国民がその実態を知ったら「良心が痛む」「良心が耐えられない」と感じるであろう状況が、現実の世界にはたくさんあります。この関連でとくに問題にしたいのは、今回の法案や昨年7月の閣議決定に先立って、昨年4月に閣議決定された武器輸出の解禁です。

 

先日(8月4日)、テレビの報道番組で、アメリカ軍のドローン(無人機)による攻撃の実態が日本で初めて公開されました。ロケット弾やミサイルが武器ではなく後方支援で提供可能な「弾薬」であるというならば、人間が搭乗しない無人機が「弾薬」にカテゴライズされるという無理が、いずれ持ち上がるかもしれません。それはなかったとしても、日本の産業界はすでに武器を輸出することができることになっているので、ここに今回の法案が通ると、外国軍隊が日本から購入したメイド・イン・ジャパンの無人機に、日本が後方支援で提供するメイド・イン・ジャパンの弾薬が搭載されるという図は、十分実現するでしょう。

 

かつて、第一次湾岸戦争で、日本は「金を出すだけか」と非難され、この非難を政治的トラウマにしてしまいました。しかしこの安保法制案が通った後に、日本がもっと広い国際社会から受ける失望と非難は25年前とは質的に異なる重いものになるのではないでしょうか。たとえば、経済の応急的活性化のために、憲法前文に明言したはずの「名誉」をかなぐり捨てた国家と見做されるようになるのではないでしょうか。

 

ドローン(無人機)による民間人誤射が実際には多いこと、これを遠隔操縦するパイロットの多くがPTSD(外傷性精神障害)に陥っていることも報道で指摘されました。自身が戦闘に巻き込まれたことによる精神的外傷はもちろん深刻ですが、自身の生命には危険のない場所で攻撃指示をする人々も、精神に外傷を負うわけです。これは、人間が良心をもっていることの証拠でしょう。

 

日本人のうち、この種の問題に鈍感ではいられない人々の「良心」と「名誉」の問題は、無視してはならない政治的課題でしょう。この「良心」と「名誉」が民主主義のプロセスの中で一定の共有を得たとき、まずは少なくとも2014年4月の武器輸出を解禁した閣議決定にさかのぼって、日本の安全保障法制を根底から見直す動きが出てほしいと思います。

 

 

本稿は、2015年8月7日に行われた「安保法制を考える司法書士の会」で筆者が行った講演をもとにしたものです。

また、現在、憲法研究者有志で「全国出前講師団」を結成し活動していますが、筆者がこの活動を通じて講演や懇話をするさいには、おおよそ本稿のようなお話をする予定です。

 

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