自民党憲法草案には何が書かれているのか?

「権利」と「義務」の関係

 

荻上 先ほど「権利」と「義務」の話がありましたが、「義務を果たして権利が手に入るんだ」と、よく誤解されているような気がします。僕がいつも確認しているのは、憲法においては、義務と権利はトレードオフの関係ではないということです。「『義務』を○個やったから『権利』を△個ちょうだい」という関係ではないわけです。

 

ここを勘違いしている方は、「義務を果たさない人には権利すら与えられない」という発想に当然なってしまう。例えば、お金がないので納税の義務が果たされなかった。じゃあ代わりに、社会保障を受ける権利を諦めましょう、みたいな話にはならないですよね。もしそうなったら、生存権が無意味になります。

 

でも、これって割と世の中に流通している考え方で、「働いていないんだから食べられなくて当たり前」という意味の方で、「働かざるもの食うべからず」という言葉が誤用されてしまったりする。

 

木村 権利と義務が共にあるのは当たり前で、権利というのは誰かに何かを要求できる資格です。だれかが権利を持っているということは、義務を負っている誰かがいる、という意味なんですね。同じ人が権利と義務を同時に負わなければならない、ということではありません。

 

荻上 そもそも契約の上で、その後関係性はいろいろ変わったりするので、「権利と義務が伴う」というフレーズには騙されない方がいいと思います。

 

リスナーからこんなメールをいただいています。

 

「基本的人権が制限され、国民の義務がものすごく増えるという印象を持ちました。個人としては尊重されず、「人としての尊重」となり(第13条)、思想良心の自由は「不可侵」から「保障」になり(第19条)、表現の自由も制限される(第21条2項)。国民の権力者に対する命令が憲法、国民に義務を課すのが法律であるにもかかわらず、憲法で国民に命令し、権力を縛る機能が大きく後退している。国民の三大義務から、一体いくつの義務に増えるのか。」

 

木村 恐ろしいのは、自民党の方々は国民がそれを望んでいると思ってこの草案を作っているということですね。権利を義務に置き換えて欲しいという国民の声がどこにあるのか。

 

荻上 結局、憲法の中の義務規定が誤解されているようなところがあるわけですよね。だから「憲法の中で義務を数えてみたら3つしかないじゃないか」などと言う人がでてくる。

 

木村 主権国家とは、その領域内で国家が主権を持っていることを意味します。ですから、その領域内にいる人は基本的に国家に従わなければならない。主権という強力な権限を国に与え、それに従う義務が国民にあるからこそ、その代わりに人権が保障される。こういう構造になっているんです。

 

ですから、人権の範囲はできるだけ広げておかなければいけない。「みんなが自分勝手になったら困るじゃないか」という話もありますが、そうではありません。自分勝手にならないように「主権」を打ち立て、主権が乱用されないように「人権」を確保したんです。

 

新たな義務規定は、主権に対抗するために保障された人権を再度解除するという意味合いを持っている。ですから、立憲主義の否定と言われても仕方ない面があります。

 

 

家族の助け合い義務

 

荻上 先ほどの、「家族は互いに助け合わなければいけない」という新しい24条について、「なぜこの条文を入れたんですか」という質問に自民党はこう答えています。

 

「昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われていることに鑑みて、24 条 1 項に家族の規定を置いたものです。個人と家族を対比して考えようとするものでは、全くありません。」

 

これはなんだかズルい書き方だなって思ったんです。「家族の絆が薄くなっているから」じゃなくて、「そう言われているから」という言い方になっている。ここでもちょっと自信がなかったのかな、と気がします。

 

「家族の絆が薄くなっている」と言われる一つのきっかけになりやすいのが家族間殺人。これは戦後、件数としては減ってきています。年によって若干増えているところはありますが、それでもピークの時よりは少ない。

 

また最近はむしろ、人口構成や経済情勢が変わる中で、介護疲れや無理心中なんかが発生するなど、社会的リソースの不足から、「家族の絆」にあれこれ押し付けすぎて、そこから縛られて出られない。そうした状況が殺人を生んでいるというケースも目立つ。その中で「より絆を強化する」という話を持ってくるのは適切ではないし、そもそもどんな根拠でどういったことをしたいのか。そこが曖昧になっている気もします。

 

木村 やはり自民党草案って「この規定危ないですよ」とか「なんでこれ入れたんですか」と言ったら、大抵の議員から「たいした意味はないです」って返ってくるのが特徴なんですよね。だったらやるなよ、という条項が非常に多い。この条項も多分そういう類のものだと思いますね。

 

荻上 改めて、「自分がこの義務や権利が欲しいかどうか」という観点で、一個一個の条項を見ていくことが大事ですね。

 

 

木村氏

木村氏

 

憲法の理念がない

 

荻上 人権の考え方について、自民党のQ&Aではこのように書かれています。

 

「今回の草案では、日本にふさわしい憲法改正草案とするため、まず、翻訳口調の言い回しや天賦人権説に基づく規定振りを全面的に見直しました。」

 

これについて、リスナーから質問もきています。

 

「最高法規97条の削除について、疑問があります。同ホームページのQ&Aの回答、『人権は神から人間に与えられるという西洋の天賦人権思想に基づいた考えを改めたところです』とありますが、私自身、現行憲法の文面を読んだだけでは、このような印象は受けません。また、現行憲法11条と内容的に重複していることや、現行憲法の制定過程において問題があった云々との記載もありましたが、敢えて削除した目的や理由などがわかりません。」

 

木村 97条は、人権が重要であるということを確認する条文で、「日本国憲法が最高法規である」と定める98条の前に置かれています。「なんでここで改めてそんなこと確認する必要があるの?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるだろうと思います。

 

実際、起草過程の中でも「11条と重複しているんじゃないか」という議論もあったようです。しかし、「何故この憲法が最高法規で、他の法律を無効にできるのか」を明確にすべきだということになった。そこで98条の前に、「それは人権という非常に重要な権限を保障しているからです」と97条で説明することにした、という経緯があるわけです。

 

97条は、「人権が出発点になっている」という立憲主義国家の論理を示しているわけですね。これを削除するということは、「そういう理念から出発しない」という意見表明になってしまう。そもそも何を目指したか、どういう国家にしたいのか。そういう「理念」の部分が、自民党草案の全体を通してあまり語られていない。ここが一番疑問に残るとところです。

 

憲法改正とは本来、まず「こういう国にしたい」という理念があって、その理念を実現するための「部品」として条文の文言を組み立てる、という作業なはずです。しかし、今回の自民党草案は、その理念の部分が全くない。97条を削除するのもそれなんです。理念がないから、単純に削除してしまって、そこに書き込むべき自民党が考える新しい理念みたいなものも入っていない。

 

荻上 ちなみに消された97条はこのように書かれています。

 

《現在の日本国憲法》

第97条 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」

 

木村 人権は私たち人間の努力によって獲得したんだ、と書いてあるんです。人権があるからこそ、主権国家の権力濫用を抑制して、国家が国民から与えられた権限だけを行使するようにコントロールできるわけです。

 

 

聖徳太子の理念

 

荻上 「理念がない」というお話ですが、それに関わるところで、自民党草案の前文にはこのように書かれています。

 

「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」

 

「和」という言葉が出てくるんですが、これは聖徳太子以来の日本の特性なんだ、と説明されています。十七条憲法で聖徳太子が言ったような理念がこの国の伝統だよね、と。

 

ただ十七条憲法って、個人的には「そんなにいいものかいな」って気がします。というのも、ここでは「和を大事にしなさい」と言いつつ、目上の人や君子に逆らうと「和」が乱れるからダメですよ、とかも書かれている。「十七条憲法」は、名前は同じでも今の憲法と全く違って、役人たち支配層の心構えみたいなものなので、この単発フレーズのみへの共感は、あれこれ差し引いた方がいいんじゃないかと思います。

 

木村 この言葉を今の感覚で理解しようとするのは、もはや「作られた伝統」になっていくと思います。あの時代の、仏法思想が入ってきたという文脈と切り離されて、「お上が決めたことに文句を言うな」という意味で使われる恐れは当然ありますよね。

 

 

9条はどう変わるか

 

荻上 続いて、「平和主義と国防軍の新設」についての項目です。

 

《現在の日本国憲法》

第9条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

《自民党の憲法草案》

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。

 

2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない

 

この9条の変更について、質問がきています。

 

「現在の憲法第9条第1項の最後は『永久にこれを放棄する』となっている一方、自民党のは『用いない』となっています。この違いがわかりません。また、その後に『前項の規定は自衛権の発動を妨げるものではない』とあるのは、なにを意味するのですか。また、改憲案は立憲主義を踏まえたものになっていますか。」

 

木村 憲法の条項の中には「改正禁止条項」があると言われています。ドイツやフランスの憲法には「ここを変えてはいけません」と明文で書かれていますが、日本国憲法にはそれがない。しかし、少なくとも9条の1項は改正禁止条項じゃないか、という考え方もかなり有力です。

 

「永久に放棄する」ってことは、改憲して放棄しないことにしてはいけない、という意味ですよね。ところが「用いない」という表現になると、「改正禁止」という部分を削る趣旨になります。

 

ちなみに、9条1項は「侵略戦争の禁止」を宣言した規定と読めるので、改憲派の北岡伸一先生なんかも「9条2項は改正すべきだが、1項を削除するなんてとんでもない」とおっしゃっている。削除したら、侵略戦争をしたいと国際社会に宣言している、と受け止められかねません。

 

9条1項は純粋侵略戦争を禁じる条文だと理解するならば、国連軍に参加したり、集団的自衛権を行使したりといった武力行使は、侵略に歯止めをかけるための武力行使ですから、この条文が禁止する戦争には当たらない。ですから9条1項は永久放棄・改正禁止でも全然おかしくない。

 

それなのに、これを無神経に「用いない」にしている。全く無意識的だとは思うんですが、将来的な侵略戦争の解禁に一歩道を開いてしまっているんですね。【次ページへつづく】

 

 

 

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