2011.03.05

定数格差とねじれ国会

斉藤淳 政治学

政治 #定数格差#ねじれ国会

昨年2010年7月の参議院選挙で民主党が敗北して以来、衆議院、参議院の多数政党が異なる、いわゆるねじれ現象がつづいています。ねじれは2009年8月の衆院選挙で政権交代が起こり、民主党が両院の多数を握った段階でいったんは解消されましたが、わずか1年もたたないうちにねじれが復活してしまいました。

ねじれ現象は、迅速な法案可決を阻害します。与党が参議院の過半数を失った場合、法案を成立させるために野党にも八方美人的政策をとらざるをえず、抜本的な政策変更を行うことが困難になります。そのため法案審議に時間がかかる膠着状態がつづくようになり、国政が停滞します。にもかかわらず、ねじれ現象が頻発するのはなぜでしょうか?ここでは、衆参の定数格差の違いが、ねじれの大きな原因になっている可能性を指摘します。

ねじれの意味

周知の通り日本国憲法では首班指名、予算の編成、条約の批准において衆議院の優越が認められています。しかし実際には、予算の執行や条約の履行には、関連法案の成立が不可欠です。憲法条文の名目的な解釈とは異なり、実質的には衆議院の優越は首班指名に限られているとみることができます。つまり内閣を生み出した衆議院の多数派と、参議院の多数派の意見が食い違ったときに、ねじれ現象が起こるのです。それではなぜ、政権を握る与党勢力が参議院で敗退し、ねじれが発生するのでしょうか?

ねじれが発生する原因は複数あります。まず第一に両院の選挙制度の違いです。衆参両院の選挙制度が異なるため、かりに衆参両院の選挙を同時に行ったとしても、異なる政党が両院の多数党となる可能性があります。ただし実際にこれまで行われた同日選挙では、いずれも自民党が両院で大勝していますが、可能性としては否定できません。

第二に、選挙時期の違いがあります。衆議院は解散があり、参議院は3年に1回の半数改選で選挙が行われます。とくに参議院の半数改選のため、前回選挙の影響が現在の議席配置に影響を及ぼすのです。かりに衆議院、参議院が同じ選挙制度を採用していたとしても、異なる時点での民意を問うているという意味で、ねじれは起こりうることになります。他にも候補者の違いなどの細かい原因は考えられますが、基本的にはねじれ国会は選挙制度と選挙時期の違いというふたつの効果が絡み合ったものだと考えられます。

自民党が長期間政権の座にあった1955年から2009年をみると、少なくとも1957年から1989年のあいだ、自民党は参議院の過半数を安定的に維持していました。自民党結党後しばらくは参議院で過半数を割っていましたが、当時は無所属議員が是々非々で法案への態度を決めていたため、必ずしも自民党が参議院対策で苦労する状況ではありませんでした。しかし1989年参院選を契機に、最初の本格的な衆参ねじれが起こり、以後、1998年参院選、2007年参院選、2010年参院選と四つの時期で本格的ねじれ現象が発生しています。

とくに90年代後半に入ってから、参院選挙の度にねじれ現象の発生が意識されるようになりました。この背景には、不況の長期化と税収の落ち込みによって自民党が集票組織を維持するのが難しくなったことが考えられますが、それだけではありません。衆議院で選挙制度改革を契機に大幅な定数格差是正がなされたのに対して、参議院で格差を放置したことによって、「定数格差のねじれ」が起こり、こうした制度的環境のもとで、頻繁にねじれ国会が出現するようになっているのです。

定数格差の現状

定数格差の指標として通常使われるのは、最大最小比といわれる数値です。定数格差に関する判決において「定数格差3倍以上は・・・」といわれるときに用いられる定数格差は、議員定数を選挙区人口で割った数値について、選挙毎に最大と最小の比を算出した値を言及したものです。一人一票原則が最大限尊重されるなら、最大最小比は1に落ち着きます。この最大最小値を用いて、衆参両院の定数格差の変化を示したのが図1です。なお参議院については選挙毎の改選議席分を対象としており、非改選議席の定数格差については無視しています。

図1 最大最小比で見た衆参定数格差
図1 最大最小比で見た衆参定数格差

1947年4月に新憲法による最初の選挙が行われて以来、1970年代半ばにいたるまで、一票の格差はとくに衆議院と参議院選挙区で拡大をつづけました。その理由は高度成長によって、農村から都市へ急速な人口の移動が起こったことです。公職選挙法は5年毎に行われる国勢調査の結果を反映させるかたちで定数再配分がなされることを定めていますが、少なくとも1960年代半ばまで定数再配分は一切なされていません。

1962年、米国連邦最高裁で定数格差是正につながる判決が下され、一人一票原則が連邦下院や州議会で適用されはじめました。これをきっかけに、日本でも定数格差訴訟の件数が増加していきました。1976年4月に下された最高裁判決において、最大最小比で4.99倍に広がった衆議院定数格差(1972年総選挙)が違憲と判断されました。

参議院については、総定数が少ないことや、半数改選であるなどの制約条件があり、選挙区での定数格差は92年には6.59まで拡大しました。これも最高裁が1996年9月に違憲状態との判決を下しています。

衆議院では中選挙区制の時代に1964年、75年、86年、92年小規模な定数是正もしくは選挙区割り変更がなされました。94年の選挙制度改革の副産物として、大規模な定数格差是正がなされました。つづいて2002年に選挙区割りが変更されました。

参議院では92年選挙のあとに7つの選挙区で8増8減の定数格差是正がなされ、2000年、2006年に小規模の定数再配分がなされました。この効果もあり、最大最小比で見た定数格差は5倍程度で安定しています。

しかし、定数格差の指標として最大最小比を用いることには大きな限界があります。まず第一に、外れ値の影響を受けやすいことです。ひとつでも例外的に過大代表されている選挙区があれば、他の選挙区での人口が平等であったとしても、外れ値を拾ってしまいます。

二つ目の限界は、1996年以降、並立制で行われている衆議院選挙や、全国区・比例区が選挙区での選挙と組み合わさるかたちでつづいてきた参議院のように、複数の選挙制度が共存している選挙制度での定数格差の度合いを比べることが困難なことです。図1には、並立制導入後の衆院比例ブロックの定数格差を示していますが、ブロック間には格差はほとんどありません。いうまでもなく、かつての参議院全国区、現在の比例代表区は全国一区であり、定数格差は存在しません。

そこで定数格差の全体的な傾向を把握するためには別の指標を用いる必要があります。不平等の指標にはジニ係数などがありますが、ここでは便宜的に、ルーズモア・ハンビー指標(LH指標)を「定数格差指標」として用います。この指標は、各選挙区の人口比と議席比の乖離を絶対値として算出し、全選挙区の数値を足しあわせてパーセント表示したもので、表計算ソフトで簡単に計算できます。

たとえば、人口100人、総定数10、選挙区数5で構成される議会があったとします。人口と定数の配分が表1の通りであれば、最大最小値はG列から15÷5=3となりますが、LH指標はF列の合計30%を半分に割った15.0%となります。人口シェア、定数シェアというふたつの変数の差の絶対値を取り、その総和を2で割ったのがここで使用する定数格差指標です。

表1 定数格差指標の数値例(1)
表1 定数格差指標の数値例(1)

この議会で定数配分を表2のようにやり直せば、最大最小比は15÷8.33=1.8倍、定数格差LH指標は絶対値の合計を2で割った5.0%となります。

表2 定数格差指標の数値例(2)
表2 定数格差指標の数値例(2)

一票の格差がまったく存在しない状況では、この定数格差LH指標は0の値をとり、議席が不均衡に少数の選挙区に集中しているほど100%に近づきます。最大最小比に比べて使用頻度としては一般的ではありませんが、LH指標は全選挙区の不均衡を等しく考慮しているため、議席配分不均衡の全体的な傾向をより正確に把握するのに便利です。

図2は、衆参それぞれ選挙区と比例代表(または全国区)を、それぞれの全議席に占める割合を元にウェイトをつけて計算したものです。たとえば2009年の衆院選挙では480議席のうち、300議席が小選挙区から、180議席が比例代表ブロックから選出されました。小選挙区、比例代表ブロックの割合はそれぞれ300÷480=62.5%、180÷480=37.5%で、LH指標にウェイトを掛け合わせて処理したのものです。参議院の選挙区、比例区についても同様に扱いました。

図2 衆参両院における定数格差の変遷(加重平均)
図2 衆参両院における定数格差の変遷(加重平均)

図2から分かるように、戦後すぐの選挙では衆参両院の定数格差に大きな違いはありませんでした。参議院には全国区があったため、院全体での定数格差はそれほど深刻な状況にはなりませんでしたが、反対に当時の衆議院は中選挙区制をとっていました。衆議院での定数格差是正が、一部の極端な値をとる選挙区で申し訳程度にしかなされなかったため、定数格差の状況はつねに参議院よりも深刻な状況にあったのです。これは図1で見た最大最小比が大きく改善した70年代において、衆議院全体の定数格差がほとんど改善していないことに如実に表れています。

衆議院が中選挙区制だった時代、全国区のある参議院に比べて、衆議院が地方を過大代表する傾向にありました。反面、全国区を通じて都市部をより強く代表していたと想定される当時の参議院ですが、実際には自民党がほぼすべての一人区を独占することで、全国区での苦戦を相殺する状況にありました。

この点は注意しなければならないのですが、じつは人口一人当たり議員定数の定数格差だけでなく、選挙区定数のバラツキ自体が、代表民主主義での様々な不平等につながる可能性があるのです。たとえば5人区と1人区では、候補者を擁立したり実際に当選する政党の顔ぶれが大きく異なります。5人区では野党がそれなりに当選する可能性がありますが、1人区は与党を過大代表しがちです。つまり、衆議院の選挙制度が中選挙区制だった時代、自民党は衆参両院において、農村地域の政治的利害を過大代表することで、ねじれ現象が発生することを防いでいたのです。

ところが、このバランスは衆議院の選挙制度改革によって大きく崩れてしまいました。小選挙区と比例ブロックを組み合わせた並立制は、当初300の小選挙区と200の比例区議席を組み合わせたものでした。比例区議席は2000年選挙を前に180に減らされています。いずれにせよ、図2から分かるように、選挙制度改革と同時に、衆議院での定数格差は劇的に改善されたのです。それだけでなく、衆議院と参議院がそれぞれ代表している有権者が、違う集団になりました。衆議院が都市型に、参議院が農村型になってしまったのです。

98年参院選の敗北をきっかけに、自民党は都市型の選挙対策をとりはじめることになりました。反面、農村地域を中心に同党の集票組織が徐々に弱体化を余儀なくされました。公明党と連立を組むことで、自民党の都市型選挙対策は盤石なものになっていきますが、地方では取りこぼしが目立つようになっていきます。この傾向は小泉政権でもつづきますが、公明党との選挙協力が円滑に進んでいたことと、首相への高い支持率が党全体の選挙結果を下支えしたことから、ねじれ現象は暫く起こりませんでした。しかし一旦政党支持率が低下すると、都市型の衆議院で勝てても農村型の参議院で勝てないという矛盾が顕在化することになります。

2007年参院選で、民主党は一人区を中心に勝利を収め、結果的に衆議院で政権交代を実現する足がかりを得ました。しかし反対に2010年参院選では、一人区を中心に自民党が圧勝し、総得票では民主党が上回るものの、議席数では自民党が上回るという状況が発生しました。

「ねじれ」が突き出す日本国憲法の矛盾

二院制議会でねじれが起こった場合の政策結果については、必ずしもつねに当てはまる法則性がみつかっているわけではありません。しかし、これまで先進国の二院制議会を研究した成果では、両院の多数政党が異なる場合、財政赤字が悪化する相関関係がみられるようです。また米国の州議会は二院制をとるところと一院制をとるところが混在していますが、どちらかというと二院制議会で財政赤字が膨らむ傾向があるようです。日本の制度的文脈はもちろん異なりますが、バブルの崩壊とあわせて、財政悪化の口火を切ったのが89年のねじれ現象だったのは興味深いところです。

ここで認識を新たにしなければならないのは、日本の参議院は世界中の二院制もしくは両院制議会のなかで、かなり強い権限を有しているという事実です。しかも、議院内閣制である日本の憲法体制では、衆議院の多数が首班を指名します。これを参議院が否定することが常態化すると、国政は立ちゆかなくなり、衆議院の優越自体が虚構と化してしまいます。

戦後の長期間、自民党は地方の一人区を中心に確実に議席を確保することで、参議院の多数政党としての地位を維持しました。自民党が衆参両院の多数を握っているあいだ、参議院は衆議院のカーボン・コピーと揶揄され、その存在意義を疑う意見もありました。皮肉なことにねじれが発生してはじめて、参議院の存在意義が発揮されたわけです。しかし、そうなると今度は、議院内閣制と二院制という憲法デザインの矛盾が露呈し、統治の困難さが浮き彫りになります。

日本の憲法制度では、衆議院、参議院裏表と、3回の選挙を勝たないことには安定政権をつくることができないという高いハードルが設定されています。安定政権を形成することが難しいということは、翻ってみると従来の政策の継続性を担保していることと同じです。しかし政策の変更が難しすぎる場合、時代や状況への適応ができず、憲法体制や民主主義そのものの存立基盤が脅かされる可能性が生じます。そのような長期的リスクも念頭に、日本の統治機構をどのようにするのか、憲法制度も含めて議論すべき時期に差しかかっているのではないでしょうか。

議院内閣制を維持するかぎり、根本的な改革は、参議院を廃止もしくは権限を縮小することです。衆参ほぼ対等な二院制を維持するなら、任期が固定されている大統領制へ実質的に移行することが望ましい解決策だといえます。

当初期待された「良識の府」としての役割を参議院が担うのであれば、選挙とは異なるかたちで議員を選任し、その決定はあくまで衆議院に参考意見を送るなどの諮問会議的なかたちを取る必要があります。選挙で議員を選び、衆議院とほぼ対等な権限という参議院の役割を考えれば、参議院が政党政治の道具になるのは防ぎようがないのです。こうした誘引の現実を直視し、制度改革を構想していく必要があります。

プロフィール

斉藤淳政治学

J Prep 斉藤塾代表。1969年山形県酒田市生まれ。山形県立酒田東高等学校卒業。上智大学外国語学部英語学科卒業(1993年)。エール大学大学院 政治学専攻博士課程修了、Ph D(2006年)。ウェズリアン大学客員助教授(2006-07年)、フランクリン・マーシャル大学助教授(2007-08年)を経てエール大助教授 (2008-12年)、高麗大学客員助教授(2009-11年)を歴任。これまで「日本政治」「国際政治学入門」「東アジアの国際関係」などの授業を英語 で担当した他、衆議院議員(2002-03年、山形4区)をつとめる。研究者としての専門分野は日本政治、比較政治経済学。主著『自民党長期政権の政治経済学』により第54回日経経済図書文化賞 (2011年)、第2回政策分析ネットワーク賞本賞(2012年)をそれぞれ受賞。近著に『世界の非ネイティブエリートがやっている英語勉強法』など。

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