戦争は誤算で起こる!?――「抑止力」と今後の東アジア情勢

安全保障は悲観的

 

小原 東京財団の小原です。私は集団的自衛権に賛成の立場でここに参りました。私はもともとヘリコプターのパイロットをしていて、冷戦時代にはソ連の船の監視、追尾、並走、相手のヘリコプターとテールチェイスのようなこともしたり、仲間のパイロットには、レーザーを当てられた者もいます。私は今の安全保障の問題を悲観的にみています。

 

冷戦期と今が違うのは、アメリカと中国が対称でない点です。アメリカとソ連が抑止し合えたのは、同じような能力をもっていたからですが、中国は決してそうではない。もし戦争になればアメリカが負けることはありません。ただ、平時にコストを払うことがつらくなってきているので、基地の再編を行っています。中国もアメリカと戦争をしたら勝てないことを知っているので、戦争は避けようとしています。

 

ですが、私が悲観的な理由はその非対称さによって、誤認が生まれる可能性がある点です。中国はアメリカに対して抑止を効かせたいのですが、軍事的にまったくかないません。そこで、非対称戦の形を取ります。そうなると、バランスを取るのが難しく、抑止は効かなくなるのではないでしょうか。

 

相互依存があれば戦争は起きないという考えを、実は中国の方でよく聞きます。ただ、これだけ相互依存が進んだ中で、アメリカが中国に軍事力を行使するはずがないというとらえ方なのです。これは非常に危険で、中国はもっと好きにやっていいと暴発しかねないし思考です。中国はアメリカの限界を探っていますが、その見立てが甘い。

 

特に、サイバー空間と宇宙空間において、オバマ大統領は中国に危機感を抱いています。核兵器の数では、中国は圧倒的にアメリカに劣りますから、アメリカの監視ネットワークをハッキングしたり、衛星を破壊したり、電磁妨害を実際に行っています。その現状はアメリカ国内で議会報告書として出されましたが、オバマ大統領はもっと詳しい報告を受けているでしょう。アメリカの国防相も宇宙に対して手を出すなと何度も警告をしています。しかも、これ以上やると核攻撃も辞さないかまえです。宇宙にある衛星は自分の眼のようなものですから、その眼をつぶされることに警戒を強めている。

 

南シナ海の話も、アメリカ中でもいろんな意見があります。太平洋軍は、領海ではないと示したかったようですが、政策決定者の中には違うことを考えている人もいる。アメリカの本当の意図はなかなか見えないわけです。

 

それでは日本はどうするのか。日本は日本の国益を追求する必要があると思いますが、それがただアメリカに要求されたから、中国は嫌いだからでは国益にならないでしょう。南シナ海のパトロールも何を求めるのか自分で考えるべきです。

 

現段階で、行けるのかといわれれば能力的にはいけます。ですが、北朝鮮の核開発やミサイル発射にも備える必要がありますし、尖閣諸島の中国海軍の監視もある、さらにソマリア沖の海賊対処にいっている。しかも、日本周辺の任務もありますから、これにプラスして南シナ海のパトロールにいくのであれば、非常にコストになります。

 

私が航空部隊の指揮官をしていたときに、自分の部隊からソマリア沖の派遣対処を第二次隊で出しました。しかし、ミッションを始めてから、自分の部隊の訓練にいろいろと支障が出てきた。海上自衛隊全体でそのような影響が出ることも考えなければいけない。

 

それと、もう一つ、自衛官に何かあったらどうするんだと言う疑問がありました。新しい安全保障法制はなんでもできるように言っていますが、個別的自衛権を行使するための条件はまったく変わっていません。

 

日本に対する組織的攻撃がなければ個別自衛権を発動できない。とすると、南シナ海で護衛艦が攻撃されたからといって、日本は自衛権を発動できないのです。軍事的な手段が取れないのに、その前段階の軍事作戦を行うことは普通あり得ない。

 

一方で、中国からしてみれば、「自衛権の行使が~」と言ったところで、アメリカの作戦を担っているわけですから、軍事行動以外のなにものでもありません。

 

私が指揮官をしているとき、自分の部隊の部下が亡くなったことがありました。その家族の対応も指揮官がします。家族の悲しみは相当なものです。その部下は殉職ではありませんでしたが、感傷的な問題にとどまらず、国の殉職者に対する保障は十分ではありません。

 

部隊の指揮官たちは、残された家族が今後の生活に困らないように保険をかけさせたり、奥様が職につけるように働きかけるのですが、これは単発の事象だからできるのであって、戦闘行為が行われると、もっと考えなければいけないことは多いはずです。

 

それでも、私は今回の安全保障に意味があると思っています。抑止が効くからではありません。そもそも、中国に対して短期的な抑止は効かないと思います。今の国際秩序を実力をもって変えることを許してしまってはいけないと思うからです。

 

 

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写真:左から柳澤氏、植木氏、小原氏

 

 

戦争はほとんど誤算でおきる?

 

柳澤 ありがとうございました。軍事にかかわる人は、抑止が崩れて実際の戦争になったときのことを考える必要があります。だから、小原さんの意見にも一理あるのでしょう。

 

私からひとつ問題提起をできればと思います。アメリカは世界の覇権国として、従来からアジア地域にアメリカを排除して覇権を唱えることは絶対に許さなかった。昔、日本がやろうとしてこっぴどく叩かれたわけですけれども。今、中国が同じことをしようとすれば、アメリカは絶対に許さないでしょう。

 

それは軍事だけではなく、政治的にもそうだと思います。南シナ海についても、やはり民主党系のシンクタンクは中国と戦争をしてはいけない話をしますが、共和党系のシンクタンクは弱腰でいたら中国はますます増徴すると思っている。やはり、アメリカの中でも両論あるのですね。そこから、AIIBには参加しないけれど、こっちはTPPで行くぞといった同じ経済アリーナでどっちがリーダシップをとるのかという争いはしている。

 

そのとき、アメリカ全体の方向として、3つのやり方があると思っています。一つはとにかく力づくで強くなる。二つ目は撤退して、太平洋西半分は中国に任せる。3つ目はなんとか共存しようとする。いまやろうとしているのは共存でしょう。その共存の在り方をめぐって摩擦がおきているのが実情です。

 

日本にとっての悪夢は、政治的に米中が手を握って無視されてしまうことでしょうね。アメリカの船を守ってあげるから、アメリカが助けにきてくれるとは限らない。いまのところ、どう日本の立ち位置を取っていけばいいのか。

 

植木 今、柳澤さんはアメリカと中国が政治的に手を握ったら、日本にとっては悪夢だと言われましたけれども、おそらく最悪のシナリオは、アメリカと中国が調整できずに戦争に突入していくほうでしょう。

 

最近、アメリカの政府系の人と話しても、戦争は高くつき、抑止は安上がりだと言う。でも、いざとなったら戦争をする構えと覚悟がないと抑止なんてできません。小原さんは非対称といいましたが、たしかに中国はキューバにいってミサイルを置くようなことはしない。

 

そうすると、非対称の一つはアメリカが東アジア地域にどれだけ自分の国益があるかの判断にかかっている点でしょう。経済依存は認識しづらいので、確認できるような形で発信していかなければならない。

 

やはり、どんなに優秀でまじめな学生でも落第がなければ勉強しません。動かすためには、「協力したら素晴らしい世界がある」という一方で、協力しなければ悲惨なことがあると同時に見せないといけない。

 

先ほど小原さんがおっしゃっていた、国際システムとルールについては、私はものすごく賛成です。少しずつ人間はルールに基づいて力づくでなく協調できるように世界は進化してきたので、絶対に守らなければいけない。でも、アメリカが落ち目になった時にこの理論を言い出したので、ちょっといい加減だなぁとは思いますけどね。

 

やはり、ルールを破っている国が自分たちが正当でないことをやっていると意識することが大事なんですよね。ですが、国際法も国際システムも、アメリカに有利にみえることがある。そして、中国もあいまいなところをついてきたりする。

 

しかし、ASEANの国々は、ルールをきちっと書いて罰則を入れた取り決めをすることに拒否感があります。最近、ASEANの研究者と一緒に、『ナビゲーティング・チェンジ』という本を出しました。この地域の変化を、海図を描くようにナビゲーティング(操縦)しようという意味がある。しかし、ASEAN諸国は、罰則化に抵抗があることを実感しました。すごく難しい。合意形成が困難なのです。

 

日本は海洋ルールについて議論をする場を提供していく必要があると思います。この地域を引っ張っていける国はそんなに多くありません。日本はそこで汗をかいて、ASEAN地域でルールをつくる必要があると思いますね。日本は、尖閣の問題があるため当事国のような感じなので、下心が透けて見える点が弱い点ですが。

 

柳澤 安倍首相は法の支配やルールの確立について言っていますが、実際にやっているのは、オーストラリアに潜水艦を売ったり、共同訓練をしたり、やっていることは力のほうに傾いているような感じがするんですけど、そこはどうでしょう。

 

植木 おそらく、ルールに従わせるためには、従わないと頭を叩かれることもあると思わせる必要がある。やりたくない人にやらせるためには、3つの方法があります。頭を殴るか、お金で買収する(経済支援をする)か。本当にいいことだと思って行動を変えさせることもできますが、これは、非常に難しいので、現状は頭を叩かれるかもしれないとおもわせながら、行動を少しずつ修正していくしかないのかもしれません。

 

柳澤 ただ、叩く力を持っているのはアメリカですよね。

 

植木 そうですね。また、規範を守るための戦い、という位置付けにすると、海洋の自由だけでなく人権を守ることも含まれる。それは、日本人には、違和感がある。日本人の人権だけでなく、インドネシアや中国、はたまた、聞いたこともない国の人権のためにも本当は戦わなくてはいけないのだけれど、日本人はそこまで考えていない。

 

先の戦争でも一応大義はありましたから、価値のようなものに対して命をかけて戦うことに、抵抗感もあると思うんですね。だから、国際貢献とか、規範とか、自由とかを守るために戦うというのは、なかなかストンとは落ちない気がします。

 

小原 非常に悲観的な立場からすると(笑)、戦争には大義なんかない。もちろん、相手の国が悪いことにしますが、あとからの言い訳にすぎないと思います。アメリカにしろ、中国にしろ、基本的にはお金のためにやっています。中国が今、こうした挑発的な行動をとるのも経済発展が必要だからでしょう。

 

だから中国は、「アメリカも同じなんだからわかるでしょ」と思っているところがある。でも、そう思っているからこそ、非常に危険なんです。ですから、誤算はいつでも生じ得ると思います。日本はどちらかというと、美しいものをそのまま信じる傾向にある。でも、国際社会は表向きと実際に考えていることは必ずしも合致しない。よく言われる共通の価値も私は存在しないと思います。必要があれば誰とでも組む。その時々に理由はつけられる。

 

たとえばアメリカ海軍が今度、シンガポールに船を常駐させると言いました。シンガポールは制度上、民主主義国家ですが、実態は人民行動党の一党独裁です。でも、必要であれば、「シンガポールは民主主義国家だから」と言い訳するでしょう。

 

でも、「金のためにやるんだ」というと、もちろん国民には受けが悪いわけです。ですから、どうしてもきれいな話でないと、国民は動かすことができない。部隊でも、隊員を鼓舞するときに、現実的な話をしてもダメで、このミッションがいかに尊いものか、人を助けるものかということを強調します。実際、今までの自衛隊の任務は人を助けるものでした。

 

任務の時に、危険だから嫌だと言う隊員を私はいままで見たことはありません。でも、ミッションの本質は嫌でもわかります。言い訳のような理由で、「軍事活動ではない」と言われたり、武器の使用が本来認められていないのに、「武器等防護のための武器使用をしろ」と言われる状況になる可能性があります。

 

自衛隊員は教育の中で、最後の最後の段階、しかも基地の中の武器庫等のような場所まで追い込められて、どうしてもダメだというとき以外は武器を使うなと言われてきます。でも、これからはもしかすると、洋上でアメリカの船を守るときの理由にも使われるわけです。たぶん違和感を持っている人は多いでしょうね。

 

植木 世の中は確かに汚いところは多いですし、理想ではないこともある。民主主義国は、しばしば、戦争で大義をあえてつくります。この戦争は正しい戦争だと言って国民に売り込むことができるからです。

 

とは言っても、金のためにしか戦争しないわけではない。やはり、私たちは民主主義の国に住んでいますから、大義のためにしか戦争はしないのだと私たちが思えば、それはそういう決定になるわけです。

 

小原さんがおっしゃっているように、ほとんどの戦争は誤認に基づいて行われています。戦争の定義の一つに、「勝敗がどうなるかについて双方で意見の不一致があるときに戦争になる」というものがあります。勝つほうも負ける方も、両方が勝つと思って戦争をはじめるんです。

 

やはり、誤認を少なくするためには、発信することが必要だと思います。民主主義はシグナルを出すのに向いていて、私たちみんながこの島は絶対に守るべきだと言えば、恐らくそれは守るんだろうと相手から見える。金正恩が何か言っても、私たちはあまり信用できないのは、民主的な野党の声がないからなんですよね。ただ、現状日本では、制度が未整備ですし、戦争決定に対して分析し判断する制度も十分でない。

 

やっぱり、国民一人一人が戦争をしてでも守るものはなんなのか考えることが重要だと思います。そのことが、長期的には制度の整備につながり、正しい判断ができる国になることにつながると思います。

 

柳澤 ありがとうございました。まだまだお話を伺いたいのですが、そろそろお時間です。戦争はほとんど誤算で起きる、これがこの鼎談のテーマになりましたね。どのように誤算を少なくしていくのかを私たちは考えなければいけない。

 

最後に一つ、戦後70年、戦争をしなかった蓄積をもう一度見つめなおす必要があると私は思っています。確かに、ラッキーだった部分もありますが、今度は意志をもって戦争をしない努力を続けていけるのかが問われているでしょう。

 

 

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