法の支配の外側で 

法の支配の外側で

 

念のためにいえば、わたし自身は法自体がなるほどお題目であり、しかしお題目にはお題目としての役割や機能があるという立場である。だから別にどちらか一方の立場から他方を断罪しようというのではない。たんに、世の中には違うルールで動いている人々というのがいるのだし、それを無視してもろくなことはないといいたいだけのことである。

 

さらにわれわれは、世界的にみれば法に従う義務とか法に対する尊敬というルールを尊重していないか、あまり認識していない人々と、彼らが統治していたりされていたりする国家・領域が相当に多いということを考えておく必要があるだろう。

 

「法の支配」の確立は、1980年代から多くの国際機関や先進国による支援のテーマでありつづけている。数えてみたら世界銀行だけで「法の支配」がタイトルに含まれるプロジェクトが300以上あったという話さえある。

 

ということは逆にいえば、それがまだあまり成功していないということが端的に示されているわけだ。そういう世界のなかで、相手も国家である以上は法に従うであろうとか、こちらが法を尊重する態度を示せば相手にもその思いが通じるであろうとか、そういう推定が成り立つものかという話である。

 

そしてさらにいえば、他国の自己決定権とか主権とかいうものを真面目に尊重すればするほど、他国の採用しているルールを一概に否定できなくなることにも注意する必要があるだろう。共通のルールが通用するだろう、相手もそれに従ってくれるはずだという期待と、相手を他者として尊重することは、究極的には両立しない。

 

そもそも「他者」とは、自分とは異なるルールに従うもの、同じ状況で相容れない回答を返す存在のことである。たとえ法というかたちで示された「正しさ」であれ、そのような自分の信念が相手に無条件で通じるであろうという期待ほど、他者を他者として尊重することから遠いものはないのだ。

 

 

推薦図書

 

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発展途上国をめぐる国際的な議論がすれ違いがちになるのは、日本は東北アジア・東南アジアを、アメリカはラテンアメリカを、そしてヨーロッパ諸国はアフリカのことを暗黙のうちに想定してしまっているからだ、という指摘がある。その《日本からみえにくいアフリカ》の状況を中心に、選挙やアカウンタビリティ、安全保障・内乱・クーデターといった要素と経済発展の関係がどうなっているかを、統計などを通じて分析しつづけてきた結果をわかりやすく解説した書籍。

 

とくに民主的な選挙の実現が発展の第一歩だという従来の想定がいかに誤っているかということを指摘している点が衝撃的。また、アカウンタビリティや安全保障を地域的に、あるいはそれが不可能な場合には外部から実現するべきだという主張も、多くの論争を呼んでいる。

 

なお邦訳のタイトルは著者の主張をかなりアグレッシブに誇張しているので注意してほしい。著者の主張の中心はあくまでも、アカウンタビリティや安全保障抜きに選挙だけを実現しても国家は安定しないというあたりにある。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

・荒木啓史「遺伝か環境か?――ゲノム科学と社会科学の融合(Sociogenomics)が教育界にもたらすイノベーション」
・神代健彦「道徳を「教える」とはどのようなことか――「押しつけ」と「育つにまかせる」の狭間を往く教育学」
・中里透「財政のことは「世の中にとっての」損得勘定で考えよう!」
・伊藤昌亮「ネット炎上のポリティクス――そのイデオロギー上のスタンスの変化に即して」
・穂鷹知美「マルチカルチュラル社会入門講座――それは「失礼」それとも「人種差別的」? 」
・福原正人「戦争倫理学と民間人保護の再検討――民間人殺害はなぜ兵士殺害より悪いのか」