若者の社会運動とサブカルチャー――運動と日常を行き来する若者たちの葛藤

「親しみやすさ」という戦略

 

鈴木 一方で、リベラルな運動をしていく上で、なぜ彼らがディフェンシブにならなければならないのか。第一に、彼らを取り巻く環境や周囲の目線があるんだと思います。当然ながら、彼らもデモに行くだけではなく、それぞれの日常を生きている。その中で、社会運動に参加する立場としてどのような葛藤を抱えているのでしょうか。

 

富永 現在、社会運動に参加している若者には2通りのキャリアを持った人びとがいると思います。一つは、親もリベラルというパターン。もう一つは、親は非常に保守的で排外的、もしくはノンポリで「社会活動はちょっと変わったマイノリティの人たちがやるもの」と思っている、というパターンです。後者の場合、子どもは日常的に社会運動に対するネガティブな感覚を叩きこまれているので、ライフスタイル全てを運動に沿うように変換することは難しいです。

 

阿部 そうした日本の若者の状況とは反対に、以前、僕がオーストラリアに住んでいたときに感じたのは、あっちでは「リベラル」の人でも仲間が作りやすいんです。多文化・多民族社会なので、街中には当たり前のようにゲイのカップルが歩いていたりする。そうした環境の中でリベラルの人たちは、ファッションから食生活まで、ライフスタイルそのものを「リベラル」にして生きていくことができる。それが街の風景に溶け込んでいるんです。ただ、日本でそれをやるのはすごく困難ですよね。日本でライフスタイルからイデオロギーにもとづいた形にすると、仲間もできにくいでしょう。そうした中で彼らは工夫しながら「いかにしてリベラルな価値観を届けていくか」と考えているわけですね。

 

かつて僕らが批判していた上の世代のリベラルの人たちは、クラブに通っていたりして、何となく上から目線というか、当時の日本社会の中で少し浮いている存在だった。それに対して若い人たちは、今の日本ではその戦略は通用しないと、あえて西野カナの歌詞をパロディしたり、すごく考えてやっているんだなあと。

 

鈴木 ただ、ポピュラリティをもって問題意識を広めていかなければならない反面、広めるために問題意識を薄めているという状態については、彼らはどう感じているのでしょうか。どこまでのことが彼らの中で捨ててはいけない「運動」のラインなのか、気になります。

 

富永 一つは「親しみやすさ」だと思います。研究者や知識人が、彼らの運動の意味を深読みしていろいろと解釈をつけても、「あ、そうなんですか。そこまで考えてなかったです」と無邪気に返してしまう。それも戦略なのかどうかは分かりませんが、「こだわらなさ」みたいなものを前面に出すことで、難しい解釈の隙を与えない。そうすることで自分と同じ若者が参加しやすいように、自分たちのアイデンティティをうまくコントロールしています。

 

鈴木 日本は海外と違って、個人が「当事者」として問題意識を持って運動を起こすことが非常に難しい。シールズの活動に対して、ネットでは「売名行為だ」と批判も寄せられましたが、彼らのパフォーマンスはそうしたやりづらさの中での戦略の結果だったと。

 

富永 はい。個々人の動機を聞くと、しっかり反戦教育を受けていたり、家族の語りを通じて戦争の悲惨さに気がついたという声も聞かれました。一方で、親や周囲の社会運動嫌いを内面化しているために、運動を否定されないようにどうやっていくのかということに細心の注意を払っている子もいる。

 

鈴木 社会学でいう「役割間葛藤」ですね。ある場所で期待されている規範と、別のところで期待されている規範が対立を起こしたときに、その間をどう調停するかを考え、新たなスタイルが出てくる。世間では「シールズの活動に効果があったのか」ということばかり議論されがちですが、こうした彼らの葛藤との調停の仕方という点も、今後の研究につながっていく重要なポイントだと感じます。

 

 

社会運動と消費社会

 

鈴木 政治的な意見を表明することがこれだけタブー視される社会も少ないですよね。海外ではもっとカジュアルに政治活動に参加できる国が少なくないと思います。

 

富永 日本は社会運動全般の参加率が非常に低いです。しかし、実はデモへの許容性はそれほど低くありません。国際社会調査プログラム(ISSP)で50か国近い国々の調査が行われていますが、そのうちの中ほどくらい(田辺俊介編,2015『民主主義の危機』勁草書房)と、低い方だけれども参加率ほど下位にあるわけではない。ただこれは端的に社会運動そのものを知らない人が多いということと、単純に調査時点ではそこまで社会運動をバッシングするようなカウンター勢力が育っていなかったからなのではないかとも考えられます。

 

鈴木 「頑張っているし、まあいいんじゃない」というような反応が多いのかもしれませんね。世界価値観調査ですが、日本はヨーロッパ諸国と比べて、企業に対する不信感が低いことも分かっています。海外では企業や政府に対して不信感や批判を持つことはタブー視されていませんが、日本では「当事者でもないのに」という抵抗感が強いのでしょうか。

 

富永 確かにそうですね。例えば欧米では、「オキュパイ・ムーブメント」として知られていますが、財界や政府に対する抗議行動として、公園や広場に集まって何日間もキャンプをし、そこで寝食や学びをともに続けるという運動があります。香港の雨傘運動も解放空間を占拠することによって自らの主張をするものでした。日本ではこうしたことができません。警察の取り締まりが厳しく、占拠活動は難しいんです。ただ一方で、日本の場合は企業の力が強いので、企業を味方につけると社会運動は一定の認知を得やすい。LGBTの運動などがその一例です。

 

鈴木 確かに、企業に対する不信感が低いのであれば、ソーシャル・ビジネスを行う社会的企業を通じて運動を肯定していくこともできますよね。これは特に3.11以降のエシカル消費、つまり倫理的消費という形で注目されました。日本ではこうした消費を通じた社会変革の方が広く受け入れられそうです。

 

富永 過去にあった例としては、生活クラブ生協があげられます。合成洗剤に反対する運動を主導していて、生活者ネットワークとして議員も出ています。また、環境保護運動もマーケットに乗ることで比較的認知されている。日本ではかなり使いやすい戦術と言えます。

 

鈴木 しかし、消費者はこうした倫理的な消費を行う上で、どの程度、社会変革としての意識を持っていると思いますか。例えば「健康にいい」という理由で倫理的に生産された野菜を買うのと、同じ野菜を「生産者のところに届く」という理由で買うのと、微妙に違いますよね。ベジタリアンやヴィーガンといった食の嗜好も、「個人的な趣味」として取り入れる分には歓迎されても、「日本にはベジタリアン向けのメニューを出す店が少ない」という主張を始めると、とたんに論争的になります。

 

富永 ご指摘の通りだと思います。もちろん先程言及した生活クラブのように、自ら商品を作って行ったり、消費者の権利を集合的に主張する活動がないではないのですが、日本で現在メジャーな倫理的消費というのはもっぱらフェアトレードとか、あくまで他の商品との比較によって「選択」するタイプの活動ですよね。消費者集団は自ら生産できないので、提示された商品を選ぶことしかできない。

 

鈴木 日本社会は企業活動を通じた社会貢献に対して寛容である反面、資本主義そのものを批判的に見るというモチベーションが根本的に欠落しているようにも思えます。海外では「消費社会」という言葉そのものに否定的なイメージが強く、「大企業が儲けるために“消費者の権利”を謳って作った選択の不自由の現れが消費社会だ」という意識が広く共有されている。そう考えると、日本は「選ばされている」感がないのかなと思うことがあります。

 

富永 日本は各種運動の要求に応じて社会福祉を拡大していった結果、諸外国と比較して早い段階で組合の影響力が失われていきました。70年代以降は生活が豊かになり、被雇用者の不満も少なくなって、労働組合の組織率も低下していきます。人々の間で「労働者」としてのアイデンティティが希薄化していくと、それに代わる共通のアイデンティティとして「消費者」という意識が台頭しました。だから日本の消費者運動は国際的にかなり発達しているという評価もあります。一方で、つながりが薄れてしまった労働者としての運動はなかなかうまくいかない。

 

鈴木 確かに海外と比べて、「消費者」というアイデンティティ以外で自分たちを定義することができないため、結果として消費者意識が発達しているように見えるのかもしれません。僕たちは働く側でもあり、働いて得たお金でしか生活できない消費者側でもある。そうした立場から社会の中で争うときに、2つの方向性があると思います。一つはロスジェネに代表される「労働者として守ってくれ」という方向性。彼らは別のオルタナティヴとして生きるのではなく、労働者になるという道を選んだという点では、根底で消費社会を肯定していたようにも見えます。

 

それに対して現在では、「労働者にしてくれれば万事オーケー」とはいかなくなってきた。社会問題が収入や生活保障に収斂しがちだった時代が終わり、その先にある個々人の抱えている課題や社会的企業だけでは解決しきれない問題、そうしたことまで射程に入れた運動が芽生えようとしているのかもしれません。個々人が生活の中で持っているイシューをいかに政治と結び付け可視化していくのか。そうした流れは、すでに欧米の議論では主流になってきています。

 

阿部 ロスジェネの社会運動は、旧来型の階級闘争に戻っていったと感じています。民主党政権下でリベラルに追い風が吹いていた時期だったこともあり、非正規や失業の問題が喫緊の課題になっていた。消費者としてのアイデンティティ承認の問題や国家権力の問題よりも、「とにかく食わせろよ」という風潮でした。

 

ところが、社会運動がぐっと旧来型に戻ると、また政権交代が起こり、社会全体がどんどん保守的になっていった。今のリベラルはそうした現状から立ち直らなければいけないわけです。だから近年の若者の社会運動は、労働者としてのブラック企業の問題、消費者としての承認の問題など、多種多様な課題をまるごと抱え込んでいて、「運動の総合百貨店」的になっていると感じます。それは彼らがまじめだからかもしれない。まじめだから、これまでの運動の欠点を全て踏まえた上で新しいものを作ろうと努力する。そういう意味では僕は彼らに期待しています。

 

 

“総合百貨店”化する社会運動のあり方

 

鈴木 「第二の近代」と呼ばれる現在、さまざまなイシューが生活と結びついている。その一つひとつに個別に手を出すとイシュー間にコンフリクトが生じ、うまく意見統一できないこともあると思います。こうした現代における社会運動の今後の見通しや、富永さんがこれから調べてみたいことなどはありますか。

 

富永 まずこれまでの流れをまとめると、日本の社会運動においては戦後主要な位置を占めていたのは、労働運動かと思います。いかに生きるか、いかに食うかということが、運動の主要な目標としてあった。それが60〜70年代になると豊かな時代の新しい社会運動がスタートしてきた。それまで経済的格差に隠れて見えていなかった、民族マイノリティや女性などの隠れた格差を浮き彫りにする承認の運動です。90年代以降はグローバル化が進み、経済状況の悪化も重なってロスジェネが登場する。そして2000年代にまた労働・貧困の問題が重要になってきます。そして2010年代以降は、ご指摘の通り労働運動も承認の運動も両方共やらなくてはいけなくなってきた。そういう意味では「総合百貨店的」にならざるを得なかったんです。

 

こうした若者の運動から私たちが学ぶべきところも多くあると思います。これまでの社会運動の担い手は、理念と行動を一貫させ、左派的な理念を一貫しようとしてきました。9条は守らなければいけない、原発は反対、遺伝子組換えはダメ、「旦那さん」「奥さん」ではなく「パートナー」と呼ぶ……など、色々な社会問題とそれに伴う行動がある程度パッケージ化されていました。それに対して今の若者は、それぞれの主張を切り分けているんです。まず、彼らは自分たちのことをリベラルあるいはレフトだと思っているとは限らない。実際に運動に携わっている人びとに話を聞いてみても、「私は最低賃金の問題にはコミットしていないけど、脱原発運動には参加している」という子もいたりする。

 

それから、ワーク・アクティビズムバランスがはっきりしています。これまでの左派の人々は、運動に人生を投じるという規範的な価値観がありました。1968年の学生運動などが代表的かと思うのですが、運動と自己は深く結びついていて、場合によっては死を選んだりもする。彼らはそうした価値観とは距離をとっていて、例えばシールズ創設者の一人である奥田愛基さんは「海やディズニーランドに行くようにデモに行っていい」と言います。つまり、日常生活の一つの局面として社会運動がある。興味深いのは、生活を守ったまま、その余力で数ある運動の中からできるときにできることをチョイスしてやっていきましょう、という考え方をしているところです。運動における「燃え尽き」や「自己犠牲」の課題は問題視されてきましたから、それに対する答えのひとつを見たように思います。こうしたやり方は、上の世代の人たちにも共有されていい価値観だと思います。

 

鈴木 この本は、社会運動をその結果や影響力の大きさという観点で見る方からすると少しまどろっこしく感じるかもしれません。しかし今日お話を聞いていて、そのまどろっこしさが、周囲の環境の中で葛藤を抱えながらも社会運動を続けていこうとする人たちの一つのスタンスを示しているのかもしれない、と感じました。どうもありがとうございました。

 

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