西欧社会民主主義はなぜ衰退しているのか?

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ポピュリズム伸長と社民の衰退

 

西欧各国の社民政党が大きなダメージを受けている。

 

2017年から2018年は、英EU離脱と米トランプ大統領誕生があったこともあり、西ヨーロッパ各国での選挙が大きな注目を浴びた。オーストリアやイタリアではポピュリスト政党が参画する連立政権が発足したが、フランスといった欧州の中核国ではポピュリスト勢力は政権の座から遠ざけられ、グローバルなポピュリズム・ドミノは押しとどめられたようにもみえる。

 

もっとも、これまでの各国選挙の推移を注意深くみれば、留意すべきはポピュリズム政党の伸長以上に、各国政治で中心的な役割を占めていた社民政党の決定的な衰退である。

 

まず、2017年3月のオランダ総選挙では、与党・労働党がわずか9議席(改選前38議席)という、歴史的敗北を喫した。1980年代から90年代にかけ、同党は中道右派政党のキリスト教民主アピールとともに2大政党のひとつだったが、結党以来の最低議席となった。

 

続くフランスでは4~5月に大統領選、6月に国民議会(下院)選が行われ、極右ポピュリスト政党の国民戦線はマクロン率いる新政党「前進」に敗北したが、一方では、与党だったフランス社会党は壊滅的な状態に追いやられた。過去最低の支持率に喘いだ現職オランド大統領は最初から立候補を辞退したため、社会党の大統領選候補が決選投票に進むことがなかったのはじつに2002年以来のこと。下院選でも1971年の結党以来の最低議席となる31議席に留まり、極左政党を下回る議会の第5勢力にまで落ち込んだ。

 

さらに9月にはメルケル政権続投のシナリオのもと、極右政党AfD(ドイツのための選択肢)がどの程度の議席を得るかが注目されたドイツ連邦議会選があったが、ここでもメルケル大連立政権を支えてきたドイツ社民党は40議席を減らして、1950年代以来となる最低議席に落ち込んだ。その後数ヶ月間の交渉を経ての大連立政権参加でもって与党の座に留まったものの、支持率はAfDを下回ったままでいる。

 

2018年3月のイタリア総選挙では、「同盟」と「五つ星運動」という極右・極左ポピュリスト政党の連立政権となったが、その裏には、既成政党の凋落があった。与党だった民主党は30両党に競り負け、第3党の地位へと追いやられた。

 

6月のイギリス解散総選挙では、与党・保守党が議席を漸減させる一方、野党第1党だった労働党は30議席を上乗せしている。しかし、2015年におもに若年層の支持を得て党首に選出されたコービンは、基幹産業の国有化やNATO脱退など急進的な政策を掲げており、党内基盤も脆く、政権奪取は困難と指摘される。イギリスの場合は、極左政党が出現しにくい構造もあって、その分、既成の左派政党はライバルに怯えなくて済む。しかし、生存するために自らが急進化してしまえば、今度は政権交代可能性が減ることになる。

 

 

図 1 西欧社民政党の得票率 (1950 ~ 2015 年、1970 年= 100)

(出典)The Economist, April 2nd 2016.

 

 

注意したいのは、こうした社民政党衰退のトレンドは、長期的なものであるとことだ。図1は、1970年を起点として、西欧の各社民政党の得票率の推移を示したもの。1980年代前半と90年代後半に各国で得票を増やしたものの、2000年代半ばからは票を2割以上も減らしているのがわかる。

 

2008年のリーマンショックと2011年のユーロ危機、その後にとられた緊縮政策が、そのときに政権与党だった社民政党に対する信頼失墜となったのは面は否めない。しかし実際には、経済危機の前から各国社民の得票率は漸減しているのであって、議席減はこうした短期的な経済的な要因に帰すべきではない。逆にいえば、緊縮策の撤回だけが社民復活の条件となるわけではない。

 

それでは、こうした西欧社民の衰退はどのような要因から生じているのか――ここでは各国社民政党の戦略、組織、環境という、それぞれ短期、中期、長期的条件の変化を追うことで説明してみたい。

 

 

社民政党の戦略:「リベラル化」

 

90年代後半に社民政党は得票数を増加させているが、それは1980年代の新自由主義の伝播と冷戦構造の崩壊があったことから社民政党が自己変革を余儀なくされ、「リベラル化」したことの果実でもあった。

 

イギリスの例をみてみよう。労働党は1997年選挙で大勝利を納め、20年近くに渡った野党生活から抜け出すことに成功した。その鍵を握ったのが、1994年に英労働党の党首に選出されたトニー・ブレアを含む党内の「モダナイザー(現代化推進主義)」と呼ばれた改革派だった。

 

彼らは党が伝統的に依存してきた労働組合の影響力を排除するとともに、戦後労働党政権の中枢的政策でもあった国有化に関する党綱領を削除した。こうして、サッチャー政権(1979〜93年)によって進められた金融資本主義の恩恵に預かった新中間層の支持を集める「ニューレーバー(新しい労働党)」を謳い、政権交代が実現された。

 

また同年のフランスでは、議会解散を受けてジョスパン社会党連立政権が発足するが、同政権も経済政策での自由化を進めた。日本のNTTに相当するフランス・テレコムをはじめとして、80年代に保守政権が手がけた以上の史上最大規模の国有企業の株式上場が実現された。

 

さらに翌98年、ドイツではシュレーダー社民党が16年ぶりに政権を奪取するが、その後に労働組合の反対を押し切って推し進められたのは、それまで長らくドイツ経済のボトルネックとされてきた硬直的な労働市場の柔軟化(ハルツ改革)だった。2000年代以降のドイツの好景気は、シュレーダー政権時の改革の賜物だと指摘する分析は珍しくない。

 

このように90年代後半の社民政党は、経済政策では新自由主義的改革を推し進めた。

 

他方、フランスのジョスパン政権、ドイツのシュレーダー政権は、ともに緑の党を連立相手としていたことも影響し、同性愛者など性的マイノリティの実質的婚姻を認めるなど、文化的なリベラル色を強めた。つまり、経済的にも、社会的・文化的にも、「リベラル」となっていったのがこの時代の社民の特徴だった。

 

ちなみに、こうした経済と社会文化のリベラル化は、93年に「ニュー・デモクラッツ」を自称した米クリントン民主党政権下でもみられ、NAFTA(北米自由貿易協定)署名や同性愛の社会的包摂が実現された。なお、日本でも93年に55年体制が崩壊してから、非自民党勢力結集の旗印として、それまでのように「革新」ではなく、「リベラル」が用いられるようになったことも、同じ流れに位置づけられるかもしれない。

 

80年代の新自由主義、さらに90年代の旧共産圏の崩壊から、社民政党の弱点は経済運営にあるとみられていた。事実、70年代後半の英労働党政権や80年代前半のフランス社共政権などは、それまでの経済運営のパラダイムだったケインズ主義にもとづく総需要管理策に依存したため、インフレ、通貨安、財政赤字の三重苦を招き寄せることになった。

 

新自由主義の波を被ったポスト冷戦期の西欧社民は、政権担当能力を示すためにも、それまでの大きな政府路線・財政拡張路線を撤回し、自由貿易と資本市場の自由化を認める親グローバリズム路線へと転換する戦略をとった。

 

また、1970年代からは、個人の自己決定権を重視する個人主義的なリベラル文化の台頭が、一部では新自由主義と結合するかたちでみられるようになっていく。こうした社会文化的なパラダイム変化に適応して、社民勢力は社会的文化的なリベラルへと変身していったといえる。政治社会学者・イングルハートのいう「脱物質主義的価値観」、キッチェルトのいう「左派リバタリアニズム」のように、個々のライフスタイルや多文化主義、社会的マイノリティの自己決定権を重視した政策を、90年代から掲げるようになったのである。

 

一般的に言えば、90年代後半以降の社民は、経済政策上は自由主義・保守主義勢力に接近し、他方で新たな対立軸として社会文化的なリベラルを掲げるようになる。これが、現在にまで至るアイデンティティ政治による対立激化の源泉ともなっていく。

 

政治理論家のナンシー・フレイザーは、このような展開をみせた90年代を「ポスト社会主義の時代」と規定している。そして、それは「文化問題に向けられる過剰な関心と、基本的な社会的な不公正のかたち(搾取、不平等な分配、排除)への過剰な無関心というバランスの欠如」であると批判的に論評した(”From redistribution to recognition?,” in New Left Review 1/212,1995)。

 

しかし、冒頭でみたように、この「リベラル化」戦略は功を奏し、西欧社民は清新なイメージでもって捉えられ、複数国で与党に返り咲くまでになった。90年代後半は「バラ(社民のシンボル)色のヨーロッパ」がイメージされたのである。

 

もっとも他方で、このリベラル化は伝統的な支持基盤の喪失を意味した。図2は、社民政党を含む西欧の左派政党全体の社会階層別の投票を比較したものだが、90年代後半から左派政党全体が労働者層(熟練工)の支持を失っていったことがみてとれる。イギリス労働党でみた場合、一般有権者からの得票と比べて、熟練労働者の票の減退が大きいことがわかる。

 

 

図 2 欧州左派政党への社会階層別支持

(出典)Jane Gingrich “New Progressive Coalition? The European Left in a Time of Change” in The Political Quarterly, 88(1), 2017

 

 

なぜ、社民政党への労働者票は減っていったのか。一般的にいって、労働者層は社会文化的にリベラルな意識を持つわけではなく、むしろ勤労や自助努力、同胞意識を強く持つとされる。こうした意識を1950年代に「労働者権威主義」と名付けた政治社会学者リプセットは、その理由として、経済的に脆弱な労働者は、保護を求めて権威主義的になるからだと指摘した。それでも労働者層が社会文化的に権威主義に傾斜することがなかったのは、労働者の権利拡大が、当時の社民政党が目指していた社会権の強化といったリベラルな価値と親和的だったからだとした。

 

この「労働者権威主義」は過去のものではない。フランス労働者層は、移民受け入れなどの社会的グローバリズム、市場自由化などの経済的グローバリズムの両面において、一般有権者よりも強い反感を抱いていることが意識調査などでは明らかになっている。

 

こうして社会的・文化的にリベラルな価値を嫌う労働者層の支持は、ポピュリズム勢力に掠め取られることになる。2000年代以降の西欧の右派ポピュリズム勢は、雇用創出や社会保障水準の維持、自由貿易制限など、経済政策上は保護主義、移民やマイノリティの権利抑制など、社会的には権威主義的政策を掲げて支持を拡大していった。つまり、経済的な再分配を支持し、文化的・社会的に保守的な層がポピュリズム政治の供給源となっているのである。そしてこうした支持構造を間接的に生んだのは、社民政党の戦術的な変化でもあった。

 

他方、戦術的な変化でもって新たな支持基盤とすることが目指された90年代に生まれた新中間層は、労働者層と異なり、社民政党への政党帰属意識を持たない。経済政策の次元で自由主義・保守主義政党と差別化を図れなかった社民は、その結果、経済政策で失敗すれば有権者から直接的に制裁を受けることになる。これが社民勢の足腰の弱さにつながっていく。

 

このように、脆弱な労働者層が求める経済的な保護主義を撤回した社民政党の戦略変化は、その後のポピュリズム政治を呼び込む条件を整えることになったいえる。【次ページにつづく】

 

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vol.266 

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