2018.12.10

自衛隊海外派遣論議が深まらないわけ

中村長史 国際政治学

政治 #自衛隊

実質的な議論がなされない。国連平和協力法案(1990年)、国際平和協力法(1992年)、テロ対策特別措置法(2001年)、イラク復興支援特別措置法(2003年)、そして平和安全法制〔いわゆる安保法制〕(2015年)と、自衛隊の海外派遣について国会内外で議論が起こる度に、四半世紀にわたって繰り返し指摘されてきた点である。では、実質的な議論とは何か。どうすれば、それが可能になるのか。安保法制の喧騒は去れども、次の機会に同じ轍を踏まぬために、いま改めて考えてみる必要があるのではないか。

以下では、まず、これまでの議論が「論難あれども対話なし」ともいうべき派遣積極派と派遣消極派の対立状況にある様子を素描する。次いで、積極派・消極派双方の論拠をみていくが、重視している観点(国際協調・国際的評価への配慮)と盲点(政策効果の看過)が実は共通していることが明らかになる。この分析が見当違いではないとすれば、実質的な議論のためには、積極派と消極派が観点の共有を自覚して対話に向かいつつ、新たに政策効果をめぐる議論を活性化することが必要になるとの示唆が得られる。

論難あれども対話なし

世界各地で起こる武力紛争に際し、多国籍軍やPKOが派遣され、現地の平和維持や平和構築のための活動がなされることがある。自衛隊は、多国籍軍が展開したイラクやPKOが展開したカンボジア、南スーダンなどにこれまで派遣されてきた。

冷戦期には多国籍軍にもPKOにも関わることのなかった自衛隊であるが、1990年の湾岸危機を契機として、冒頭に挙げた法案が成立する度に、多国籍軍への協力とPKOへの参加の範囲が次第に大きくなってきた。現在の政府は、多国籍軍については武力行使と一体化しない範囲で協力(後方支援など)ができ、PKOについてはPKO五原則(①停戦合意、②紛争当事者の受入れ同意、③中立性、④三原則のいずれかが満たされない場合は撤収、⑤武器使用は自衛に限る)の範囲内で参加ができるとの姿勢を示している。

この現状に対し、「まだ足りない」と考えている人々がいる。例えば、多国籍軍にも参加が可能になるように憲法解釈変更や改憲を求めたり、文民保護のためには武器使用も辞さない強力な(robust)PKOにも参加が可能になるようにPKO五原則の見直しを求めたりする人々である。このような自衛隊海外派遣に積極的な人々を「積極派」と呼ぶことにしよう。

一方、「もう十分」、あるいは「すでにやりすぎ」だと考えている人々がいる。「もう十分」と「すでにやりすぎ」の間には現状への評価に質的な差異があるが、紙幅の制約があるなか煩雑さを避けるため、ここではまとめて「消極派」と呼ぼう。

このように「多国籍軍への参加を認めるべきか」、「PKOへの参加の度合いを高めるべきか」という二点について、積極派と消極派は争ってきたといえる。そして、この議論を指して、実質的でないとの指摘が繰り返されてきたわけであるが、そのような感覚は当事者たちも、ある種の苛立ちとともに抱いているところである。

積極派からすれば、消極派は国際感覚に乏しい一国平和主義者に映り、消極派からすれば、積極派は憲法を守らない野蛮人に映る。こうして互いに相手が「議論にならない」存在となった結果、相手の国際性の欠如や憲法への無理解を攻撃することに専心する「自陣営」向けの言説が生産されていく。論難あれども対話なし。これが、今日の対立状況であると言っても決して言い過ぎではないだろう。

共通する観点――国際協調と国際的評価の重視

しかし、積極派・消極派それぞれの主張の論拠を整理していくと、両者の距離はそれほど遠くないように思われる。むしろ、実は、国際協調と国際的評価を重視する点において両者は共通していることがみえてくる。

積極派は、国際協調が必要とされる活動に自衛隊が加わることの重要性を論拠としてあげる。「国際社会全体が対応しなければならないような深刻な事案の発生が増えている…国連 PKO を例にとれば…近年、軍事力が求められる運用場面がより多様化し、復興支援、人道支援、海賊対処等に広がるとともに、世界のどの地域で発生する事象であっても、より迅速かつ切れ目なく総合的な視点からのアプローチが必要となっている。こうした国連を中心とした紛争対処、平和構築や復興支援の重要性はますます増大しており、国際社会の協力が一層求められている」とする安保法制懇報告書(2014年)に典型的なように、国際協調の必要性が強調される。

その際には、しばしば憲法前文や98条の国際協調主義に言及される。憲法9条を理由に自衛隊の海外派遣に慎重な姿勢が示されることが多いが、同じく憲法に拠り所を求めるかたちで積極的な見解を導き出しているわけである。

積極派はまた自衛隊派遣という目にみえやすい貢献をすることで国際的な評価を得ることを重視するが、これは「湾岸戦争のトラウマ」ともいうべき教訓に由来する。イラクのクウェートへの侵略に対する集団安全保障措置としてなされた湾岸戦争への協力を求められた日本は、増税をして総額130億ドルの財政支援を行なった。しかし、戦後にクウェート政府が感謝の意を表明した広告のなかに日本の名はなく、これは自衛隊派遣という目にみえやすい貢献をしなかったためだと一部で受け止められた。実際、国際平和協力法案提出当時の外相は、湾岸戦争の際の資金協力が国際的に評価されなかったことが法案提出の理由の1つであると国会の答弁で明言している(衆議院「国際平和協力等に関する特別委員会」議事録 1991年10月1日)。

湾岸戦争における国連安保理決議678号に基づく武力行使は、米ソの対立で安保理が集団安全保障機能を果たせなかった冷戦期には考えられない「成果」であり、冷戦終結を改めて強く印象付けるものであった。また、局地紛争に大規模な軍事力を投下し「戦勝」したことで、軍事介入による平和維持に対する期待が高まり、その後の事例で軍事介入をしないことへの反発を生み出すほど世界的にも大きな影響を及ぼすものであった。このような湾岸戦争の影響力を考慮すれば、自衛隊派遣によって国際社会における名誉ある地位を占めようとする人々が、「次は乗り損ねないようにしよう」との考えを持つのは、理解できない話ではない。

一方、消極的な姿勢を示す人びととて、国際協調に関心を払っていないわけではない。実際、国連平和協力法案の廃案直後、自民・公明・民社の三党が、PKOに参加するために自衛隊とは別の新しい組織を作るという点で合意していた時期がある。この合意は政策に結実しなかったが、その後もいくつかの構想が示されてきた。例えば、坂本義和は、自衛隊とは別組織としてPKO待機部隊(国連版の警察機動隊組織)を常設することを提案したし、前田哲男は、自衛隊のなかに民生協力部門を設け、「人間の安全保障活動部隊」としてPKOにおける地雷除去等の任務に当たることを提案している。紛争(後)現場での平和維持や平和構築といった活動には、戦闘が任務の軍隊とは違った性質の特別な訓練が必要だとの理解が、その背景にある。

消極派はまた専守防衛を維持することで国際的な評価を得ることを重視するが、これは「侵略戦争のトラウマ」ともいうべき教訓に由来する。たとえ国際協調のためであっても、ひとたび自衛隊を海外に派遣してしまえば、戦前の旧日本軍のような侵略行為が将来行われるようにならないともかぎらないという懸念である。こうした主張が一定の説得力をもつ背景には、自衛隊の海外派遣を主導してきた政権が、しばしば復古主義的な姿勢をみせてきたことがある。

法案提出に際して立憲主義や民主主義を軽視しているかのような言動がとられるため、(自衛隊海外派遣に限らず、60年安保などもそうであるが)安全保障上の問題が「手続き」の問題として議論されがちになるのである。そして、時折顔をのぞかせる侵略責任を軽視しているかのような言動もまた、そのような勢力による自衛隊の海外派遣に懸念を生み出す。例えば、坂本義和は、「冷戦期に生まれた『絶対平和主義』を非歴史的に絶対化することは、かえって憲法の平和主義を無力化するおそれがありはしないか」との問題提起をするなどPKOの重要性を強く認識していたが、その坂本も、「侵略責任の未決済」を繰り返し強調し、自衛隊の海外派遣には一貫して慎重であった(1)。

共通する盲点――政策効果

このように国際協調と国際的評価を重視する点で共通している積極派と消極派であるが、双方に共通して欠けがちな点も指摘できる。政策効果(ここでは、現地の平和維持や平和定着に対する効果と定義する)をめぐる議論である。

自衛隊の海外派遣に積極的な立場をとるのであれば、その論拠として、十分な政策効果が期待できるという見通しが示されなければならないが、一般的に多国籍軍やPKO派遣の政策効果が自明ではない以上、この予測は容易ではない。政策効果がどの程度あるのかについては、研究者の間でも意見が割れているのである。

多国籍軍については、第三者が介入するのではなく当事者同士を徹底的に戦わせる方が紛争は再発しにくいと示唆する見解が示されている一方で、一定の場合には成功を収めることがあるとして、その条件を探る研究がなされている(2)。その内容は様々であるが、ここでは、あらゆる場合に多国籍軍派遣が成功すると捉える研究は皆無に等しい点を確認しておきたい。また、PKOについては、効果の存在にはほぼ合意があるものの、強力なPKOであるほど効果が高まるのか、伝統的なPKOであっても効果が変わらないのかについて、甲論乙駁が繰り返されている(3)。

また、近年では、効果の意味合いを再考しようとする動きがある。上述のように、政策効果に関する研究は、紛争が再発したか否か(派遣後の平和の継続年数)に着目して立論されることが多いが、そのような短期的・消極的な意味での平和ではなく、より長期的・積極的な平和を模索するべきだとの主張がなされることが増えてきた。例えば、被介入国の住民の人間開発や福祉といった観点をも重視するべきだとの主張や(4)、欧米型の自由主義や民主主義の被介入国への導入をもって平和の達成とみてよいのかといった問題提起がなされている(5)。紛争再発の有無に比べて測定の困難さはあるが、傾聴に値する指摘だろう。

このような知的関心を集め続けている問題であるにもかかわらず、日本では政策効果に関する議論は、四半世紀のあいだほとんどみられず、あたかもそれが自明であるかのように扱われてきた。さらにいえば、積極派は、自衛隊派遣に際しての政策効果の見通しを語らないばかりか、派遣がなされた後の検証さえも十分に行なってきたとはいい難い。アフガニスタン(インド洋)やイラク、南スーダンなど、自衛隊が派遣された地域の現状について真剣に検討した者が一体どれだけいただろうか。そうした議論が皆無に近いことは、自衛隊の派遣自体が目的化しているのではないかという疑念を抱かせるものである。

消極派にしても、ひとたび派遣がなされれば、諦観の念が強くなるのだろうか、政策効果を問いなおすことで積極派と議論しようといった姿勢はほとんど見受けられない。かつて丸山眞男は、組合運動や原水爆反対運動を例に、「盛んに反対したけれども結局通っちゃった、通っちゃったら終りであるという…勝ち負け二分法」に批判を加えたが(6)、この批判が、そっくりそのまま当てはまるのが現状ではないだろうか。

もっとも、違憲の疑いが強い政策については、そもそもその効果を問うても詮無いことだという考えから、政策効果論を敬遠する向きもあろう。この考えには一理ある。しかし、自衛隊の海外派遣に消極的な立場からしても、違憲論のみを頼みとして政策効果について十分に考えないままでは、憲法が変わってしまった際には、主張の根拠をすべて失うこととなる。学術的にも甲論乙駁繰り返されている政策効果について考えることは、決して積極派のみを利するものではないし、憲法をめぐる昨今の国内政治状況からしても十分に検討に値するのではないだろうか。

論難から対話へ

以上のとおり、積極派と消極派は、重視している観点(国際協調・国際的評価への配慮)と盲点(政策効果の看過)が実は共通している。そうだとすれば、実質的な議論のためには、積極派と消極派が観点の共有を自覚して対話に向かいつつ、新たに政策効果をめぐる議論を活性化することが必要になるだろう。

例えば、もし積極派の立場をとるのであれば、消極派の「侵略戦争のトラウマ」を払拭することを考えてみてはどうだろうか。侵略戦争への歴史的責任(対内的には立憲主義や民主主義の尊重、対外的には侵略責任の自覚)を果たさないうちには自衛隊が海を越えるべきではないと考える人々と議論を深めるには、侵略戦争の反省から政府に厳しい制約を課す現行憲法が誕生した経緯を銘記することが求められる。

具体的には、仮に憲法解釈の変更や改憲を行なうのであれば与野党の合意(少なくとも最大野党の同意)を得るための熟議を経ることや、歴史認識問題における侵略責任を軽視しているかのような言動を自制することが挙げられる。前者については、安保法案が性質の異なる活動を十把一絡げにして提出されたことで、国連平和活動に関してはほとんど意見に隔たりのない民主党(当時の最大野党)との間で議論を深める障害となったことは、教訓とされるべきだろう

また、消極派の立場をとるのであれば、積極派の「湾岸戦争のトラウマ」を払拭することを考えてみてはどうだろうか。軍事的貢献をしてこそ国際的な評価を得られるのであり、憲法の制約のためにそれができないと考える人々と議論を深めるには、軍事的措置を慎みさえすれば平和になるとは限らないのと同様、軍事的措置が必ず現地の平和維持・平和定着につながるものではないことを踏まえ、いかなる措置が現地の、ひいては国際社会の平和につながり、国際的な評価を得ることになるのかを検討することが求められる。

その好機は、アフガニスタンやイラクへの自衛隊派遣後であったように思われる。「成果」が注目を集めた湾岸戦争と異なり、アフガニスタンやイラクにおいては、かえって現地の治安が悪化したとの評価が一般的になっている。こうした点を直視していれば、集団安全保障に加わりさえすれば現地の平和維持や平和定着が自動的に達成されるものではないことが浮き彫りになったはずである。湾岸戦争時は「乗り損ねた」と思っていたものが、ときに「乗らない方がよい」ものである可能性も有することが明らかになったはずなのである。政策効果について論じてこなかった結果、この好機を逸したことは、教訓とされるべきだろう。

武力のせいで平和がこわれることもある一方で、武力によって平和がつくられることもある。このような根本的なディレンマを孕んだ難問に、容易に出せる答などあろうはずがない。問題の難しさを認識し、観点と盲点の共通を自覚したとき、私たちは自陣営にこもっての論難合戦をやめ、共に解決に当たるための対話を始めることができるだろう。

(1)坂本義和『相対化の時代』岩波書店、1997年、72-75, 152, 155-159頁; 坂本義和「まえがき」『坂本義和集3 戦後外交の原点』岩波書店、2004年、x-xii頁。

(2)Edward N. Luttwak. “Give War a Chance”, Foreign Affairs vol.78(4), 1999, pp.36-44; Patrick M. Regan. Civil Wars and Foreign Powers: Outside Intervention in Intrastate Conflict, The University of Michigan Press, 2000; Sarah-Myriam, Martin-Brûlé. Evaluating Peacekeeping Missions: A Typology of Success and Failure in International Interventions, Routledge, 2017.

(3)Virginia Page Fortna. Peace Time: Cease-Fire Agreements and the Durability of Peace, Princeton University Press, 2004; Michael Doyle and Nicholas Sambanis. Making War and Building Peace,

Princeton University Press, 2006; Martin- Brûlé, op.cit.

(4)Roland Paris and Timothy D. Sisk eds. The Dilemmas of Statebuilding: Confronting the Contradictions of Postwar Peace Operations, Routledge, 2009, p.306; Edward Newman. “A Human Security Peace-building Agenda”, Third World Quarterly vol.32 (10), 2011, pp.1737-1756.

(5)Oliver P. Richmond. “UN Peacebuilding Operations and the Dilemma of the Peacebuilding Consensus”, International Peacekeeping vol.11 (1), 2004, pp.83-02.

(6)丸山眞男「政治的判断」『丸山眞男集 第七巻』岩波書店、1996年(初出1958年)、343-345頁。

プロフィール

中村長史国際政治学

東京大学大学総合教育研究センター特任研究員。1986年京都府宇治市生まれ。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻博士課程単位取得退学。日本学術振興会特別研究員(DC2)を経て現職。主な著作に「出口戦略のディレンマ―構築すべき平和の多義性がもたらす難題」『平和研究』48号(日本平和学会、2018年)、『日本外交の論点』(共著、法律文化社、2018年)、『資料で読み解く「保護する責任」』(共編、大阪大学出版会、2017年)などがある。researchmap: https://researchmap.jp/Nagafumi_Nakamura/

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