定数配分訴訟と「選良」の限界 

合理的な期間

 

さて次に、定数配分が憲法違反の状態にあれば、すなわち憲法に違反して選挙が行なわれたということになるかという問題を考えることができる。そうなるのが当たり前だと言われるかもしれないが、たとえば以下の例を考えてみよう。

 

衆議院が解散され(この時点で一般的な手段により定数配分を修正することはできなくなる)、衆議院総選挙が告示されるまでのあいだにある選挙区を巨大災害が襲い、有権者の過半数が死亡した。告示時点での有権者数を基準にすると定数の大きな不均衡が生じ、当該選挙区と・もっとも有権者の多い選挙区との格差は3倍を超え、憲法に違反した状態にあると考えられる。さて、この選挙は憲法に違反して行なわれたことになるか。

 

ここでの論点は、修正のための合理的な期間の有無ということになる。そもそも立法府は、憲法の求める政策をいつ・どのようなかたちで実現するかについて自由に判断する裁量権を持っている。たとえば憲法25条1項は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めるが、この権利をどのように実現するかについては、立法府が原則として自由に決めることができる(それが民主政だ)。だから、現状のように金銭を給付する生活保護制度もあり得るし、現物給付やバウチャー制度を選択することも、それ自体として不当だということにはならない。

 

したがって最高裁としても、憲法違反の問題が生じるのは立法府がその裁量権を逸脱した場合にかぎられると指摘している。たとえば現物給付制度を採用したことによって「健康で文化的な最低限度の生活」が実質的に享受できなくなるような状況が発生したとすれば、人権保障という目的を逸脱しており裁量権の濫用にあたるということができるだろう。あるいは、適切な制度の設計や立法作業に一定の時間が必要なのは当然だが、それによって説明可能な「合理的な期間」を超えて立法が行なわれなかった場合(不作為)には、やはり裁量の範囲を逸脱しているということになる。

 

とくに、定数配分のように制定当時は基準に合致していたはずのものが・その後の人口移動により基準に反することになったようなものについては《いつの時点で憲法違反になったか》を簡単に判断することはできないため、たとえば定数配分訴訟の先駆的事例においても「人口の変動の状態をも考慮して合理的期間内における是正が憲法上要求されていると考えられるのにそれが行われない場合に初めて憲法違反と断ぜられるべきもの」(最高裁判決昭和51年4月14日)だと判示されてきた。

 

そこで今回の事例について見ると、第45回総選挙の定数配分について違憲状態であったとする最高裁判決が下された2011年3月から第46回に向けた解散まで約1年8ヶ月の余裕があった。これは抜本的な制度改正を実現するには(とくに立法過程に時間のかかる日本においては)十分ではないかもしれないが、最高裁判決の求める範囲を最低限実現するとか、少なくともそれに近付けるための一定の努力もできないほど短い期間だということはできないだろう。

 

実際にも上記の通り、弥縫的な改正法案はすでに6月時点で国会に提出されており、その後すぐに可決成立されていたとすればそれに基づく区割り作業が第46回総選挙に間に合った可能性は十分にある。「合理的期間」の問題から違憲性を否定するのはやや難しい、ということになりそうだ。

 

 

解決策?

 

では選挙が憲法に違反して行なわれたことを認定し、無効にすればよいのか。そうは簡単にいかないところが真の問題なのである。「無効」というのがどういう意味なのかが、よくわからないのだ。

 

いわゆる定数是正訴訟のほとんどは、公職選挙法(昭和25年法律100号)204条に定める「衆議院議員又は参議院議員の選挙の効力に関する訴訟」の形式を借りて行なわれている。選挙の効力に意義があるとして当該選挙から30日以内に高等裁判所に提起される訴訟であり、(衆議院小選挙区の場合)原告は選挙人(有権者のこと)または候補者・候補者届出政党、被告は選挙区のある都道府県の選挙管理委員会である。その効力については続く205条が規定しており、「選挙の規定に違反」があれば「選挙の結果に異動を及ぼす虞がある場合に限り」、裁判所は選挙の全部または一部を無効とすることになっている(1項)。その結果として当選人がなくなったか、定数に達しなくなった場合は再選挙が行なわれる(109条4号)。

 

今回の一連の訴訟についても同様であり、いくつかの選挙区の有権者を原告とする訴訟が・それぞれを管轄する高等裁判所に提起されているし、その直接的な請求内容は《対象となっている選挙区における選挙の無効》である。

 

だが、特定の選挙区について無効が宣告され、上記の通り再選挙が行なわれたとしても、違憲性は明らかに解消しないだろう。ここでいう再選挙は(たとえば)岡山2区の選挙をやり直すということであり、同じ範囲の選挙区から同じ数(1名)の議員が選ばれる以上、定数配分が修正されるわけはないからである。安念潤司が指摘する通り(「いわゆる定数訴訟について(一)」『成蹊法学』24号、1986)、204条に定められた選挙訴訟はもともと選挙実施に問題があった場合を想定した対応であり、定数是正訴訟のように全体としてのバランスや他の選挙区との格差を問題にするための制度では、明らかにないのである。

 

では対象となっている選挙区の無効だけではなく、選挙全体の無効を宣告することに踏み込むべきだろうか。まず第一に、それは原告が請求した内容とは異なっている。裁判とはあくまで原告側が求めた内容の強制をどこまで認めるかを決めるための制度であり、当事者の主張と無関係に・裁判官の信じる正義を実現するためのものではない。少なくとも通常の裁判制度の理解に立つかぎり、そのようなことはできないということになろう。

 

さらに、それを認める実定法上の根拠がどこにあるかということも問題になる。前述の通り公職選挙法204・205条は選挙全体に対する措置を認めたものではない。となると「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない」とする憲法98条1項まで戻ってそれを基礎付けなくてはならないだろうか。仮にそうしたとして次に立ちふさがるのは、第一に「無効」の意味がここでも判然としないということであり、第二にそれが生み出す結果があまりまともには思えないという問題である。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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