定数配分訴訟と「選良」の限界 

選挙全体の無効?

 

おそらく、前回の(あるいはここ数回の)選挙における定数配分が不公正であったと声高に叫ぶ人たち(いやその主張内容自体はわたしも否定するものでない)がイメージしているのは、選挙の結果が全体として無効になり、適切な選挙区割りのもとでガラガラポンと再選挙が行なわれることであろう。だが問題は、その新たな選挙区割りを誰がどのように定めるのかという点にある。根拠になるのは公職選挙法なので、法改正がどのようにしてか行なわれなくてはならないのだ。

 

だがここでは、選挙全体を無効にしたことが想定されているのであった。ということは、素直な解釈に従えば前回の選挙全体がその効力を失うのであるから、その結果である当選資格も失われ、現在の衆議院議員たちはその身分を失うことになるはずである。なおこの点を勘違いしていた人というのも実際にいたのだが、憲法45条により解散の時点で衆議院議員の任期は終了し、全員がその身分を失っている(だから衆院選には元職と前職と新人しかいないのである)。仮にその後の選挙が無効になったとしても解散の効力に影響が生じるわけはなく、解散前の議員が戻ってくるようなことには決してならない。ではどうすればいいのか。

 

考えられるのは、やはり憲法54条2項に定める参議院の緊急集会を開催することである。「国に緊急の必要があるとき」に開かれ、国会の職務を果たすことができるがあくまで臨時措置であり、次の国会開会後10日以内に衆議院の同意が得られない場合にはその効力を失うとされているものだ。

 

この制度は使えるだろうか? まずパズルとしては、誰が緊急集会を求め、議案を提出するかが問題になる。規定上は「内閣」であるが、現在の安倍(第二次)内閣は第46回総選挙の結果として構成された国会によって成立したものであり、その選挙の効力が失われるのであれば(議員の資格と同様に)その地位を失うことになると考えるのが自然だろう。となるとその前の野田(第三次改造)内閣復活かということになるが、2012年12月26日に総辞職してしまっている。法改正を行なおうにも、そのための手段がまったく起動しないということになりかねないわけだ。

 

この点は、12月26日の総辞職はあくまで先行する第46回総選挙が有効であることを前提に・憲法70条の規定に従って行なわれたものであり、前提が崩れれば無効になると解してもいいかもしれない。あるいは憲法71条により、新内閣の成立まで引き続きその職務を行なっていると考えてもいいだろう。すると本質的な問題は、その方がより優れた民主的正当性・正統性をもたらすことになるかという点にあることになる。

 

 

正当性と正統性

 

正当性と正統性の違いについては、すでにSynodos Journalでも説明したところであるので繰り返さない(「正当性と正統性」)。ここでの選択肢は、以下のようになるだろう。

 

(A) バランスの悪い選挙区割りによって選出された衆議院を基盤として成立した内閣という正統性に問題のある立法府・行政府に改革を委ねる。ただし少なくとも現時点において内閣への国民の支持は極めて高く、「人民の支持する改革」という正当性は調達できる可能性が高い。

 

(B) 正統性に問題のある衆議院・内閣を排除し、残る参議院に改革を委ねる。ただしその構成員は2007年・2010年にそれぞれ半数ずつ選出されており、現在の民意とは非常に大きく乖離している可能性が高い。

 

このように正当性と正統性とが対立する状況において、(B)の方が民主政的に正しいとまで言い切ることができるか。これが選挙全体の無効という選択肢を考えた場合に裁判所が直面する問いである。

 

付け加えれば「残る参議院」も2010年の第22回通常選挙における定数配分が憲法違反の状態にあり、「都道府県単位で選挙区の定数を設定する現行の方式を改めるなどの立法的措置を講じ、できるだけ速やかに不平等状態を解消する必要がある」と指摘されている状況にある(最高裁判決平成24年10月17日)。それ自身の正統性も危うい参議院に改革を委ね、国民から支持されている内閣を葬り去るようなことが許されるかどうか。すでに述べた裁判制度の制約を除いて考えたとしても、相当に悩ましい事態だということにはなるだろう。

 

なお余計なことを言うと、現時点での支持という正当性があるからといって成立過程における正統性の問題は治癒されないという立場を取る人は《日本国憲法を支持できない》という点には注意する必要があろう。日本国憲法が成立過程に大きな瑕疵を抱えていることは明白であり(占領下で主権が制限された状態で制定された、明治憲法の改正という形式を取りながら明治憲法の改正規定に準拠していない)、にもかかわらずそれに正統性を認めるなら《人民が独立後も一貫してそれを支持してきた》という正当性に根拠を求めるよりないからである。

 

さらに余計なことを言うと、上記のような問題に直面した裁判官がいたとすれば、次のようなことを考えるかもしれない。すでに述べた通り、遅くとも2011年3月には衆議院の選挙制度を改正する必要があることが明らかになっていた。その義務を負うものが誰かといえば立法府であるが、内閣を組織しており・衆議院の多数を占めている民主党(および連立政党)に第一義的な責任がある、すくなくとも重い責任があると考えることはできるだろう。「不可能は義務付けられ得ない」以上、たとえば法案提出権すら持っていない日本共産党に立法不作為に対する主要な責任があると考えることは不合理だからである。

 

ところで制度改正が怠られたまま行なわれた第46回総選挙がどうなったかといえば、その民主党が壊滅し、自公連立へと政権が移ったわけである。この選挙を無効にし、民主党政権を暫定的にであれ復活させるというのはトラブルの責任者に利益を与えることにはならないだろうか。むしろ制度改正責任を怠ったものが人民から罰を受けたのだから、そのままにしておいた方が正義にかなうのではないだろうか……。

 

実際に裁判官がこのように考えたとか、考えるものだと主張したいわけではない。しかし少なくとも、選挙の公正という正統性を過大に重視すれば、政権を持つものの責任や人民からの支持という正当性の問題を大きく損なうことくらいは、意識して議論するべきだろう。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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