定数配分訴訟と「選良」の限界 

「選良」信仰の限界

 

一般論として言えば、利害関係者に制度設計させること自体が問題であっておかしいと、誰もが言うことだろう。当の国会議員たち自身も、おそらくこの一般論自体は否定しないのではないか。いやこの間、法曹三者という当事者だけで議論するから変な結果になるといって「利用者の観点」を重視した司法制度改革・法曹養成制度改革を推進してきたり、大学教員自身が大学を運営するからおかしな教員や不効率がのさばるのだといって大学自治を制約したり介入してきたりしたことを考えれば、否定できるわけがないとも言えるだろう。

 

だとすれば選挙制度を国会議員たちが自分で決めるのもおかしいということには、ならないだろうか。「ならない」と言うための仕掛けが人民の自己統治であり、その人民の選良としての国会議員という観念である。

 

すなわち民主政は、《人民自身は人民の問題を適切に判断することができる》ということを前提にしている。それが最良なのか最終なのかという点はともあれ、人民自身は自らの統治に関する事項を判断することができるし、その権限を与えられるというのが民主政である。そしてその人民の代表たる国会議員にも人民と同様に、あるいは選挙を通じてその最良の部分が選ばれた結果として通常の人民以上に、自己統治能力があるということが前提されてきたわけだ。普通の役人だの教員だの社会人だのは社会全体の利益より個々人の私利私欲を優先してしまうかもしれないが、「我ら人民」全体としては正しく全体の利益を配慮することができるし、すぐれてそれを実現できる「選良」が国会議員なのだと。

 

だが実際にはどうだろうか。国会議員は普通の人間と違い、私利私欲を棚上げして社会全体のために行動することができると、従って自分たち自身の利害に直接関係する選挙制度の設計を委ねることができると、そう考えるだろうか。少なくとも定数是正訴訟の歴史はそれを否定しているだろうし、そもそも現在の選挙区割制度自体がそのような理念の実現を諦めていると言うこともできる。衆議院小選挙区の区割りについては内閣府に置かれた「衆議院議員選挙区画定審議会」が担当し、その答申を内閣・国会が追認するという制度になっていることを思い出してほしい。各政党・議員の利害がむき出しに衝突することになる選挙区割りを自主的・自治的に解決することなどできないことが、すでに国会自体によっても前提されているということにはならないだろうか。

 

 

解決策に向けて

 

だとすれば、本質的な解決のために必要なのは、この点の改善だということになるだろう。具体的には選挙制度の設計・改善に関する実質的な権限を立法府から剥奪し、中立的な第三者へと委ねさせることである。

 

もちろん憲法の制約範囲内で考えるならば、国会が「国の唯一の立法機関」である以上、その権限を形式的に剥奪することが許されるわけはない。独立行政委員会のようなかたちで審議機関を設置してその答申を特段の事情がないかぎり尊重する義務を立法府に負わせる一方、委員の任命を国会同意人事とすることによって民主的正統性を確保するといったような制度設計にはなるだろうか。従って、答申内容を忠実に実現するか・どのような人物を委員として選任するかといったような点を通じて当事者たる国会議員たちの意図が間接的に反映することは避けられない。

 

それでも、誰が・どこで・どのような議論を行なった結果としてどのような提案がなされたかが公開され、反対するにしても一定の《恥ずかしくない理由》を述べなくてはならないだけ、少なくとも現状よりは改善が見込めるのではないだろうか。定数是正訴訟による・あまり効果を発揮できていない政治的アピールを続けるくらいであれば、このような制度的対応を実現させるための運動に取り組んだ方が有効なのではないかというのが、この問題に関する筆者の見解である。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.272 

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