一人一票を実現するための一案 

政治家の「失業」問題

 

1票の格差への対策がいつも棚上げになり遅々として進まないのは、露悪的ないい方をすれば、それが個々の議員の地位と生活に直結するからだ。TPP反対論にせよ医薬品ネット販売規制論にせよ(もちろん他にも無数に例がある)、政治関連で議論が紛糾するときはたいてい(そして「○○になったら日本は滅びる」といったおどろおどろしい表現が使われるときは必ず)、関係者の地位やら生活やらが脅かされるという懸念が人々を突き動かしている。

 

選挙制度改定や選挙区割変更の場合は、主に人口が減少している地域で、当該選挙区の議員定数を減らされたり選挙区が統合されたりして、ポストを失うことをおそれる議員が反対する。その議員を抱える政党も、自党の議席数が減ることは困る(政党助成金が減ってしまう!)から同じ動機を持つが、同じ改定や変更が逆の影響をもたらすこともありうるから、正味で議席数が増える見込みがあれば、そこは損得計算の問題となる。改革を阻むのは関係者の失業問題、という構図は、産業界と基本的に変わるところはない。表だってはいいにくいが、誰もがわかっている話だ。

 

それが悪い、といいたいわけではない。わたしたちが今送っている豊かな生活は、さまざまな領域の数多くの人々の努力とその微妙なバランスの上に成り立っている。考えなしにそのバランスを崩せば、望ましくない影響が出るのは当然だ。社会を支える役割を果たしている人々が、それを維持できるようにすること自体は、社会を維持していくためにも、それなりに意味がある。そもそもわたしたちの社会は、おおざっぱにいえば、利害関係者が声をあげ、そのバランスをとるというかたちで運営されているのだ。

 

もちろん、一部の人々の反対のために多数の利益が損なわれる状況があれば、それはやはり望ましくないわけだが、だからといって、反対している人たちを「抵抗勢力」と呼んで非難すれば解決するという話でもない。どうすればそれが問題でなくなるかを考える方が生産的というものだろう。

 

 

1票の格差問題と選挙制度を切り離す

 

以上を前提とすれば、対策の方向性が見えてくる。問題は、1票の重みの格差と選挙制度や選挙区割が結びついていることから発生しているのであるから、それらを切り離せばいいのだ。前者は主に有権者の権利の問題であり、後者は主に議員たちの問題である。つまりこの問題は、「依頼人」たる有権者とその「代理人」たる議員たちとの利害の食い違いであるわけだが、この両者は必ずしも絶対不可分のものではない。1票の重みの格差是正を行っても、議員が「失業」しないようにすれば、彼らが反対する理由はなくなりはしないだろうが、小さくはなる。

 

ではどうすれば切り離せるのか。

 

1票の格差は、端的にいえば、議員1人あたりの有権者数の比でとらえられている。当該選挙区内の有権者数を議員定数で割った数が選挙区によってちがうことが格差として認識されるわけだ。有権者数40万人の選挙区で1人の議員を送り出している有権者からみれば、有権者数20万人の選挙区で同じ1人の議員を送り出している有権者の票は2倍の重みがあるようにみえる。

 

しかし議員定数が1票の格差、すなわち有権者間の不公平に直結しているのは、そこにひとつ、暗黙の前提条件があるからだ。それは、結果として選ばれた議員の議席、言い換えれば議場で各議員が持つ投票権が1人1票で固定されているということ。つまり、わたしたち有権者のあいだで1票の重みに格差があるのは、国会における議員の1票の重みが同じに設定されているからだ、ということができる。

 

もしこれが動かせるとすれば、話はまったくちがってくる。議員が議場で持つ投票権の重みに差をつけ、有権者のあいだで生じている「格差」を打ち消すように設定すれば、結果として有権者のあいだの1票の重みの差は実質的に解消することができる。有権者数の少ない選挙区から選出された議員の投票権をその分だけ軽く、有権者数の多い選挙区から選出された議員の投票権その分だけ重くするわけだ。

 

荒唐無稽な数字の遊びのように思われるかもしれないが、同じことをこう表現するともう少しわかりやすくなるだろう。議員は、その選挙区内の有権者数と同じ重みの票数を「預かり票」として議場で行使する、と考えるのだ。たとえば衆議院小選挙区で、有権者が20万人の選挙区から選ばれた議員は20万票、40万人の選挙区から選ばれた議員は40万票を有権者から預かっている。2人区ならその半分。小選挙区選出の全議員の「預かり票」を集めれば全有権者数に一致することになる。「預かり票」、つまりわたしたちが議員に託した1票1票は、それぞれすべて1票として同じ重みをもって、議会での意思決定に反映される。議員を、有権者が託した票を行使する代理人だととらえれば、自然に出てくる発想だと思う。

 

衆議院も参議院も、選挙区制と比例代表制の2通りの選挙を行っている。上記の考え方は、基本的には選挙区制の選挙にあてはまるものではあるが、地域ごとに分かれている衆議院比例区にも適用できるだろう。一般に比例代表選挙では、1票の格差が問題になることはあまりないが、これは基本的に程度問題だ。全国区でなければ、議員定数が選挙区内の有権者数の比と完全には一致しない以上、1票の格差自体は小さいが存在する。

 

この場合、小選挙区選出の議員定数より比例区選出の議員定数の方が少ないので、計算上、議員1人あたりの有権者数平均は比例区選出の議員の方が多いだろう。したがって、この考え方を小選挙区と比例区の双方に適用する場合、小選挙区選出の議員が持つ1票と比例区選出の議員が持つ1票の価値のバランスをとる必要はあろう。

 

計算は省略するが、難しい調整ではない。比例代表選挙である党に投じられた票を同じ党内の議員にどう配分するかという問題もあろうが、これは各政党に任せてもよいのではないか。政党間で得票数に応じた投票権が配分されていれば、それを党の中でどう配分するかは、1票の格差という観点からすれば正直あまり大きな話ではない(比例区選出の議員が離党したらどうなる、という課題はあって、少なくとも拘束名簿方式である衆議院の場合は離党したら失職するのがスジではないかと個人的には思うが、それはまた別の問題だ)。

 

 

1票の格差を議員の問題へ

 

このような決め方の利点は、選挙制度や選挙区割をどのように決めようが、それと関係なく、1票の格差を完全に解消することができるということだ。選挙区割を決めるにあたっては、たとえば地方自治体単位など行政上の区割りや地域コミュニティなど、さまざまな要素の考慮が必要とされている。憲法では国会議員は全国民を代表するものと明記されているが、それはそれとして、自らの「地盤」が変更されれば地元有権者との人間関係をいちから作り直さないといけないから議員として困る、というのも実際問題として理解できる。

 

だからこそ、この両者を切り離してはどうかという案になるわけだ。1票の格差問題と選挙制度や選挙区割を切り離せば、議員たちが自らの「失業」をおそれる必要は、少なくとも当面はなくなる。結果として、1票の格差是正は議会の手から離れて迅速に行われるようになり、選挙制度や選挙区割という名目で、実質的には議員失業問題に議会の貴重な時間を割く必要もなくなるのではないか。もちろん選挙制度や選挙区割について意味のある議論もあるだろうから、それは議会や学界で、とことん時間をかけてやればいい。1人1票は、それらとは基本的に切り離せるように思う。

 

とはいえ、議会で他の議員より小さな議決権しかもてない議員は、それを不満に思うかもしれない。しかし、ここがもうひとつのポイントだ。ここで彼らは初めて、「1票の格差」を他人である有権者ではなく、自分たち自身の問題として認識することになる。言い換えれば、この案は、1票の格差問題を、選挙時の有権者間の地位の格差から、議会における議員間の地位の格差に転換することによって、議員たちに自ら事態を改善するインセンティブを与えようというものだ。

 

1票以下の投票権しか持たない議員が他の議員と同等の地位を欲すれば、選挙区割などを変え、より多くの有権者を代表するようにならなければならない。逆に、地域代表として地元の声をきめ細かく国政の場に届けることを選択するというのであれば、小さな選挙区を選択することもありえよう。自ら制度を作ることができる国会にとって、それは総体としての自ら選択するものであって、押し付けられた不平等ではない。政党としても、選挙戦略から議会運営まで、これまでとはちがった対応が求められようから、せっせと考えていただくとよい。

 

憲法では、国会の議決は「多数決による」と規定されている。これは当然、議員が「1人1票」を持つという想定で書かれたものであろうから、議会における議員の議決権の重みを変えてしまえというここでの案は憲法に反するのではないか、という意見もあるかもしれない。しかし、憲法の解釈には一定の幅があり、立法機関には幅広い裁量の余地が認められている、ということは、1票の格差問題にせよ自衛隊の問題にせよ、数々の裁判で認められてきたことだ。この程度の解釈の自由度は許されてしかるべきだろう。もちろん、国会法や公職選挙法など、関連法令は改正が必要だろうが。

 

 

他分野の知見を活かす

 

上記の通り、1票の格差問題については、専門家の方々のさまざまな議論がある。当然ながら、そうした議論には大きな意義があり、それらは尊重されるべきものと考える。しかし素人目には、それらはえてして、既存の制度の枠内、あるいは過去や外国との比較をしながら制度の微調整を主張するものが多く、専門家としては適切なアプローチなのだろうが、もう少し自由に考えてもいいのではないか、と思わなくもない。この文章は、「部外者」の気楽さゆえに書けているものなので、元より専門家の論考と同列に論じられるべきものではない。

 

上記の通り、ここに書いた案は、似たようなものを複数見かけた記憶がある。とはいえいずれもアイデアレベルのものであって、それらがどのように発想されたものかはわからない。わたし自身の基本的な発想は、企業統治の分野での知見を政治分野に持ち込んでみたら、というものだ。株式会社の株主総会における議決では、株主の議決権はその頭数ではなく、持株数によって決まる。これを不平等と呼ぶ人はいないだろう。株主から株式を託された運用機関が、数多くの株式を抱えながら1社として1票しか投じられないのであれば、その方が不公平だ。同じように、有権者から票を託された議員は、その託された分に応じて発言権をもってしかるべきだ。

 

間接民主制も企業統治もいわゆるエージェンシーの問題という点では同じだが、乱暴にいえば、全体として前者は、手書きで名前を書かせる投票用紙に象徴されるように、後者と比べて古めかしいしくみに縛られている部分が少なからずみられるという印象がある。後者とちがって前者は、これまでシステム内部での闘争に明け暮れ、システム間の競争にはあまりさらされてこなかったために、当事者が改善へ向けたモチベーションを持ちにくかったせいなのかもしれない。その意味で、政治領域でのシステムには、企業のしくみや経済システムなどから学べる点が多少なりとあるのではないか、と部外者としては思う。

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.277 

・坂口緑「生涯学習論にたどり着くまで──人はいかにして市民になるのか」
・平井和也「ジョージ・フロイド殺害事件から考える米国の人種差別問題」
・野村浩子「日本の女性リーダーたち」
・安達智史「「特殊」を通じて「普遍」を実現する現代イギリスの若者ムスリム」
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