憲法9条と安全保障 ―― 憲法改正によらない安保政策の根底的な改変を前に

進められる「下からの改変」

 

現在、集団的自衛権行使容認について、秋にも出されるだろう「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保懇)の報告を受けて、閣議決定・首相答弁等による解釈変更をし、年末の防衛大綱に反映させ、来年の通常国会にも「国家安全保障基本法」を提出して制定するという線が有力のようである。

 

このように、法律による論理の転換が目指されている一方で、さらに外堀を埋めるような動きと解されうるのが、この秋に成立が目指されている「日本版NSC法(国家安全保障会議設置法)」や「特定秘密保護法」である。これらは、「国家安全保障基本法」という基本的な法のもとにある具体的な法という性質をもっており、つまり具体的な法の方から実現されつつあるのである。

 

もっというと、変化は部隊運用等の現場においてより一層顕著である。在日米軍再編の動きに連動して、自衛隊と米軍の統合が進み、とうとう陸海空全ての司令部がレベルで一体化が進められるにいたった(*4)。また、長らく懸案とされてきた陸上総隊の実現に向けて、議論が進んでいる。そして自衛隊の運用を、幹部自衛官からなる統合幕僚監部にて一元化する防衛省の組織改革案も明らかにされている。

 

(*4)最後に残っていた陸自について、本年3月26日に陸自中央即応集団司令部が在日米陸軍司令部のあるキャンプ座間に移転した。

 

繰り返しになるが、既成事実として日米同盟強化を前提とした〈新しい日本の安全保障のかたち〉が、法秩序でいえば下の方から先に出来上がりつつあるのである。

 

しかし、日本国憲法9条の条文解釈とその解釈の下での法制度形成によって、かなり確定性の高い憲法9条の意味内容が、政府により示されてきているのであった。その中核的な論理は、「自国防衛」であって「他国防衛」は引き出しようがない。以上のように具合に事が進めば、正規の手続きを踏まずに憲法改正をするに等しいのであって、「手続き軽視」も甚だしく、手続的な正義に反する。

 

事柄が国の防衛という極めて重大な事項である以上、実際に「弾」となり「楯」となる私たちに対して、私たちがどのような負担を負うのか、具体的に私たちの生活はどう変わるものなのか、といった点についてのきちっとした説明が必要である。新しい安保政策体系の正統性と安定性を獲得するためにも、為政者は「正攻法」で臨まねばならないはずだ。“予め定められた改正の手続が困難だからショートカットをする”などということは、許されないのである(*5)。

 

(*5)このような「手続き軽視」の最たるものとして、「憲法改正規定を先行して変えよう」という議論(憲法96条先行改正論)が、政治の世界でいっとき大いに広まったことを挙げることができる。今は下火になっているようにも見えるが、依然として選択肢の一つとして残っている。

 

この秋の臨時国会の動向や年末の防衛大綱策定、そしてここ数年の動きは、かかる観点から見た時に、決定的に重要な意味を持っている。そうであるからこそ、私たちはいま、日本国憲法9条の下に展開してきた安保政策の意味を改めて確認し、安全保障政策のありよう、ひいては「国のありよう」が変わることについて、しっかりと考える必要がある(*6)。

 

(*6)なお政府解釈について付言するに、筆者は政府解釈を9条解釈としてありうる解釈の一つと理解しているが、与してはいない。また、安保政策相互は高い程度で整合してはいると考えるが、完全に保たれているとは解していない。

 

※安保政策の改変による実質的な「改憲」という問題について、より詳しくは、青井未帆「静かな実質的『改憲』の動き――安保政策の根本的な変容が意味すること」世界2013年11月号(2013年・刊行予定)の参照を乞う。

 

(編集部註:本稿は2013年9月20日に脱稿されました。)

 

サムネイル「T-4」Toru Watanabe

http://www.flickr.com/photos/torugatoru/6318272130/

 

 

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.279 

・川口俊明「全国学力テストの失敗は日本社会の縮図である――専門性軽視が生み出した学力調査の問題点」
・神代健彦「道徳、この教育し難きもの」
・大賀祐樹「懐疑的で楽観的な哲学――プラグマティズム」
・平井和也「世界の知性は新型コロナウイルスをどう見ているのか」
・川名晋史「誰が、なぜ、どこに基地を隠したか」
・石川義正「「空洞」の消滅──現代日本「動物」文学案内(4)」