放射線の健康影響をめぐる誤解

東京電力の福島第一原発の事故から1年数ヶ月過ぎて、福島県内に住む人達の被曝量の計測が進み、そのデータが次々と公開されてきました。健康被害のより正確な見積もりが可能になってきたことで、事故当初に情報も少なくパニックになっていた頃と比べると、社会の様子は落ち着いてきました。被災地では、復興に向けての取り組みが本格的に行われるようになってきています。しかし、一方で放射線をめぐるあやしい情報はまだしきりに流され続けており、それによって不安を募らせている人達もいます。

 

ここでは、誤解されがちな放射線の健康影響について解説します。

 

 

誤解されがちな放射線の健康影響

 

【その1.甲状腺の検査結果】

 

原発事故による子ども達への健康影響を心配して甲状腺検査を希望する人達が増えています。

 

今年2月23日発売の週刊文春に、札幌で自主的に行われた甲状腺検査の結果に関する記事が掲載されました。その記事には「7歳女児、8ミリの結節が微細な石灰化を伴って見られた」こと等が癌の疑いの様に報じられましたが、この検査を担当した医師から、その週刊誌の記事にある癌の疑いというのは誤りで「良性のものであった」という指摘がされています。その件で二次検査をした医師の読影では、そのお子さんのケースは実は「石灰化はなく、コロイド嚢胞の疑い」と訂正されたそうです。コロイド嚢胞とは癌とは異なる良性のものです。

 

癌と関連する健康診断をして二次検査をしましょうと言われると、誰でも不安になるものです。二次検査をして「癌ではなく良性腫瘍(良性病変)なので、今後様子を見ましょう」と言われても、「良性だったけど、今後癌になるかも」と解釈してしまい、心配になってしまうかも知れません。

 

基本的には甲状腺の良性腫瘍(良性病変)が癌化することはありません。甲状腺の良性腫瘍の大半は組織細胞の過形成による腺腫様甲状腺腫で、本質的には腫瘍とは違ったものです。腺腫様甲状腺腫の経過を観察していると、中には増えたり減ったりと変化する症例もあるそうです。

 

これまでスクリーニングが広く行われていなかっただけで、若い人が知らずに甲状腺癌を持っている事例も多いと思われます。甲状腺癌は、比較的若い層にも多くみられます。北海道大学の医学部で学生実習の担当をしていた人の話によると、学生にお互いに甲状腺エコーの練習をさせていたら、4年間で学生約400人(大半は20代前半)から要精査が5~6人、甲状腺癌が2例見つかったそうです。

 

甲状腺癌の種類で最も多いのは甲状腺乳頭癌で全体の8~9割です(乳頭というのは組織学的構造の名称で、癌細胞が乳頭状に配列するのでそう呼ばれています)。次いで多いのが甲状腺濾胞癌で1-2割弱。チェルノブイリのケースでも事故後に増えたのは甲状腺乳頭癌が主でした。

 

「若い人は癌の成長が早い」というのが悪性腫瘍の一般論ですが、甲状腺癌には当てはまらず「予後良好因子」の1つに「若年発症であること」が挙げられます。成長の遅いタイプがむしろ若年発症型に多く、治療成績も良好です。参考として甲状腺乳頭癌の危険度分類を示します。

 


<甲状腺乳頭癌の主な癌死危険度分類法と予後>

<甲状腺乳頭癌の主な癌死危険度分類法と予後>
(MyMed:甲状腺癌 より  http://www.mymed.jp/di/v7c.html?PHPSESSID=95e591d64c3ff0826e60437aa4f9e0c7

 

 

成長が早く悪性度の高いタイプの癌は一次検査である超音波エコーでの見た目も異常になります。成長が早い癌は、周囲の組織への明らかな浸潤が見られるなど、検査上もいかにも「悪性病変」という形態を示すので、そういうものは経過観察にはならず、直ちに二次検査を要するものに分類されます。

 

放射性ヨウ素は医療目的にも使われるため、長年の研究によって内部被曝に伴う人体への影響はかなり明らかになっています。もっと甲状腺の被曝量が多かったチェルノブイリのケースでは事故の4~5年後から子ども達の間で甲状腺癌の増加が確認されています。

 

子ども達の甲状腺の被曝量の分布をチェノルブイリのケースと比較してみます。被験者はベラルーシとロシアの15歳未満の子ども達です。

 

 

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甲状腺等価線量の分布 (1mGyは大雑把に1mSv程度)
チェルノブイリ事故後の甲状腺被曝量
・Risk of Thyroid Cancer After Exposure to 131 I in Childhood より
http://jnci.oxfordjournals.org/content/97/10/724.full.pdf

 

 

福島の原発事故後、2011年3月26、27日に検査が実施された子どもの甲状腺被曝量の調査

 

 

対象年齢は1~15歳。この調査での最高値は、甲状腺等価線量に換算して35mSvでした。

対象年齢は1~15歳。この調査での最高値は、甲状腺等価線量に換算して35mSvでした。http://www.nsc.go.jp/info/20120221.pdf
・小児甲状腺簡易測定調査結果の概要について より http://www.nsc.go.jp/anzen/shidai/genan2011/genan067/siryo1.pdf

 

 

参考までに、国が安定ヨウ素剤を投与する水準は甲状腺等価線量100mSvです。

(ただし、甲状腺等価線量が50mSv以上で甲状腺がんリスクが上がるというチェルノブイリの調査の報告があり、IAEAがこの水準を50mSvに下げたのを受け、国も近く50mSvに下げる見通しの様です)

 

 

[注意] 甲状腺等価線量のSvの値は、全身のダメージを表す実効線量のSvとは数値の意味と大きさが違ってきます。甲状腺等価線量のSvの値に0.04をかけ算した値が実効線量のSvとなります。

 

 

また、次の様なデータも出されました。検査が実施されたのは2011年4月11~16日です。

 

 

NHK:福島の甲状腺被ばく 国際目安下回る(7月13日付)

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120713/k10013560711000.html

“弘前大学被ばく医療総合研究所の研究チームは去年4月、福島県内の住民62人を対象に甲状腺の検査を行い、ことし3月には、被ばく量が最も多い人で87ミリシーベルトだったという調査結果を公表しました。その後、研究チームは、原発事故の直後の「放射性プルーム」と呼ばれる雲の動きなど、より詳しいデータを基に再び解析しました。”

“その結果、被ばく量の最大値は成人で33ミリシーベルト、20歳未満でも23ミリシーベルトと、いずれも前回の公表結果の半分以下で、健康への影響を考慮して予防策が必要だとされる国際的な目安の50ミリシーベルトを下回っていたということです。”

 

 

この検査結果では、子どもの最高値は23mSvでした。

 

これらの検査結果を見ると、チェルノブイリでのケースと比較して、福島での原発事故による子ども達の甲状腺の被曝量は低く抑えられています。甲状腺がんのリスクが心配される甲状腺等価線量が50mSv以上の子どもはこれまでに確認されていません。(ただし、今後も慎重に継続して健康調査を行っていくことは必要だと考えます)

 

今回の福島での原発事故で考えられる程度の甲状腺被曝量では目に見えて甲状腺癌が増えることは予想されませんし、まして今の段階では原発事故発生後1年少々しか経っておらず、甲状腺癌の成長の遅さを考えると発症が早すぎますので、もし癌が見つかったとしても原発事故との関係は薄いと推定されます。現時点で「原発事故の影響で(前代未聞の速さで)甲状腺癌が発生」というのは荒唐無稽な話ですので、そういう噂話があっても無視していいでしょう。

 

検査の本番は3年後からの本格的な調査で、定期的に継続した検査をしていき、現在よりも甲状腺異常が増えてくるかどうかが大事なポイントになります。現時点で異常なしの人達も、何年か後に変化が現れる可能性はあるので、継続して検査を受けていくことが大切です。

 

 

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