鼻血は被曝影響だったのか――原発事故のデマや誤解を考える

 

 『美味しんぼ』と鼻血問題のリサイクル

 

2016年の新年早々1月9日付け日刊スポーツの記事の中で、お笑いコンビ、ロンドンブーツ1号2号の田村淳が、以前北茨城を訪問した翌日に大量の鼻血を出した経験を語って話題になった[1]。

 

田村は「北茨城に行って興奮していたのか、いきなり線量高いのに当たってそうなったのか、それはわからない……。今となっては調べようがないですからね。でも、だからこそ『美味しんぼ』のような話も、ボクはなくはないと思っていたんです。」と言い、マンガ『美味しんぼ』で描かれたような放射線被曝による鼻血の可能性を示唆している。ツイッターで問題点を指摘された田村はこの発言が軽率だったと認めて、同じ日刊スポーツの1月16日号で謝罪した[2]。『美味しんぼ』の影響力を示すひとつのエピソードだ。

 

この『美味しんぼ』が、放射線被曝によって鼻血が出たかのような描写で批判を浴びたのは、東電福島第一原発事故から3年経った2014年4月末[3]。福島県双葉町が小学館に公式に抗議し[4]、環境省が放射線影響を否定する文書を公表するなど[5]、大きな騒動になった。

 

作中で主人公の山岡たちは、東電福島第一原発構内をバスに乗って見学するが、戻ったあとでひどい疲労に襲われ、さらに原因不明の鼻血を出す。この顛末は原作者・雁屋哲の取材体験に基づいたものとされている。物語では、このような疲労と鼻血を経験したのが山岡ひとりではなかったことがわかり、その原因が実は放射線による被曝だったのではないかという方向へ話が進む。

 

放射線被曝の影響で鼻血が出たという話題は、この『美味しんぼ』が初めてではない。「鼻血体験」はインターネットを中心として、東電原発事故からほどなくして現れ、そのたびに多くの人たちによって「被曝が原因ではない」と指摘されたにもかかわらず、何度となく蒸し返されてきた。『美味しんぼ』事件はもう何度目になるかもわからない「リサイクル」だったのだが、人気マンガだったこともあり、改めて、そして鼻血問題としては最も大きな話題となった。

 

先に結論を書いておくと、今回の東電福島第一原発事故で生じたような低線量の放射線被曝は鼻血の原因にならない。これにはほとんどすべての専門家が同意するはずだ。だから、誰かが「東電原発事故による放射線被曝が原因で鼻血が出る」と信じているならそれは誤解だし、もしそういう主張を広めているならそれは人騒がせなデマを流していることになる。『美味しんぼ』の描写は、その影響力から考えて、単なる誤解ではなくデマと言ってしまっていいだろう。

 

鼻血描写の回が雑誌に掲載されるとすぐにたくさんの批判が集まり、編集部は次の号でマンガの続きとともに多数の識者による賛否両論の意見を掲載するという異例の対応を取った[6]。この特集には、それまで雑誌やテレビなどで放射能問題が取り上げられる際にコメントしていた人たちが顔を揃えている。それぞれの「識者」がどの程度信頼できるかがよく分かってとても面白いので、未読のかたはダウンロードして読んでみることをお勧めする。数が多いので個々には検討しないが、鼻血デマ問題を考えるうえでの必読文献だ。放射線防護の観点からの常識的な考えについては、「放射線防護学」を専門に掲げる安斎育郎と野口邦和のコメントに目を通せばわかる。

 

『美味しんぼ』のこの2回は現時点での最新シリーズである『福島の真実編』の最後のエピソードとして、2014年末に刊行された単行本(第111巻)に収録された[7]。批判に応えるためか、単行本化に際して文章が何ヶ所か書き直されたうえ、注釈も追加されている。ここでは単行本版に基づいて考えるが、実際に社会に与えた影響が大きかったのは雑誌のほうだったかもしれない。ちなみに、雑誌に掲載された賛否両論の意見はインターネットで公開されているからか、単行本には収録されていない。できれば書籍版にも本編と併せて収録してほしかった。

 

『福島の真実編』は、福島の農産物の安全性を強調するなど、いいところもないわけではないが、この最後のエピソードですべて台無しになっている。放射能についての誤解も見られ、取材や理解が行き届いていないことも露呈している(たとえば、何度も繰り返されるICRPの線量基準についてはまったくの誤り)。

 

鼻血以上に問題なのが、作中で松井英介医師が口にする「福島に何度かいらしているそうですが、体調に変わりはありませんか。」という言葉だ。たかだか何度か福島に行った程度で体調に影響が出るのなら、福島で暮らしている人たちはどうなると言いたいのだろう。この言葉は被災地に対する差別意識を端的に表していると思う。

 

この最終エピソードにはほかにもさまざまな問題点があるが、きりがないので、これ以上指摘しない。最後に山岡の父、海原は「私は一人の人間として、福島の人たちに、国と東電の補償のもとで危ない所から逃げる勇気を持ってほしいと言いたいのだ」と語る(このセリフも雑誌掲載時に強く批判され、単行本化に際して少し修正されている)。雁屋が本当に主張したいのは、福島は人が暮らせる場所ではないということのようだ。鼻血デマもそういう文脈で利用されていると理解するべきだろう。

 

デマは何度否定されても繰り返し現れる。特にマスコミや文筆家など大きな影響力を持つ人たちが流したデマはすぐに広まり、なかなか消えてくれない。鼻血の話題そのものは実のところたいした問題ではないが、「放射能デマ」のひとつの典型として今の時点で振り返っておく価値はありそうだ。なお、『美味しんぼ』を批判する書籍『放射線被曝の理科・社会』が出版されているので、そちらも一読されることを強くお勧めする[8]。

 

 

ありふれた現象に意味を見出してしまうこと

 

上で述べたように、「放射線被曝が原因で鼻血が出た」という話は、インターネット上では東電原発事故後のかなり早い時期に現れた。最初がいつなのかを知るのは難しいが、自分のツイッターの記録を遡ってみると、原発事故から一ヶ月後の2011年4月15日に初めて鼻血に言及しているので、遅くとも4月半ば、おそらく4月にはいってすぐというところか。

 

同じく東電原発事故直後にインターネットで見かけた話題として、見慣れない黄色い粉が地面に落ちていたのは放射性物質がたまっているのではないか、というものがあったのを思い出す。もちろん放射性物質が肉眼で見えるほどたまっているはずがない。季節柄、花粉が飛んできてたまったというあたりが妥当な解釈だ。花粉は毎年飛んできていたはずだが、原発事故以前にはこの人たちの目にとまりもしなかったのだろう。それが原発事故をきっかけに突然目につくようになったわけだ。同じように、ありふれた現象がネットで騒ぎになった例として、植物の奇形騒ぎがあったことも挙げておこう。

 

鼻血についても同じ解釈ができる。鼻血はありふれた症状にすぎない。とりわけ子供は特に原因がなくても鼻血を出すものだし、空気が乾燥している時期である上に花粉症の季節でもあり、風邪をひいた人も少なくなかったはずだと考えていくと、鼻血が出る「あたりまえの理由」はいくらでもあったことがわかる(鼻血の原因については耳鼻咽喉科のウェブサイトを検索すればたくさん見つけられる[9]。大量の鼻血も珍しくなく、子どもの場合は「無意識に鼻をほじる」ことも冗談ではなく主な原因のひとつに挙げられている[10])。まして、地震と津波に原発事故が続くという未曾有の大災害の中では、塵埃を吸い込むなどの物理的理由やストレスなどの精神的理由で鼻血を出した人がいたとしても不思議ではない。

 

実際に起きたのはあたりまえの原因によるありふれた症状だったはずだ。原発事故という異常事態に直面して、鼻血を放射能と結びつけてしまった人たちがいたというのが真相だろう。鼻血や植物の奇形が簡単に放射能と結びつけられてしまったのは、そういう「放射能についてのぼんやりしたイメージ」が広く共有されていたからだと思う。そのおおもとは原爆の被爆エピソードかもしれないし、チェルノブイリ事故からの伝聞かもしれないし、あるいは昔のテレビドラマや何かの物語なのかもしれない。

 

上でインターネットと書いたのは、ブログやツイッターなど誰でも見られる場を念頭に置いたものだが、実は子どもを持つ親同士の情報交換の場としてはメーリングリストも盛んに利用されているし、子育てサークルのような「リアルな空間」もある。こういう閉じた世界でどのように情報が流れたのかを伺い知るのは残念ながら難しい。デマが作られて広まる空間として、メーリングリストなど「共感の場」も大きな役割を果たしただろうと推測はできる。

 

ところで、このように「鼻血は被曝の症状ではないよ」とインターネットで発言すると、おうおうにして「被害の体験を否定するのか」という非難を受ける。しかし、それは違う。もし自分なり周囲の人なりが鼻血を出したという体験をしたのなら、それ自体は事実なので誰にも否定できない。

 

否定されているのは鼻血体験ではなくて、あくまでも「鼻血の原因は放射線による被曝」という主張だということを改めて確認しておこう。これはほかのさまざまなデマの問題を扱う際にもだいじな点で、体験そのものを否定するのはまちがっている。ただし、その体験は決して「鼻血が増えた」ことを意味するわけではない。

 

 

マスコミに現れた鼻血問題

 

鼻血が「要注意の被曝症状」としてマスコミに現れるのは、インターネットよりも少し遅れる。週刊文春の5月26日号では、広島で原爆被爆者を多数診てきた肥田舜太郎医師に取材して、「被爆者の初期症状は、まず下痢です。それから嘔吐、鼻血。口内やまぶたの粘膜などから出血することもある。」と語らせている[11]。あくまでも原爆で被爆した方々の初期症状の話だという点に注意しよう。放射線の健康影響についての常識で考えれば、ここで挙げられている症状は短期間にかなり高線量の放射線被曝をした場合のもので、東電原発事故のような低線量被曝には当てはまらない。被曝量が違うというだいじな点にまったく触れていないこの記事は、きわめてミスリーディングなものだ。

 

肥田は「半年か一年後くらいから原爆のときと同様に、内部被曝がもたらす特有の症状の患者が出なければいいが、と心配しています。それは”ぶらぶら病”です」と懸念を述べて、下痢や鼻血が「原爆ぶらぶら病」という深刻な病気につながる可能性を示唆している。「原爆ぶらぶら病」というのは肥田が以前から内部被曝の現れと主張し続けているもので、被爆後にひどい怠さに襲われて働くこともできなくなる症状を指すとされるが、それがほんとうに放射線の影響なのかについてはおそらく今も決着していないと思う。肥田自身「だるくて働けないという訴えだけで、診察や検査をしても裏付ける所見が何もない。」と診断基準がないことを認めている。

 

肥田が鎌仲ひとみとともに2005年に著した『内部被曝の脅威』の中にも何度もこの「原爆ぶらぶら病」が出てくるが、やはりその詳細ははっきりしない[12]。症状がたしかにあるのだとしても、心因性である可能性も充分に考えられる。ここではこれ以上「原爆ぶらぶら病」に深入りしないが、倦怠感という症状は放射線被曝を暗示するものとしてほかのメディアにも使われ、上で述べたように『美味しんぼ』にもその描写が登場することになる。

 

少し遅れて、週刊現代も6月11日号の「フクシマの人たちよ、この症状が出たら要注意」という記事に同じ肥田を登場させている[13]。ここでの肥田はさらに踏み込んで、「内部被曝の初期症状の一つに下痢があり、フクシマの避難所でも下痢を訴える人が増えているのです」と、あたかも福島の人の下痢が被曝によるものと決まったかのように語っている。

 

実は肥田はこの記事に先立つ4月24日、広島で行われた集会でスピーチし、「東北では下痢が始まっています。最初の症状のひとつは下痢です。今の普通の薬では止まりません」と、下痢が被曝の初期症状であることを明確に主張している[14]。このスピーチではさらに「放射線の病気が始まってくるのは、おそらくこの秋から来年の春にかけて沢山出てくるだろうと私は想像しています」と予言しているのだが、もちろん肥田の予言が当たらなかったのはご存じのとおりだ。

 

同じ記事はまた、福島市在住の整体セラピスト丸森あや(どう考えても専門家とは思えないが)の言葉として、避難所で子どもの鼻血や下痢の相談が増えていると伝えている。この言葉自体は事実なのだろうが、それが被曝の影響であることを裏付ける根拠はまったく書かれていない。

 

センセーショナリズムを身上とする週刊誌だけではなく、正確な報道を任務とするはずの新聞にも鼻血や下痢の話題は登場する。6月16日の東京新聞は『子に体調異変じわり』という刺激的な見出しで、原発から50キロ離れた福島や郡山のこどもたちに鼻血・下痢・倦怠感などの不調が出ていると伝えた[15]。「放射線と関係不明」と言い訳のように付け加えてはいるものの、鼻血や下痢を放射線被曝の症状と読者に思わせたがっているのは明らかだ。

 

この記事はNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」が6月12日に開催した健康相談会を取材したものなので、その場に集まったのは、そもそも子どもが鼻血などなんらかの不調を経験した親子が多かったと考えられる。だから、インタビューに対して子どもの体調異変を訴える親が多いのも当たり前で、これだけではなんのニュースにも情報にもなっていない。体調異変が実際に増えているのかどうかをデータに基づいて補足してこそ新聞報道と言えるはずだが、そのような取材や調査がされた形跡はまったくない。これでは報道機関としての新聞の役割を放棄した「煽り記事」にすぎない。

 

それでも、この記事の中には注目しておきたいある母親の言葉が記されている。彼女の小学一年の長女が4月上旬から3週間鼻血を出し続け、耳鼻科の診察を受けさせたところ、花粉症ではないかと言われたのだという。それについて彼女は「花粉症なんて初めて言われたし、普段は滅多に鼻血を出さないんですけど」と発言している。花粉症はそれまで経験がなかった人でもある年に突然始まるものだし、季節からいっても鼻血の理由として充分に考えられるので、医師の指摘は妥当に思える。

 

ただし、この話でだいじなのは鼻血の原因が本当に花粉かどうかではなく、この母親が花粉症の可能性を医師に指摘されても納得できなかったという点だ。放射性物質に汚染されるという異常な状況下では、花粉症という「当たり前すぎる理由」では納得できない人たちがいるのも理解できる。「納得」はデマの受容を考えるうえで重要なキーワードだ。

 

東京新聞が「放射線と関係不明」と書き、週刊現代も「それが内部被曝によるものかどうかはわかりませんが」という丸森の言葉を載せる。このように、「こんな症状が増えている」と書いてから「被曝によるとは限らないが」と書くのは、この手の記事で読者に疑念を与えるための常套手段だ。すべては印象操作にすぎない。鼻血や下痢といったごくありふれた症状があたかも被曝の影響によるものであるかのように読者に印象付けるいっぽう、逃げ道は残す。どう受け取ろうと、それは受け取った読者の責任というわけだ。しかし、このような記事を載せたという事実そのもので、編集側の意図は明らかではないだろうか。

 

ここまで、マスコミが伝えた例をいくつか拾ってみた。問題の性質上、女性雑誌や子育て雑誌にも記事が出ていそうだが、残念ながら確認できていない。鼻血関連の記事はインターネットの鼻血体験談よりも遅れてマスコミに現れているので、東電事故以降の「鼻血デマ」のおおもとというわけではない。しかし、デマに根拠や筋道を与え、デマの拡大を加速させる効果は大きかったはずだ。

 

 

誰が「鼻血デマ」を広めたのか

 

雑誌や新聞よりさらに遅れて登場した書籍もいくつか見ておこう。東電原発事故後の比較的早い時点で鼻血を取り上げたものとして、上でも登場したNPO法人「チェルノブイリへのかけはし」の野呂美加による『チェルノブイリから学んだ お母さんのための放射能対策Book』がある[16]。

 

野呂が出版したいくつかの本は(僕自身が中身を確認したのは他に『子どもたちを内部被ばくから守るために親が出来る30のこと』[17]『放射能の中で生きる、母たちへ』[18]で、この3冊は同時期に出版された)、目を通してみると、科学的にはほとんどすべてでたらめと言っても過言ではない酷いものなのだが、他に類書がなかったこともあってか、当時は書店でよく目にした。科学的にはでたらめでも、母親たちに時に優しく時に厳しく語りかけるその口調に惑わされてしまった人たちも少なくなかったのだろう。

 

ここでは『放射能対策Book』を取り上げるが、内容はどの本も似たりよったりだ。いずれにも、鼻血や下痢の症状が福島や関東の子どもに出ていることが記されている。特にこの『放射能対策Book』では「放射性物質の影響で鼻血を出す子どもが多い」と題して一節をまるまる鼻血に割いている。中心になるのは、野呂らが6月に東京と千葉で開いた医療相談会でのエピソードだ。子供が鼻血を出して病院に行った母親たちは、放射線の影響のはずがないと言われるのだが、野呂は「そんなふうに医師に言われても、お母さんたちはどうにもふに落ちないわけです」と書く。ここでも「納得」が問題だ。さらに「相談会でわかったことは、「3月15日」に鼻血を出した子どもがとても多いということです」と続ける。

 

もうお分かりだと思うが、先ほどの東京新聞の記事と同じく、これは「参加者の偏り」の効果と考えられる。「チェルノブイリへのかけはし」主催の医療相談会という性質上、子どもの健康に不安があり、しかもそれが被曝のせいかもしれないと心配している人たちが集まってくる。6月なので既に「鼻血デマ」は広まっている。特に3月15日頃に鼻血を出したことを思い出した親なら、その不安が大きくなるのも無理はない。

 

つまり、ここに書かれているのは、子どもが鼻血を出して不安を感じた人たちが集まったという事実にすぎないわけだ。鼻血が社会で実際に増えたというデータはこの本のどこにも載っていない。相談会参加者の中で鼻血を訴えた人の割合は野呂の講演で見られるが、たしかに多い時には50%近くに達している[19]。だから、野呂にしてみれば「鼻血は増えた」はたしかな事実なのだろう。しかし、それは結局ただの体験談だ。体験談を一般化して、放射線被曝の影響で鼻血が出たと主張することはできない。それは、明らかな「デマ」だ。

 

同じ節には「チェルノブイリの村で、毎時0.1マイクロシーベルトもあれば、子どもたちは鼻血を出しています」とも書かれている。毎時0.1マイクロシーベルト程度の自然放射線量の場所は世界中にあるし、その程度の低線量被曝が原因で鼻血が出るというのは常識ではまったく考えられない。仮にそんなことがあるとすれば、東電原発事故後の福島ではたくさんの子どもたちが鼻血を出しているはずだ。ところが、あとで見るようにそのような事実は報告されていない。

 

さらにこの本には「心臓にセシウムがたまって痛むことも」「のどのイガイガ、目のかすみ、下痢、口内炎が多発」といった節があって、母親たちの不安を掻き立てるのに余念がない。鼻血、のどのイガイガ、目のかすみ、下痢、口内炎といったごくありふれた症状をいちいち放射線の影響と言われたのでは、真に受けてしまった母親たちは大変な思いをしたに違いない。いや、過去形ではなく、今も決して少なくはない数の母親たちが野呂の話を真に受けて大変な思いをしているのではないだろうか。

 

「チェルノブイリへのかけはし」はベラルーシの子どもを日本に呼ぶ活動を長く続けてきた団体だが、東電原発事故以前にはそれほど知られた存在ではなかったはずだ。ところが、子どもの低線量内部被曝の危険を訴えるブログ[20]が放射線影響についての情報を求める人たちの検索にかかったのか、代表の野呂は急速に「被曝の専門家」として名を知られるようになった。4月初め頃からは、全国で母親向けの講演会や健康相談会を精力的に行い、ときにはそれがテレビのニュースで取り上げられてもいる。この活動は、鼻血をはじめとする「放射能デマ」が広まる初期段階で大きな役割を果たしたと思う。

 

いっぽう、何度も名を挙げた肥田も東電原発事故から1年後の2012年3月に『内部被曝』という本を世に問うている[21]。いわば肥田のそれまでの主張の集大成とでも言うべき本だ。率直に書いてしまうと、この本には「エイズの発祥と拡大も放射線の影響か」などという噴飯ものの節まであり、全体としてまったく信頼に値しない。ただ、野呂の本に比べれば一見科学的に書かれているので、こちらはこちらで真に受けてしまった人たちもいただろう。

 

中を開くと「私が実際に報告を受けたものでいえば、放射線に敏感な多くの子どもたちに初期の被曝症状が現れています」として、下痢・口内炎・のどの腫れと野呂の本とほとんど同じ症状が例に挙げられている。そして、さらに「多くの母親が心配していたのは子どもの鼻血です。鼻血がずっと続いて止まらない。そのうちに両親にもそんな症状が出てきます」と続く。

 

以前よりも鼻血を強調している点は少し目を惹く。これはおそらく「鼻血は被曝影響」というデマが広まったせいで実際に鼻血の不安を訴える母親がいたからだ。福島はもちろん、東京、神奈川、静岡、山梨などからそういう相談があるのだという。肥田によれば、「身体の粘膜は、放射線の影響が最初に出る場所のひとつ」で、鼻血や口内炎はその現れということになる。

 

肥田はこういった症状が内部被曝によるものだと強調する。「内部被曝は外部被曝とまったく違うメカニズムで体を壊し、ほんの少しの量の放射性物質でも、体の内側から長時間にわたって被曝することによって重大な被害を起こす」というのだが、ではその「まったく違うメカニズム」とはどういうものなのか。

 

残念ながら、この本に書かれているのは、放射線被曝によって細胞内にフリーラジカルが作られ、それが悪さをするということだけだ。これ自体はなんら特殊な主張ではない。むしろ放射線が人体に影響を与える基本的なメカニズムとして広く認められているもので、ここまでなら外部被曝でも内部被曝でも違いはない。さらにいうと、細胞内でフリーラジカルを生成する原因は放射線以外にもさまざまなものが知られている。

 

そう考えると、低線量内部被曝の危険性をことさらに訴える本書の最大の問題として、放射性カリウムをはじめとする自然放射性物質による内部被曝にひと言も触れていない点が浮かび上がる。カリウム40は多くの食品に含まれ、おとなの場合、誰でも4000ベクレル程度が常に体内にある。これによる低線量の内部被曝が年間約0.2ミリシーベルトあるのだが、これは肥田にとっては「不都合な真実」ではないだろうか。肥田がカリウム40をどのように捉えているかは残念ながらまったくわからない。カリウム40をどう扱っているかは、内部被曝の議論がどの程度まともかを判断するうえでよい材料であることをここでは強調しておきたい。

 

そんなわけで、ある意味で当然だが、雑誌のインタビューも書籍も登場人物は同じだ。マスコミに現れた「鼻血デマ」をたどると肥田と野呂のふたりに集約されると考えてよさそうだ。野呂は肥田の影響を受けていることを明言しているので、ふたりが挙げる被曝症状が共通しているのも当然だ。彼らが語る被曝の健康影響は僕たちの知っている常識とかけはなれている。ところが、常識に挑戦するにしては、彼らの話にはあまりにもデータがない。ただ印象と体験があるだけだ。

 

肥田は原爆被爆者の治療にあたったこと、野呂はチェルノブイリ原発事故被災地の子どもを日本に滞在させる保養活動を行ったことで知られ、その理由からマスコミが放射線被曝の専門家扱いしてきた。もちろん、過去の功績は功績でいいのだが、そのため逆に、肥田はすべてを原爆の経験で語り、野呂はすべてをチェルノブイリの経験で語ろうとする。しかし、東電原発事故による放射能汚染の状況は原爆ともチェルノブイリ事故とも違うので、彼らが語る話は日本の現状と大きく乖離している。

 

さらに、ふたりとも被爆線量の違いについては無視を決め込んでいる。野呂は講演ではっきりと「放射線はあるかないかだ」と言い、どんなに少ない被曝でも内部被曝は危険なのだと強調する。実際には、被曝は「あるかないか」の二者択一でなく、どれくらい被曝したかという「量の問題」が重要なのはよく知られた常識だ。「あるかないか」なのだとすると、前述のカリウム40を含めた自然被曝一般をどう解釈するのだろうか。日本人は自然放射線によって年平均2ミリシーベルト以上の被曝をしているのだが。 【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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