鼻血は被曝影響だったのか――原発事故のデマや誤解を考える

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

被曝で鼻血が出るメカニズム

 

さて、ここまで「被曝で鼻血」という主張はデマだと断言して進めてきたわけだが、いちおうそのメカニズムについても改めて考えておこう。被曝が原因で鼻血が出るという話は、メカニズムの観点からは大きく三つにわけられる。

 

ひとつめは短時間の高線量被曝による確定的影響だ。放射線の健康影響には被曝後比較的早く現れる確定的影響と時間が経ってから現れる確率的影響がある。後者は発癌のことだと考えておけばよく、ICRPは将来の発癌リスクが累積被曝線量に比例して増えるというリスクモデル(閾値無し線形モデルと呼ばれる)を採用している。

 

一方の確定的影響は短時間に大量の被曝をしたときにしか生じない。これには被曝量におうじて、短時間で回復するものから死に至るものまで様々な症状があるが、いずれにしても短時間に少なくとも100ミリシーベルト以上被曝しなければ現れないので、東電原発事故では確定的影響が起きたとは考えられていない。

 

この場合、鼻だけから出血するというのは考えづらく、からだじゅうのさまざまな粘膜から出血する。確定的影響の中でも命にかかわる可能性がある重篤な部類で、ミリのつかないシーベルト単位の被曝をしたときに起きうる。もちろん、東電原発事故でこのようなことが起きた可能性はまったくない。インターネットでよく「鼻血が出るくらい被曝したら死ぬ」と表現されていたのはこの確定的影響としての出血のことだ。

 

いっぽう、これまで見たように、肥田は内部被曝による初期症状として下痢や鼻血を挙げる。原爆で直接被爆した人たちだけではなく、原爆後に現地入りしたいわゆる入市被爆の場合にも見られた症状だから内部被曝によるはずだというのが、肥田の推測のほぼ唯一の根拠となっている。肥田は低線量の内部被曝が危険だと強調するわりには被曝線量についてほとんど語らないので話がひどく曖昧なのだが、症状が事実だとすると、常識で考えればこれも低線量ではなく高線量被曝による確定的影響でしかありえない。

 

また、内部被曝に関しては、東電原発事故後に何人もの医師がインターネットで、甲状腺治療のために大量のヨウ素131を投与して内部被曝させても鼻血は出ないことを指摘している。これから考えても、肥田の主張がおかしいことは間違いない。

 

三つめは、飛散してきた放射性物質がたまたま鼻に付着し、鼻だけが被曝して鼻血に結びついたというかなり特殊な話だ。これを検討する前に、『美味しんぼ』の中で松井医師が語る説明に触れておこう。これは放射線によって細胞内でフリーラジカルが生成されて悪さをするというだけのもので、マンガの中では特別な説であるかのように描かれているが、前述のとおり放射線影響の基本的メカニズムにすぎない。当然、鼻血を特に説明するものでもない。松井は疲労感もこのフリーラジカルのせいだと推測しているが、それは高線量被曝の場合にしか説明にならない。

 

松井説では鼻血が説明できないという批判があったのか、『美味しんぼ』が単行本化された際、西尾正道[22]と郷地秀夫[23]の両医師がそれぞれに発表した説が注釈として紹介された。ふたりとも、放射性セシウムを含む不溶性微粒子がつくばで検出されていたことを踏まえて[24]、そのような微粒子が鼻粘膜に付着した可能性があると推測する。西尾は鼻だけではなく、喉の痛みも同じ原因で起きたと想定している。つまり、鼻粘膜や喉の粘膜だけが運悪く高い線量で被曝したと考えるわけだ。ところが、そのような微粒子が飛んだのは2011年3月14日から15日にかけてのことと考えられているので、これでは「特別な期間に生じたかもしれない稀な鼻血だけを説明するメカニズム」にすぎないことに注意しよう。

 

つまり「非常に稀な可能性として、特別な期間に放射線によって鼻血が出た人がいたかもしれない」という程度の話だ。もちろん、これでは『美味しんぼ』に描かれた鼻血とは時期も状況もまったく違う。万が一そういうことがあり得たとしても、そんな稀なことが主人公の身に(そして、現実の雁屋や田村の身に)起きたとは到底考えられないし、稀なことなのでこれは決して「鼻血が増えた」理由にならない。このメカニズムで鼻血を出した人がどこかにいた可能性はゼロではないのかもしれない。しかし、「可能性はゼロではない」と言う表現は科学的には正しくても、現実には何も言っていないのと同じことだ。このメカニズムについては、正しいか正しくないか以前に、そもそも関係ない話と考えておくべきだろう。

 

結局、確定的影響なら鼻血だけでは済まないし、逆に鼻血だけで終わるなら特に心配する必要はないはずだ。肥田が言う「低線量被曝の初期症状としての鼻血や下痢」は常識とあまりに違っている。繰り返しになるが、鼻血が出る「当たり前の理由」はいくらでも思いつく。放射線被曝が原因という「ゼロではない程度の可能性」をどれほど考えたところで、「鼻血が増えた」には決してたどりつかない。

 

 

そもそも鼻血は増えたのか

 

実はいちばんだいじなのはメカニズムではない。ほんとうはメカニズムを考えるより先に答えるべき問いがあったはずだ。それは「鼻血はほんとうに増えたのか」だ。「まず屏風から虎を追い出してください」というわけだ。肥田にせよ野呂にせよ、あるいはその他の人たちにせよ、単に個人的な体験や印象で「鼻血が増えた」と言っているだけで、実はそういう基本的な調査をしていない。事実はどうなっていたのだろうか。

 

「被曝で鼻血」という噂がさまざまなところで聞かれるようになったため、医師などの間で、実際に増えたのかを調べようという動きが起きた。低線量被曝で鼻血が出るというのは常識に照らしてありえないので、本来なら「鼻血は出ただろうけれども、線量から考えて放射線被曝の影響ではない」で済ませてしまってかまわないはずだが、噂もいささか広まりすぎたというところだろう。ここでは、四つの調査を紹介する。

 

まず、東電原発事故から1年半後の2012年11月に福島県双葉町、宮城県丸森町筆甫地区、滋賀県長浜市木之本町の三地域で、住民の健康状態をアンケートによって調べた調査から[25]。これは津田敏秀ら岡山大学・熊本学園大学・広島大学の研究者によって行われた。実はこの調査結果は「美味しんぼ」単行本版の注釈に引用されて、双葉と丸森で鼻血が多かったと紹介されている。これだけを読むと、あたかも被曝影響が疫学的に検出されたかのような印象を受けてしまうが、実は報告内容はそうではない。

 

たしかに報告書の結論には「平成 24 年 11 月時点でも様々な症状が双葉町住民では多く、双葉町・丸森町ともに特に多かったのは鼻血であった」と書かれている。ところが、この調査ではそういった症状の原因が被曝なのかあるいはそれ以外のストレスなどによるのかが切り分けられていない。推定被曝線量と鼻血の関連も調べられているのだが、その間に関連は見出されていない。つまり、この結果から被曝影響があるという結論は出せないし、実際、報告書も「被ばくとの関連性を否定できない」としか書いていない。

 

それでも東北で鼻血が多いという結果は残る。報告書では考察されていないのだが、これが同一期間の三地域での比較調査で、特に比較対象が遠い滋賀県だという点を注意しておきたい。下に紹介する別の調査で見るように、鼻血の発生数には季節変動がある。これは乾燥や花粉や風邪などの影響を示唆するように思える。そうだとすると、実は地域差も無視できないはずだ。滋賀県よりも東北のほうが鼻血が多いという結果は地域差を表している可能性があるにもかかわらず、この調査ではそれが考慮されていないわけだ。

 

いずれにしても、同一時期で比較すると地域によって鼻血の発生率が違うという以上の結論をこの調査から出すのは無理そうだ。この調査にはもともと「被曝影響」のほうにバイアスがかかっている印象を受けるが、それについてはこれ以上述べない。

 

いっぽう、そこまで本格的なものではないが、2012年2月に出た『ちいさい・おおきい・よわい・つよい』 のno.86で、山田真医師が北海道、福島、福岡の小学校の養護教諭に依頼して2011年3月から10月までに鼻血を出した生徒の数を調査した結果が報告されている[26]。これによれば、期間中に鼻血を出した生徒は福岡で多く、福島はむしろいちばん少ないという前述の調査結果とは逆の結果になっている。これは意外な結果としてニュースでも取り上げられた。もっとも、この調査結果でも地域差以上のことは言えないと思う。

 

「鼻血が増えたかどうか」を知りたいのなら、同一時期の別地域を比較するのではなく、同一地域での推移を見るほうが確実なはずだ。これに答えるものとして、東北大学のHasegawaらのグループが相馬総合病院での新患数の推移を震災の前後4年間について調べた論文がある[27]。調査の主目的は耳鳴りや目眩などさまざまな神経症状で受診する患者数がどう変化したかを知ることで、実際に変化があったことが報告されている。さらにおまけとして、鼻血についても年ごとの新患数を調べた結果があり、年単位で見ると新患は増えていないと結論されている。

 

日本医事新報2015年10月24日号には、もっと細かく区切った月ごとの患者数調査が掲載されている。これは福島県立医大の松塚崇が、福島県内の三つの病院について、鼻血で受診した人数の変化を調べたものだ[28]。これを見ると、鼻血で病院を受診する人は震災前にも毎月数十人いたことがわかる。つまり、すぐに収まる鼻血がありふれているだけではなく、病院に行くほどの鼻血でさえ確かに珍しくない症状だというわけだ。実のところ、これが鼻血デマを考える上で僕たちが知っておくべきいちばん重要な事実だ。

 

また、季節変動は大きく、概ね冬から春に患者が多く夏に少ない傾向が見られる。報告では理由を述べていないが、上述のように乾燥・風邪・花粉などの影響が考えられそうだ。そして、震災以前と以後で受診者数に目立った変化はないことが結論されている。仮に変化があったとしても、月ごとの変動に埋もれる程度でしかないという意味だ。松塚は「病院の受診を要する鼻出血は震災前後で変化がなかった」と結論している。

 

結局、「福島県内で震災後に鼻血が増えた」ことを示す調査結果はなく、「福島県内のいくつかの病院で見るかぎり、震災後にも鼻血による受診者は変化していない」という調査結果は複数ある、というのがここでの結論になる。地域間の比較調査については、地域差が見られたという以上のことは言えないだろう。要するに、原因がなんであれ、震災後に鼻血が増えたと考える根拠はない。仮に震災によるストレスなどが原因で鼻血を出した人がいたとしても、データに現れるほどは増えていないわけだ。

 

 

僕たちは何を学ぶのか

 

鼻血も下痢もごくありふれた症状で、さまざまな原因で起きうる。大震災後の緊迫した状況では、粉塵やストレスも原因になるだろう。もちろん季節の影響も考えられる。そういう「当たり前の原因」がいくらでもあるのに対して、低線量の放射線被曝で鼻血や下痢が起きるという説は常識とあまりにかけはなれている。それだけで充分に「鼻血の原因は放射線被曝ではない」と断言できる。当たり前の原因があるのなら、どれほどつまらなかろうと、それが正解だ。

 

残念ながら、その「被曝影響の常識」を知らないために、あるいは「当たり前の原因」にどうしても納得できないために、子供の鼻血で不安を抱いた人たちが少なからずいたし、今もいるに違いない。もちろん、鼻血がさらに悪い影響の前兆だと考えるからこそ不安になるのだろう。そのような「鼻血はより悪いできごとの前触れ」という印象を作り出したのは、野呂や肥田のような人たちが語った言葉であり、彼らを専門家扱いしてきたさまざまなメディアだった。彼らの言葉をよく読んでみれば、個人的な体験談と印象ばかりで、根拠らしい根拠は書かれていないことがわかるはずだ。

 

ここまで、これだけの分量を費やして敢えて鼻血デマを語ってきたのは、これが「放射能デマ」のひとつの典型と考えられるからだ。鼻血問題自体はつまらないものでも、ここから放射能デマの作られ方や見分け方について学ぶことはできる。

 

たとえば、放射能デマはごくありふれたできごとを放射線の影響だと主張する。ありふれたできごとなのだから起きて当たり前だ。デマは印象操作によって作られている。根拠は個人的な印象や体験談だけだ。あるいは、偏った人たちを集めれば偏った報告が得られることもわかる。「チェルノブイリではこうだった」よりもチェルノブイリと何が違うかのほうが重要だ。被曝線量に触れずに放射線の健康影響を語っている人がいるなら、その人の話は信頼に値しない。現象が起きているかどうかを確認する前にメカニズムの議論をしてしまうのも、さまざまな問題で見かける典型的な誤りだ。他にもいろいろ学べるに違いない。それは鼻血以外の問題にも応用できるはずだ。

 

鼻血の話のオチは「鼻血が増えたことを示すデータはない」だった。木を見る前に森を見よ、ということだと思う。教訓はどこにでも転がっている。

 

 

参考文献

[1] 「ロンブー淳 原発問題。都合の悪い歴史こそ残そう」(日刊スポーツ2016年1月9日)

[2] 「ロンブー田村淳 謝罪 訂正 そして伝えたいこと」(日刊スポーツ2016年1月16日)

[3] 雁屋哲・花咲アキラ「美味しんぼ(604話)」(2014,ビッグコミックスピリッツ22・23合併号, 小学館)

[4] 「小学館発行『スピリッツ』の『美味しんぼ』(第604話)に関する抗議について(双葉町 2014年5月7日) 

[5] 「放射性物質対策に関する不安の声について」(環境省 2014年5月13日)

[6] 「美味しんぼ福島の真実編に寄せられたご批判とご意見」(2014,ビッグコミックスピリッツ25号, 小学館) 

[7] 雁屋哲・花咲アキラ『美味しんぼ(111)』(2014,小学館)

[8] 児玉一八・清水修二・野口邦和『放射線被曝の理科・社会』(2014,かもがわ出版)

[9] たとえば http://www.okayama-u.ac.jp/user/jibika-1/sub3.html#04

[10] 岡本康裕「こどもの鼻血」

[11] 「最初は下痢、ぶらぶら病、出血そして老化へ」(2011, 週刊文春5月26日号, 文藝春秋)

[12] 肥田舜太郎・鎌仲ひとみ『内部被曝の脅威』(2005,ちくま新書)

[13] 「フクシマの人たちよ、この症状が出たら要注意」(2011, 週刊現代6月11日号, 講談社)

[14] https://www.youtube.com/watch?v=59l5caWjCe0

[15] 「原発50キロ 福島・郡山は今」(東京新聞2011年6月16日)

[16] 野呂美加『チェルノブイリから学んだ お母さんのための放射能対策Book』(2011, 学陽書房)

[17] 野呂美加『子どもたちを内部被ばくから守るために親が出来る30のこと』(2011, 筑摩書房)

[18] 野呂美加『放射能の中で生きる、母たちへ』 (2011, 美術出版社)

[19] たとえば https://www.youtube.com/watch?v=61n0vh6pln0

[20] チェルノブイリへのかけはし公式ブログ 

[21] 肥田舜太郎『内部被曝』(2012, 扶桑社新書)

[22] 西尾正道「鼻血論争について」

[23] 「福島の鼻血「内部被曝」か 神戸の医師、学会で発表」(2014, 神戸新聞7月14日)

[24] K.Adachi et al. “Emission of spherical cesium-bearing particles from an early stage of the Fukushima nuclear accident”(2013, Scientific Reports所収, DOI:10.1038/srep02554 )

[25] 「低レベル放射線曝露と自覚症状・疾病罹患の関連に関する疫学調査」 http://www.saflan.jp/info/870

[26] 山田真 「お母さん・お父さんのためのこども治療学25」(2012, 『ちいさい・おおきい・よわい・つよい no.86』所収、ジャパンマシニスト社)なお、同じデータは[6]でも紹介されている

[27]  J. Hasegawa et al. “Change in and Long-Term Investigation of Neuro-Otologic Disorders in Disaster-Stricken Fukushima Prefecture: Retrospective Cohort Study before and after the Great East Japan Earthquake”  (2015, PLOS ONE所収,  DOI:10.1371/journal.pone.0122631 )

[28] 松塚崇「震災後の福島を見つめる – 耳鼻咽喉科医の立場で -」(2015, 「週刊日本医事新報」10.24号所収, 日本医事新報社)

 

 

関連記事 

「被災地を搾取し被害を拡大してきた「フクシマ神話」――ニセ科学とデマの検証に向けて」林智裕

「福島第一原発3号機は核爆発していたのか?――原発事故のデマや誤解を考える」菊池誠×小峰公子

「東電福島第一原発の事故はチェルノブイリより実はひどいのか?――原発事故のデマや誤解を考える」菊池誠×小峰公子

 

サムネイル「Cryptomeria japonica-Male flower」ふうけ – ふうけ’s file.  

 

知のネットワーク – S Y N O D O S –

 

 

AWS Access Key ID: AKIAJSA5SEKND2GVG7TA. You are submitting requests too quickly. Please retry your requests at a slower rate.

 

 

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.266 

・山本昭宏「平和意識の現在地――〈静けさ〉と〈無地〉の囲い込み」
・田畑真一「【知の巨人たち】ユルゲン・ハーバーマス」
・吉田徹×西山隆行×石神圭子×河村真実「「みんながマイノリティ」の時代に民主主義は可能か」
・松尾秀哉「【学び直しの5冊】〈現代ヨーロッパ〉」
・木村拓磨「【今月のポジだし】活動を広げよう――不登校支援」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(10)――「シンクタンク2005年・日本」自民党政権喪失後」