なぜSTAP細胞は驚くべき発見なのか――STAP細胞が映し出すもの

細胞は物質によって操作されうる

 

「なかなか採択されませんでした」と小保方博士自身がコメントしていたし、「細胞生物学の歴史を愚弄するものだ」という査読者のコメントも紹介されていた。山中教授が2006年にあれほど明確な形で体細胞の初期化の可能性を示していなかったら、この論文はさらに長い間お蔵入りさせられていたかもしれない。あるいは小さな雑誌に掲載され一般には知られることもなく、遥か未来に再発見されるのを待つことになっていた可能性もある。

 

だが、そうした常識・先入観にくじけることなく、Oct3/4という多能性のネットワークの鍵となる遺伝子に着目した点は非常にすばらしく、それを目に見える形で(Oct3/4遺伝子が再び発現していくさまを動画が撮影されている)示したことは大きな説得力を持つ。また、さまざまなストレスでSTAP細胞が作成できること、そしてさまざまな細胞種で再現可能なこと、なによりSTAP細胞に由来する細胞のみで体を構成されるマウスが生まれることができる、というのは決定的であり、再現可能な実験であることは疑いがない。小保方博士がこうした労苦を積み重ねて査読者をねじ伏せたというのは見事というほかない。

 

ただ、このシステムが内在的に存在しているとはいえ、そのトリガーは酸性条件や細胞膜を溶かすという過酷な条件を用いているので、かなり人工的なもの、ということもできるだろう。しかし、冒頭で例示した業績も、翻ってみれば合成されたRNA配列を組み込む、化合物という「物質」を細胞にふりかけるということでできている。これまで、どれほど多くの知見が「それは生理的ではない」という言葉のもとに切り捨てられ、埋もれてきたことだろう。

 

これまで細胞がもつ多彩な能力は「わけてもわからない」とされ、「自然」とされる状態が美化されてきた。だが今回の報告から考えるに、細胞はやはり物質(環境)によって操作しうるものであり、分け入って、物質的な意味を知ることによって理解を深めゆくものであるはずだ。そうした営みは、「自然」という観点からは忌避されることも少なくないが、今回のような研究の進歩は、人間にとっての「知」とは何なのかを深く考えさせてくれる。

 

 

STAP細胞からメディアのあり方を逆照射する

 

STAP細胞のようなユニークな報告というのは今回に限らず、山中教授のiPS細胞報告後にもいくつか行われていた。例えば皮膚の培養細胞に乳酸菌を加えて培養すると、多能性を持つ細胞が得られる、あるいはらい菌と共培養すると神経細胞が幹細胞へとリプログラミングされるという報告もなされていたが(後者に至ってはCellというメジャーな雑誌であるにもかかわらず)、これらの報告はあまり大きくはとりあげられなかった。だが、こうした報告も合わせて、生命のシステムというのは、偶然がいくつも重なりあって、既存のシステムが寄せ集まってできた「いい加減なシステム」だからこそ冗長性があり、ヒトが介入する余地があると考えてもよいのではないだろうか。

 

なんにせよ、メディアはこの報告を出発点に「臨床応用」「究極の再生医療のリソース」などというわかりやすい方面にのみ論点を向けたり、「iPS細胞より優れた細胞」などという意味のない比較論に世論を誘導するという情けない結論にはたどり着かないでほしい。臨床応用というのは単純なことではない。iPS細胞はさまざまなハードルを乗り越え、はからずも小保方博士の所属する理研CDBにおいて臨床応用へと結実しようとしている。

 

臨床にせよ基礎科学にせよ、どちらが優れているか、というものではなく、お互いに補完しあう存在なのだ。さらに、再生医療に至る方法としては、目的の細胞を体内で直接作り出す「in vivo ダイレクトコンバージョン」や3Dプリンタなどと生体材料を組み合わせた「バイオマテリアル」、精細な目的の場所に薬剤を送り届ける「ドラッグデリバリーシステム」などのさまざまな選択やハイブリッドがあるのである。短い視点で選択肢を減らしてしまうことは、決していい結果を産まないだろう。

 

小保方博士が会見で述べた「100年後に貢献しうる仕事をしたい」と語ったことは、自身が持つ研究のモチベーションを如実に示している。まだ成人の細胞でSTAP細胞が樹立できるのか、ヒト細胞でそれができるのかについてはこれからの報告を待たなければならない。なにより、こうしたシステムがなぜ動くのか、マウスES/iPS細胞とヒトES/iPS細胞がどうして違うのか、胎盤と体をつくる細胞の切り替えるスイッチは何なのか。STAP細胞は、こうしたさまざまな疑問の答えのよすがとなっていくだろう。ひいては、基礎科学分野での根源的な問いである、「命はどのようにして生まれてくれるのか」に対しても、大きなピースの一つになるに違いない。

 

また、あまり大きく説明はなされていないが、この細胞は胎盤などへも分化しうるため、子宮内に着床してクローンになるのではないか、という懸念も浮かぶだろう。受精から発生にいたる筋道はさまざまなプロセスが必要なため、この細胞のみでは、おそらく個体発生にいたる過程をトレースすることは難しいかもしれない。だが実は、四倍体凝集法という手法を用いれば、マウスレベルではiPS細胞やES細胞のみに由来する個体を作り出すことはできている。技術的観点から、ヒトでこの方法が成功するのは時間がかかると思われるが、クローンをつくることが本当に許されないのかどうかといった観点から、既存の価値観を批判的に捉え直すことも必要になってくるはずだ。

 

どのみち、この論文によって号砲は放たれた。聞くところによれば、すでに理研はSTAP細胞の特許出願を済ませ、アメリカでは小保方博士らの共同研究者がコアとなって霊長類での実験が進展しつつあるという。日本初、と浮かれた論調も散見されるが、(研究倫理的に許容されることではなくとも)論文に否定的な見解を述べて却下させた査読者が、自分の研究室でヒト細胞を用いたさらにすすんだ実験を立ち上げている可能性だってある。

そして、小保方博士がなぜ若くして独立研究者の地位を勝ち得たか、どのような人事制度がそうしたことを可能にするのか。STAP細胞をめぐるメディアの報道は、なぜそれが「できないか」を逆照射するかのようなものだ。そう考えれば、割烹着を着てさまざまな細胞に酢をぶっかけろ、と研究者の尻を追い立てることがメディアや科学行政の仕事ではないことは、おのずとわかるはずである。

 

サムネイル「Cells」Filter Forge

http://www.flickr.com/photos/filterforge/9075324674/

 

 

死にたくないんですけど iPS細胞は死を克服できるのか (ソフトバンク新書)

死にたくないんですけど iPS細胞は死を克服できるのか (ソフトバンク新書)書籍

作者八代 嘉美, 海猫沢めろん

発行ソフトバンククリエイティブ

発売日2013年9月18日

カテゴリー新書

ページ数248

ISBN4797373598

Supported by amazon Product Advertising API

 

翻ってみれば合成されたRNA配列を組み込む、化合物という「物質」を細胞にふりかける

 

 

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