続・STAP細胞が映し出すもの――「科学」と「社会」の関係

時代に則した「情報共有」のありかた

 

STAP細胞は、現時点においては否定されていないし、完全に肯定されたものでもない。このことはきちんと確認しておかなければならない。ただ、STAP細胞論文は、最初に書いた以上のことを映しだしてしまったことは間違いない。

 

筆者は前稿で「iPS細胞とSTAP細胞を対置・比較して見ることの無意味さ」を指摘したつもりであったが、結局メディアはその二者を対置し、競争を煽るかのような報道をしてしまった。最終的に、山中伸弥教授が自らテレビ出演するという手段をとってまでiPS細胞の進歩を解説しなければならない状態となったということは、それまでさんざんiPS細胞の「樹立効率の向上」、「安全性の向上」を報じてきたはずのメディアが、情報を集積する能力や批評能力について、大きく疑問を残す結果となった。同時に、その矛盾を指摘し、説得力のある言葉で伝える人材もいなかったことは、自戒の念も込めて指摘せねばならない。

 

また、前述したとおり、「科学」のシステムにおける検証過程が可視化され、社会に広まったこと自体はよいことであった。だがやはり、その過程を適切に解説することができる仲介役がほとんどいなかった。「科学」の事情を共有しない「外側」の人々が、あれやこれやと憶測を持つことは、やむを得ない側面がある。むしろ、「科学」の内側のひとたちがその性急さや憶測に取り込まれ、偏った立場からの解説をする言説がツイッターなどでは拡散してしまい、さらなる憶測を生んでいたのではなかろうか。ここにも、科学とその外側の橋渡しをする人材の欠如が浮き彫りになる。

 

筆者は、いくつか説明を加えてほしい点があると思っているし、理研が公表するという、詳細なプロトコールがオープンになることも待っている。そして、もし叶うものであるならば、ぜひ実施してほしいことがある。それは、国内外の研究者を招待し、同時に研究に精通したジャーナリストも招いて供覧実験を実施する、ということだ。

 

山中教授は、iPS細胞の樹立に関して広くノウハウを公開し、現在も京都大学iPS細胞研究所において継続的に樹立・培養方法の講習会を開催している。広く科学的成果を広め、研究全体の底上げを図ると同時に、信頼性を獲得するという意味で大きな力を持っている。iPS細胞もその樹立当初は、わずか4つの遺伝子を導入することで樹立可能という容易さから、信ぴょう性を疑う研究者も少なくなかった。だが、世界各地での追試やノウハウの公開、そしてマウス論文から1年でのヒトiPS細胞の樹立論文の報告という形で、信頼性を獲得していったのだ。

 

STAP細胞論文の共著者の一人、山梨大学の若山照彦教授は、nature誌のインタビューで、自身が理研に在籍時には再現がとれていたのに山梨大に異動後はまだ再現できていない、ということも述べている(http://www.nature.com/news/acid-bath-stem-cell-study-under-investigation-1.14738)。だがこのことをもって、論文の内容に問題があるということにはならない。こうしたことはよくあることで、研究室を異動した経験のある研究者であれば、誰しも経験することである。

 

前述の通り、本当に信頼性のある追試は時間のかかるものであるし、すべての研究者が高頻度で再現ができるようになるためには、かなり時間をかけて実験方法を最適化していかなければならないことも、また事実である。そうであるならば、有力な他の幹細胞研究、発生学研究を行う研究者を招き実験を供覧することは、もっとも手っ取り早く疑念を晴らすことにつながる。知財戦略や産業化戦略といったものとも関係するため簡単なことではないだろうが、STAP細胞のように、細胞生物学のパラダイムを大きく変えるものであれば、もっとも単純かつ説得力を持つ選択肢ではないだろうか。

 

冒頭で、「一般論として」と書いたが、「科学」というシステムの問題に対して、科学の内側にいると自認する人間が一般論から語らなければならない状態に至っていることは、悲しむべき話である。

 

「科学」の枠組みが、外部からわかりづらい領域であることは認めなければならない。だが、その営みの形式を外部と同化させることが正しいことでもない。その上で、もはや切断することのできない「科学と社会」の関係をどう構築するかを考えていくべきだ。そういった観点では、前述の追試のオープン化などは、クラウドな科学のありかたとして、光明の一つであるし、きわめてボランタリーな仕事であった「追試のための追試」についても、「科学」の信頼性獲得に対する貢献の一つとして、研究者の評価の軸としてもよいだろう。

 

なにより、「科学」がプロフェッションとして自律しうるもの、という信頼を取り戻したいのであれば、やはり新しい「情報発信」から信頼回復に務めるべきだ。社会から懐疑の目が向けられているとすれば、貝となって自分たちの島宇宙を守るのではなく、積極的に情報発信を行い、疑問に答えつつ、社会からの理解と信頼を回復していくことが必要なのではないだろうか。

 

そもそもの科学の考え方に始まり、医科学研究におけるリスクの存在や、研究の盲点となるところ、逆に社会からの要請として、なにが不合理ということなど、外側に向かって問いかける話はいくらでもある。そして供覧実験は、こうした局面にとって有力な、古くて新しい、この時代に則した方法の一つであるだろう。情報公開の遅れや不足はかえって社会の憶測を産み、無駄な混乱を呼んでしまう。

 

なににせよ、STAP細胞をとりまく論争が、誰にとっても幸福な結末をたどってくれることを祈っている。

 

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.276 

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