「異質性の祭典」としてのオリンピック――共生社会とナショナリズム論の動向

「平和の祭典」としてのオリンピック

 

音楽は国境を越える、と私たちはしばしば語る。たとえ言葉が通じなくても、美しいメロディーや心を弾ませるリズムを楽しむのは万国共通である、と。スポーツについても同じように言えるかもしれない。汗を流して楽しく過ごす時間は、人を選ばない。ともに競い合った経験は人と人との間をつなぎ、言語や民族の壁を乗り越えさせる。私たちはそのように感じ、考える。

 

オリンピックが平和の祭典と呼ばれるのも、こうしたスポーツの越境の力と無縁ではないだろう。古代ギリシアではオリンピック開催のためにポリス間で休戦協定が結ばれたが、それはスポーツの力の発現というよりも、ゼウスに捧げられる宗教行事でもあったオリンピックを実現させるためという実践的意味合いが強かったようだ(師尾晶子「休戦を運ぶ使節たち」『古代オリンピック』岩波新書)。

 

一方で、近代オリンピックにおいてはスポーツ自体の効果がより強く期待されるようになった。近代五輪の創設者とされるピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)は、祖国への愛と同時に、他国への「知的で聡明なる共感を示すことによって、祖国に対するその国の人々の好意を勝ち得ようと努める」ような「真の国際主義」を強調していた(ジョン・J・マカルーン『オリンピックと近代』平凡社)。

 

もともとクーベルタンは、イギリスのパブリック・スクールで行われていたスポーツに、人格や道徳心、愛国心などを養う教育効果があると考え、フランスにスポーツ教育を導入しようと試みていた。貴族階級の生まれながら共和主義を奉ずるクーベルタンは、スポーツが貴族階級を越えてブルジョワ階級や労働者階級にも広まることを期待した。国境を越えて広がるスポーツの祭典は、階級を越えて広がるスポーツ教育の延長線上にあったとも言える。

 

2020年に予定されている東京オリンピック・パラリンピックでも、やはり国境を越えた交流の広がりが期待されている。東京招致の最終プレゼンテーションで話題になった滝川クリステルのフランス語スピーチでは、「おもてなし」を”sens profond de l’hospitalité, généreux et désintéressé”(組織委員会のサイトでは「見返りを求めないホスピタリティの精神」と訳している)と説明しているが、この精神がオリンピック憲章にある「スポーツを行うことは人権の一つである。すべての個人はいかなる種類の差別もなく、オリンピック精神によりスポーツを行う機会を与えられなければならず、それには、友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる」という根本原則の実現を後押しするのであれば、開催国・開催都市としてもこれ以上喜ばしいことはない。

 

 

政治の影

 

しかし、オリンピックが平和の祭典そのものであり、何もせずとも国家や民族間の争いから自由だと考えるのは、素朴に過ぎる。ナチス政権下1936年のベルリン五輪もそうだが、1980年代、東西冷戦下でのモスクワ五輪、ロサンゼルス五輪におけるボイコット問題も、オリンピックと政治をめぐる現代の生々しい記憶である。

 

とはいえ、これらはクーベルタンが理想とした国際主義からの逸脱事例に過ぎないという見方もあるかもしれない。本来は平和の祭典であるはずのオリンピックが、戦争の世紀の中で歪められ、濫用されただけだ、と。だが実際には、1896年にギリシアで開催された第一回の近代オリンピックでさえ、政治の影響を免れていたとは言い切れない。1897年にクレタ島の帰属をめぐりオスマン帝国とギリシアの間で起こった戦争について、マカルーンは、前年のオリンピックによるギリシア王室の権威上昇が国家主義的な風潮を刺激し、結果として紛争の促進要因となった可能性を示唆している(マカルーン、前掲書)。理念は理念として尊重すべきだが、他方でオリンピックの現実を政治と切り離すことは難しいとも認識しておくべきだろう。

 

オリンピックによって平和が促進されるという話の裏側には、平和があらかじめ実現されていないとオリンピックは開けないという事情があり、さらにはオリンピック開催によって紛争が助長されるという可能性もある。オリンピックが平和の祭典であってほしいと願うのであれば、私たち自身の意志と行動でオリンピックを平和の祭典にする必要がある、と言ってもよい。

 

 

民族の祭典?

 

近年のオリンピックでは、民族が重要なテーマとしてしばしば表面化してくる。一例として、2000年のシドニー五輪では、多民族国家であるオーストラリアの成り立ちを意識した開会式が見られた。オーストラリアは、多文化主義政策を取る代表的な国の一つである。他方、2012年のロンドン五輪に関しては、招致活動段階で民族や文化の多様性をアピールし開催を勝ち取ったものの、開催が決まった最終選考会の翌日2005年7月7日にロンドン同時爆破テロが発生し、多民族・多文化社会への批判が強まるという皮肉な事態が生じた(安達智史『リベラル・ナショナリズムと多文化主義』勁草書房)。

 

いずれにしても、冷戦終結後の国内・国際政治の中で民族や文化にかかわる論点は存在感を増しており、オリンピックもその影響下にある。特定民族の優越を誇示するという意味での「民族の祭典」は今やあるべきものではないが、国境の内外で民族の多様性や文化の独自性にどのように向き合うかという問題について、オリンピックは一つの焦点となっているかのようにも見える。

 

日本でも、1980年代以降、国際化や多文化共生、グローバル化などのスローガンが掲げられることが多くなった。1979年のインドシナ難民受け入れ開始と1981年の難民条約批准、1990年施行の出入国管理法改正による日系外国人の急増や1993年の技能実習制度導入など、国際情勢やグローバル経済の動向を受けて、国内の文化的多様性は増大してきた。

 

もっとも、たとえばイギリスで総人口に占める外国人の割合が6.3%(2007年)、労働力人口総数に占める外国人労働力人口の割合が5.8%(2006年)であるのに比べて、日本では総人口に占める外国人の割合は1.74%(2008年)に過ぎず(「2008~2009年 海外情勢報告」厚生労働省大臣官房国際課)、しかも2008年から12年にかけてその比率は低下した(「在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表」法務省)。いわば、多文化化が進展しながらも相対的に多文化的ではない社会(ただし200万人の在留外国人を、絶対数として「少ない」とは言えまい。「事実上の移民国」として日本を考える視点としては宮島喬『多文化であることとは』岩波書店)、というのが今の日本の現状であり、その現状の中で私たちは2020年を迎えることになる。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.2019.4.15 

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