「異質性の祭典」としてのオリンピック――共生社会とナショナリズム論の動向

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記憶の堆積の中から

 

ところで、こうした問題を、内部の主流文化と外部の文化との相克としてのみ理解するのは、正確ではない。というのも、そもそもナショナルな文化でさえ、歴史的推移の中で、異質な要素を抱え込んできているという事情があるからだ。

 

オリンピックにまつわる例を見てみよう。新装された国立競技場で1964年東京オリンピックの開会式を見た杉本苑子は、「美しかった」と述べながらも、同時にその同じ競技場で20年前(当時は明治神宮外苑競技場)に開催された出陣学徒壮行会にも想いを巡らせている。そして、「きょうのオリンピックはあの日につながり、あの日もきょうにつながっている。祝福にみち、光と色彩に飾られたきょうが、いかなる明日につながるか、予想はだれにもつかないのである。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ」と記した(杉本苑子「あすへの祈念」『東京オリンピック 文学者の見た世紀の祭典』講談社文芸文庫。国立競技場の歴史については、後藤健生『国立競技場の100年』ミネルヴァ書房、に詳しい)。

 

杉本は、かつて戦争に利用された場所でオリンピックを開催することを無神経だと批判しているわけではない。ただ、掘り起こされた異質な記憶は、私たちの眼前にある光景を異なる文脈に位置づけ直す役割を果たす。戦後日本の経済復興を象徴する盛大な式典は、戦争の記憶と重ね合わされることで、平和への祈りを捧げるよう私たちに呼びかけ始めるのである。

 

私たちが暮らす国土や積み重ねてきた歴史には単線的な物語には収めきれない無数のエピソードの堆積がある。そして、その堆積からどのような物語をつむいでいくか、つまり自分たちの文化をどのようなものとして認識し伝達していくかは、私たちの解釈の営み次第である。杉本の言葉は、そのことを教えてくれているのではないだろうか。

 

 

「私たち」の問題として

 

2020年には、多くの観光客が日本を訪れることになる。観光客の滞在は短期であろうし、「おもてなし」に良い印象を持って帰国していただけるのであれば、そのこと自体に問題はない。だがその中には、グローバル化にさらされたそれぞれの国で、多文化体験と格闘しつつ、ナショナルな文化自体の多様性と可塑性を体感してきた人々も多くいるであろう。どのように自国の文化を解釈し、再構成し、未来に伝えていくべきか、工夫と努力を続けてきた人たちである。その目に、日本の多文化共生のあり方はどれだけ魅力的に映るのであろうか。

 

そして何よりも、「私たち」(語り手である「私たち」が誰なのかということ自体、再解釈と再構成が可能であるのだが)は、日本の文化がどのような歴史的資源を引き取り、どのように解釈され、どのように受け継がれていくことを望ましいと考えるのであろうか。

 

数の問題だけならば、多文化主義の問題提起が重く受け止められた国々と比較して、相対的に日本のマイノリティー人口の総数は少ないかもしれない。だが、多いか少ないかということと、多い少ないにかかわらず共に生きていく道を探すのかどうかということとは、別の問題である。後者は、端的に言えば、共生という課題を通して、私たちがどのような日本を魅力的だと考えるのか、という問題である。

 

しかもこれは、民族や戦争、移民や文化などのテーマに限られた問題ではない。今回、東日本大震災の傷跡が残る中でオリンピックを開催することについて、多くの反対意見があった。東京でオリンピックを開催することが、被災地の切り捨てにつながるのではないか、という懸念ゆえである。

 

ところで、開催地の足元を見直してみれば、当然のことだが東京にも被災の歴史がある。たまたま品川区に位置する勤務先の歴史を調べていて知った一例だが、1917年(大正6年)9月30日から10月1日にかけて、台風の暴風雨と満潮が重なり、東京湾沿岸に大きな被害が生じた。いわゆる「大正6年の大海嘯」である。「つなみ」で潮位は荒川工事基準面4メートルほどに及び、今回のオリンピックで多くの訪日客の窓口となるであろう羽田や、いくつかの競技場の予定地とされている品川沿岸、選手村建設が予定されている隅田川河口近辺も浸水した。死者・不明者数は千人を超える(『日本歴史災害事典』吉川弘文館)。

 

こうした歴史を踏まえるならば、中心である開催地と周縁にある被災地という二項対立図式は成立しない。かつて、開会式の場である国立競技場の歴史の古層に出陣学徒壮行会を見いだした杉本は、「あの日もきょうにつながっている」と記した。同じように、被災地としての東京の歴史に思いを致す時、われわれはオリンピックがどのようにすれば被災地と共生できるのか思考するように促される。それは、国家間メダル競争に明け暮れても不思議ではない「主流」のオリンピックを、より複雑で矛盾に満ちた祭典として浮かび上がらせるきっかけになるかもしれない。

 

 

「共生」の意味の再考を

 

「共生」は、わかりやすい言葉である。人々が共に生きることに反対する人は、まずいない。問題はどのように共に生きるかである。共生が当然のことであると考えれば考えるほど、自分自身が考える共生のあり方が絶対であるかのような錯覚に陥る危険も大きくなる。

 

少数派が自然消滅していくことに大きな問題を感じないような「共生」論もあるかもしれない。外国人労働者の受け入れが住民としての権利問題とは切り離されている「共生」論もありうるだろう。もちろん、異なる体験と文化を背景とした訪日観光客をどのように「おもてなし」するかということも、「共生」論の一部となる。ちなみに、先の「おもてなし」の定義について、筆者個人としては「人を選ぶことなく、損得抜きで、心の底から喜び迎えようとする気持ち」とでも訳したいのだか、皆さんであればどのように翻訳されるであろうか。

 

おそらく2020年東京オリンピック・パラリンピックは、「共生」について異なるイメージを持つ人々が世界中から集まり、その間のズレや誤解が発見される場にもなる。開催に向けた施設・インフラの整備や国際化教育のあり方も、そうした文化的差異のぶつかり合いを想定し、それに影響されざるを得ない。しかもオリンピックは、「日本文化」が「異文化」と出会う場であるだけではない。「私たち」の文化が内包する多様性が白日の下にさらけ出される場でもある。やや大げさに言えば、オリンピックを「異質性の祭典」と表現してもよいかもしれない。だからこそ、それが「平和の祭典」であり続けることができるように、私たちが力を尽くす意義も大きいのである。

 

サムネイル「国立霞ヶ丘陸上競技場 (National Olympic Stadium)」Kentaro Ohno

https://flic.kr/p/nyurSn

 

 

 

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