安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること

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囚人の安楽死後臓器提供?

 

もっと衝撃的なのはベルギーだ。05年から07年にかけて「安楽死後臓器提供」が4例行われたことが、09年の移植医療の専門誌で報告されている。安楽死を希望する人が同時に臓器提供も自己決定したとして、手術室またはその近くで安楽死を行い、心臓停止を待って臓器を摘出したという。摘出された臓器は、通常通りにヨーロッパ移植ネットワークによって選ばれたレシビエントに移植されたという。論文の著者らは学会発表した際に、既にプロトコルができていることを明かした。さらに安楽死者のうち約2割を占める神経筋肉障害の患者について、彼らの臓器は比較的「高品質」であり、これらの安楽死者はベルギーにおける臓器不足解消のために利用できる「臓器プール」だ、とも述べている。

 

安楽死が臓器提供と繋がっていく懸念について言えば、10年に英国の生命倫理学者のドミニク・ウィルキンソンとジュリアン・サヴレスキュとが「臓器提供安楽死」を提言している。予後の悪い重症者が生命維持治療の中止も臓器提供も自己決定するなら、提供意志を無駄にしないためにも生きている状態で臓器を摘出するという方法で安楽死してもらってはどうか、というものだ。ベルギーの「安楽死後臓器提供」をさらに一歩進めたものと言えるだろう。こちらはまだ現実には行われていないだろうけれど、ベルギーの現実を思えば「安楽死後臓器提供」から「臓器提供安楽死」までの距離は、実際のところ、どれほどあるものなのだろう。

 

また、つい最近、ベルギーでは長年収監されてきた囚人に安楽死が行われていた事実も明らかになった。安楽死法に規定された要件は満たしているので問題はないとされ、むしろ政治家が表に出したことで囚人のプライバシー侵害の方が問題視されているというのだが、果たして安楽死法が囚人に適用されることの倫理問題はどのように議論されたのだろう。

 

私がこのニュースを読んで思いだしたのは、米国オレゴン州の死刑囚から処刑後に全身の臓器を提供したいとの要望が出ている、という去年3月のニュースだった。この時、臓器提供を望む声を上げた死刑囚は、ニューヨーク・タイムズに寄稿した記事で「自分の死後に自分の体をどうしたいかを自分で決める権利を奪わないでほしい」と書いた。彼はその段階で既にオレゴン州の死刑囚35人の大半とコンタクトをとって約半数から臓器提供希望の意思を確認しており、さらに死刑囚にも臓器提供を呼びかける活動団体を立ち上げていた。

 

ベルギーで法律上問題なしとして囚人への安楽死が行われているとしたら、その囚人が同時に臓器提供を望む場合には「安楽死後臓器提供」も行われる可能性があるのではないだろうか。そして、それも囚人のプライバシーを理由に公にはされないのだとしたら、そこにはやはり慎重に議論すべき重大な倫理問題があるのではないか。

 

 

ディグニタスの“自殺ツーリズム”

 

病院やナーシング・ホームでも自殺幇助の希望があれば専門職はその希望を尊重すべきだと決めたところもある。スイスのヴォ―州だ。今年6月の住民投票で新法の制定が決まった。新法施行後には、病院と施設のスタッフには自殺幇助希望者の意思を尊重する義務が生じる。条件は、不治の病または怪我を負っていることと、自己決定できるだけの知的能力があることの2点。この条件がどれだけ幅広い病状や障害像の人を対象に含んでしまうかを考えると、暗澹とする。また、これでは劣悪なケアの施設や病院ほど死にたいと希望する患者・入所者が増えてベッドの回転率が上がることになり、医療やケアの質を担保・向上させるインセンティブは、もはや働かないのではないだろうか。

 

スイスはもともと、自殺に関する法律の解釈から、自殺を希望する人に毒物を飲ませて死なせてくれる民間団体が合法的に活動している特殊な国である。スイス在住者を対象にした自殺幇助機関のほかに外国人を受け入れるディグニタスという組織があり、世界中から希望者が訪れる「自殺ツーリズム」の場所となっている。08年には事故で全身マヒになった23歳の英国人青年が「2流の人間」として生きて行くのは嫌だと言って、両親がディグニタスに連れていって自殺させた。翌09年には健康な高齢男性が「妻を失っては生きていけない」といって、末期がんの妻と一緒に同じくディグニタスで自殺している。ディグニタスを運営する元弁護士のルドウィッグ・ミネリは、死にたいと希望する人には無条件に「死の自己決定権」が認められるべきだとの持論の持ち主である。

 

 

「くぐりぬける力」を信頼する

 

私はこの23歳の英国人青年のことを考えるたびに、「くぐりぬける力」ということを思う。障害に限らず、人は誰でも人生の途上で不運としか呼びようのないことと人生で出会ってしまう。それでも多くの人は、その不運によって突き落とされる絶望の中から、やがてくぐりぬけて、何とか生きようと思えるところに這い出してくるのではないか。もう死んでしまいそうな絶望的なところを、命からがらやっとの思いで「くぐりぬけ」た時、人はくぐりぬける必要が生じる前よりも深いところにある何かに触れるのではないか、それまで「これが自分だ」と思っていた自分よりも、一つ深いところにいた自分と出会えるのではないか、という気がする。

 

私には寝たきりで全介助の娘がある。全介助の寝たきりだということは、身体ぜんぶ、自分の命の丸ごとを他者にゆだねて生きている、ということだ。そういう娘と25年間生きてきて、そんなふうに身体を丸ごと相手にゆだね、ゆだねられて、介護し介護される関係性の中には、とても豊かな、豊饒と呼びたいようなものがあるということを感じてきた。それは、他者と言葉や論理を通じてやりとりをしたり通じ合うことが当たり前の日常を送っている私たちにとって、非常に遠いものとなってしまっている繋がり合いの形なのかもしれないけれど、言葉を超えて人が身体感覚や存在そのものの次元でコミュニケートし、伝えあい分かりあい繋がりあう、豊饒で満ち足りた関係性だ。

 

私たちはみんな無力で無防備な存在だった乳幼児期に、誰かとの間に存在を丸ごとゆだねゆだねられる関係性を経験してきた。そんなふうに人と通じあい、繋がり合う中で互いにかけがえのない存在となるという関係性を知ってきた。だからこそ、そんなふうに生きてきた私たちは誰でも人生の途上で様々な思わぬ理不尽に見舞われるけれど、そこを「くぐりぬける」力が本当はみんなに備わっているんじゃないだろうか。

 

事故で全身マヒになって「死にたい」と言っている人に向かって「そうだね。あなたの生は確かにもう生きるに値しないね」と言って毒物を飲ませて死なせてあげるのは、彼の中にあるはずの「くぐり抜ける」力を信頼しない、ということではないのか。必要なのは、くぐりぬけようとする前から諦めることに手を貸すのではなく、その人がくぐりぬけることを支える手を差し伸べること、誰にとっても、そういう社会であろうとすることではないのだろうか。

 

 

家族の中に潜む恐ろしい関係性

 

しかし、この青年の母国、英国は、スイスともその他の国々ともまた違う形で、独自の「死の自己決定権」の道を突き進んでいるように見える。その他の国や州で合法化されているのは、一定の条件を満たした人が所定の手続きを踏んだ場合の医師による自殺幇助または安楽死なのだが、英国では対象者も幇助の方法も限定しないまま、近親者による自殺幇助が事実上合法化されたに等しい状況になっている。

 

英国では08年に多発性硬化症の女性デビー・パーディが起こした訴訟をきっかけに、10年2月に公訴局長(DPP)のガイドラインが発表され、主として近親者の自殺幇助の起訴判断に一定のスタンダードが示された。自殺幇助は今なお違法行為であるとし、すべての事件を警察が捜査するとしながらも、起訴が公益に当たるかどうかを判断する基準となる22のファクターを列挙し、最終的にはDPPが判断する、と定めた。その結果、09年以降、証拠が確かだとして警察が送検した自殺幇助事件は44件あるが、すべて不起訴となっている(11年9月データ)。

 

その中には先の青年のように、家族がスイスへ連れて行くという形の幇助もあるが、長年介護してきた家族が、「こんな状態で生きるくらいなら死んだ方がマシだ、死にたいと本人が言ったから死ぬのを手伝った」と言い、愛情と思いやりでやったこととして無罪放免されているケースも多い。最近では、妻を介護している夫が妻の自殺を幇助して不起訴になる事件が増えているようにも思え、私は気になっている。

夫と妻、親と子どもは、いずれも力関係にはっきりと差のある関係性だからだ。自殺幇助を希望する人には女性が多いとも言われている。先ほど触れた、身体ごと命を丸ごとゆだね、ゆだねられる関係、介護され介護する関係性の豊かさの隣には、家庭という密室空間の中で支配し支配される恐ろしい関係性も潜んでいる。慈悲殺や自殺幇助の問題を考える時、家族の中に潜む、この恐ろしい関係性から目をそむけてはならない、と思う。【次ページにつづく】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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