「忘れられる権利」のいま

EU「忘れられる権利」と日本の仮処分決定の違い

 

では、EUの「忘れられる権利」と日本の仮処分決定(日本版「忘れられる権利」)の違いはどのような点にあるのでしょうか。

 

EUの「忘れられる権利」は、個人情報やプライバシーといったものを対象にしています。他方、日本の仮処分決定においては人格権侵害の有無を基準にするため、プライバシー侵害のみならず、名誉権侵害、名誉感情侵害といったものまで対象に含めることができます。また、名誉権侵害などを対象に含めることができるということだと、私人(個人)だけではなく法人(会社)もその請求をしていく余地があるということになります。

 

したがって、後者の方が適用の範囲が広いということができ、法制化をする必要は必ずしもないともいえます。

 

 

日本版「忘れられる権利」の限界はどこか

 

日本版「忘れられる権利」が認められるためには、人格権侵害があるといえればよいということを説明しました。しかし、人格権侵害は自分が不快だと思えば成立するといったものでは、必ずしもありません。人格権侵害があるといえるためには、人格権を侵害する状態とその侵害状態を正当化する事情がないといえることが必要になります。

 

たとえば、プライバシー権侵害の場合であれば、プライバシーを侵害している状態のほかに、当該プライバシーを公開する正当な理由(それが社会の正当な関心事であり、かつその表現内容・方法が不当なものでないといった事情など)があるといえることが必要です。また、名誉権侵害の場合であれば、社会的評価の低下があるといえる状態のほかに、当該インターネット上の表示が、公共性、公益性、真実性のいずれかを欠いているといえることが必要です。

 

これらのような事情を「違法性阻却事由」といいますが、違法性阻却事由が必要であるとされるのは、表現行為を安易に削除させるべきではない、知る権利を安易に損害するべきではないといった、「忘れられる権利」とは逆方向からの要請のためといえます。そのため、「表現の自由」や「知る権利」の要請が強いものであれば、削除をすることができないという限界があるということになります。

 

具体例で考えてみましょう。

 

たとえば、Xさんは10年ほど前に麻薬取締法違反で起訴され、有罪判決を受けたが、逮捕直後からメディアでXさんの氏名やこれまでの活動履歴とともに報じられ、報道の様子は匿名掲示板などに多数コピーされているという場合はどうでしょうか。

 

10年ほど経過しているということであれば、いまさらその報道を蒸し返す必要は原則としてないといえます。そのことは、その後罪を犯すこともなくまじめに生活をしていたということであれば、より強く言うことができます。また、罪を犯したことについては一度大々的に報じられ、その役目を終えたということもできるかもしれません。そのため、このような場合は「忘れられ」てもよいと言えるでしょう。

 

他方で、その後再び罪を犯し逮捕されたというタイミングであれば、常習性などを報じるなどの理由で、過去の報道を持ち出すことも許容され得るところであり、このような場合は「忘れられる」べきではないという結論に傾くと思われます。また、事例とは異なりますが、たとえば有罪判決を受け30日程度しか経過していないという場合も、まだ社会の正当な関心事といえるでしょうから、「忘れられる」べきではないということになるでしょう。

 

 

今後の課題

 

現状で削除が認められるのは、検索エンジンのスニペット部分(検索結果として表示される3行ほどの説明文の部分)に人格権侵害がある場合に限られています。人格権侵害があるといえるためには、このスニペット部分に氏名が表示されるなど、それが自分のことであると同定できる必要があるとされています。つまり、リンク先を読めば自分のことであると容易に分かるにもかかわらず、スニペット部分には氏名の表示がない場合は、人格権侵害があるといえないと判断されています。

 

このような場合も実際上の不利益の程度は変わらないと思われるため、適用範囲を広げるべきと思料されます。実際に、サイト内のリンクは、リンク先の内容を読めることが前提といえるということで、その記事をサイトに取り込んでいるといえるとする東京高裁の裁判例もあります。この裁判例と組み合わせることで、スニペット部分に氏名の表示がない場合でも、「忘れられる」ことができるようになるのではないかと思います。

 

インターネットは非常に便利です。一度情報が出れば積極的に削除しない限り情報が残り続けるため、一種のデータベースとなっています。そのため、インターネットは権利侵害の温床になる一方で、非常に便利で使い勝手のよいものであるともいえます。「忘れられる」ことが行き過ぎることは、このような利便性を損なうという側面もあるといえます。今後、この点の調整を適切に図っていくことが必要になるわけですが、それを裁判所が担うのか、検索エンジン側が担っていくのかということが注目されます。

 

サムネイル「google」Carlos Luna

https://www.flickr.com/photos/carlosluna/2856173673

 

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