方言とコミュニケーション――「ヴァーチャル方言」とその効能

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 「方言」の効能

 

こんにちのコミュニケーションおいては、「何を」伝えるのかよりも、「どう」伝えるのかということがより重要視されている、といっていいかも知れない。わたしたちは、何を伝えるかよりも、どうやって伝えるか、に腐心することの方が多いのではないだろうか?

 

そんな時代の日本語社会において、ホンネらしく響く、あるいは発話の意図をふんわりと伝わるという幻想を共有できる「方言」に注目が集まるのは、いわば当然といっていい。

 

また、誰にでも生まれ育った土地はあるわけで、そういう意味では生まれ育った土地との結びつきの象徴となる「方言」の話題は、コミュニケーションのきっかけにもなる。生まれた場所はひとつだが、育った場所はひとつとは限らないので、転勤族は「育った土地」をたくさんもっている人たちということになる。

 

2014年4月にオープンしたサイト『出身地鑑定!!方言チャート たぶん…完成版』(※1)が、人気を博していることなどは、その証左といえるだろう。「ご当地あるある方言」をはじめとして、「共通語」だと思って使っていることばがじつは「方言」だったという発見をしたり(※2)、ふだん共通語で話している身近な人が意外な「方言」を「使う」と回答している姿を見たりすることによって、新鮮さを覚える人も少なくないようである。

 

 

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転勤族には、あちこちの「方言」を身につけている自分は、どこの出身地と鑑定されるのか、という楽しみ方もあるようだ。『方言チャート』に導かれながら、自分のことば、すなわち自分の成り立ちをある意味知ることにつながるわけだ。

 

「方言」は、コミュニケーションのきっかけツールとなる他にも、さまざまな効能をもつ。

 

ひとつには、「方言」は「ホンネらしいことば」として使うことができるという効能である。こんにちでは、テレビの普及によってほぼ誰でも使えることばとなった「共通語」ではあるが、「方言主流社会」(※3)においては、「共通語」はしかるべき場面で使う「建前のことば」になりがちである。

 

かつては「方言敬語」が存在した地域も少なくないが、現代においては、多くの地域では敬語場面になると「共通語」に切り替わるということが、この感覚の背景には存在する。つまり、「建前のことば」=「共通語」、「ホンネのことば」=「方言」という図式である。

 

「方言」を用いたコミュニケーションは、その人の「素」をちらりと垣間見せてくれているような効果をもつのと同時に、「共通語」の中にふいに投入される「方言」は平板な日常を打ち破るかのような感覚を与える効能をもっているのである。

 

もうひとつ、「共通語」ではいいにくいことでも、「方言」ならば、ふんわり言ってみることができる、という効能もある。これは、そこで意図される言語情報の伝達に失敗したとしても、ちょっとした冗談としてお互い流すことができるというオプション付きの効能である。

 

むろん、「方言」がこのような効能をもつに至った背景には、日本語社会における「方言」の価値の上昇があり、同時に、従来「方言」のもつ生まれ育った土地に対するアイデンティティー認識機能が、近年高まりを見せている「地元志向」によくマッチするものである、ということも見逃せない。

 

 

「方言コスプレ」という言語行動

 

「方言」を用いたコミュニケーションとして近年前景化してきた用法に「方言コスプレ」という言語行動がある。

 

「方言コスプレ」とは、土地と結びついた生活のことばであるリアル方言に対して、何らかのレベルで編集・加工を施した「ヴァーチャル方言」とそれと結びついた方言ステレオタイプを用いたキャラ繰り出し行動である(※4)。

 

縁もゆかりもない土地の「ヴァーチャル方言」を用いた「方言コスプレ」としては、つぎのようなものが典型的だ。

 

関西人でもないのに「なんでやねん」とツッコんだり、土佐人でもないのに「行くぜよ!」とキブンを上げたり、九州人でもないのに「お引き受けしたでごわす」とキッパリと言い切ってみたり、「がんばっぺ!」と温かく励ます。そんな言語行動である。

 

2011年3月11日に発生した東日本大震災の折には、「がんぱっぺ! みやぎ」「まげねど! 女川・石巻」などのような“地元”の「方言」を用いた「応援メッセージ」が、人びとの心の癒やしになったともいわれている(東北大学方言研究センター2012)(※5)。

 

一方、地元の方言をヨソモノにはわかりやすく、地元民同士では互いの紐帯を明瞭化するために、地元方言の特徴をわかりやすく編集・加工した「ヴァーチャル方言」を用いた「○○県人キャラ」の繰り出し行動もまた、一種の「方言コスプレ」ということになる。

 

これらの「方言コスプレ」行動は、納税することによって地元民キブンを味わうことができる「ふるさと納税」に、ちょっとばかり似ていなくもない。

 

 

「方言コスプレ」ドラマ、『あまちゃん』

 

なあんだ、「方言コスプレ」って、2013年度前期に放送されたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』(※6)で見た「世界」ではないか。

 

そうなのだ。

 

『あまちゃん』は、「方言」と「方言」に対するこんにち的感覚を非常にうまく取り込み、具現化したドラマ、といえるのだ(金水敏・田中ゆかり・岡室美奈子編著2014)。

 

ヒロイン・天野アキは、東京生まれの東京育ちにもかかわらず、祖母をはじめとした大好きな人びとの住む大好きな(架空の)街・北三陸市の「方言」をしゃべる朝ドラ初の「ニセ方言ヒロイン」として造形された。

 

また、登場人物たちによる「方言コスプレ」シーンも多く現れる。たとえば、敏腕プロデュサー・太巻が若かりしころのアキのパパや、駆け出しマネージャーの水口くんの奥歯をガタガタいわすシーンでは「ニセ関西弁」、先輩とのラブシーンでアキのキブンがアガルシーンでは「龍馬語」、といったセリフ使いがそうである。

 

そもそも、ドラマの「方言」は、すべて「ヴァーチャル方言」であるし、また、上述したような「方言」の用いられ方は、リアル場面でも、ドラマのような創作物の中においても、これまでなかったわけではない。

 

ポイントは、こんにち的な「方言」の用いられ方が、『あまちゃん』によって具現化され、国民に受容された、すなわち否定的な気持ちをほとんど引き起こさずに、広く受け入れられた、ということなのである。

 

これはNHKが行った世論調査の結果(※7)をみても明かであるし、何より同ドラマより飛び出した『あまちゃん』語の「じぇじぇじぇ」が2013年の新語・流行語大賞に選ばれた(※8)ことが、その世界観の浸透ぶりを示す証拠といえるだろう。

 

しかし、「方言」がこんにちのような「価値」をもち、従来のリアルな土地と結びつきから解き放たれた新しい用法をもつに至ったのは、それほど遠い昔ではない。いくつかの段階を経てこんにちのような局面を迎えたわけだが、以下では、それに大きく寄与したふたつのメディアとその影響について簡単に触れたい。

 

 

 「方言」とテレビ

 

近代における標準語政策を受けて、「方言」は長く「はずかしい」「かっこ悪い」「隠したい」ものであったが、1980年代あたりを境として「うらやましい」「かっこいい」「使いたい」ものに移行してきた。

 

その背景には、テレビというメディアによる共通語化を指摘できる。1953年にNHKの本放送が開始されたテレビは、全国津々浦々に共通語を空からばらまいた。生まれたときからテレビのある家庭に育った1960年代生まれが青年期を迎えた1980年代になると、日本語社会の共通語化はほぼ完了したといっていい。すなわち、共通語は獲得する言語ではなく、誰もが使えるフツーのことばと化したのだ。一方、それまでは隠したり、直したりする対象であった方言が、誰でも使えることばではないものとして、相対的に価値が上昇した(田中ゆかり・前田忠彦※9)。

 

現代共通語の基盤方言である首都圏方言話者たちには「方言がうらやましい」という感覚が芽生え、それは、1980年代のスローガンであった「個性の時代」「地方の時代」という感性にもよくマッチするものであった。

 

この「方言」に対する感覚の変遷は、じつにさまざまなところから確認できる。たとえば、「方言」にかんする新聞記事や新聞の投書欄をみても、1970年代までは方言を笑われたことに端を発する殺人事件や自殺などを取り上げた記事や、上京青年たちの「方言を笑わないで」という投書が目に付く。ところが1980年代に入ると、それまで数多く現れた「方言コンプレックス」(※10)にまつわる記事や投書は急速に影を潜め、入れ替わるように「方言を大切に」「方言は個性」「方言はおもしろい」という論調の記事や投書が多くなる(田中ゆかり2011)。

 

 

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vol.266 

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