在日韓国・朝鮮人の戦後史――「特別永住資格」の歴史的経緯とは

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国籍はどこに?

 

 ただ「植民地期には日本国民とみなされていた」という理解についても、いくつかの註釈が必要です。植民地時代は日本人と朝鮮人は同じに扱われていた、つまり同権だったが、52年以降外国人になって権利がなくなってしまった、という誤解があるからです。実際には「同権」などでは全くありませんでした。

 

確かに日本は植民地統治に際して「一視同仁」を謳い、戦時期には「内鮮一体」を叫びましたが、これはあくまで同じ「天皇の臣民」であるということを意味するに過ぎません。「内地」つまり日本と、朝鮮や台湾など植民地の「臣民」の「権利」には明確な格差がありました。そもそも帝国憲法自体、植民地には施行されていません。

 

戦後の出入国管理との関連でみると、例えば戦前でも朝鮮から日本に朝鮮人が来るのは、同じ「臣民」であっても全く自由ではありませんでした。朝鮮から日本への渡航については厳格な管理制度を朝鮮総督府の警察が敷いていました。事実上の入国管理といえます。一方、日本人が朝鮮に行くのは日露戦争以降は自由ですから、どんどん植民していけます。また、日本の内地にいる朝鮮人が強制送還の対象にもなります。昭和恐慌の時期には労働力需給の関係で朝鮮人を集団的に強制送還させる、という話すら出てきます。

 

同じ「帝国臣民」であるということは、内地と植民地の「臣民」間に法の下の平等が保障されることを意味するわけではないのです。しかも強制送還は警察が完全に恣意的な行政権力の発動としてやっているわけです。その時の名目は「朝鮮人を保護するため」です。朝鮮人のためを思って日本に行かせないんだ、だって失業したら困るでしょ、と。まあこういう理屈になっていくわけですね。

 

このような大日本帝国のもとで作られた在留権を好き勝手できる状況を、戦後の日本国憲法体制の下でも続ける。その役割を外国人登録令は果たしたのです。なので私は同じ「臣民」だったのに、「外国人」になって無権利状態になった、という言い方には植民地支配についての無理解があると思いますし、何より戦前-戦後の連続を見落としてしまう問題があると思います。

 

荻上 連綿と繋がっているんですね。日本人も、朝鮮人も「臣民」と同じように言っていたけれど、実際は違った扱いをされていた。そして、1952年で「臣民」という形式も喪失してしまい「外国人」になってしまう。その後の動きはどうなるのでしょうか。

 

 1952年の日本国籍喪失で「外国人」になったとしばしばいわれます。ここにも、留意すべき点があります。本当に朝鮮人は「外国人」になったのでしょうか。確かに日本法上はそうです。日本の法では「外国人」は日本国籍を有しない者を指します。では、その人々は「何国人」になるのか。

 

日本は日韓会談をやっている最中ですから、まだ韓国政府を承認していない状態です。朝鮮民主主義人民共和国政府に至っては今でも承認していない。つまり、在日朝鮮人は、居住国の政府が国籍国を承認していない段階で日本国籍だけ喪失します。このため事実上無国籍状態においやられてしまう。事務取扱上は韓国籍は国籍として扱われることになりますが、当時は朝鮮籍者の方がはるかに多いので、多くの朝鮮人はただ国籍がなくなった、という状態になってしまう。

 

荻上 その時、日本政府はどうしたんですか。

 

 とりあえずの対応として、講和条約発効の日までに生まれた人については「法126-2-6」と呼ばれる「在留の資格」を許可することになります。出入国管理令の「在留資格」ではないので「の」が入るわけです。日本の戦後の入管法令は基本的にアメリカの出入国管理法令をモデルに作っています。制度が想定するのは、パスポートを持ってVISAの発給を受けて入ってくる外国人です。ですが、1952年段階で日本にいる外国人の9割は旧植民地出身者ですから、制度が想定していない者を対象に、入管法令を使う必要が出てきます。戦後入管法令の場合、合法的に日本で在留するには外国人は必ず在留資格がなければなりません。

 

ですが、60万人もの人に在留資格の審査をするのは困難です。ですので、新しい法律を作るまでのあいだ、「当分の間」在留できるように、「法126」と呼ばれる法律のなかに、旧植民地出身者の「在留の資格」に関する規定を作ります。正しくは法律第126号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」ですが、長いので法律番号で略称し呼ばれています。法律第126号の第2条第6項に規定されている「在留の資格」なので、「法126-2-6」といわれるわけです。

 

一方で国籍法の手続きに従った日本国籍取得、つまり「帰化」も制限します。近年公開された日韓会談文書をみると、朝鮮人をいつでも強制送還させられる状態に留めておくことが望ましいから、国籍法上は「帰化」が許可される人は多いだろうがそれを制限する配慮が必要だとの認識を入管当局はかなり赤裸々に示しています。

 

グレーな在留状況に留め置いたのは制度上の問題というよりも、こうした朝鮮人の不安定な在留状況自体を自らの利益と考える発想が影響していると思います。

 

荻上 つまり、形をどうするかはまだ決まっていない。けれども、当分の間は住んで良いと許可を出した。この状態は国交回復まで続くという事なんですか。

 

 韓国籍の場合はそうですね。

 

田中 植民地が分離独立する際の住民の国籍問題は、日本だけが抱えていたわけではありません。たとえば、日本のかつての同盟国ドイツも敗戦の結果、植民地だったオーストリアの独立を経験します。そこでドイツは、独立する前の日にドイツ国籍を全て消滅させます。ただし、ドイツに住んでいる人には、新しい独立国の国籍か、ドイツの国籍か、それぞれが選べるようにしたんです。

 

一方で、日本の場合は、選択させることなく、全部「外国人」にしてしまいました。日本にいる朝鮮人で日本の国籍を取りたい方もいるわけですから、当然帰化の申請をします。その決定権は日本の法務大臣が持っています。独立国の人々が決定権を持っているドイツと、日本側が決定権を持っている日本では、全然違いますよね。

 

 

「特別」ってなんだろう?

 

 先ほど「法126」について「講和条約発効の日までに生まれた人については」許可されたといいました。つまり1952年4月28日以前に生まれた人は「法126-2-6」の資格が許可され、在留期間の定めがありません。

 

しかし、この枠にすら入れない人々もいました。ひとつは日本の降伏をまたいで日・朝間を往来した人です。この資格は降服文書の調印、つまり45年9月2日以前から引き続き日本の内地に居続けることを条件としています。しかし、在日朝鮮人の少なくない人々は戦時期末期に朝鮮へと疎開・避難しました。無条件降伏となり日本へとまた戻った人はこの条件から除外されます。こうした降服文書調印後の渡航者の地位は、生活実態としては他の在日朝鮮人と変わらない場合であっても全く別扱いで、今でも特別永住からは除外されています。植民地支配への反省から在留権を保障するという発想に立つならば、同じ歴史的経緯を持つこうした人々の権利も保障されるべきです。

 

もう一つは、52年4月29日以後に生まれた人々です。この人々も「法126-2-6」の資格の対象にはなりません。この人々は「法126の子」と呼ばれますが、在留期間は3年と定められました。つまり親とは異なり、この人々は3年毎に「日本にいていいですか」と許可をもらって生きていく必要が生じるわけです。こうした「子孫の法的地位」の問題は、その後の日韓交渉で非常に重要な論点となりますが、完全には解決されませんでした。

 

田中 それ以降下の子孫の法的地位をどうするのかについては、日韓法的地位協定施行の1965年から25年後の1991年までに、日韓で話し合いをすることになっていました。

 

そして、1991年に、日韓の外務大臣の間で「覚書」が交わされ、それ以降の子孫については「特別永住」という資格を認めることになりました。子々孫々に亘って定住を認めるという形で、法的地位協定でのペンディングになっていた部分が一応クリアされたというわけです。

 

荻上 ここで、やっと「特別永住資格」を得ることができたのですね。

 

 それまでバラバラだった旧植民地出身者の在留資格を一定程度一本化したと言えます。ちなみに、これは「権利」ではなく「特別永住資格」です。当時、在日朝鮮人団体は永住の権利を求めましたが、結局は日本政府は権利としては認めませんでした。

 

荻上 先日の橋下徹共同代表(当時)の発言の中では、特別永住について「見直す時期に来ている」「国籍を選んでもらう」という話が出ていましたよね。どうお感じになられましたか。

 

 91年の入管特例法により設けられた特別永住の新しさは、世代を区切らず代々永住許可が継承されていくところにあります。この制度が作られた背景には、旧植民地出身者が「定住外国人」として生きていくことを求める当事者たちの強い声があったわけです。現行の制度には様々な問題が残っていますが、橋下代表の発言はむしろ制度の問題点をさらに大きくし、むしろ当事者たちの声がわずかながら反映された箇所を除去してしまおうとする制度改悪の提案です。「時間が経ったから考え直そう」というのはその趣旨を全く理解していない発言です。

 

荻上 ベースにして考えて行くための法律だったんですよね。メールをリスナーからいただいています。

 

『”特別”と付いているから「在日コリアンだけに何故特権が!」という誤解が生まれているんでしょうか』

 

「特別」という言葉だけから判断して、そういった反応が出てきてしまう人もいるのでしょうね。しかし、重要なのはあくまでも「資格」であって、イニシアティブは政府の側にある、と。

 

 そうですね。日本政府は91年以前はとにかく子々孫々永住許可が継承されることを防ごうとしてきました。1965年の日韓協定締結に伴い韓国籍者に限り協定永住が、朝鮮籍者の場合は1982年に特例永住が認められますが、その時も子孫に関しては定めなかったのです。

 

この背景には外国人を「一時的にしか日本にいない存在」と扱いたいという発想があります。外国人のまま、民族性を維持したまま、ずっと居ついてしまったら困るという発想で制度がつくられています。いずれは帰国するか、或いは日本にずっといたいなら帰化しろというわけです。このため、民族教育の発想も出てきません。むしろ戦後日本の出入国管理制度は一貫して世代を追うごとに在留が不安定化するように設計されてきました。

 

田中 また、在特会は、「在日朝鮮人は掛け金も払っていないのに、年金相当の福祉給付金を取っている。それが特権だ。」と言っています。

 

そもそも、外国人には国民年金法が適用されていませんでした。ベトナム戦争後の難民受け入れを機に、日本が難民条約・国際人権規約を批准していく中で、国民年金や児童手当、公営住宅など、国内外人平等になるように整備されていきます。

 

ですが、国民年金は25年掛けないと国から年金が支給されません。ですから、ある年齢以上の外国人は、年金が支給されないことになってしまいます。本来は、それを防ぐ手当てをしないといけませんが、何もしていないので、無年金になってしまいました。

 

在特会の言い分は、これらの歴史的背景を全く無視して、福祉給付金が月1万円ほど出ている自治体を捕まえて攻撃しています。真に内外人平等を達成するためには、無年金者が出ないように手当しなければいけません。不当にもらっていると「特権」扱いするのは無知にもほどがあります。【次ページに続く】

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

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