うりずんの月桃と賛歌――沖縄戦「慰霊の日」に何を継承するか

こうして僧侶となった知花さんは、チビチリガマの出来事を訪れる子供達に伝えながら、新基地建設に反対する運動に参加している。

 

週に一度のペースで辺野古沖へ出る船に乗る。カヌー40艘、船3隻で、ブイを越えれば海保に押さえられることもある。抵抗しなければそんなに殴られたりはしない、上からどんどん押さえこまれれば、はねのけようとするのが人というものだけどねー、苦しいから、と穏やかに語った。

 

明日6月23日の「慰霊の日」は、チビチリガマ「世代を結ぶ平和の像」の彫刻家、金城実さんと共に摩文仁へ行くという。金城さんは浜比嘉島生まれで大阪に長く暮らし、10年前から読谷にアトリエを構えている。

 

2002年には沖縄靖国訴訟の原告となり、首相の靖国参拝をめぐる政教分離の問題や「沖縄戦の実相」の解明を訴えた。皇軍として国家に命を捧げた父親の戦死は「犬死」であった。「お父さんも靖国に祀られて感謝されていることでしょう」という靖国神社側の主張に激怒し、なぜあなた方が勝手に決めるのか、父は靖国の英霊ではない、と憤った。(注8)

 

(注8)三上智恵「英霊か犬死か:沖縄靖国裁判の行方」琉球朝日放送、2010年。

 

知花さんの親類にも沖縄戦で亡くなった方達がいる。母方の二名は南部のどこかで亡くなり、靖国に祀られている。また父方の伯父は糸満のあたりで亡くなったと考えられるが、詳しいことは分からない。いずれも遺骨はなく、南部の石を拾ってきて墓に納めたという。また、読谷村に上陸した米軍兵士から娘を守ろうと竹やりで向かっていき殺されたおじいさんもいた。

 

では知花さんは「平和の礎」へは行かれますか、との問いに、一瞬表情が険しくなった。「平和の礎」ができ、親類の名前を確認しに行ったことはあるが、自分から出かけることはないという。身元の分からない遺骨は「魂魄の塔」に多く納められており、毎年そちらへお参りしているし、読谷での集まりもある。

 

それならなぜ明日は摩文仁へ行くのか。今年の沖縄は「慰霊の日」を前に、どのようにこの日を迎えるか、例年とやや異なる様子になっていた。戦後70年の節目に当たることよりも、普天間基地移転の問題や辺野古沖の新基地建設問題、オスプレイ配備、憲法9条の改変、これらをめぐる現政権の一連の対応が、静かに、しかし非常に深いところから波動を呼んでいた。

 

平和祈念公園の式典には首相が参列する。首相が来るのを嫌って「平和の礎」を避け、いつもと別の会場へ行くという人もいる。迷って直前まで予定が二転三転する人もいた。知花さん達は明日、辺野古の基地建設に反対する意思表示をする。抗議の意味であえて出向くのだ。金城さんの作業場に着くと準備が始まっていた。オカヤドカリがゴト、ゴト、と幾つも足下を動き、西の空をオスプレイが通り過ぎていった。

 

 

秩序ある視界に割り込む:土と牛 2015/6/23

 

「慰霊の日」は早い朝を迎え、金城さんの大型彫刻を載せたトラックとバン数台に分かれ摩文仁へ向かう。高さ2メートルはある立像二体が荷台に乗せられると、道路から見て3メートル以上になる。

 

 

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金城実作の二体の像

 

 

力強く歩み出そうとする男性像と、肩をいからせ天に向かい両手を振り上げる女性の像。険しいが修羅の表情ではない。人として地に踏み留まろうとする者の誇り高い顔だ。固定するために巻いたロープが、辺野古の民に絡みつく軛のようでもある。

 

首相は必ず平和祈念公園の追悼式会場に入る、そのタイミングにぶつけてこの像を見せる。さとうきび畑の一面の緑を背景にそびえる赤土の立像には異様な迫力があった。公道に出ればなおさらである。暴力行為に及ぶ者はいない。拡声器もない。しかし、権力の視線を前にして、もはや沖縄の風景が従順に沈黙しえないことを知らしめようというのだった。

 

読谷飛行場跡の長い直線を走る間にも日差しは次第に強くなる。道路沿いに警察官が一定間隔で立ち始めた。巨像が通り過ぎるたび目を引いている。不意にカーブから現れた立像に出くわした水色の制服の二人は「なんじゃありゃあー」と驚きに目を輝かせて見送った。

 

人目を引くのにはもう一つ理由があった。金城作品の後ろを、黒牛を載せた福島ナンバーの車両がついてくる。双葉郡浪江町「希望の牧場」のベコトラである。運転する吉澤正巳さんは闘牛の様な心と骨格を持つ人だ。

 

もとからそうだったわけではない。朴訥に地面ばかり見ていた牛飼いが、3.11を境に変わった。原発事故の混乱の中、柵内の牛を放す余裕もなく避難した酪農家では、並んで繋がれたまま息絶えた牛の骸があった。警戒区域内で生き残った牛も、国の方針により全頭殺処分されることになった。虚空を仰ぐ黒ベコは殺されていった牛達の悲しみだ。

 

吉澤さんたち8件の農家が処分に抗議し、被曝した牛500頭の世話を続けている。だからといって出荷はできない。ただ寿命を全うさせる。こんなことをして「狂っているのかもしれない」。それでも「命を何だと思っているのか」という一念で5年間世話を続けてきた。だからあと5年はやれる、と言う。

 

 

知足美加子作「望郷の牛」

知足美加子作「望郷の牛」

 

 

辺野古の新基地建設反対はともかく、福島と沖縄戦「慰霊の日」と何か関係があるのだろうか。ある、と金城実さんは断言する。権力と闘っている者は皆同志であるという感覚を、なぜ持ち切れないのか。

 

沖縄は「捨て石」にされ、銃剣とブルドーザーで土地を奪われた。自ら望んだことではない。では福島は原発を誘致したから米軍基地と別問題だと言えるか。国家権力から見れば一緒ではないか。構造的に考えよう、違いを強調し分断するのは権力を持つ者の思考ではないか。その意味で、金城さんは沖縄のたたかいは沖縄だけではできないとの立場をとる。

 

知花さんもまた、うちなーとヤマトとを分ける見方が排外性を帯びると敏感に反応する。基地を置いている罪悪感を解消するためにヤマトンチュが沖縄へ来て平和運動をやっている、という批判はある。

 

しかし「ヤマトンチュは出て行け」という議論の危うさは、それが血統でメンバーシップを決める方向へ行きかねないところにある。何十年も島に住んでいる本土出身者はどうなるのか。ナショナリズムは昂じれば排外主義に行きつく。本土から差別されてきた沖縄が、同じ論理で人を差別することになってはいけない、と言う。

 

金城さんも知花さんも長い法廷闘争を経てきた人である。単独でできることではない。かつて知花さんは「私も正直に言えば右翼は恐い。ひとりで彼らの暴力にたちむかえといわれても無理だろう」と述べた。日の丸裁判の頃の話だ。

 

「だが、そこでたたかうことをあきらめるのではなく、ある意味ではひとりでも頑張ろうと踏みとどまるとき、多くの仲間があらわれ、すべての反動を撃ち返す力が生まれてくる」。

 

辺野古に各地から集う人達は、地元にも何らかの課題を抱えている。

 

福島の原発だけではない。神戸では震災後の復興住宅の一部が今年9月で「20年」の退去期限を迎える。60歳で入居した被災者が80歳になっている。行政に立ち退きを求められて引越す先や体力があるか。東北の被災地域も時間差で同じ問題に見舞われるだろうと、兵庫県被災者連絡会の河村宋治郎会長は指摘する。

 

だからこそ、別々の問題だといって分断しあうのではなく、構造を捉えなくてはならない。そこに必ず突破口はある、と金城さんは言うのだ。

 

 

おわりに

 

魂魄の塔に次々到着する平和行進の親子連れが、線香や花を手に黙祷していく。この一帯は沖縄戦の中でも一番の激戦地であり、日本兵も住民も逃げ場を失って艦砲や爆撃に倒れた。散乱していた3万5千柱余りの遺骨を拾い集め祀った場所である。

 

規制線が張られる刻限、警備に引き止められた金城トラックは平和祈念公園を遠巻きにして魂魄の塔で正午を迎えた。ここで荷台から広場に彫刻を下ろしていく。立像2体の他に、小さな10人の胸像がある。辺野古闘争の道半ばで亡くなった漁夫、農民達の像である。

 

 

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漁夫たちの像

 

 

辺野古に海上基地建設が取りざたされて以来の8年に及ぶ反対運動に加え、浜のテントの座り込み活動は4080日を超えた。およそ20年間、地元の人達は基地建設に反対してきたことになる。その間に亡くなっていった人達も今日ここで偲ぶ。漁夫、農民像の一人一人に話しかけるようにお参りしているのは、辺野古沖へ出て海上監視を続けている女性だ。

 

広場では平和運動センターの山城博治さんが挨拶に立ち、「今日摩文仁では安倍に対する『帰れコール』も湧きあがったようでありますから」と報せると拍手が起こった。山城さんは病気療養のため一旦辺野古を離れているけれど「必ず戻ってきます」と約束した。

 

海勢頭豊さんが「月桃」を歌う。一家全滅した屋敷跡で風に揺れている月桃の花を見て作られた鎮魂歌だ。今年の平和祈念公園の式典では子供たちが「月桃」を合唱した。これまでは大切な歌が政治に利用されるのが嫌で断ってきたが、今年は戦後70年目であり、翁長知事も沖縄の言葉を伝えてくれるだろうから、と話した。

 

「“艦砲ぬ喰い残し”として生き残ったのは、なにも人間ばかりではない。沖縄の花も、生き物も、みんながんばって生きのびたんだ」と語る海勢頭さんの「琉球賛歌」にのせて、もうすぐ喜寿を迎える金城実さんが舞う。誰にも真似できない。土と共にある人だけがもつ力と躍動を見る。何万人もが倒れた地面の上で祈り、御霊に平和を誓い、歌い、弁当を広げる。生きたいと願う心の方が強いのだ。

 

沖縄の心とは何か。命どぅ宝よ。24万人が殺されて、そうしていきついた答えだ。知花さんは最後までこの答えを手放さないだろう。生活と生き様がかかっている。ガマの出来事にとらわれ、その意味を突き詰めて自らの行動につなげてきた人の言葉である。

 

沖縄戦の記憶の継承は、単に出来事の詳細を知るだけでは完結しない。このまま新基地が建設されれば、沖縄は今度こそ軍事のための島から抜けられなくなる。だから「沖縄戦の慰霊とは辺野古に基地を造らせないことだ」。翁長知事は8月にも埋め立て許可取り消しの判断を迫られる。

 

国はまた行政不服審査の請求を、申立先を次々に変えてやっていくだろう。東村高江の様なスラップ訴訟の増加も予想される。しかしその先に既定事実があるだろうか。

 

「勝つまでは、負けるんだ!」

 

どうしようもない暑さと日差しの下に、鬱屈した疲弊感はない。菩提樹の陰に休み、溢れ落ちるのも気にせず水を飲む。緩やかな沖縄のペースになじんでいく。状況の中心にいるのは、ここに座り込んでいる人達であって、権力ではない。

 

<参考文献>

・安仁屋政昭・牧港篤三・田港朝昭ほか『沖縄と天皇』あけぼの出版、1988年。

・行田稔彦編『生と死・いのちの証言沖縄戦』新日本出版社、2008年。

・大田昌秀『死者たちは、いまだ眠れず:「慰霊」の意味を問う』新泉社、2006年。

・太田良博『戦争への反省』ボーダーインク、2005年。

・沖縄タイムス社編『鉄の暴風:沖縄戦記』沖縄タイムス社、2001年。

・沖縄タイムス「尖閣」取材班編『波よ鎮まれ:尖閣への視座』旬報社、2014年。

・沖縄タイムス社編『2014沖縄県知事選ドキュメント』沖縄タイムス社、2014年。

・宜保栄治郎『軍国少年がみたやんばるの沖縄戦:イクサの記憶』榕樹書林、2015年。

・金城実「靖国裁判結審です」『大獅子通信』第7号、金城実事務所、2010年。

・下嶋哲朗『生き残る:沖縄・チビチリガマの戦争』晶文社、1991年。

・下嶋哲朗『沖縄「旗めいわく」裁判記』社会評論社、1994年。

・知花昌一『焼き捨てられた日の丸:基地の島・沖縄読谷から』社会批評社、1988年。

・知花昌一・池宮城紀夫・徐勝・安里英子・金城実・牧田清『我肝沖縄』解放出版社、1996年。

・広島大学沖縄教育研究会編『沖縄の本土復帰と教育』葵書房、1971年。

・辺見庸「国策を問う:徹底的な破滅から光」『沖縄タイムス』2012年5月14日。

・琉球新報「日米廻り舞台」取材班『普天間移設:日米の深層』青灯社、2014年。

・牧港篤三ほか『1フィート運動10周年記念誌』子どもたちにフィルムを通して沖縄戦を伝える会(通称:沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会)、1993年。

・牧港篤三・儀間比呂志『沖縄の悲哭』集英社、1982年。

 

 

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