関東大震災・朝鮮人虐殺は「正当防衛」ではない 工藤美代子著『関東大震災――「朝鮮人虐殺」の真実』への批判

虐殺の総数を正確に調査できなかった責任はどこにあるのか

 

上海で刊行された一九二三年一一月五日付『独立新聞』に、罹災同胞の慰問を名目にして被虐殺朝鮮人数を調査した朝鮮人調査団の報告書が掲載された。これには「被殺者総合計六千六百六十一人」と記された。

 

工藤は「『独立新聞』の報告も、同胞慰問班の調査も(『独立新聞』掲載の報告は慰問班の調査に基づくもので別のものではないのだが――山田注)、その数字の根拠は恐るべき雑駁曖昧なものといわざるを得ない」と述べ(二二九頁)、かつ「嘘の数字を羅列した『朝鮮人虐殺』人数の責任は簡単には拭いきれまい。

 

結果、疑問の声もあがらず、八十六年が過ぎて今日に至っているのだ」と言い(三〇三頁)、この数字を疑問視したのは、彼女の創見であるかのように書いている。

 

この数字が正確なものではないことは、私はすでに拙著で認定していた。ただし、その原因について、私は彼女と見解をまったく異にしていた。すなわち、私はすでに拙著で「朝鮮人虐殺数を今日も明確にできない根本原因は、官憲が虐殺された朝鮮人の遺体の隠匿を行ったからである」と結論づけていたのである(一八三~一八四頁)。他方、彼女は虐殺数調査が不正確な責任を専ら慰問班に押し付け、慰問班の調査を徹底的に妨害した警察の行動をまったく不問に付した。

 

朝鮮人による被虐殺朝鮮人の調査に対する警察の妨害策動について、拙著では一七六頁から一八四頁にかけて詳しく論証した。論証はこれに譲り、ここではその論証を基礎にして朝鮮人の調査に対する警察の妨害状況を要約して述べる。

 

在京の朝鮮人たちが調査団を組織したのは、一九二三年一〇月初めであり、調査はそれから一一月末まで約二ヶ月間にわたって行われた。調査団が「在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班」という名称を名乗ったのは、殺された朝鮮人犠牲者の調査に対する警視庁の禁止措置を避けるためだった。

 

この調査に従事した朝鮮人から調査の状況を後に聴取した韓相は、警察の遺体隠蔽政策による調査の困難さを戦後に次のように記した。

 

「いかに調査委員が綿密に調査したことであったが、震災から既に二箇月を経過していたし、『鮮人騒ぎ』が全く事実無根のデマ(官製の)のために起きた日本人の失態であることが、明白になったので、不幸失命の同胞の死体を、隠ぺいして証拠いん滅を、(官の指令で)してしまったことがあるので、なかなかその実数は正確を期することが、できるものではなかった。」

 

一九二三年九月四日の晩、日本人群衆が埼玉県児玉郡本庄町(現本庄市)の本庄警察署を襲撃し、同署に収容されていた朝鮮人を殺害した。その虐殺人数は八六名とも一〇一~一〇二名とも言われる。同警察署の巡査新井賢次郎はその死体を焼くに当って「数がわからないようにしろ」と命令された。

 

鄭然圭は一九二三年一〇月末か一一月初めに警視庁内鮮課に朝鮮人遺骨の引渡しを要求したが、拒絶された。

 

この年の一一月一四日には、警官隊が東京府南葛飾郡本田村(現東京都葛飾区東四つ木)と吾嬬町(現東京都墨田区八広)の間を流れる荒川にかけられていた四ツ木橋近辺に現れ、この付近の川原に埋められていた数多くの朝鮮人の遺体が埋められていたのである。

 

この朝鮮人遺体持ち去り事件は、この年の九月四日夜から翌日未明にかけて、亀戸署内で習志野騎兵連隊の将校や兵士によって労働者十人が殺害された亀戸事件と関係があった。一〇月一四日に亀戸署長は、労働者遺族や弁護士布施辰治に対して、労働者の遺体は荒川の堤防で焼死溺死者や朝鮮人死体百余名と共に火葬したと言った。

 

そこで一一月二三日に遺族、布施、労働組合関係者、朝鮮人代表二名等は、四ツ木橋付近の河川敷に埋められた遺骨の発掘に出かけた。しかし四ツ木橋付近にいた警官や憲兵は、遺体はすでに埋まっていないと言って、労働者の遺体を引き取りに行った一行を追い返した。そして前述のように、その翌日に警官隊がここに現われてこの川原に埋められていた遺骨を掘り返して持ち去ったのである。

 

つまり警察側は、日本人労働者の遺体の発掘は同時に大量の朝鮮人遺体の発掘をもたらし、朝鮮人の大量虐殺の実態が明るみに出ることを恐れて、日本人労働者の遺骨を含めてすべての遺骨を持ち去ったのであろう。

 

一九二三年一一月六日付の警視総監報告書によると、警視総監は朝鮮人の慰問班からの朝鮮人「遺骨引取方の申出に対して之を拒絶した」という。

 

このように警察は虐殺された朝鮮人の遺体の隠匿につとめ、朝鮮人の遺体の引渡し要求をことごとく拒否した。

 

肉親が虐殺されたうえに、遺体も引き取れなかった朝鮮人遺族の悲しみや怒りは深かった。京都で発行されたこの年の一一月二二日付『中外日報』によれば、朝鮮人遺族たちは「既に虐殺されたことは不運として忍び難い怨みをも忍んで諦めるが、一つ諦めようとして諦め難いのは、せめてその遺骨だけなりとも捜し出して懇ろに葬りたいが、それすらできない」と嘆いた。

 

遺体を引き取れない朝鮮人の無念な想いは、上海で発行された一九二三年一二月五日付『独立新聞』に掲載された独立新聞社社長・金承学(ただし報告書の宛先は希由という金承学の号を記載している)宛の一一月二八日付の被虐殺朝鮮人人数の報告書にも現われている。この報告書には「合計三千二百四十人(以上은屍體도옷자자)」と記された箇所がある。「자자」は現在の文法では「」である。これを邦訳すれば、「合計三千百四十人(以上は屍體も探せなかった同胞)」である。「도」は通常「も」と訳すが、これに否定の語が伴うと、「すらも」とか、「さえも」という強調の意を表す。したがって、この文章は「合計三千二百四十人(以上は屍體さえも発見できなかった同胞)」と訳したほうが、文意をより良く表現しているであろう。

 

この短い言葉に被虐殺朝鮮人の状況を調査した朝鮮人が、日本の警察によって死体を隠された結果、その人数も確認できず、死体を引き取って葬ることもできない無念の想いが滲み出ていることに注意していただきたい。

 

ただし、姜徳相、琴秉洞編『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』(みすず書房、一九六三年)に掲載されたこの報告書の該当部分の翻訳文は「合計 三、二四〇人(以上は屍體を探せなかった同胞)」と訳されている。「도」を「を」と訳したのは誤訳か、それとも翻訳文の底本とした愛国同志援護会『韓国独立運動史』に掲載された報告書では「도」が「를(を)」に誤植されて、「合計三千二百四十人(以上은屍體를옷자자)」、すなわち、これを邦訳すれば「合計三千二百四十人(以上は屍體を発見できなかった同胞)」と印刷されていたのかもしれない。

 

いずれにしても、これは原史料と異なっており、一字の違いのために、原文に込められた朝鮮人調査員の無念の想いが伝えられていないのは遺憾である。

 

ところが工藤は『現代史資料6 関東大震災と朝鮮人』に誤訳されて掲載された文章に依拠して、この報告書に対して次のような非難を書いた。

 

「この調査報告の奇怪なことは『屍体を発見できなかった同胞』数が実に二千八百八十九人(これは工藤の誤読で、原文は三千二百四十人 山田注)に及んでいる点である。

 

『虐殺された』と主張する死体が発見できないままに、それを虐殺としてカウントするのはしょせん道理が通らない。おそらく最大好意的に解釈したとしても、氏名と住所が確認されたものの本人が見つからない、どうやら殺害されたに違いないと判断した、ということだろう。

 

そうだとすれば、それは『行方不明者』としてカウントされるべきものである。不明だから殺された、という主張は非論理的である。」(二二一頁)。

 

私は拙著で、姜徳相、琴秉洞編解説前掲書に邦訳された報告書は、原本である『独立新聞』掲載の報告書と字句の違いがあるので、『独立新聞』掲載の報告書を見なければいけないと注意していた(一六五頁)。

 

このように私が注意したにもかかわらず、工藤は原史料である『独立新聞』掲載の報告書の文章を調べる労を省いて、姜徳相、琴秉洞編解説前掲書に邦訳された報告書に依拠した。これはあくまで実証的に研究すべき研究者としてまったく不誠実である。このために工藤は報告書の文章から朝鮮人調査員の無念な想いをまったく汲み取れずに数字の合計の仕方の不合理の問題としか理解できず、これを非難し、被害者の痛みをまったく理解できない結果となった。

 

 

終りに

 

関東大震災時の朝鮮人虐殺事件は、朝鮮人虐殺にのみ問題があるのではない。官憲は朝鮮人暴動という誤認情報を流して、朝鮮人虐殺を引き起こしたうえに、その責任を隠すために、虐殺された朝鮮人遺体を隠して朝鮮人に引き渡さず、かつ朝鮮人暴動を捏造するなどの非人道的犯罪を重ね、虐殺事件後から一九三八年頃まで在日朝鮮人によって毎年続けられた虐殺に対する抗議や犠牲者追悼の営みを弾圧し続けた。(注10)

 

(注10)在日朝鮮人によって事件後に毎年続けられた抗議や追悼の営みに対して警察が過酷な弾圧を続けた実態の一端については、拙稿「今日における関東大震災時朝鮮人虐殺の国家責任と民衆責任」(『思想』二〇一〇年一月号)で言及した。

 

日本人民衆は、このために朝鮮人が抱いた無念の想いを深く受け止め、かつ国家に対して謝罪を求めなければならない。これは日本人が今後果すべき民衆責任である。

 

しかし工藤は、朝鮮人に対して犯した罪を隠すためにさらに犯罪を累積して行った日本の国家の行為に、今日積極的に手を貸した。このような工藤の著書が、実証的な論証をまったく欠いた非学問的な著作であるからと言って、今日これを放置しておいて済むものではない。

 

工藤の著書にも現われている思想的動向が「在日特権を許さない市民の会」や「主権回復を目指す会」などによる朝鮮人学校に対する数々の嫌がらせや乱暴狼藉の行為、あるいは朝鮮高級学校に対する政府の無償化除外措置となって現われたものと思われる。それだけに、こうした思想状況に対して研究者は沈黙してはならないと考える。

 

※「関東大震災・朝鮮人虐殺は「正当防衛」ではない–工藤美代子著『関東大震災–「朝鮮人虐殺」の真実』への批判」『世界』(岩波書店)2010年10月号より転載

 

サムネイル「関東大震災(寿小学校ヨリ展望)」

 

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